第1269話
「……無理ですね。マリーナさんには申し訳ないですけど、私には恐らく無理です」
そう告げ、レイとマリーナの前にいる二十代後半の狐の獣人の女は頭を下げる。
「コーネスでもどうにもならないの?」
念の為といった様子で尋ねるマリーナだったが、コーネスと呼ばれた女は頭を上げると頷きを返す。
「はい。ランクBモンスターなら、それなりに持ち込まれることも多いので、私でも何とか出来ます。ランクAモンスターでも、失敗は多くなるでしょうが素材の半分……いえそれ以上を駄目にしていいのであれば何とか出来ると思います。ですが……」
ランクSモンスターの素材で服を作るのは、まず自分には出来ません。
コーネスはそう告げる。
ギルムでも最高峰の職人の一人として、依頼を断らざるを得ないというのは悔しいのだろう。
頭から生えている狐の耳が、ペタンと頭に張り付いていた。
「……そう。私のドレスを作ってくれているコーネスなら、と。そう思ったんだけど」
マリーナは自分の服装へと視線を向ける。
今日のマリーナが着ているのは、冬に合わせたかのような真っ白なパーティドレス。
新雪を思わせるような純白が、豊満なマリーナの身体を包み込んでいる。
このパーティドレスを含め、マリーナが着ているパーティドレスの何枚かを作ったのが、コーネスと呼ばれた女だった。
マリーナが着ているパーティドレスは、冒険者の時から着ているようなマジックアイテムの類もあるし、普段着ているような本当にただのパーティドレスという物もある。
その多くがマリーナが集落を飛び出し、冒険者として活動し始めてから集めたものなのだが、ここ数年はコーネスが作るパーティドレスを気に入り、作って貰っていた。
その技量はマリーナも認めるものであり、レイから銀獅子の毛皮を使って服を作りたいので、誰か服飾職人を紹介して欲しいと言われた時、真っ先に思い浮かんだのがコーネスだった。
だが、そのコーネスもランクSモンスターの素材で服を作って欲しいという依頼があれば、自分の実力では確実に無理だと判断するしかなく、こうして頭を下げることしか出来ない。
「いいのよ、別にこの件はコーネスが悪い訳じゃないんだから、気にしないで。こっちが無理を言ったようだし」
自分でも無理を言ったという自覚があるのだろう。マリーナはコーネスへと向けて気にしていないと、首を横に振る。
しかし……ギルムでも最高峰の腕を持つ服飾職人として、依頼を断らざるを得ないというのは非常に申し訳なく、残念であり、屈辱でもあった。
マリーナのパーティドレスを作っているのを見れば分かる通り、そしてコーネスが自分で思っている通り、職人としての技量は非常に高い。
ギルムで最高峰の腕だというのも決して自惚れでも何でもない。
事実、ギルムにいる職人達に誰がギルムで一番の腕を持っているかと言われれば、多くの者がコーネスの名前を口にするだろう。
「もし、それでも……どうしても銀獅子の素材で服を作って欲しいと言った場合、どうなる?」
マリーナに代わって尋ねるレイに、コーネスは首を横に振る。
「私の技量では、間違いなく全ての素材を駄目にしてしまうかと」
低ランクモンスターの素材であればともかく、銀獅子のようなランクSモンスターの素材を自分の技量不足で駄目にしてしまうことは耐えられないと、コーネスはそう告げる。
自分の技量には自信があるが、それでも技量に自惚れはしない。
そんなコーネスの様子に、レイは好意を抱く。
勿論それは男女間の好意ではなく、あくまでも服飾職人としてのコーネスへの好意だ。
コーネスもそれが分かっているのか、レイに対して特に何かを言う様子はない。
「そうなると、銀獅子の毛皮をどうするのかが問題になるわね」
マリーナの呟きに、レイは同意するように頷く。
「最悪、それこそ毛皮として飾っておくという手段もあるけど……」
「それは勿体ないでしょ」
レイの意見を即座に否定するマリーナだったが、レイも本気でそのようにするつもりで口にした訳ではないので、すぐに頷きを返す。
狩猟で得た獲物の毛皮や、頭部を剥製にして飾るというのはよくある話だったが、銀獅子の素材でそれを行うというのは、どう考えても勿体ないのは間違いなかった。
「だとすれば……なぁ、コーネスだったよな。今は銀獅子の毛皮で服を作るのは無理でも、いずれ……技量が上がってそれが可能になったら頼めるか? 勿論その時まで銀獅子の毛皮が残っていたら、だけど」
