第1204話
指名依頼について話があると言われた翌日、レイはセトと共に貴族街にあるマルニーノ子爵の屋敷の前へとやってきていた。
その屋敷はそれなりに大きいが、公爵家のような貴族の屋敷と比べれば当然ながら見劣りする。
レイにはどのくらいの屋敷が爵位相当なのかは分からないが、それでもギルムの大通りに存在する一般人の家とは比べものにならないというのは理解出来た。
そんな屋敷の門だけに、当然門番が立っている。数は二人。
その門番達は誰かが近づいてくるのを見て一瞬緊張するが、すぐにその緊張を解く。
近づいてくるのがレイとセトだと理解した為だ。
……普通であれば近づいてくる相手をすぐに誰かという認識は出来ない。
だが、レイの場合はセトという存在がいる以上、すぐにそれが誰なのかというのを理解出来る。
この護衛達も、ギルムに住む者だ。当然レイとセトの姿は知っていたし、異名持ちの高ランク冒険者であることも知っていた。
そして上司からは今日レイとセトが尋ねてくるという話を聞いていた以上、それ以上緊張する必要はない。
「マルニーノ子爵に呼ばれてきたんだけど」
「はい、伺っております。すぐに上の者を呼んできますので、もう少々お待ち下さい」
騎士が冒険者に向けるにしては、丁寧な口調。
これもレイが異名持ちの高ランク冒険者だからだろう。
……もっとも、以前にレイが尋ねてきたのを門番が勝手に判断して追い返し、結果として上の者に厳しく叱られたという話を聞いたことがあったので、当然の対応かもしれないが。
とにかく、門番の一人が屋敷の中に入っていくのを見て、レイはマルニーノ子爵という人物についての情報を集めることにする。
一応マルニーノ子爵がどのような人物なのかは昨日ケニーから聞いているのだが、やはり直接仕えている人物から話を聞くのが一番確実で手っ取り早いだろう。
「マルニーノ子爵は、普段ギルムにいないらしいけど……何でわざわざここに? 知っての通り、ギルムは少し前まで色々とあったのに」
「アンブリスについてですよね。私もギルムに住んでいるのでその辺は知っています。……けど、残念ながら私も何故マルニーノ子爵がギルムにやって来たのかは知らないんですよ。この屋敷も、本来ならマルニーノ子爵ではなく、その親族が暮らしている場所ですし」
「なるほど、別荘のようなものか」
辺境のギルムに別荘を建てるというのは、色々な意味で冒険に近い。
どちらかと言えば、この屋敷は中立派の中心人物のダスカーとの連絡を取る為に建てられた……というのが正しい。
そこにマルニーノ子爵家の当主がやってきたのだから、この屋敷で働いている者達にとっては寝耳に水の話だろう。
(聞いた話だと、大きな悪い評判はないけど小さな悪い評判はある、毒にも薬にもならないような典型的な貴族って話だったけど……この門番の態度を見る限り、そんなに悪い相手じゃないのか?)
そう考えたレイだったが、何となく手持ちぶさたでセトを撫でながらその意見を却下する。
聞いた話だと、この門番はギルムに住んでいる人物だ。
であれば、当然レイがどのような人物かというのは他の者達よりも多く知っており、そんなレイに対して喧嘩を売るような真似はしないだろう。
数年前にレイが初めてギルムに来た時は、喧嘩を売るような相手もそれなりにいたのだが……幸いにもと言うべきか、今のレイはギルムでかなり有名になっている。
そんなレイに対して喧嘩を売るような真似をする相手は、基本的にいない。
……基本的にとしたのは、中にはモグリの人物もいる為だ。
事実、アジモフは初めて会った時にレイのことを知らなかったのだから。
また、ギルムに来たばかりの冒険者で相手を外見だけで判断するような者は、セトを連れていないレイを見つければ絡むのも珍しい話ではない。
結局そのような者は後悔することになるのだが。
「マルニーノ子爵って、俺は会ったことがないんだけど……どんな性格なのか聞いてもいいか?」
「うーん、そうですね。悪い人ではないですよ。門番の私達にも声を掛けてくれますし」
「ふーん……」
マルニーノ子爵家に雇われているのだから、当然雇い主の批判は出来ないだろう。
