第1240話

 一言美味いと呟いた後、レイはただひたすらにオーク肉のシチューを口へと運ぶ。

 それは、レイだけではなく他の者達も同様だった。

 圧倒的な肉の存在感……だけではない。

 オーク肉が強く自己主張するシチューだったが、それ以外の野菜もオーク肉に負けない程の味を作りだしている。

 本来は打ち上げとして、食事をしながら騒いでもおかしくはないのだが……今はただひたすら、一心不乱にシチューを味わうだけだ。

 そして皿の中にあったシチューがなくなり……ようやく一段落したのか、レイが口を開く。


「いや、本当に美味いな」


 呟かれたレイの言葉が切っ掛けとなったのか、他の者達もそれぞれ口を開き始める。


「レイの言う通り、このシチューは……中々食べられるものではない味だ」

「そうですね。以前呼ばれたメールス伯爵……美食伯爵と呼ばれる方の晩餐会で出た料理も美味しかったですが」

「美食伯? 何それ、興味深いわね」


 エレーナとアーラの言葉に、ヴィヘラが即座に反応する。


「ああ、メールス伯爵ね。以前ダークエルフが食べている料理で美味いものがあったら教えて欲しいと手紙を貰ったわ」

「ギルドマスターに手紙を……いえ、貴族なんだし、おかしな話ではないのか?」

「おかしな話ではないわね。それどころか、彼は美味しい物の為ならベスティア帝国の皇帝に手紙を出してもおかしくないわ」


 ギルドマスターに手紙を出すという行為に驚くヨハンナの仲間達だったが、それが隣国の……それも長年の敵対国へも手紙を出すと言われれば、出来るのはただ驚くだけだ。

 そのような話を聞いていたレイは、少しだけその美食伯爵……メールス伯爵へと興味を持つ。

 貴族については少数を除いて大部分がどうしようもない奴だという認識の強いレイだったが、それでもメールス伯爵に興味を持ったのはやはりその美食伯爵という二つ名――と表現するのは難しいが――からだろう。

 元々、レイもセトも食べるという行為は好きだ。

 それこそ、自分が覚えている料理を広めようとする程度には。

 ……だが、日本にいた時のレイが高校生だったのを考えれば、基本的に殆どの料理は教えることが出来ない。

 材料があれば料理を教えることが出来るかもしれないが、その材料の作り方が分からないのだ。

 例えば、片栗粉は小麦粉とは違うがどうやってその片栗粉を作るのかは分からない。

 知識があればジャガイモを使って簡単に作ることが出来るのだが、その知識がないのだからどうしようもなかった。

 正確には、小学校の頃に習ってはいるのだが完全に忘れているというのが正しいだろう。


「最初に食べたハムとソーセージもかなり美味かったし……これだと他の料理も期待出来るな」


 シチューの味わいを思い出しながら、次にレイが手を伸ばしたのはオーク肉を茹でて適度に脂を抜いてから酸味の強い果実のソースを掛けた料理だ。

 ソースの材料となった果実は、こちらもまたダンジョンから採ってきたものなのだろう。

 オーク肉も茹でる時に色々と手間暇を掛けているのか、薄らとオーク肉そのものに味が付けられている。

 これ以上オーク肉についている味が濃ければソースの酸味とのバランスが崩れるだろうと思われる、絶妙の味付け。

 また、ダンジョンから採ってきた野菜を炒めている料理には胡椒と似たようで微妙に違う香辛料が使われ、強火で一気に炒めたお陰で適度に歯応えが残っており、オーク肉が主体の料理で口の中をリセットするにはちょうどよかった。


「美味しいわね。特にこの野菜をしっかりと煮込んだ煮物は絶品よ」


 店の名前の通り、オーク肉を主体にした料理が多い。

 だが、それ以外の料理も手を抜かれている訳ではなく、今まで様々な料理を味わってきた経験を持つマリーナの舌をも唸らせる。

 ダークエルフとして長い時間生きており、冒険者として活動し、ギルドマスターとしても活動してきた。

 そのような経験を持ち……その上で、人目を惹き付けて止まない程の美貌を持つマリーナだ。当然食事の誘いも多く、様々な料理を食べる機会があった。

 そんな経験の中で、今食べている料理の数々は間違いなく上位に位置するだけの味だと言える。


「肉だけじゃないわ。こっちの魚も口の中に入れるとすぐに溶けていくような、そんな白身の魚よ」


 このような場所で普通の魚は入手出来る筈もなく、この魚の出所も間違いなくダンジョンなのだろう。

 やっぱり森の階層か? とレイは考えながら、果実水で口の中をさっぱりさせ、魚を口へと運ぶ。

 ヴィヘラが口にしたように、口の中で溶けていき……それでいてオークのような肉とはまた違った脂が乗っているその魚は、レイに日本にいた時に食べた魚を思い出させる。


(ホッケに似てるな。ただ、ホッケよりも随分と身がプリプリとしてるし、脂も多いけど)


