冬の穏やかな日々
第1252話
ヴィヘラの意識が戻ってから二週間程が経ち、外では雪が降り始めて晩秋から初冬へと完全に移り変わった。
幸い雪が降ったといっても、まだ積もる程には降っていないこともあり、冒険者の中には冬越えの為の資金を貯める為に最後の一踏ん張りをしている者もいる。
ガメリオン狩りがやはり人気なのだが、それ以外にも冬だからこそ姿を現すモンスターの討伐依頼を受けたりしている者も多い。
そんな中……レイはといえば、アジモフの家へとやってきていた。
どちらかと言えば、アジモフの研究所と表現するのが正しいだろう家ではあったが。
「悪いな、ちょっと色々と忙しくてよ」
珍しく少しだけ疲れた様子を見せるアジモフは、ここ暫くの間は色々と忙しそうにしていた。
どのような理由で忙しそうにしていたのかはレイにも分からなかったが、レイもレイで暫くの間は人の目がうるさく、あまり余裕がないのも事実だった。
……レイが銀獅子を倒してダンジョンを攻略したというのが、ギルドから公表されたのだ。
エレーナとアーラが帰ってから数日後に公表されたその報告は、当然ながらギルムにいる冒険者達の注目をレイに集めることになる。
特に多かったのが、当然のように商人達だ。
銀獅子がダンジョンのボスモンスターとして存在していることは、それなりに知られている事実だった。
だからこそ、商人達にとっては銀獅子の……ランクSモンスターの素材を入手出来る絶好の機会なのだ。
だが、それでも幾つかの偶然……それこそ、既に秋も終わりに近づいておりギルムに残っている商人が少なかったことや、黄昏の槍の件での経験ということもあって、以前のように面倒なことにはならずに済んだのは、レイにとって幸運だったのだろう。
そして街の住民や冒険者達の視線は以前と変わらなかったのは、レイにストレスを感じさせずに済んだ要因だった。
冒険者達にとっては、レイというのは元々強力な戦闘力を持っている規格外の存在だという認識が強かったし、街の者達にとってはレイというのはセトがいるので色々と特別だという認識があったからだろう。
また、中にはダンジョンで稼いでいた者達が不満を持ってギルムにやって来る場合もあり、レイは色々な意味で油断は出来なかった。
それでも冬であるというのが幸いし、それぞれが冬越えの準備に向けて忙しく働いていることもあり、レイに向かって注目してくる者も少なくなった頃、アジモフからの連絡があって、こうして久しぶりに会うことになったのだ。
「こっちも色々とあったからな」
「ああ、聞いてるよ。まさか、ダンジョンを攻略するとは思わなかった」
当然のように、アジモフもレイがダンジョンを攻略したという情報は聞いていたのだろう。
何か面白いものでも見るような目でレイへと視線を向ける。
「……どうしたんだ?」
「いや、ダンジョンを攻略したって話を聞いたけど、こうして見てみる限りだと以前と変わらないと思ってな」
アジモフの言葉に、レイは当然だと頷きを返す。
別にダンジョンを攻略したからといって、性格がどうこうなる訳ではないのだ。
勿論中には大きな名声によって性格が変わるという者もいるが、レイの場合は既にダンジョンを攻略する前から名声はある程度あった。
ベスティア帝国との戦争における活躍を始めとして、それ以外にも様々な名声が。
そんなレイにとって、今更ダンジョンを攻略して手に入る名声というのはそれ程特別視するものではなかった。
……勿論、エレーナやエルクを始めとした他の者達の手を借りてようやく倒せる銀獅子が守っていたダンジョンを攻略したというのは、レイにとっても間違いなく偉業であるというのは理解しているのだが。
「正直なところ、黄昏の槍の時程じゃないけど商人達が煩わしいな」
「ランクSモンスターの素材となれば、それは仕方がねえだろ」
「商人だけじゃなくて、錬金術師からも結構接触を持たれてるんだけどな」
「……だろうな」
銀獅子の素材を売るという意味では商人が必死だが、純粋に素材を使うとなればやはり錬金術師が動き出すのは当然だった。
ランクAモンスターの素材でも錬金術師達の間で奪い合いになるのも珍しくないのだが、そこに現れたのはランクSモンスターの素材だ。
それこそ全財産を支払ってでも、その素材を入手したいと考えてもおかしくはない。