そう考えながらも、門番の言葉に嫌悪の色はない。
普段はギルムにいないような相手だということだし、まだ自分達の雇い主の性格を正確には分かっていないのだろう。
だからこそ、当たり障りのない言葉を口にしている……というのが、レイの感想だった。
そんな風に門番と会話をすること、数分。やがて先程屋敷に行った門番が戻ってくる。
初老の男が門番と一緒にいるが、恐らくその人物は執事か何かだろうというのがレイの予想だった。
「お待たせしました、私はマルニーノ子爵家で執事長をしています、ジョナサンと申します。早速ですが主が待っていますので一緒に来て下さいますか?」
ジョナサンと名乗った人物は、やはりレイの予想通りに執事だったらしい。
自分の予想が当たっていたことに少しだけ満足感を覚えながら、頷きを返す。
(執事なのに、セバスチャンはいないんだな。……前に似たような名前の執事はいたけど)
そんな風に考えながら門を潜り、屋敷の中へと入る。
当然ながらセトは屋敷に入ることが出来ないので、門番の一人が厩舎へと案内をする。
セトもレイと一緒にいることが出来ないのは残念そうだったが、それでも大人しく門番へとついていく。
これまでの経験から、厩舎に行けば何か美味しいものが食べられる。そう判断しているのかもしれない。
それは決して何の根拠もない考えという訳ではなく、事実セトが進む方からは食欲を刺激する炒めた肉の匂いがしてきたのだから。
これは、この屋敷に勤めているメイドの何人かがセト愛好家だったことによるものだ。
……メイドの一人が若手の料理人に笑みと共にセト用の料理を作ってくれるように要請し……密かにそのメイドに好意を持っている料理人に、それを断ることは出来なかった。
そんな色仕掛けとまではいかないが、メイドの手配によって用意された料理が厩舎に用意されており、当然ながらメイド達も厩舎で待っており、セトが料理を食べる光景を自分達で独占して愛でることになる。
「では、こちらで旦那様がお待ちです」
セトが厩舎で料理を食べながらメイドに愛でられている頃、レイはジョナサンに案内された部屋の前にいた。
「失礼します、旦那様。レイ殿をお連れしました」
「うむ、入れ」
中から聞こえてきた声にジョナサンが扉を開ける。
そうして開いた扉からレイが中に入ると、そんなレイを待っていたのは二十代後半から三十代前半といった感じの中肉中背の男だった。
(若いな)
自分の年齢は脇に置き、レイは視線の先の執務机で何らかの書類を見ていた男を見て考える。
事実、目の前にいる人物はまだ若者と表現してもいいような年齢であり、貴族の当主としてイメージする相手とは随分と違った。
子爵家という、貴族の爵位の中でもそれ程高くない爵位ではあるが、それでもこうして若い人物が当主をしているというのはレイにとっても意外だった。
もっとも、これまでレイが見てきた貴族の中にはもっと若い相手もいたのだが。
(いや、別に向こうは当主じゃなかったのか)
レイの脳裏を過ぎったのは、目の前の人物と同じ国王派の貴族……の娘。
のじゃという変わった言葉使いのその子供は、レイと比べてもまだ少女……いや、幼女と呼ぶべき年齢であるにも関わらず、貴族としての責務を自認していた。
「ほう、お主がレイか。……随分と小さいな」
その言葉に若干苛立ちを覚えるレイだったが、自分の背丈が小さいというのは十分に理解している。
今までにも何度も言われている以上、諦めてドラゴンローブのフードを下ろしながら口を開く。
「ランクB冒険者のレイです。指名依頼があると聞いて来たのですが」
ピクリ、と。
レイの言葉使いに一瞬眉を動かした男は、だがそれ以上は不愉快そうな態度を表に出さず口を開く。
「ライナス・マルニーノだ。まずは座ってくれ。詳しい話はそれからだ」
マルニーノ子爵……ライナスの言葉に頷いたレイは、部屋の中にあったソファへと腰を下ろす。
すると、そのタイミングを見計らったかのようにメイドが紅茶を持って部屋に入ってくる。
メイドの多くはセトを愛でていたが、中には自分の仕事があってセトを愛でにいけない者もいる。
このメイドもそんな不幸なメイドの一人であり、内心ではかなり残念がっていた。