 それが単純に魚の種類が元から違うからなのか、それとも魚を焼く前の下処理が関係しているのか、それともそれ以外の別の理由があるのかレイには分からなかったが、ただ美味いというのは間違いのない真実だった。

 その後も、他の料理を食べては美味いと感嘆の声を漏らすようなことを繰り返していたのだが、それでもある程度時間が経って一通りの料理を味わうと、食事に対する感想は一段落して今回のダンジョンについての話題へと移っていく。


「それにしても、銀獅子ってのは凄かったですよね。見たのは死体だけですけど、あんなに巨大なモンスターがいるなんて……セトちゃんも大きいのに、そんなセトちゃんと比べても大人と子供、下手をしたらそれ以上の差がありましたよ?」


 セトを撫でながら、銀獅子の死体を思い出したのだろう。ヨハンナはしみじみと呟く。

 その仲間達もヨハンナの意見には同感なのか、皆がそれぞれ頷き、初めて銀獅子の死体を見た時の驚きを口にする。


「そうだな。正直あれだけの大きさの相手で……その上、かなり俊敏で、それ以上に防御力が高い。これで攻撃力が他の能力と同様に強かったら、どうなってたのやらな」


 銀獅子との激闘を思い出し、同時にその時の戦いで肋骨に負った痛みを思い出す。

 戦い終わった時に比べると大分良くなってきてはいるのだが、それでもこうしてふとした時に軽く痛みを感じるのだ。


(明日になれば、もう痛みは殆どないんだろうけど……打ち上げは明日にした方が良かったか? いや、こういうのは勢いが大事だしな)


 微かな痛みを堪えつつ、それでも目の前にある料理の誘惑には勝てずに手を伸ばす。


「あれだけの面子が揃っていて、その上で苦戦ですか。正直、ランクSモンスターというのは化け物としか言いようがないですね」


 ヨハンナの仲間の一人が、しみじみと呟く。

 元遊撃隊だけに、レイとセトの実力は知っているし、当然のように同じ戦場を駆けたヴィヘラの実力は知っている。

 ベスティア帝国に住んでいた以上、姫将軍エレーナは当然知ってるし、異名持ちのランクA冒険者ということでエルクの名前も知っていた。

 それ以外にもギルドマスターのマリーナやエレーナのお付きのアーラ、エルクの妻にしてパーティメンバーのミンといった面々が揃っていながら、戦闘終了後にヨハンナやその仲間達が見たのは、傷だらけのレイ達だった。

