第1342話
レイが戻ってきた時、既にスピール商会のギルム支店は通常通りに営業を始めていた。
突っ込んだ馬車は既に移動してなくなっており、壊れた扉や壁の類も完全に直っている訳ではないが、応急修理として見れば十分だった。
物見高い通行人も既に消えており、事情を知らない何人かが店の様子を見て首を傾げている程度だ。
いや、念の為になのだろう。警備兵の姿も何人かある。
それでも通常通りに店をやっているのは、トリスからの指示によるものか。
この春からギルムで本格的に活動を始め、それからすぐに問題が起きてしまったとあっては、やはり体面的に色々と問題があるのだろう。
そんな中……レイとセトは堂々と店に近付いていく。
最初はそんなレイの姿を見て驚いた警備兵だったが、レイとセトの存在は警備兵の間でも有名だ。
それだけに、今回こうして姿を見せても特に驚くようなことはせず……寧ろ、冗談めかして話し掛けてくる。
「おいおい、レイ。もしかして今回の件ってお前が何か絡んでるんじゃないだろうな?」
そう尋ねた警備兵は、特に何か反応が欲しくてそう尋ねた訳ではない。ただ、純粋に話の切っ掛けとしてそう声を掛けたのだ。
少し前にレイがここにケーナを引き渡すために呼びに来た時にはいなかったのを考えると、交代要員としてやってきたのだろう。
だが……そんな警備兵の問い掛けに、レイは小さく肩を竦めて口を開く。
「ああ。絡んでるのは間違いないな。ちょっとトリスに用件があって来たんだけど」
「……本気か?」
「ああ。知らないのか? 俺は元々今回の件にはそれなりに関わってるんだよ。アジモフの件とか」
「そう言えば、あの件もあったか。レイが関わってるとなると、色々厄介な、そして大きな騒動になりそうだな」
小さく溜息を吐いた警備兵は、それ以上は何も言ったりはせずにレイを通す。
元々警備兵がここにいるのは、何かあった時にすぐ行動に移せるようにということを目的としてのものであり、スピール商会に用事がある相手を選別する為ではないというのもあるのだろう。
警備兵と別れたレイは、セトをその場に残して店の中に入っていく。
(へぇ……あんな騒ぎがあった割りに、客の姿は多いな)
それが、店の中を見たレイの素直な感想だった。
店の中には客の数だけで見ても十人以上がおり、スピール商会の商人と色々話し合っている。
交渉している者もいれば、商談が成立したのかお互いに笑みを浮かべて和やかに話している者の姿もあった。
「あれ、レイさんですか? どうしたんですか?」
店の中にいた商人の一人が、どうやらレイのことを知っていたのだろう。
不思議そうな表情でそう尋ねてくる。
誰に話し掛けるべきか迷っていたレイは、これ幸いと自分に話し掛けてきた商人の男に向かって口を開く。
「ちょっと、トリスに用事があってな。……悪いけど、取り次いでくれないか?」
「店長にですか? いえ、でもうちの店は今ちょっと……」
言葉を濁した男の視線が向けられたのは、急ごしらえで補修された店の様子。
中でも馬車が突っ込んだ入り口付近だ。
「その、少し前にちょっとありまして。店長は今ちょっと忙しいと思うのですが……」
「俺が来たと伝えてくれ。それこそ、今回の件についてちょっと話があるとな」
「……もしかして、今回の件はレイさんも関わってたりするんですか?」
少しだけ疑わしそうな表情。
もっとも、レイが関わって騒動になった件は色々とある。
それを知っているギルムの住人としては、当然の反応だろう。
それは間違っていないが……レイにとって、今回の件は完全に自分が巻き込まれた側にすぎないという思いがある。
商人の男にそのような目で見られるのは心外だった。
「別に俺だけが関わってるって訳じゃないけどな。……それより、トリスに話を通してくれ。もしかしたら、今回の件は一気に解決するかもしれないって伝えて欲しい」
「……分かりました。少々お待ち下さい」
そう告げると、商人の男は去っていく。
それを見送り、何人かが自分に視線を向けているのに気が付きながらも、レイはそれを気にしないようにして邪魔にならないように端に寄る。
すると他の客や商人達も、自分達の商売についての話に熱中していく。
