第1330話
ほう、と呟くレイ。
その言葉を聞いた瞬間、周囲にいた者達の多くが背筋に冷たいものを感じ、反射的に数歩後退る。
実際にレイが何かをした訳ではない。
本当にただ呟いただけなのだが……それが、その場にいた者達にとっては大きな脅威となって襲っていた。
特に戦闘に対してそれなり以上に慣れている者であれば、レイから放たれたのが殺気であると分かっただろう。
「一応、もう一度念の為に聞かせて貰おうか。……そこの男は誰、だって?」
「勿論……私の、古い友人です」
表情を変えないようにしながらレイに言葉を返すプレシャスだったが、その背中には冷たい汗がびっしりと浮かんでいる。
それを顔に出さない辺り、一流の商人ではあるのだろう。
……もっとも、ナマズのような髭が微かに揺れることまでは、抑えることが出来なかったが。
(そういう意味だと、俺の殺気を受けても内心はともかく態度や表情では完全に隠していたトリスの方が上だってことなんだろうな)
そんな風に思いながら、レイは自分の身体から放たれている殺気を消す。
尚、レイが殺気を放っている時にもマリーナやヴィヘラ、セトは何もこれといった動きを見せてはいなかった。
ただ、ビューネのみがヴィヘラの薄衣を無表情で掴んでいたのだが。
そのまま続く、無言の時間。
レイは黙ってプレシャスを見て、その護衛達を見て、スレインの影武者の男を見る。
周囲には沈黙のみが伝わり……そして、レイが口を開く。
「そうか、友人ってのは大事だよな」
レイがそう呟き、ようやく沈黙の時間が終わり、同時にレイから放たれていた殺気も霧散する。
沈黙の時間が続いたのは、実際にはいいところ三十秒もないだろう。
だが、その場にいた者……特にマリーナ、ヴィヘラ、ビューネ、セト以外の者達にとっては、その三十秒はもっと長く……それこそ数分、十数分、数十分に感じられた者すらいた。
レイの言葉に安堵の息を吐いた者達をそのままに、レイは再び口を開く。
「うん。友人は大事だ。だからこそ……友人を害されたのなら、俺も相応の報復をする必要がある。そうは思わないか?」
「ええ、そうかもしれませんね。アジモフさんでしたか。彼のような悲劇は二度と起こさないで欲しいですね」
「……へぇ、ここでアジモフの名前が出てくるとは思わなかったな。随分と俺が現在関わっている件に詳しいみたいだな」
「以前支店で少し話したと思いますが?」
「ああ、そう言えばそうだったな。……それにしても、アジモフを攻撃して、その上俺のマジックアイテムを盗もうとするなんて馬鹿な真似をした奴がいると思わないか?」
挑発するかのようなレイの言葉。
あわよくば口を滑らせてくれないかという考えもないではないが、どちらかと言えば純粋に挑発して少しでも何か尻尾を出さないかと、そう思っての言葉だ。
そんなレイの言葉に、普段であれば何らかの反応を示してもおかしくはないプレシャスの護衛や、スレインの部下達。
だが、レイが放った殺気の件もあり、今はその者達も何も口には出せない。
「そうですね。間違いなく愚かな行為だと言えるでしょう。ですが、以前私と支店で会った時の話を覚えてますか?」
「うん? 物事の見方は一つじゃないとか、そんな感じだったか?」
「若干違いますが……そうですね。大まかには間違っていません。そのことを念頭において考えてみてはどうでしょうか?」
内心ではプレシャスも色々と思うところ、感じるところはあったのかもしれないが、幸いと言うべきかそれでも何とかそれを表に出さないようにして話すことは出来ていた。
「そうだな。だが、見方を変えても起きた結果は変わらない。そのことを企んだ相手には、相応の報いを与える必要があるだろうけどな」
見方を変えるという話を聞いても、レイがまず主張したのはそのことだった。
自分に敵対した相手をそのままにしてはおけないと。
そう言いながらレイの視線が向けられたのは、プレシャスやその護衛達……ではなく、スレインの影武者の男やこの建物を護衛していた者達。
その視線には殺気の類が一切含まれておらず、だからこそ先程の殺気を浴びた者達はそんなレイの視線に落ち着かないものを感じる。
