第1250話

「……そうか。失敗したか」


 男は、その報告を聞いても特に驚いた様子もなくそう言葉を返すだけだった。


「その、旦那様。失敗したのに、次の手を打たなくてもよろしいのですか?」

「構わん。奴が戻ってきたのを早めに見つけることが出来たのが、そもそもの僥倖。であれば、今回の件はそれでいい。……奴には、私の依頼を断った件をしっかりと後悔してもらわなければならないからな」


 そう呟き、男……ライナス・マルニーノ子爵は飲んでいたワインをテーブルの上に置く。

 指名依頼を出したにも関わらず、その依頼を断られたというのはライナスのプライドを酷く刺激した。

 特に大きかったのは、その対象が名もなき普通の冒険者ではなく、異名持ちのレイだったことだろう。

 国王派の他の貴族に、自分を見る度にレイによって指名依頼を断られた貴族だと、そう言われているようで癪に障った。

 ましてや、本来頼む筈だった依頼の件は、レイに断られたことによって失敗してしまっている。

 そう考えれば、今のライナスは心の底からレイに対する苛立ちを覚えても仕方のないことだった。……いや、当然のことだと言えるだろう。

 少なくてもライナスの中では、レイに対する苛立ちは正当化されていた。


「それでは、次に……どのような手を?」

「迂闊にレイに手を出すと、こっちが大きな被害を受けるのは確実だ。である以上、レイにこっちの仕業と知られないようにする必要がある」


 言葉には出さないが、その中には当然のようにマリーナやヴィヘラ、そして何よりエレーナの存在があった。

 ライナスは国王派の貴族ではあるが、それでも主要人物という訳ではない。

 それが貴族派を率いるケレベル公爵の令嬢に手を出すような真似をしたのが知られれば、色々と不味いことになる。

 勿論ケレベル公爵だけではなく、エレーナ個人としても姫将軍の異名を持つ人物であり、敵に回す訳にはいかない。

 だからこそ、今回の件では絶対自分が企んだというのが知られないように手を回して、馬車を襲わせたのだ。

 また、襲ったのも冒険者ではなく、物をよく知らない傭兵……それも傭兵崩れとでも呼ぶべき存在だ。

 何より間に何人も人を挟んでの依頼だったので、ライナスにまで辿り着くのは不可能な筈だった。


(そのような者達しか使えなかったから、結局はただの嫌がらせにしかならなかったのだがな)


 改めてワインを口へと運び、その味を楽しむ。

 本来ならそこそこ上等なワインの筈なのだが、不思議な程に今はあまり美味く感じられない。

 それどころか、どこか不味いとすら感じてしまう。

 ……その味覚の変化はライナスの不安によるものなのだが、本人はそれに気が付いた様子はなかった。

 自分がこのギルムに来た理由については、失敗に終わってしまっている。

 その苛立ちをぶつける先として、選ばれたのがレイだったのは、ライナスにとっては当然のものだったのだろう。

 だが……今になって、レイと敵対したということを心の底では実感してしまっていた。

 ミレアーナ王国の貴族だからこそ、そして最大派閥の国王派の貴族だからこそ、ライナスは当然のようにレイについての情報は色々と入手している。

 その中には、当然敵対した相手には容赦しないというものもあった。

 貴族であっても、敵対した相手に対しては容赦なく暴力を振るう。……それも、腕の切断や足の切断といったものを行うのにも躊躇はないというのだから、ライナスにとってもそれは驚異だ。

 このエルジィンで育ってきた者にとって、貴族というのは敬うべき存在、特別な存在といった意識が根底にある。

 勿論中にはそれを気にしていないような者もいるが、その者達にしても自分の中にある常識とでも呼ぶべきものを知った上でそのように振る舞っているのだ。

 だが、レイは違う。

 貴族など自分には全く何も関係ないと言いたげに、何の躊躇もなく手を……より正確にはデスサイズを出すのだ。

 当然それは貴族の方に原因がある場合に限るのだが、典型的な貴族のライナスにとっては基本的には貴族の方が正しいという認識が強い。


「旦那様?」

「……ああ、悪いな。次にどのような手を取るべきかを考えていたのだ」


 自分の中にある恐怖という感情を押し殺すかのように呟き、再びワインを口へと運ぶ。


「どんな手を打つか、か。……さて、どうしたものやら」


 正直なところを言えば、ライナスの中には既にレイに対する恨みというのは殆どない。

 今日の一件で多少なりとも憂さ晴らしが出来た上、今になってレイに対する恐怖が込み上げてきている。

 もし自分が今回の件の黒幕だと知られれば、間違いなくこの屋敷に向かって突っ込んで来るだろうと。

 更に悪いことに、自分には後ろ暗いところがありすぎる。

 表沙汰にはなっていないが、それでもレイと揉めてギルムの警備隊に調べられるようなことにでもなれば、痛くもない腹……ではなく、間違いなく痛い腹を探られることになるのは明白だった。