そんな中、レイとそれなりに親しいアジモフはそこまで慌ててはいない。
勿論アジモフも銀獅子の素材には興味を持っているのだが、レイなら自分の下に持ってくるだろうという思いがあったのだ。
「で、その素材を持ってきてくれたのか?」
「ああ。……ただ、素材だけあってもどう使えばいいのか迷っていてな」
現在のレイは、武器もデスサイズと黄昏の槍がある。
それ以外にも幾つも戦闘用のマジックアイテムがあり、そうである以上緊急で欲しい物というのはなかった。
普通であれば素材が痛むということを考えることもあるのだが、レイの場合はミスティリングがあるのでその心配もいらない。
「ふむ……そうだな」
レイの言葉に頷き、じっとその姿を見る。
ドラゴンローブにスレイプニルの靴、ミスティリングに吸魔の腕輪、新月の指輪、それ以外にも様々なマジックアイテムを装備しているレイ。
そしてドラゴンローブに隠されているが、ネブラの瞳といったマジックアイテムもある。
それ以外にも幾つものマジックアイテムがミスティリングの中に収納されている以上、レイはマジックアイテムの塊だと言っても良かった。
「レイの姿を見れば身体中がマジックアイテムで固められているな。けど、お前はそもそもマジックアイテムを集めるのが趣味なんだろ? なら、マジックアイテムが欲しくないってことはないんじゃないか?」
「ああ。それは間違いない。けど、いきなりこんな銀獅子の素材なんて入手出来るとは思ってもみなかったからな。どんな風にして貰えばいいのか、かなり迷う」
「……具体的には、銀獅子のどんな素材があるんだ?」
こう尋ねたのは、レイ以外にも何人もが力を合わせて銀獅子と戦い、倒したという話を噂として聞いていたからだ。
等分に素材を分けたのであれば、どの部位が素材として残っているかで作れるマジックアイテムも違ってくる。
そう思っての質問だったのだが……
「殆ど丸々一匹だ。爪とかは幾つか渡したけど」
「……は?」
レイの口から出たその言葉は、アジモフにとっても完全に予想外のものだった。
「全部?」
嘘だろう? もしくは冗談だろう? そういう意味を込めて尋ねるアジモフの言葉だったが、レイは大人しく頷きを返す。
「ああ。ほぼそのままだ」
「……何でだ?」
「さぁ?」
アジモフの疑問は、レイにとっても抱いたものだった。
だが、それぞれに理由はあれど、結局レイに銀獅子をほぼそのまま与えたというのは間違いのない事実なのだ。
「おかしいだろ?」
「おかしいな」
普通であれば、ランクSモンスターの素材は誰であろうと欲しがって当然の代物だ。
少なくても、アジモフならランクSモンスターの素材を手に入れることがあった場合、間違いなく他人に渡すような真似はしない。……したくはない。
「どうなってるんだ? ……まぁ、いい。それで取りあえず銀獅子の素材を出してみてくれ。アイテムボックスの中にあるから劣化したり腐ったりといったことはないと思うが、それでも確認しておきたい」
「分かった。……ただ、かなりの量があるから、ここで全部を出すなんて訳にはいかないぞ?」
体長四m……尻尾を入れれば体長六mもの銀獅子の素材だ。
勿論その大半は肉なのだが、それ以外の素材も相応に大きな物が多い。
アジモフの研究室と化しているこの部屋はそれなりに広いが、錬金術に使う為の各種道具や研究資料といった物が乱雑に散らかっており、とてもではないが銀獅子の素材を出す訳にはいかない。
そのことに気が付いたのだろう。アジモフは小さく頷くと座っていた椅子から立ち上がる。
いつもと違う素早い動きは、少しでも早く銀獅子の素材を自分の目で見たいからというのがあるのだろう。
「じゃあ、こっちに来てくれ」
それだけを言うと、早く来いといった視線をレイへと向ける。
普段とは全く違うアジモフの様子に、レイは仕方がないといった笑みを浮かべながらその後を追う。
そうしてアジモフがレイを案内したのは、珍しいことに……本当に珍しく片付いている部屋だった。
それなりの広さを持つその部屋は、本来なら数日後にアジモフが錬金術の実験をする為に片付けておいた場所だ。
だが、今のアジモフにとって、その実験は後回しにしても問題はない。