スレインの部下達が下手な動きを見せないうちに、自分がこの場を仕切った方がいいと、そう判断したのだろう。
もしスレインの部下達が妙なことを口走ったりすれば、それは自分にとっても致命傷になりかねないのだから。
「そうですか。レイさんを敵に回す人は可哀相ですね」
「そう思うか?」
「はい。異名持ちの冒険者を敵に回すということは、半ば自殺行為に等しいのではないかと」
平然とそう告げてくるプレシャスの様子を見て、レイも思わず首を傾げる。
自分と敵対しているというのであれば、こうも平然としているのはおかしいのではないか、と。
だが、同時にプレシャスが今回の件で、間違いなく一番怪しい人物なのも間違いないのだ。
勿論トリスが自分を上手く利用してプレシャスと自分をぶつけようとしている可能性も考えた。
だが、それでも現在の状況で一番怪しいのはプレシャスだということに変わりはなかったのだ。
「だろうな。俺は一度敵対した相手には容赦しない。……今回の件を企んだ奴を見つけたら、当然相応の償いはして貰うことになるだろうな。……ちなみに、以前俺と敵対した貴族は、両肩から先が消えてしまったそうだぞ? 天罰ってのは怖いな」
レイがミスティリングからデスサイズを取り出し、これ見よがしに見せつけながら口にした天罰というのが、何を意味しているのかは明らかだった。
その天罰を下すのが誰なのかというのも。
ましてや、セトの飛行速度を考えれば、その天罰から逃げ出すこともまず不可能だろう。
「天罰、ですか。……それは怖いですね」
「だろう? ただ、残念ながら……もう俺に敵対してしまった相手に対して、天罰が行われないなんてことは有り得ないんだ。残念なことにな」
呟きながらレイの視線が向けられたのは、プレシャス……ではなく、スレインの部下達。
その視線を向けられた者の内何人かは、レイに向けられる視線に耐えきれずに意識を失って地面に倒れ込む。
……特に殺気を放っている訳でもないのだが、それが逆に恐怖を感じさせる原因になったのだろう。
「うん? どうしたんだ? 随分と身体が弱い奴がいるみたいだけど、そんなのでこのスラム街を生きていけるのか?」
「だ、大丈夫です。ちょっと仕事で無理をさせてしまいましてね」
レイの言葉にそう返したのは、プレシャス……ではなく、その側にいたスレインの影武者の男だった。
「お前は? プレシャスの古い友人だったか」
そこでようやく男の存在に気が付いたとでも言いたげなレイの言葉に、男は目の前にいる人物から少しでも離れたいと本能が叫ぶのを何とか理性でねじ伏せながら口を開く。
「ええ。プレシャスには以前色々と助けて貰いまして、それ以来の付き合いとなります」
「へぇ」
まだその設定を続けるのか、と。
そう言いたげなレイの言葉だったが、今の男にとっては自分がスレインでプレシャスとは古い友人であるという設定を押し通すしかない。
レイの放つ雰囲気に晒されながら、それでもそう言い切ったのはスレインの影武者を任されている者だけあるのだろう。
「飛斬」
呟き、レイがデスサイズを振るう。
本来なら強力なスキルで、人の一人程度はあっさりと切断してもおかしくない攻撃。
だが、レイもここでそんな真似はする筈がなく、放たれた斬撃はかなり威力が弱く、真っ直ぐに飛んでいくとプレシャスの直ぐ近くの地面に鋭利な傷口を刻む。
『っ!?』
突然のレイの行動に、その場にいた者達は皆が驚愕の表情を浮かべる。
マリーナ、ヴィヘラ、ビューネ、セトの三人と一匹は、レイのやることだし……と特に気にした様子もなかったが。
「おっと悪いな。ちょっとそこにネズミが見えたんだ。何だかプレシャスを狙っているみたいに見えたから、口で言う前に攻撃したんだが……ちょっといきなりすぎたか?」
「……ええ。いきなりでしたので少し驚いてしまいました。ですが、私を狙っているネズミがいたのなら、それを撃退して貰ったことに感謝しますよ」
そう言うプレシャスだったが、勿論今のレイの行動が本当にネズミが自分を狙っていたものだと、そう思っている訳ではない。
明らかに今の行動は示威行為であり、レイが自分達に対してどう思っているのかを端的に現したものだった。
だが、今の状況でそんなことを口に出来る筈もない。