レイのことは気になるが、それよりも今は自分の目の前にある商談をどうにかする必要があると、そう考えているのだろう。
すぐに目の前のことに集中した者達を眺めていたレイは、やがて真面目な表情で戻ってきた先程の商人の男に気が付く。
真っ直ぐにレイの下にやってくると、緊張した様子で口を開く。
「店長がお会いになるそうです。こちらにどうぞ」
「ああ、悪いな」
何故顔が強張っているのかというのは気になったレイだったが、今ここでそれを聞いても答えては貰えないだろうという思いもある。
そうして移動した先には、部屋の前に四人の護衛の男が立っていることに気が付く。
(ああ、そう言えばケーナに一人護衛を殺されたんだったか。それで危険を感じて、急いで護衛を増やした……ってところか)
護衛が自分の顔をじっと見ているのを感じたレイだったが、それには特に何も反応しないで商人の男が扉をノックする様子を黙って見ている。
「失礼します、店長。レイさんをお連れしました」
「入って貰いなさい」
その言葉に、商人は扉を開け……そして、レイを中に入れる。
前もって言われていたのか、商人は部屋の中に入らず、そのまま去っていく。
(執務室か)
執務用の机が置かれており、その机の上には書類の山……と呼ぶ程に高くはないが、それでも何枚もの書類が置かれているのが見えた。
執務机ではトリスが書類を見てはサインをしたり、何種類かに分けるといった真似をしている。
また、部屋の中にはトリスの他にも二人の護衛がいる。
レイの目から見ても、部屋の外にいた四人よりも明らかに腕が立つと思われた。
「すいません、レイさん。今はちょっと立て込んでまして」
「いや、気にするな。何の約束もないままに来たのは俺だからな。それに……馬車の件は聞いた」
その言葉に、トリスは頬の肉を揺らしながら顔を上げる。
「そうでしたか。……それで、レイさんがこうしてやって来たのは今回の件に関係しているとのことですが、馬車の件にも関係していると思ってもいいのでしょうか?」
口調は丁寧だったが、トリスの目は笑っていない。
そんな視線を受けつつも、レイは全く気にした様子もなく頷きを返す。
「ああ。……そうだな、そっちも色々と忙しいし、単刀直入に言おう。俺達はあの馬車の件を仕組んだ女を捕らえた」
「っ!?」
レイの口から出た言葉に、トリスは驚きを露わにする。
当然だろう。自分達ではどうしようもなかった相手を、こうもあっさりと捕らえたと言われたのだ。
特に仲間を殺された護衛の者達は、表情を厳しく引き締める。
「その、それで……捕らえた相手は?」
「残念ながら一通り事情を聞いてから警備兵に引き渡した。……だが、その女から話を聞いた時に色々と面白い話を聞かされてな」
「面白い話、ですか? よければ教えて貰っても?」
「そうだな、その件も含めて今回の一件を俺に任せるのなら教えてもいい」
「断ったら、どうなるのでしょう?」
「別に俺からどうといったことはしないさ。元々この件では予想してた通りに事態を進めるだけだ。勿論、ここでそっちに同意して貰った方が色々とやりやすくなるのは事実だけどな」
そう告げるレイの言葉に、トリスはいつもの柔和な笑みを崩して眉間に皺を寄せる。
特徴的な頬の肉を揺らしながら、口を開く。
「具体的にどう、という話を聞かせて貰ってからではないと、私も迂闊に返事が出来ないのですが」
「そうか? ……そうかもしれないな。まだ確証はないが、一連の事件がプレシャスの仕業であると証明出来るかもしれない。もっとも、あくまでも『かもしれない』という程度だがな」
そもそもの話、馬車がスピール商会の支店に突っ込んだ件でプレシャスが怪しいと分かっても、それとアジモフの件は別だと言われればそれまででしかない。
その辺りの事情は、レイもマリーナ任せになるだろうと判断している。
もっとも、プレシャスの護衛が今回の件に関わっているとなれば、当然プレシャスも色々と調べられることになるのは間違いない。
そこからアゾット商会の件まで持っていける可能性が高いのは事実だろう。
(それに……最悪、今回の件で何か抵抗したとして、実力行使に移ることが出来れば、それはそれで構わないんだけどな)
レイが今回の件に付き合っているのは、殆ど成り行きに近い。