暗にもっと腕の立つ服飾職人が見つかったらそちらに頼むと。
そう告げるレイの言葉に、コーネスは驚きの表情を浮かべてレイを凝視する。
そこにあるのは、非難の色……ではなく、本当にいいのかという嬉しさを露わにした色。
コーネスも、銀獅子というランクSモンスターの素材を使って服を作るという行為に、魅力を感じない訳ではない。
いや、寧ろこの件は絶対に自分でやりたいとすら思っていた。
だが……それでも現在の自分の技量ではそれが無理なのが明白である以上、銀獅子の素材を失敗で無駄に使い物にならなくする訳にはいかなかった。
だからこそ、いずれ自分が……と言われて、嬉しく思わない訳がない。
「はい。いつになるのかは分かりません。ですが、必ず……出来るだけ早く銀獅子の素材を使って服を作れるようになりたいと思います」
「……分かった。なら頼む」
そう告げ、レイはコーネスと軽く話してから店を出る。
「ごめんなさいね、レイ。コーネスなら銀獅子の素材でも大丈夫だと思ったんだけど」
「いや、気にしなくてもいいさ。実際、この店がお薦めだってのは間違いないんだろ?」
「ええ。私が知ってる限りでは、間違いなくギルムでも最高峰の職人よ」
だからこそ、この店で銀獅子の服を作れない以上、ギルムで……というのは難しい話だった。
もっとも、マリーナもギルムにいる全ての住人の能力を全て把握している訳ではない。
もしかしたらコーネスよりも優れた服飾職人がいる可能性もあるが、少なくてもマリーナは知らなかったし、知っている中で一番腕のいい服飾職人はコーネスだったのだ。
「それより、わざわざ俺の為に時間を取らせて悪かったな」
「いいのよ。忙しかった仕事ももう終わっているし、何か急いでやることもないんだから」
「……ワーカーはまだ来ないのか?」
てっきりもうワーカーが来ていて、ギルドマスターの引き継ぎの件で色々と忙しいのだろうと思っていたレイだったが、マリーナの口から出たのは予想外の言葉だった。
「ええ。来週くらいにはギルムに到着すると言ってたけど……ダンジョンの方で色々とあったみたいよ。向こうに送った人との引き継ぎでもそれなりに時間が掛かったし」
ワーカーがギルムに戻ってくる以上、当然ながらダンジョンのギルド出張所にも責任者を送る必要がある。
だが、レイ達がダンジョンを攻略した以上、遠くない未来にダンジョン周辺は衰退するのは確実だった。
だからこそ、それを不満に思った店の店主や冒険者、商人……それ以外にもダンジョン利権とでも呼ぶべきもの恩恵を受けていた者達が不満をギルドへと向けたのだ。
一番忙しいところはワーカーが処理したのだが、それでも全てをどうにか出来た訳ではない。
その辺りの事情を考えると、ワーカーがギルムに来るのが遅れたというのはそれ程おかしな話ではないのだろう。
いや、寧ろこの短時間でそちらをどうにか処理したワーカーの手並みは褒められるべきだった。
「そうなると、来週からは色々と忙しくなるな」
「ええ。もっとも、ワーカーは有能だもの。そこまで時間は掛からないわよ? そうしたら……そうね、パーティ名をそろそろ決めた方がいいと思うんだけど、どう思う?」
視線を向けられて尋ねられたレイは、降ってきた雪に忌々しそうな視線を向けながら、どうするべきかと考える。
一応、レイ、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネの四人でパーティを組むというのは決まったが、マリーナの家でパーティ名を決めようとしても結局決められなかったのだ。
「そうだな。いっそセト辺りに決めさせるか?」
夕暮れの小麦亭の裏庭で、子供達……そしてミレイヌとヨハンナと遊んでいるセトの姿を思い出しながら、レイは呟く。
そんなレイに、マリーナはどこか呆れた視線を向ける。
……そんな行為でさえも女の艶を感じさせるあたり、マリーナは罪深いと言えるのだろう。
(あ、マリーナに見惚れていた奴が転んだ)
少し離れた場所を歩いていた男が、マリーナに目を奪われて雪に滑ったのを見たレイは驚く。
他にも恋人がいるにも関わらず、パーティドレス姿のマリーナに目を奪われて抓られている者もいる。
「レイ? どうかしたの?」
