第1254話
ミンとの話を終えたレイが向かったのは、靴を売っている店だった。
スレイプニルの靴を預けている為、今のレイはアジモフの家にあった大きめの靴を借りており、その靴はかなり大きい。
そうである以上、どうしても歩きにくいというのもあるし、何よりスレイプニルの靴の強化にどれだけ掛かるのかという疑問もある。
一日二日程度で済むのであれば、レイもアジモフの靴をそのまま使っても構わなかったのだが、これが一週間、半月、一ヶ月……という具合になった場合、何か不都合が出てくる可能性もあった。
また、スレイプニルの靴以外にも代わりの靴を用意しておいた方がいいだろうという判断もあり……靴を売っている店へとやってきたのだ。
「いらっしゃい。……おや? あんた、レイかい? 珍しいね」
二十代程の男が、レイを見て意外そうな表情を浮かべる。
……当然だろう。レイがギルムで最も買い物をしているのは食べ物関係で、次に武器、道具、マジックアイテム……といった感じなのだから。
少なくても、レイがギルムで靴屋に来たことは数える程度しかない。
それもしっかりと中を見るのではなく、軽く覗くといった程度だ。
だからこそ、こうしてレイの姿を見た店員が驚きの言葉を上げたのだろう。
本来であれば客にこうした態度を見せることは商人として好ましくはない。
だが、レイは自分が何故そのような視線を向けられるのかを十分に理解していた為、特に気にした様子もなく口を開く。
「うん、実はちょっと靴を探してるんだけど。見ての通り、今俺が履いている靴はちょっと……いや、かなり大きいんだ」
レイは店員に右足を前に出しながら告げる。
実際、レイが履いている靴はかなり大きく、どう見ても足のサイズには合っていなかった。
「これは、どうしたんだ? レイはあの凄い靴を履いてなかったっけ?」
この場合の凄いというのは、スレイプニルの靴の能力を指しているのではなく、純粋に靴としての完成度の高さを差してのものだった。
事実、レイが履いていたスレイプニルの靴というのは、作られたのがゼパイル一門が生きていた時代であるにも関わらず、今見てもこれ以上の完成度の靴というのはそうある物ではないと、靴を扱っている商人としてそう思えるだけのものなのだ。
「ああ、あの靴はちょっと人に預けてあってな、それで代わりにこの靴を借りたんだけど……」
「大きい、と」
靴屋の商人の言葉に、レイは頷く。
そんなレイの様子を見て、商人は勿体ないと思う。
あれだけの靴を弄るのであれば、自分の店に……正確には靴職人の自分の父親へと預けて貰いたかったと。
あの靴がマジックアイテムなのは知っているが、それでも出来れば……そう思ってしまうのは、商人であっても……いや、商人だからこそ靴の善し悪しについて拘ってしまうからだろう。
「ふーん、分かったよ。じゃあ、ちょっと待っててくれるかな。すぐに靴を用意してくるから」
色々と言いたいことがあった商人だったが、それでもここでそれを言うのはどうかというのは理解していたのだろう。店の奥へと向かう。
それを見送ったレイは、店の中を感心したように眺める。
レイが知っている靴屋のイメージは、やはり日本にいた時のものが大きい。
だが、機械で大量生産されている靴とは違い、このエルジィンでは職人が一つずつ手作りで作っているのだ。
だからこそ靴一足の値段も日本にいた時に比べると随分と高い。
……もっとも、現代日本でも高級な靴屋へと行けば職人が手作りでオーダーメイドをしてくれるということもあるのだが、残念ながら田舎に住んでいたレイにそんな店へと行く機会はなかった。
「うーん、冒険者だと足の甲に軽く鉄板を入れたり、モンスターの革を使ったりもするんだけど、そういうのじゃなくて普通のがいいのかな?」
どうする? と尋ねてくる商人に、レイは少し迷う。
普通に考えるのなら、冒険者用の防具のような靴を購入する必要はない。
そもそもレイがアジモフから靴を借りているのは、あくまでもスレイプニルの靴を強化するのが終わるまでの間だからだ。
だが、最大の問題はその強化がいつ終わるのかということだろう。
幾ら腕利きの錬金術師であっても、アジモフも銀獅子の素材を使うのは初めてなのだ。
