第1239話
「おら、座れ座れ。すぐに料理を持ってくるから、取りあえずこれでも食って待ってろ」
店主が乱暴にレイ達へと告げると、ハムやソーセージが大量に載っている皿をテーブルの上に置く。
一応貸し切りということになってはいるが、別にテーブルが一つだけになったりしている訳ではなく、純粋に他の客がいないだけだ。
……いや、身体の大きいセトも全く問題なく寛げるように、レイ達が座っているテーブルの周りは大きく空けられているが。
それを誰がやったのかというのは、考えるまでもないだろう。
空いている場所のすぐ近くに陣取っており、決してこの場所は誰にも渡さないと言わんばかりのヨハンナを見れば明らかだった。
テーブルに着いた全員が、取りあえずといった感じで皿の上のソーセージやハムを口へと運び……次の瞬間には何人かが驚きの表情を浮かべる。
レイ、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、アーラ……驚きの表情を浮かべたのは、初めてこの店へとやって来た五人。
セトとイエロの二匹は、鳴き声も出さずに自分達用に用意された皿の上のハムやソーセージを嬉しそうに食べていた。
そう、出されたハムやソーセージは、外から見た限りでは特に何でもない普通の、それこそどこにでも売っているようなハムやソーセージに見えたのだ。
だが、口の中に運んで味わうと、すぐに普通のハムやソーセージと違うというのが分かる。
まず最初に微かな塩気が舌を刺激し、次には肉その物の旨味が口一杯に広がっていく。
普通の店で食べるハムやソーセージとは一線を画した味。
とてもではないが、このような店で出てくる品質の食べ物ではない。
エレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、アーラといった面々は、貴族の晩餐会に出ることもそれなりにある。……ヴィヘラの場合、ベスティア帝国を出奔する前の話だが。
ともあれ、今テーブルの上にあるハムやソーセージは、そのような貴族の晩餐会でも滅多に出てこないような、それ程の品質だった。
「美味っ! 何だこれ……」
口の中にあったソーセージを飲み込んだレイが思わずといった様子で叫ぶと、ヨハンナやその仲間の男達は自慢げにそれぞれ口を開く。
「レイさんでもやっぱり美味いって感じるんだね」
「ほら、やっぱり。俺が言っただろ? ここの料理ならレイさんも満足させられるって」
「美味しいでしょ、セトちゃん。ほら、これも食べる?」
若干一人だけレイではなくセトの方を見ていたが。
「ここの料理はオーク肉の煮込みもそうですけど、全体的に美味いんですよね。だから、ヨハンナも今回の打ち上げの場所として選んだんでしょうし」
「……いや、料理の味もそうだけど、やっぱりセトだろ?」
「あー……うん。それは否定出来ない」
そんな男達のやり取りを聞きながら、レイ達は再び皿へと手を伸ばす。
ハムやソーセージの味を再度楽しむレイ達。
そうしている内に、再び店主が厨房からこちらへと幾つもの料理を手にやってくる。
「おら、お前達もちょっと手伝え。料理を作るのは楽だが、持ってくるのは大変なんだからな」
「あ、はい。すぐに手伝います!」
「え? あ、ちょっと、セトちゃんがぁっ!」
ヨハンナの仲間達が、セトを愛でているヨハンナを引き連れて店主と共に厨房へと向かう。
それを見たレイ達が、自分達も手伝おうとして立ち上がりかけるが、ヨハンナの仲間の一人がそんなレイ達へと向かって笑みと共に告げる。
「あ、レイさん達はそのままでいいですよ。今回の打ち上げは俺達が持て成す側なので」
「……いいのか? 結構大変そうだけど」
「はい、何だかんだと使うテーブルはここだけですしね。そんなに大変じゃないですから、心配はいりませんよ」
そう告げ、厨房へと向かうのを見送ると、レイはエレーナ達へと視線を向け、再びハムやソーセージに手を伸ばす。
「へぇ、こうしてよく味わってみると、かなりの香辛料が使われているのね。……値段的にかなりのものになりそうだけど」
