第1246話
「……なぁ、どう思う?」
正門での手続きを済ませてギルムに入り、いつものように夕暮れの小麦亭へと向かっていたレイ達。
馬車での移動だったが、その途中で不意に何人かの男達に囲まれたのだ。
勿論馬車と一緒に行動しているセトを愛でたい……といったことが理由ではないのは、男達が手に持っている長剣や槍といった武器が証明しているだろう。
また、自分の顔を見られないようにか、全員が覆面を被っている。
(けど、街中で堂々と襲ってくるか?)
レイが呆れているのは、ここが街道でも人の少ない裏路地ではなく、大通りだからだ。
とてもではないが、普通なら人を襲うような場所ではない。
だが、現在覆面を被っている男達は実際にレイ達が乗っている馬車を囲むようにしている。
「どう思うって言われても……正直なところ、正気? としか聞き返しようがないわね」
ヴィヘラが窓から馬車の外を眺めつつ、どこか呆れたように呟く。
ギルムは半ば都市と表現してもいいような大きさを持っており、スラムの類もある。
そのような場所であれば、それこそ日中から人を襲うような真似をしていてもおかしくはないのだが、今レイ達がいるのは大通りだ。
現に、窓から外を見ているレイの目には馬車を囲んでいる覆面の襲撃者達の外側に、様子を見ている者達の姿も見える。
間違いなくそう遠くない間に警備隊がやってくるだろう。
襲撃者達はそれを理解しているのか、いないのか。それがレイには理解出来なかった。
「おらぁっ! 出てこい! ぶっ殺すぞ!」
「この立派な馬車を壊されたくないだろうが! さっさと出てこいやぁっ!」
馬車の外から聞こえてくる、威勢のいい怒鳴り声。
それぞれが武器を振り回しながら叫ぶ。
「……正気、というヴィヘラの意見には私も賛成だな。セトがいるのに、私達を襲う? 普通ならまず考えられんだろう」
エレーナも窓の外を見ながら呟く。
そう、これは普通に考えれば異常としか言えないことだった。
馬車の側には、セトもいる。
ギルムの住人にとっては愛玩動物扱いのセトだが、高ランクモンスターであることに違いはない。
それこそ、現在馬車の周囲を囲んでいるような相手は楽に倒せるだけの実力は持っている。
馬車を囲んでいる者達は、それを理解しているのか、いないのか。
いや、目の前にセトがいる以上、それに気が付いていないということは有り得ないだろう。
であれば、何故そんな現状で……ランクSモンスター相当のセトがいるというのに、ここまで強気に出ることが出来るのか、レイには全く理解出来ない。
それこそセトが少し本気になれば、男達は数秒と経たずに命を奪われるだろう。
(自分の命がいらない? ……けどそんな投げやりだったり、覚悟を決めていたりしているようには見えないけどな)
レイの目から見ても、男達は決して腕が立つという訳ではない。
それこそ、冒険者として考えればランクEか……よくてD程度だろう。
本来であれば、ギルムで大きな顔を出来るだけの強さを持っているとはとても思えない。
「変ね」
レイと同じ疑問を抱いたのか、マリーナが呟く。
いや、ギルドマスターという立場上、マリーナはレイよりも冒険者という存在には詳しい。
であれば、今の状況が異常だというのは、レイ以上に理解しているだろう。
「おらぁっ! 出てこいっつってんだろうが! とっとと出てこねえと、この馬も殺すぞ!」
槍を振り回しながら叫ぶ男だったが、それを聞いたエレーナの口には嘲笑が浮かぶ。
この馬車を牽いている馬は、小さい頃から厳しい訓練を受けてきた馬だ。
それこそ、馬車の回りで叫んでいる男達程度であれば、返り討ちにするのは容易だろう。
「エレーナ様、どうします?」
御者台と続く扉が少し開き、アーラがエレーナに尋ねる。
アーラの技量があれば、現在馬車を囲んでいるような者達程度は容易に倒すことが出来る。
だがそれをしなかったのは、何を目的として男達が自分達を囲んでいるのか分からなかったというのがある。
普通であれば、馬車を囲むのは当然のように中にある誰か、もしくは何かを狙ってのものだろう。
しかし、それはあくまでも普通ならの話だ。
現在のように、ギルムの……それも大通りの、周囲には大量の人の目があるような場所で行われるようなことではない。