だとすれば、それこそ春まで……もしくはより長く掛かる可能性もある。
高性能なマジックアイテムである以上、それは仕方のないことだった。
現に、それだけの時間を掛けて作られた黄昏の槍はレイも十分に満足出来る性能であり、デスサイズと共に主力武器となっているのだから。
だからこそ、良いマジックアイテムを作るには時間が掛かるというのは納得出来た。
つまり、春になって冒険者が活発に動き回る頃になっても、まだスレイプニルの靴の強化が完了していない可能性というのは十分にある。
(まぁ、靴屋は逃げたりする訳じゃないし、春になってもまだスレイプニルの靴の強化が完了していないようなら、それから買ってもいいんだけど)
そう考えるも、この先何が起きるのか分からない以上、靴の予備は幾らあっても多すぎるということはないと判断し、口を開く。
「そうだな、じゃあ普通に街中で履くような靴を五足……いや、十足。それと冒険者が履くような頑丈な奴が欲しい。後者は、足の甲と爪先が金属で補強されてる奴がいいな。こっちも十足」
「……そんなにかい?」
レイの言葉が余程意外だったのだろう。商人は目を見開いて聞き返す。
服もそうだが、基本的に職人の手作りなので一つの値段が高い。
勿論自分で作れるという者も少なくない数いるのだが、素人が作った物と職人が作った物ではその完成度が違うのは明らかだろう。
だからこそ、商人はこうしてレイが一気に二十足欲しいと言ってきたことに驚いたのだ。
だが、その辺は商人だけあってか、すぐに我に返る。
元々レイが金持ちだというのはギルムでは広く知られている事実だからだ。
……もっとも、金持ちでなければ毎日のように大量に食べ物を買ったり、夕暮れの小麦亭という高級宿を定宿にしたり、何より大量の餌代が必要なグリフォンのセトを従魔にしたりといったことは出来ないだろうが。
(異名持ちなんだし、それくらいは当然なんだろうけど)
すぐに自分を納得させると、商人は笑みを浮かべて口を開く。
「じゃあ、父さんを呼んでくるからちょっと待っててくれるかな? 足の形とか調べないといけないから」
その言葉にレイが頷くと、こんな上客を逃してたまるかと商人はレイに椅子に座るように勧めてから店の奥へと向かう。
そこで商人の父親が……この店で売る靴を作っている人物が仕事をしているのだろう。
そんな商人を見送ると、レイは暇潰しのように周囲を見回す。
靴屋というだけあって、幾つもの靴が飾られている。
だが、基本的にオーダーメイドの靴を作るのに、こんな風に商品を作って並べる意味があるのか? と一瞬疑問にも思う。
(ここが靴屋だと、外から分かるって意味では問題ないんだろうけど)
ギルドや食堂、宿のように看板でも作ったらいいんじゃないか? と思っているレイの耳に、店の奥から先程の商人ともう一人の足音が近付いてくるのが聞こえてくる。
そして姿を現したのは、商人とは親子とはとても思えない程の頑固そうな人物だった。
強面と呼ぶよりは頑固。
そう表現するのが相応しいだろう人物。
職人らしいかと言われれば、妙に納得してしまう外見ではあった。
「お前がレイか。……足を見せろ」
細かいことは口にせず、単刀直入に告げてくるその言葉は、レイに取っても小気味よいものだった。
レイは頷き、右足の靴を脱いで男の方へと差し出す。
その足を見て……より正確には履いていた靴が全く足に合っていなかったのを見て、職人はその頑固そうな表情を顰める。
靴を作り続けてきただけあって、明らかに足に合わない靴を履くというのが面白くなかったのだろう。
「……」
だが、結局何も口には出さず、レイの足へと手を伸ばして触れていく。
そして木の棒を手に、そのサイズを計る。
十秒と掛からずにサイズを計り終えると、職人は口を開く。
「普通に街中で履くような靴と、足の甲と爪先に鉄板を入れた靴がそれぞれ十足ずつだな?」
「ああ」
「靴の外見はどうする? 全部違うのにするか、それとも同じくするか」
「……それでどう違ってくるんだ?」
「それぞれ違う外見にするのであれば、ある程度時間が掛かる。同じのだと短くなる」
「なら、同じで」