元々は自分に対してふざけた……アジモフを襲撃し、スレイプニルの靴を奪い、更にはそれを使ってアゾット商会とぶつけようとし、その裏にトリスがいると、そんな真似をしようとした相手に対しての報復というのが、レイがこの件に関わった理由だ。
一応自分と同じくこの件に巻き込まれた――寧ろ本命――のトリスとの関係で向こうが尻尾を出すのを待っていたレイだったが、その尻尾がようやく出された可能性が高いのだ。
そうである以上、レイとしてはここで躊躇うようなつもりは一切ない。
そんなレイの様子から何か察したのか、トリスは……そして護衛達までもが全く自覚がないままに喉が渇き、毛穴が開き、背筋に冷たいものを感じる。
「分かりました。今回の件はレイさんにお任せします。ですから、お話しを聞かせて貰えませんか?」
今のレイと迂闊に敵対すれば、被害は相当のものになる。
それを理解したトリスは、あっさりと方針を変更してそう告げた。
普段であれば護衛の者もそんなトリスに対して不満を口にするのだろう。
だが、今日に限ってはそんな心配はいらなかった。
いや、今のレイの前でそんな真似をするような命知らずはいなかった、と言うべきか。
レイという存在を敵に回すことの恐ろしさを理解出来る者だけがこの部屋にいるのは、トリスにとって幸運だったと言うべきだろう。
もしここでレイが発している雰囲気の類も全く感じることが出来ず、トリスに不満を言うような相手がいれば……その場合、最終的に大きな後悔をトリスにもたらしていた筈なのだから。
ともあれ、トリスが自分の要望を了承したことにより、レイから発せられる雰囲気はいつものものに変わる。
「そうか、理解してくれて嬉しいな。……で、本題だが。今回の件を行った女暗殺者が言うには、仕事の依頼をしてきたのは冒険者風の男だったらしい」
「……それが、どうかしたのですか?」
レイの言いたいことが分かっているのか、いないのか。
ともあれ、トリスに話の続きを促されたレイはそのまま説明を続ける。
「俺達は最初、プレシャスが何人もを経由して女暗殺者に依頼をしたのかと思った」
女暗殺者のケーナという名前を直接口にしないのは、話が終わった後で最終的にトリスと決別した場合、動きを少しでも遅らせる為なのだろう。
レイは女暗殺者という名称しか喋らない。
「それが、違ったと?」
「ああ。俺達が以前スラム街に行ったことは、もう分かってるんだろう? そこで、何らかの裏社会の連中とプレシャスが会っていたことも」
「はい」
「だが、その女暗殺者は何の組織にも属していなかったらしい。勿論プレシャスが接触していた組織の者が、何かあったら自分達に累が及ぶのを避ける為にそちらに依頼したという可能性もあるが……」
その話を聞いていたトリスは、寧ろその話を聞いて納得出来るものがあった。
少なくても、自分ではレイと敵対するというのが分かっているのに、自分に繋がりがある人物を使って騒動を起こそうとはとてもではないが考えられない。
だが、レイはそう思っていないのだろう。説明を続ける。
「で、その女暗殺者から聞いた話を考えると、恐らく依頼を持ってきた相手がプレシャスの護衛をしていた男らしい」
「……ほう?」
その一言には興味を引かれたのか、トリスの口から不思議な、それでいて納得したような声が出る。
もしそれが本当なら、確かに致命的な証拠となる。
プレシャスの護衛をしているのは、プレシャスの家が代々運営している孤児院の出身者で、プレシャスに対して強い信頼を抱いている。
そのような人物が動いているのであれば、間違いなく今回の件はプレシャスの仕業と見ることが出来るだろうと思えるくらいには。
「だから、今からその護衛を探してこっちに協力することを了承した女暗殺者に見て貰おうと思っている」
「今回の件を企んだ人物の証言が当てになるとは思いませんが」
「そうだな。けど、証言は証言だ。もし実際には怪しいのであれば話は別だが、今回の件でプレシャスが動いているのはほぼ確実だろう? なら、それで十分だ」
そう告げるレイの言葉に、トリスはやがて小さく頷きを返すのだった。
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