だからこそ迂闊に手を出すような真似をすればどうなるのか分からず、こうしてエレーナへと尋ねることとなる。
「……そうだな。このまま待っていれば、恐らく警備隊の者達が来るだろう。迂闊にここで手を出すような真似をすれば、周囲で様子を見ている者達に被害が出る可能性もある」
「では、暫く様子を見るということで?」
「そうしてくれ。ただし、当然だが実際に向こうが手を出してきたら、反撃を許可する。……レイ、セトは大丈夫か?」
「問題ないらしい」
エレーナの言葉に、レイは窓から外の様子を見ながら言葉を返す。
そこでは、セトが馬車を守るように側に付き添っている。
もし男達が攻撃を仕掛けてきても、それこそ前足の一振りで吹き飛ばすことが可能だろう。
だが、周囲の状況をおかしいと判断しているのか、今のところ動く様子はない。
馬車を囲んでいる男達も、セトが動かないからこそ威勢のいい言葉を口に出来ているだろう。
だが、言葉を発するだけで、実際に攻撃してくる様子を見せないのは、やはり大きな騒ぎにしたくはないと思っているからか。
それとも、単純にこの騒動を起こすことそのものが目的なのか。
「本当に何が目的なんだ?」
「さぁ?」
思わずといったように呟かれたレイの言葉に、マリーナが首を傾げ……その時、事態は動く。
「やめろー! セトを苛めるな!」
周囲で様子を窺っていた人混みの中から、一人の子供が……それこそまだ五歳かそこらといった年齢の子供が飛び出したのだ。
その子供の目には、レイ達が乗っている馬車の姿は目に入っていない。
ただ、自分の友達のセトが覆面を被っている大人達に苛められているように見えたのだろう。
だからこそ、そのままにはしておけず友達を助ける為に人混みから抜け出したのだ。
勇気がある……と言ってもいいのは間違いない。
だが、同時に無謀であるのも間違いはなかった。
「何だ、このガキ……おらっ、邪魔だよ!」
覆面を被っていた男の一人が、叫びながら自分達の方へと向かってきた子供に向かって蹴りを放つ。
いや、それは蹴りという程に威力のあるものではない。
ただ乱暴に足を出しただけというのが正しい。
それでも、五歳の子供にとって大人の力というのは甘く見ることが出来るものではない。
ましてや、男達は武器を持っているのを見れば分かる通り、荒事になれているのだから。
「うわぁっ!」
男の足にぶつかった子供は、そのまま吹き飛ばされ、地面を転がる。
周囲で様子を見ていた人混みの中から、悲鳴が上がる。
まさか、本当にこんな大通りでこのような真似をするとは思わなかったのだろう。
もしかしたら、何かの芸か何かだと思っていた者もいたかもしれない。
そんな周囲の様子に、子供を蹴った男はいい気分になりながら口を開く。
「はっ! 余計な真似を……え?」
周囲にいる者達へと向かって怒鳴りつけようとした男だった。
だが、その男が次の瞬間に見たのは、馬車の側にいた筈のセトが、何故か自分の目の前にいるという光景だった。
それも、ただ目の前にいるのではなく前足を持ち上げ、振るおうとしている状態。
一瞬何が起きたのか分からず……男は、次の瞬間には強烈な衝撃と共に地面へと叩きつけられて意識を失う。
この時幸いだったのは、セトが男を殺そうとは思わなかったことだろう。
もっとも、それはあくまでも周囲を騒がしくしたくなかったからであって、決して男の命を思ってのことではないのだが。
本来ならセトの一撃を食らえば、それこそ頭部や上半身が肉片と化してもおかしくはない。
だが、子供を蹴った男は地面に叩き付けられた衝撃で意識を失っているものの、手足が少しだが動いているのを見れば、生きているのは確実だった。
「な!? く、くそ! やりやがったなぁっ!」
仲間の男が意識を失ったのを見た別の男が、セトに向かって長剣を構えて襲い掛かろうとするが……
「そこまでだ」
セトにより事態が動いたのを見て取ったレイが、馬車から飛び出る。
武器を出すまでもないと判断し、セトに向かおうとしていた男の腹へと拳を振るう。
元々腕力という意味では、外見と違って人間離れしているレイだ。
その拳は文字通りの意味で男の腹に……レザーアーマー越しにではあるが埋まり、そのまま言葉も出すことが出来ずに意識を失って地面へと崩れ落ちる。