 傷を負っているのは前衛として立っていた者達だけであり、その傷も重傷と呼ぶべき傷はなく、軽傷と呼ぶべき傷だ。

 その辺りのことを考えれば、自分達が戦闘に参加していても足を引っ張ることしか出来なかったと、そう実感してしまう。


「そうだな。正直なところ、ランクSモンスターが化け物揃いってのは納得したよ。まぁ、今回は色々と相性が悪かったってのもあるけど」


 若干負け惜しみに聞こえるか? と思いつつ、それは決して嘘ではないという思いもある。

 レイの持つデスサイズは、百kg程の重量を持つ。

 だが、炎帝の紅鎧を使用してのデスサイズの一撃を食らわせても、その体毛を斬り裂くことは出来なかった。

 有効な攻撃は、デスサイズのスキル、パワースラッシュのみ。

 もっとも、最終的には体毛のない場所……眼球に黄昏の槍を突き入れ、口の上顎部分から銀獅子の脳みそを破壊するという手段に出たのだが。


「相性ですか。レイさんでそれなら、私達が戦闘に参加しなくて本当に良かったですね。ねー、セトちゃん」

「グルゥ?」


 心の底から呟いたレイの言葉に、ヨハンナはセトを撫でながら呟く。

 撫でられ、セトは一瞬ヨハンナの方に視線を向けるが、すぐに食事へと戻っていく。

 そんなセトの態度ではあるが、ヨハンナはそんなセトの態度にも嬉しそうな表情でそっと身体を撫でる。


「銀獅子か。……うん」


 銀獅子のことを思いながら、レイが視線を向けたのは、テーブルの上に幾つも並べられている料理。

 オークの肉でこれだけの美味い料理が出来るのなら、銀獅子の肉ならどうだろうとふと思ってしまう。

 そして思ってしまえばもう止めることは出来ない。

 銀獅子が倒され、ダンジョンの核が破壊されたというのは近い内に正式にギルドから発表されるが、今その話を絶対に広めてはいけないという訳でもない。

 だからこそ店主が席を外しているとはいえ、銀獅子を倒した云々といった話をこうして店の中でしているのだから。

 そんな中でレイがテーブルにある空いている皿の上に置いたのは、一kg程の肉の塊。

 そう、つい数時間前に倒したばかりの銀獅子の肉だ。

 何気なく置いた肉ではあったが、それだけで周囲の者達はその肉に視線を集める。

 それだけの魅力が、この肉の塊にはあった。


「折角だし、この肉を調理して貰いたいと思うんだけど、どうだ」

『賛成』


 レイの言葉に、皆が……それこそ美食に慣れているエレーナ、マリーナ、ヴィヘラといった者達までもが一斉に賛成の声を上げる。

 そこには、一切の躊躇というものはなかった。

 ただ、ひたすらに肉を求める者のみが存在している。

 もっとも、レイもまたそんな他の者達と変わる訳ではない。

 これだけの料理の腕を誇るこの店の店主であれば、銀獅子というランクSモンスターの肉をしっかりと調理してくれるのは間違いなかったのだから。


「じゃあ、誰も異論はないということで、早速頼むぞ?」


 最後に念を押すように告げ、それに誰も反対しないのを見て取ったレイは口を開く。


「店主、ちょっといいか」

「ああ? こっちも色々……おい、何だこの肉は」


 追加の料理の準備で忙しいのに、何だ? そう告げようとした店主だったが、テーブルの上に見覚えのない肉があるのを見て言葉を止める。

 それが普通の肉、もしくはどこにでもある肉であれば、店主にとっては見飽きた代物であり、こうして尋ねるような真似はしなかっただろう。

 だが、そこにある肉は存在感のようなものが違っていた。

 明らかにその辺にある肉とは違う、存在感のようなもの。


「ランクSモンスターの肉だ」


 短くレイが告げると、それだけで店主は目の前にある肉がこのダンジョンでダンジョンの核を守っていた銀獅子の肉であることを理解する。

 店主が厨房の中でも声の聞こえる場所で仕事をしていれば、レイ達が話していた内容を聞くことが出来たかもしれない。

 だが、タイミング悪く店主は店の奥にある香辛料を保管してある部屋に篭もっていた。

 もっとも、料理に集中すれば呼び掛けられても聞こえないということがある以上、もしかしたら厨房で料理をしていても気が付かなかったかもしれないが。

 しかし……店主は知ってしまった。

 今目の前にあるのが、ランクSモンスター銀獅子の肉であることを。

 そして、まさに特上と呼べる食材がある以上、料理人としてそれを調理してみたいと考えるのは当然のことだろう。


「この肉、料理させてくれ。そうすれば今日の料金も無料でいい。その代わり、俺にもこの銀獅子の肉で作った料理を食わせて欲しい」


 自分で調理し、そして味を確かめたい。

 そう告げる店主に、レイは当然否とは言わず……あっさりと頷きを返す。

 何故なら、それこそがレイも望んでいたことなのだから。


「分かった。なら、この銀獅子の肉の調理は任せる。最高の食材だから、最高の料理にしてくれ」

「けっ、誰に言ってやがる。任せておけ。俺だって料理人として、これだけの食材を無駄に出来る訳がねぇだろうが!」


 男臭い笑みを浮かべた店主は、皿に載っている銀獅子の肉を持って厨房へと消えていく。

 それを見送ったレイ達は、どのような料理が出てくるのか非常に楽しみにしそちらへと視線を向けたのだが……


「ぬおおおおおぉ!」

「うおおおお!」

「ぐるぁっ!」

「ごらぁっ!」

「おらぁっ!」


 そんな、喧嘩をしているとしか思えない叫び声が厨房から聞こえてくるのに、顔を見合わせることしか出来なかった。

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