別に靴がどういうのでも、レイは特に気にはしない。
勿論悪目立ちするようなものであれば話は別だが、こうして周囲に幾つもある靴を見る限り、そのような悪目立ちする靴を作るとも思えなかった。
(ああ、なるほど。このくらいの技術があると見せるには、やっぱりサンプルがあった方がいいんだな)
遅まきながら何故オーダーメイドの店にこうして幾つもの靴が置いてあるのかを納得したレイが感心している間に、右足のサイズは計り終わったのだろう。
次、と職人に視線で促され、左足を出す。
そうして瞬く間に調べ終わると、職人は素早く頭の中で靴が完成するまでの日数を素早く計算する。
「四日後だ。そのくらいに取りに来い」
「……随分と、まぁ」
早いな。
そんな言葉を飲み込む。
オーダーメイドといえば、普通ならもっと時間が掛かるものだとそう思っていた為だ。
だが、同時に腕の立つ職人であればそんなこともあるのかという納得もしてしまう。
「それと……おい、セリトス。こいつに取りあえず足に合った靴を一足でいいから渡しておけ。これだけの足の持ち主にこんな安物の足に合わない靴を履かせるなんざ、靴職人として許しておけねえ」
「ああ、分かったよ父さん」
「じゃあ、後は頼んだぞ。俺は早速準備に取り掛かる」
それだけを言うと、職人は店の奥へと戻っていく。
言葉通り、今からレイの靴を作ろうというのだろう。
そんな職人を見送り……ふと、レイは今のやり取りで気になった言葉を口に出す。
「これだけの足?」
「うん? ああ、父さんの言葉か。父さんはこう見えてもギルムでは最高峰の腕を持つ靴職人なんだ。その理由が、父さん曰く足を見ればその人物の全てが分かる……らしい。まぁ、俺には理解出来ないけど」
でも、その能力のおかげで、相手の足にこれ以上ない程に合った靴を作ることが出来るんだ。
そう告げる商人の言葉に、凄腕の職人だけはあるな。とレイは納得してしまう。
「じゃあ……ちょっと待っててくれよ。俺は父さん程じゃないけど、一応靴屋の息子なんだ。ある程度なら見立てることは出来るから」
レイとの会話を打ち切り、商人はレイの足へと視線を向ける。
そして十数秒が経過すると、やがて近くに飾ってあった靴を一足持ってくる。
何らかのモンスターの革を使って作られたと思しきその靴は、間違いなく一級品と呼んでもいいだろう品だった。
「えっと、その……いいのか?」
「ああ、いいんだよ。今回はちょっと大きな取り引きを持ってきてくれたんだし。そのお礼みたいものだよ。リザードマンの革を使って作ったこの靴は、冒険者としての仕事はともかく、普通に街中を歩く分には問題ないと思うよ」
そう告げながら渡されたリザードマンの革を使った靴をレイは履く。
先程まで履いていたのが、全く足に合わなかった靴だからだろう。これ以上ない程に足にフィットしたように感じられる。
「へぇ……これは凄いな」
「いや、別にそんなに凄くないから。今までレイが履いてた靴が色々な意味で駄目だっただけだし」
「……そんなものなのか? 俺にとっては、十分に凄いと感じるけど」
そう言うレイだったが、自分の足にこれ以上ない程に合っているという意味ではアジモフに預けてきたスレイプニルの靴も同様だった。
やはりこうして今まで履いていたのがアジモフの靴で足に合わなかったので、こうして用意された靴でも十分にしっくりときたのだろう。
「ま、とにかく父さんは約束を守る人だから、しっかりと約束通りの日時には間に合わせるよ」
若干得意そうな笑みは、それだけ父親の仕事を信頼しているのだろう。
レイはそんな親子のやり取りに笑みを浮かべ、履き替えた靴の調子を確かめる。
履いた時点でもピッタリとしていたのだが、こうして少し動いてもそれは間違いないだけのフィット感とでも言うべきものがあった。
その靴に満足したレイは、少し高めの料金を支払い……靴屋を出る。
先程から降っていた雪は更に強くなっており、明日は間違いなく積もるだろうと……そう思える雪の中を、夕暮れの小麦亭へと向かって歩き出すのだった。
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