馬車の周囲を囲んでいた他の男達も、自分の仲間があっさりと意識を失ったことに気が付いたのだろう。一気に襲い掛かるのではなく、慎重にレイの出方を窺う。……が、それは悪手だった。
レイだけが相手であれば、それも良かったかもしれない。
だが、この場にはレイ以外にエレーナ達の姿もある。
馬車の扉はそれ程大きくないので、一気に全員が飛び出るようなことは出来なかったが、それでもレイが出てから数秒もしないうちにエレーナとマリーナ、ヴィヘラが姿を現す。
そして……
「ぐはぁっ!」
御者台のアーラが動く。
今までは様子を見ていたものの、レイが動いた以上は自分も動いた方がいいと判断したのだろう。
レイの……正確にはセトだけに意識を向いていた男達は、全く予想もしていなかった方向から突然襲われることになる。
それでもギルムの中であるということを考慮し、アーラがパワー・アクスではなく素手で襲い掛かったのは、周囲の者の目を見れば当然だった。
冒険者であれば人の血にも慣れているのだが、ここはギルムの……それも大通りだ。
そのようなことには全く慣れていない一般人の姿も多い。
そんな場所で胴体を上下真っ二つにしたり、左右真っ二つにしたり、それどころか上半身を砕いて肉片を周囲に撒き散らかすような真似をすればどうなるのか、考えるまでもない。
「がっ!」
「ぎゃっ」
「ぶぎゃっ!」
エレーナ達もそれが分かっているのか、殺すのではなく意識を奪うだけで済ませていく。
その姿が、周囲で様子を見ていた者達にとって面白かったのだろう。それぞれが歓声を上げる。
……当然だろう。子供を相手に蹴り飛ばすような相手だ。それを見ていて面白いと思う者がいる筈がない。
それどころか、周囲で様子を見ていた者の中には冒険者の姿もあり、そのような者達もレイ達へと襲い掛かろうとしていた覆面の男達へと向かって攻撃を仕掛ける。
勿論こちらも長剣を使って斬り裂くといったものではなく、鞘に収まったままで殴りつけるといった風な戦い方だ。
レイ達が一気に攻撃に出て、それどころか周囲からも他の冒険者が協力をして戦いになり……そうなってしまえば、戦いの決着がつくのは非常に早かった。
それこそ、瞬く間にと表現するのが相応しい速度で戦いが終わり、覆面の男達は意識を失って地面へと倒れている。
「……で、レイ。この人達は一体誰だと思う?」
「そう言われてもな。……マリーナには予想出来ないのか?」
ヴィヘラに尋ねられたレイが、近くにいるマリーナへと尋ねる。
精霊魔法と弓を武器としているマリーナだったが、元ランクA冒険者だけあって生身での戦いも十分強い。
それこそ、今目の前で意識を失っている男達のような相手に遅れを取るようなことはなかった。
「ギルムにいる冒険者で、レイに絡むような人がいるとはちょっと思えないわね。セトがいる以上、この馬車に乗ってるのはレイか、もしくはレイの関係者だってのは明らかなんだし」
「グルゥ」
「ああははは、大丈夫だって。ほら、もう平気だから」
先程覆面の男に吹き飛ばされた子供が、セトに顔を擦りつけられて嬉しそうに声を上げる。
セトと戯れる子供は、地面を転がった際に多少の傷は出来たものの、特に大きな傷といったものはない。
寧ろセトと触れ合うことが出来て、嬉しそうな声を上げていた。
そんな様子を見ていた周囲の者達の中には、当然ながらセトの愛好家と呼ぶべき者達もいる。
そのような者達は、セトと戯れる子供を羨ましそうに見ているが……だからといって、それを邪魔するようなことはない。
あの子供がセトと思う存分戯れることが出来るのは、一番初めにセトを助けに行ったからだ。
自分達は色々と理由を付けながらも、その行動には出られなかった。
その辺りの事情を考えれば、これは当然の報酬と言える。
勿論、羨ましいかどうかと言われれば、非常に羨ましいと答えるのだが。
そのように思っている内の何人かは、セトが覆面の男達に囲まれている時にミレイヌやヨハンナといったセト愛好家として真っ先に名前が上がる二人がこの場にいないことに安堵する。
……もしその二人がこの場にいれば、血を見ることになったのかもしれないのだから。
警備兵が駆けて来るのを見ながら、心の底からそう思うのだった。
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