(ここが王都を始めとした国王派の勢力圏内であれば、まだ何とかなるのだがな)


 ワインへと視線を向けながら、内心で小さく呟く。

 だが、それは今更言っても意味のないことだった。

 もう既に手は出してしまったのだから。


「旦那様、よろしければ私の方で何とかしてみましょうか?」

「……どうするつもりだ?」

「はい。幸い私共には相応の伝手があります。そちらを使って……」

「止めておけ」


 部下に最後まで言わせず、ライナスは言葉を遮る。


「私が信用出来ませんか?」


 そう尋ねる男だったが、そこには主に対する非難の色はない。

 ただ、純粋に自らの主を心配している視線。

 だが……だからこそ、ライナスは男からの提案を却下せざるを得ない。


「違う。だが、今のところはお前にそこまで無理をさせる必要はないと考えているだけだ。……そうだな、私も少し考えすぎていたのかもしれん。そろそろギルムを発たなければ、いつ雪が降ってきてもおかしくはない。そうなれば、春までこのような辺境に閉じ込められることになってしまう」

「では?」

「うむ。このような場所にいれば、私まで野蛮な空気に影響されかねん。もしかしたら、今回の件もそれが理由なのかもしれんしな」

「かしこまりました。では、明日にでも護衛を手配します」

「……うん? 我が家の兵士だけでは駄目なのか?」

「はい。私が調べたところ、この季節になるとギルムの周辺でも冬特有のモンスターが現れ始めるそうです。春から秋にかけて姿を現すモンスターに比べると、強さは上との話ですから」

「我が家の兵士だけではどうにもならない、か」

「残念ながら」


 自分の家で雇っている兵士の強さには自信を持っているライナスだったが、それでも辺境という未知の場所で姿を現すモンスターを相手にさせるには不安があるのも事実だった。


(であれば、どうせ使い捨ての冒険者共だ。幾ら死んでも構わんだろう)


 元々冒険者に対して好意的ではなかったライナスだったが、それでも使い捨ての駒と考える程ではなかった。

 それが現在は軽い嫌悪感すら覚えるようになったのは、やはりレイとの一件があるからだろう。

 ……レイの性格を知っている他の冒険者達にとって、レイと一緒にされるのは色々な意味で許容は出来なかった。

 技量もそうだし、その性格も含めてだ。

 ライナスも、当然レイ以外の冒険者と会ったことはある。

 だが、それでもやはり、レイという存在が強く印象づけられている為、冒険者とレイがイコールで、結ばれてしまう。


「分かりました。では時間がないですから、今から明日の出発までの短い時間で護衛の冒険者を募集します。ただ、どうしても時間がないので質の面では劣ることになると思いますが……」