「ああ、心配はいらねえ。この店で使っている料理の材料は、基本的にダンジョンで獲れた食材だけだからな」
エールを手に戻ってきた店主が、マリーナの言葉にそう答える。
間近でマリーナの……そしてエレーナやヴィヘラといった極め付けの美女を見たにも関わらず、店主は特に気にした様子もなくコップにエールを注いではテーブルへと置いていく。
そんな店主の態度が好ましいものに映ったのだろう。マリーナは笑みを浮かべて口を開く。
「このダンジョンの材料だけで、これ程の物を?」
「まぁ、色々と使いにくい食材とかもあるが、結局は腕だな。どんなに豪華で稀少な素材を使っても、腕が悪けりゃ意味はねえ。逆に、その辺に幾らでもある食材でも、腕が良ければ絶品の料理に早変わりだ」
「……なるほどね」
店主の言葉に、マリーナは納得すると同時に少しだけ申し訳なく思う。
幾らでもある材料と口にはしているが、ダンジョンから獲れる材料があってこそのこのハムやソーセージ、それにこれから食べる料理だろう。
だが、その料理の材料を獲る為のダンジョンは、近いうちに消滅するのは確実だった。
そうなれば、もう二度とこの料理は食べられないのだ。
いや、材料さえ揃えることが出来れば食べられるかもしれないが、同じ材料であっても、獲れる場所によっては味が異なる。
つまり、このダンジョンの食材と全く同じ食材というのは手に入れることが出来なくなるのは確実だった。
そんなマリーナの様子に、店主は厳つい顔に少しだけ不思議そうな表情を浮かべる。
しかしそれ以上は何も口にせず、残っている料理を取りに厨房へと戻っていく。
「おらぁっ! そんな手つきで持っていったら、途中で零れるだろうが! もう少ししっかりと持ちやがれ! お前等、仮にも冒険者なんだろうがぁ!」
厨房から聞こえてくるその叫び声に、レイ達は顔を見合わせて笑みを浮かべる。
少し前まで悩んでいたマリーナも、それを忘れて笑みを浮かべていた。
そうして店主に怒鳴られながら、ヨハンナ達は次々に料理を運んでくる。
数分後……気が付けば、テーブルの上一杯に料理の皿が並べられていた。
そしてテーブルの中央にあるのは、シチューの入った大きめの鍋。
オークの肉がたっぷりと入った、オークの煮込み亭の名物料理だ。
そして店の扉を開けた時に漂って……いや、襲い掛かってきた暴力的な匂いの元がその鍋だった。
食欲を刺激する、なんとも言えない濃厚な香り。
それこそ、そのシチューだけで十分満足出来るだろうと、そう理解してしまうような匂いだ。
テーブルに座っているレイ達だけではなく、他の者達も皆そのシチューへと意識を向けていた。
(うん?)
ふと、レイが疑問を抱く。
初めてこのシチューを見た自分やエレーナ達が意識を奪われるのは分かる。
だが、何故この店を何度も利用したことのあるヨハンナ達までもがシチューに意識を奪われているのかと。
そんなレイの疑問に気が付いたのか、ヨハンナの仲間の一人が口を開く。
「その、何度もこの店の料理は食べてるんですけど、何だかこのシチューはいつもと違うような……」
「そりゃあ当然だろ。折角大金を支払って、貸し切りにするってんだ。こっちだって普段はちょっと使えないような材料を使ったりするさ」
店主の言葉に、皆が納得の表情を浮かべる。
それは、二重の納得の表情だ。
折角店を貸し切りにしているのだから、普段出来ないような料理を作ってもおかしくないという納得と、いつもよりも美味い料理を食べられるのかという納得。
……もっとも、後者はヨハンナ達だけの納得だが。
「おら、打ち上げだろ。乾杯しろ、乾杯」
店主がそう言いながら、まだ注がれていなかったコップへとエールを注いでいく。
そのままレイのコップにもエールを注ぎそうになった店主だったが、その前にレイが口を開く。
「悪いけど、俺は酒が得意じゃないんだ。お茶か何か……なければ水でもいいから、ないか?」
「はぁ? 酒が駄目だぁ? 冒険者の風上にも置けねえな。ちょっと待ってろ、すぐに飲み物を持ってきてやるからよ」
口調では乱暴なことを言いながらも、きちんと客の要望に応える辺り繁盛店の店主と呼ぶべきなのだろう。
(こういうのもツンデレって言うのか?)