レイの小さな身体から放たれる雰囲気は、それだけでこの場一帯を制していたのだから。
だからこそレイが口にしているのが明らかな無茶であり……自分に対する脅し、もしくは釘を刺しているのだとしても、それを口には出来ない。
「ネズミに足下を動き回られると、その側にいる奴はどうしても鬱陶しく思うんだよな。そう思わないか?」
「そうですね。商人の立場であっても、食料や商品を駄目にするネズミというのは厄介な相手ですから」
「そうか、分かって貰えて嬉しい。ただ、商人ならともかく……猫がネズミを見つければ、どうなるんだろうな?」
そう言いながら、レイはデスサイズを握っていない左手で近くにいたセトを撫でる。
セトはグリフォンで、グリフォンというのは獅子の下半身と鷲の上半身を持つモンスターだ。
そして獅子は当然猫科である以上、レイがセトを猫と言っても必ずしも間違っている訳ではないのだろう。
セトはレイに撫でられたのが嬉しかったらしく、それこそ本当の猫のようにゴロゴロと喉を鳴らす。
だが……レイを含めて紅蓮の翼のメンバーにとっては愛玩動物に等しい一面を持っているセトであっても、プレシャスやスレインの部下達にとっては違う。
今のレイの言葉から考えれば、ネズミは猫に……つまり、自分と敵対している相手はセトに襲わせると、そう言っているも同然だったのだから。
勿論従魔が街中で何か問題を起こせば、それはテイマーの責任となる。
「グルルルゥ?」
どうしたの? と喉を鳴らすセトに、レイは何でもないと首を横に振りながらそのまま撫で続ける。
「さて、分かって貰えたと思うけど……猫はネズミを前にすれば、手加減したりはしない。全力で狩るらしいぞ?」
笑みと共にプレシャスへ話し掛けながらも、レイは日本にいた時に知った言葉を思い出す。
獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす、という言葉。
もっとも、実際には獅子が狩りをする時に全力は出さないという説もあるらしいのだが……
ともあれ、レイの言葉にプレシャスは内心の思いを隠し、それでも笑みを浮かべて口を開く。
「そうですか。私もネズミを相手には色々と対抗する手段があるから大丈夫ですよ」
その言葉はプレシャスにとっても、レイに向かって行う牽制でもあった。
プレシャスの口から出たネズミというのが、自分を調べ回っている相手……トリスと同様に、レイをも指しているのは確実だったからだ。
それを理解したのだろう。レイは少しだけ驚き、笑みを浮かべながら口を開く。
「そうか。ネズミも色々と頑張っているんだろうし、お互いに頑張る必要があるだろうな」
「ええ、そうですね。……お互いに頑張りましょう。さて、それでは私はそろそろ用事があるので失礼したいのですが、構いませんか?」
「ああ、俺の方も偶然ここに来ただけだし、そこまで用事がある訳じゃないしな」
お互いにそう言葉を交わす。
どちらもそれが本当のことではないというのは分かっているが、それでも表向きは特に何も露わにはしない。
「では、この辺で失礼します。さぁ、中に行きましょうか」
スレインの影武者にそう告げると、他の面々と共に建物の中に入っていく。
それを見送ったレイも、やがてプレシャスの姿がなくなったところで口を開く。
「じゃあ、俺達も帰るか。……用事は済んだしな」
「ふふっ、そうね。……それにしても、随分と向こうも強気だったわね」
レイの言葉に、マリーナが面白そうな笑みを浮かべて言う。
スピール商会の支店でマリーナもプレシャスには会ったのだが、その時は殆ど会話をするような時間もなかった。
そう考えれば、こうしてレイと話をするような時間をとれたことは、プレシャスという人物を知ることには重要なものだったと言えるだろう。
「……そうだな。こうして話してみた感じだと、どうやら向こうはまだ今回の件で終わりって訳じゃなさそうだ。トリスよりも先に何か証拠を見つける必要があるんだけどな」
これからどうするべきかと考えながら、そう呟くのだった。
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