「いや、何でもない。……それより、これからどうする? 服の件でもっと時間が掛かると思ってたから、何も考えてなかったけど」
「……そう、ね。少し一緒に歩きましょうか」
そう誘ってくるマリーナに、レイは異論がないので頷く。
そうしてレイとマリーナは、二人揃って大通りを歩いていく。
冬だけあって、他の季節に比べると街中を歩いている者の数は少ない。
それでもギルムの規模は都市と呼ぶべき規模に近く、他の季節より街中を歩いている者が少なくても、人数的には決して少なくはなかった。
その中の多くがレイとマリーナへと……正確にはマリーナへと視線を向ける。
セトを連れていないことや、ドラゴンローブのフードを被っていることもあり、レイをレイと認識している者は少ない。
また、冒険者であればマリーナをギルドマスターと認識出来る者も多かったのだろうが、冒険者でなければギルドマスターと認識出来ない者もいる。
そして目立っていれば、当然のようにそれを目に留める者が多かった。
……セトがいれば、レイをレイだと認識出来たのだろうが、それを認識出来ない者にとって、レイはマリーナという極上の美女をこれ見よがしに連れ回しているようにしか見えない。
「おい、姉ちゃん。ちょっと付き合えよ」
何も知らない男達は、当然のようにマリーナを見ればちょっかいを出したくなる。
レイのようなガキがこんないい女を連れているのは分不相応だ、自分達に寄越せと。
……ギルムにいれば当然レイを知らないなどということはなく、男達も当然レイのことは知っている。
ただし、直接会ったことはなく、あくまでも噂でだが。
だからこそ、もしレイがセトを連れていればレイの正体に気が付き、馬鹿な真似をしようとはしなかっただろう。
冬になる直前にギルムにやって来た傭兵……冒険者ではないというのも、ギルムの冒険者事情について詳しくなかった理由の一つだった。
自分達の力量には自信があり、事実ある程度の実力もある。それでいて自分達の仲間以外は信用せず、仲間内だけの小さなコミュニティで完結している。
だからこそ情報に疎く……レイやマリーナのことを知っている者達にとって、その光景は焚き火の側で火炎鉱石を玩具にしている子供を連想させてしまう。だが……
「で、そのお店で売ってる宝石を買うと、贈る相手の名前を彫った指輪を貰えるらしいのよ」
「それは、暗に俺に指輪を買えって言ってるのか?」
「暗にじゃなくて、率直によ」
「……随分と素直だな」
「あら、だってエレーナはともかく、ヴィヘラもいないんだもの。こんな時くらいはいいでしょ?」
レイとマリーナの二人は、そこにいる傭兵達を無視して……それこそ本当にそこには誰も、もしくは何もいないかのように歩きながら言葉を続ける。
『……』
傭兵達も、まさかこれ程綺麗に無視されるとは思わなかったのだろう。唖然としたまま数秒が経ち……
そして我に返れば、自分達が相手にもされなかったのだと気が付き、ガキと女に馬鹿にされたと怒りで顔を赤く染める。
そんな傭兵達がこのような場合にとるべき行動は決まっていた。
面子を潰されたのだから、力尽くでその面子を取り戻す、と。
「待て、てめえらぁっ!」
最初に叫んだ男は、呼び止めながらも既に拳は握られていた。
レイの右肩を掴み、強引に振り向かせ……そのまま殴ろうとした男は、レイの口から小さく吐かれた溜息に気が付いたかどうか。
鳩尾に鈍い衝撃を感じたかと思った次の瞬間には、意識を失い地面に崩れ落ちていた。
「なっ!? ゾーズ!? この、何しやがった!」
仲間の男の一人が叫び、レイに向かって拳を振りかぶろうとし……気が付けば足が雪によって固められており、動くことが出来なくなっていることに気が付く。
マリーナの精霊魔法だと気がついたかどうかは分からないが、次の瞬間にはこちらもまたレイの一撃で意識を失い、地面に崩れ落ちる。
続けて肉を叩くような鈍い音が周囲に連続して響き、それこそものの数秒で全員が雪の冷たさを身体全体で感じることになっていた。
「全く、冬になってもこういう奴がいるのは困るな」
「そうね。……それで、指輪なんだけど……」
一連の出来事をその一言だけで済ませ、レイとマリーナは再びデートを続けるのだった。
……冷たい雪の上に崩れ落ちた傭兵達をその場に残して。
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