「構わん。どうせ使い捨てだ。辺境から出るまでこちらの盾となれば、それでいい。……辺境のモンスターではなく、盗賊であれば我が家の兵士で十分対応出来るのだな?」

「その筈です。ただ、ここは辺境だけに盗賊であっても強い者がいる可能性もありますが……」


 その言葉に、ライナスは微かに眉を顰める。

 自分の部下がモンスターを相手にする場合で冒険者に後れを取るのはまだ我慢出来る。

 ライナスにとっては業腹だが、冒険者というのはモンスターを相手にする専門家のようなものなのだから。

 だが、盗賊を……人を相手にしても冒険者に劣ると言われれば、面白い筈もない。

 それでも不満を口にしなかったのは、そもそも辺境であるこの土地が色々な意味で常識外れの場所だという知識があった為だ。


「そうか。……ともあれ、明日にはすぐ発つから、その準備は……」


 忘れるな。

 そうライナスが口にしようとした時、不意に部屋の外から怒鳴り声が聞こえてきたのに気が付き、不愉快そうに眉を顰める。


「何だ、一体。私に仕える者として、このような不作法な真似をするなど」


 不満も露わに呟くライナスだったが、すぐに収まるだろうと判断していたのだが……部屋の外から聞こえてくる叫び声は、一向に収まることがない。


「お待ち下さい! ここはマルニーノ子爵家の屋敷ですぞ! このような不作法、決して許されるものでは……」

「今すぐ旦那様を呼んできますので、もう少々お待ちを!」

「幾ら騎士団であっても、このような真似が許されるとお思いか!」


 それどころか、聞こえてくる声は次第にライナスのいる部屋へと向かって近づいてきてすらいた。


「何が起きている? 騎士団だと?」

「旦那様、すぐに逃げる準備を」


 外から聞こえてくる声に戸惑ったように呟くライナスへと、そう声が掛けられる。

 自分の側近中の側近とでも呼ぶべきその男の言葉に、ライナスは最初何を言ってるんだ? といった視線を向けた。

 だが……


「お早く! 今ここで旦那様が捕らえられれば、国王派の中でも立場が悪くなります! しかし、今この場から逃げることが出来れば、国王派の力でどうとでも対処は可能です!」


 厳しい声で叫ばれ、ようやくライナスも我に返る。

 ここで有能な者であれば、それこそすぐにでも窓から飛び出して逃げるようなことも出来た筈だった。

 だが、ライナスは無能ではなくても、決して有能と呼ばれる程の人物ではない。

 部下の言葉を聞き、反射的に叫ぶ。


「馬鹿な! 何故私まで辿り着く!?」


 それは、魂からの叫び。

 騎士団がやって来た理由は理解出来るが、何故今回の件で自分まで辿り着けたのかが全く分からなかったのだ。


「旦那様!」


 男が叫ぶが、ライナスは自分の身に現在降り掛かっていることが全く理解出来なかった。

 間に人を何人も挟み、絶対に自分まで辿り着かないようにして今回の件を計画したのだ。

 ある程度の日数を置いてから自分に辿り着くというのであれば、まだ納得も出来たかもしれない。

 だが、レイ達が襲われたのは今日なのだ。

 なのに何故、どうやって……そのような考えで動くに動けず……次の瞬間には、ライナスがいた部屋の扉が開かれ、数人の男達が姿を現す。

 全員が金属鎧を身につけているその姿は、ライナスにも当然見覚えがあった。

 このギルムの騎士団の者達。


「くっ!」


 このままでは絶体絶命だと判断したのだろう。

 ライナスにここから逃げるようにと言っていた男は、護衛用なのだろう短剣を懐から取り出すと騎士達へと向かって襲い掛かる。


「旦那様、お逃げ下さい!」


 騎士達にとっても、まさかこの期に及んで攻撃されるとは思っていなかったのか、自分に襲い掛かってくる男に対して次に行動に出るのが一歩遅れてしまう。

 その一歩は、騎士達にとっても致命的と言ってもいいような、完全な隙。

 だが……騎士の命を奪いかねない短剣の一撃が届くよりも前に、空気を斬り裂きながら飛んできた何かが騎士へ襲いかかろうとしていた男の右肩を貫く。


「ちょっと油断しすぎじゃねえか?」


 その声と共に姿を現したのは、痩身と呼ぶのに相応しい身体つきの男。

 適当に切り揃えた髪が顔を隠すような、そんな不気味さを醸し出している男だった。

 手に握られているのは短剣であり、ライナスを逃がそうとして騎士に襲い掛かった男が持っている短剣よりも短く、細い。

 短剣にありがちな柄も殆ど存在せず、完全に投擲用として設計された短剣だった。


「あ、ああ。助かった。……捕らえろ!」


 騎士達の指揮官なのだろう男が、短剣を投擲した男に感謝の言葉を告げた後で部下に命令を下す。

 貴族としてある程度鍛えていたライナスだったが、それでも本職の……それも辺境のギルムの騎士団を相手に抵抗出来る筈もない。

 短剣で襲い掛かってきた男共々、すぐに捕縛される。


「貴様ら、このような真似をしてただで済むと思っているのか!」


 ライナスが屈辱に叫んでいるが、騎士達は気にせずライナスを捕らえて部屋から連れ出す。

 それを確認した騎士達の指揮官が、先程短剣を投擲した男に向かって、改めて頭を下げる。


「すまない、助かった。お前達のおかげでこの情報を入手できたのに、その上で更に手を……」

「構わんよ。お頭……いや、エッグさんもあんた達に雇われてるんだ。いわばお仲間だろう? ギルムの裏を担当する草原の狼として、当然の仕事をしただけだ」


 口の端を曲げるだけの微笑を浮かべ、男はそう告げるのだった。

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