厨房に戻っていった店主の様子を見ながら、レイは疑問に思う。
その間にもテーブルの上に置かれている鍋から漂う香りは全く止まることはなく、周囲の者達の食欲を刺激していた。
やがて店主が厨房から戻ってくると、そのまま何かの飲み物が入っている入れ物をレイへと渡す。
「これは?」
透明なその入れ物を見て、ガラスではないかと一瞬思ったレイだったが、実際に触れるとガラスではなく何かの金属なのだということが分かる。
「知らねえよ。ダンジョンから出た素材で錬金術師が作った代物だ。とにかく、その中には果実水が入ってるから、お前のようなお子様には丁度いいだろ」
お子様という表現に若干面白くないものを感じたレイだったが、今の自分の外見を考えれば無理はないし、酒を飲めないというのも影響しているのだろうと判断して黙る。
また、元々ここの店主の口が悪いと、これまでのやり取りで理解していたというのも大きいだろう。
(にしても、冬のこの時季に果実水……ミスティリングの中に保存してあるのならともかく、どうやって?)
言うまでもなく、果実水というのは新鮮な果実がなければ作ることが出来ない。
それがレイの常識だった。
だが、今こうして果実水がここにある以上、冬だというのに店主はどこからか新鮮な果実を入手したことであり……
「あ」
すぐに、ダンジョンのことを思い出す。
今回はグリムの魔法であっさりと最下層まで転移したが、エレーナと共に降りた時にウォーターモンキーの群れに襲撃された、森の階層を。
あの森であれば、冬でも果実を採ってくることが不可能ではない筈だった。
レイが納得している間にもそれぞれに飲み物が行き渡り……何故かレイが乾杯の音頭を取ることになってしまう。
店主が気を利かせて厨房に引っ込んだのを見てから、レイは口を開く。
「ダンジョンに関する諸々、ヴィヘラやロドスに関する諸々が無事に解決したことを祝って……乾杯!」
『乾杯!』
皆のコップが掲げられ、言葉を揃える。
セトとイエロは残念ながらコップがなかったが、それでも祝っているというのは理解したのだろう。嬉しそうに鳴き声を上げ、イエロも同様にテーブルの上で鳴き声を上げる。
「ぷっはぁ……美味い! やっぱり、こうして仕事が終わった後の一杯は最高だよな!」
ヨハンナの仲間の男が、コップの中に入っていたエールを飲み干してから嬉しそうに叫ぶ。
他の者達もそれに同意見なのか、エールの入っていたコップをテーブルの上に置いてそれぞれ頷き、口を開く。
「ヴィヘラさんの意識が戻ったのが、何よりだよな」
「そうそう。……けど、ヴィヘラ様が意識を失うようなことになるなんて、全く想像出来なかった」
「セトちゃん、これ食べる? 美味しいわよ?」
「あ、シチュー食べよう、シチュー」
そんな会話をしながら、それぞれが料理へと手を伸ばしていく。
……だが、当然ながら皆の注意が向けられていたのはテーブルの真ん中にある鍋……この店の象徴的なメニューのオーク肉のシチューだった。
勿論、他にもこの店には様々なオーク料理がある。
シチュー以外に野菜と煮込んだ代物や、純粋に肉だけを煮込んだ……といったように。
それでもやっぱり一番人気は、今テーブルの上にあるシチューだった。
しかも、このシチューは普通のシチューではない。普段なら使えないような材料を使っている代物だ。
そのシチューに意識が向かない訳がなかった。
早速と、マリーナが全員分にシチューを取り分けていく。
セトとイエロにも取り分けられたそのシチューは、鍋から皿に移って近づいただけに、余計に香りの暴力と呼ぶべきものを放つ。
スプーンを使ってまず最初にレイが掬ったのは、当然のように煮込まれたオーク肉。
冒険者がしっかりと食べられるようにだろう。大きめに切り分けられたその肉を口の中へと放り込む。
瞬間、その肉はレイの口の中でこれでもかとばかりに自己主張をする。
普通煮込まれた肉は口の中で解けるといった食感になるのだが、この肉は違う。
しっかりと肉としての噛み応えが残っており、それでいながら強烈な肉の旨味が口の中に広がるのだ。
煮込まれているのに、肉を噛めばしっかりと肉汁が溢れる。
肉だけを焼いて、後から入れたのか?
そう思ったレイだったが、すぐに内心でそれを否定する。
肉にはしっかりとシチューの味が染みこんでいるのだ。長時間煮込まなければ、このようには出来ない。
「……美味い……」
レイに出来るのは、心の底からの衝動に従ってそう呟くだけだった。
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