それどころか、最優先にすべきは銀獅子の素材だった。
「じゃあ、出すぞ?」
「待て! 折角の銀獅子の素材を、そのまま床に出すのは勿体ない」
そう告げると、アジモフは床の上に布を敷く。
そして布を敷いたことにより、安心したのだろう。満足そうに頷き、レイに促す。
「いいぞ、出してくれ」
その言葉に頷き、レイはミスティリングから銀獅子の素材を次々に出していく。
肉を合わせると布には収まりきらないだけの大きさがあるのだが、あくまでも肉は食用だ。
その為、布の上に殆どの素材が収まることになる。
唯一、銀獅子の骨だけはどうしようもなかったが。
「骨はどうする? 布の上に置くのはちょっと無理だと思うけど」
「……だろうな」
レイに返事をしながらも、アジモフの視線は銀獅子の素材へと向けられていた。
元々錬金術師としても変わり者として有名なアジモフだが、それでも錬金術師なのに変わりはない。
ランクSモンスターの素材ともなれば、その意識を奪うには十分だった。
「骨は色々と使い勝手がいい、そのまま武器にして流用してもいいし、粉にして武器を作る時に使えば特殊な効果を発揮するだろう。内臓は……錬金術の素材としてはこれ以上ない程に貴重な物になる。眼球は……」
容器に入れられている眼球に視線を向けると、アジモフは首を傾げてレイに尋ねる。
「何で眼球が一つしかないんだ?」
心の底から不思議そうな疑問。
銀獅子の目が二つである以上、その疑問は当然のことだった。
だが、そんなアジモフに対して、レイは少しだけ気まずそうに口を開く。
「銀獅子と戦う時、目に黄昏の槍を突っ込んだんだよ。そのおかげで大きなダメージを与えたけど、おかげでそっちの目は潰れた」
「……なるほど。黄昏の槍が大きな力になったのか」
自分が作った黄昏の槍が銀獅子との戦いでそれなりに存在感を発揮したと聞き、少し複雑そうな表情を浮かべる。
銀獅子を相手に黄昏の槍が活躍したのは嬉しいのだが、銀獅子の眼球が一つなくなるというのは、やはり錬金術師として思うところがあった。
「まぁ、やってしまったものは仕方がねえな。片方だけでも無事で良かった」
「そう言って貰えると俺も助かるよ。で、どんなマジックアイテムが作れそうだ?」
「そうだな……」
改めてレイの姿を見ていたアジモフだったが、不意にその視線がレイの足へと……具体的には、スレイプニルの靴へと向けられる。
魔力を流すことにより、数歩ではあるが空中を足場として蹴ることが出来るという代物だ。
効果としてはレイが持っている他のマジックアイテムに比べて地味なように見えるが、レイが冒険者として活動してきた中で少なくない役割を果たしてきた。
「内臓を幾つか使えば、スレイプニルの靴の効果を多少ではあるが強化出来そうだな」
「……強化?」
「ああ。具体的には、空中を足場に出来る歩数が今よりも数歩程度だが増えるといった具合にな」
「本当か? それが出来るんなら、こっちとしても助かるけど……」
「レイ?」
会話の途中で突然言葉を止めたレイに視線を向けるアジモフに、何でもないとレイは首を横に振る。
スレイプニルの靴ということで、エレーナがいる時にその話を聞いていればと思ったのだ。
レイと同じようにスレイプニルの靴を使うエレーナだけに、それが強化されると聞かされれば喜んだのは間違いないだろうと。
(まぁ、そんな余裕はなかったんだろうけど)
そもそも、エレーナはヴィヘラのことを聞いてからかなり強引にギルムへとやってきたのだ。
当然ながら仕事の類もかなり残っていただろうし、各所に迷惑を掛けたのは間違いない。
であれば、ヴィヘラの件が解決した以上はすぐにでも帰るというのは当然の選択だった。
実際、対のオーブを使って通信をした昨夜も、微妙に元気のない様子をみせていたのだから。
それでもその件を口にしない辺り、水臭いとレイは考えてしまう。
……もっとも、普段から姫将軍として振る舞っているエレーナが、多少なりとも弱みを見せられる相手というのはそう多くはないのだが。
「分かった。ならスレイプニルの靴の強化をしてくれ」
今は銀獅子の素材の使い道が先だと、レイはそうアジモフに告げるのだった。
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