だが、セトを従魔としているレイを間近で見ることが出来たというのは、メイドにとっても幸運だったのだろう。
セトのような相手を愛でるのも好きだが、女顔と評されるレイの素顔を間近で見ることが出来たのだから。
基本的に普段のレイはドラゴンローブのフードを被っており、顔を公衆の面前に晒すことは少ない。
別に何か理由があってそうしているのではなく、単純にドラゴンローブの簡易エアコンとも呼べる機能が便利だからこそなのだが。
ともあれ、予想外の幸運に見舞われたメイドは心中でキャーキャーと歓喜の悲鳴を上げながら、部屋から出ていく。
そうして残ったのは、レイとライナス、そしてライナスの護衛だろう騎士が数人と執事長のジョナサンだけだった。
護衛を残すというのは、レイを相手にするのであれば当然だろう。
名前が轟いているレイだったが、結局冒険者なのは変わらない。
であれば、もし何かあった時の為に護衛を用意しておくのは当然だった。
「さて、まずはこうして呼び出したことを詫びよう。こちらとしても色々とあって、迂闊にギルドに出向くわけにはいかなくてな」
「……それは構いません。それで、俺に依頼したいということは?」
「まぁ、待て」
早速本題に入ろうとするレイを、ライナスは手を上げて制止する。
レイも特に急いでいる訳ではない以上、ライナスの言葉に逆らわずに頷き、黙り込む。
「まず聞きたいのは、レイは戦いについて自信があるという話を聞いているが……いや、その辺はもうこれ以上聞く必要はないか。アンブリスだったか? その件でも活躍したらしいしな。ベスティア帝国との戦争の件もあるし」
ミレアーナ王国の中で、レイの名前というのは余程に噂話に興味がなかったり、もしくは外に出ないような者でなければ、必ず聞いたことがある筈だった。
特に貴族というのは情報に疎いようではやっていけない。
ましてや国王派の貴族であれば、黙っていてもある程度以上の情報は手に入るだろう。
そんなライナスが、レイの中でも特筆すべき能力である戦闘力がどれ程のものなのかを知らない筈がない。
「他にもグリフォンを従魔にしているという点も素晴らしい。……正直私の家に仕えて欲しい気分だよ。どうだね? 報酬については応相談だが」
冗談のように誘っているが、ライナスの目の中にあるのは本気の色だ。
もしここでレイが冗談半分にでも頷けば、すぐにでもその手続きを始めるだろうと……そう思わせる程度には。
だからこそ、レイはすぐに首を横に振る。
「残念ですが今は誰にも仕えるつもりはないので。色々とやるべきことがあるし」
何もない普段の時でも、レイは誰かに仕えるといった真似はしなかっただろう。
ましてや、今はヴィヘラの意識を取り戻すという手段を探しているのだ。
貴族に仕えるような真似をするつもりは、微塵もない。
(もしかして指名依頼ってのは俺のスカウトだったのか? なら、残念だけど期待外れだったな。……俺にとっても、向こうにとっても)
そう考え、レイは指名依頼そのものに興味をなくして口を開く。
「そんな訳で、俺はこの辺で……」
「待て。待ってくれ。まだ話を最後まで聞いてはいないだろう?」
レイが帰ろうとしたのを察したのか、ライナスが慌てて宥める。
立ち上がろうとしたレイだったが、ライナスの様子に再びソファへと腰を下ろす。
そんなレイの姿を見て、ライナスは小さく溜息を吐く。
しょうがない奴だと、そう言っているような様子にレイは少しだけ面白くないものを感じていた。
「なら、そろそろ指名依頼の件を聞かせて欲しいんですが」
「……いいだろう。だが、言っておくがこの依頼の内容を聞いたら断ることは出来ない。それを承知の上で聞くように」
「待て」
ライナスの言葉に、レイは即座にそう言葉を返す。
一応丁寧な喋り方を心掛けてきたのとは裏腹の、いつも通りの言葉。
聞けば断れない。そんな依頼を受けるつもりは毛頭なかったからだ。
「依頼の内容も分からないのに、それを聞けば問答無用で受けなきゃいけないのか?」
「そうだ。それだけ重要な依頼だと思ってくれていい」
「そうか」
レイの言葉を聞き、自分の言葉に納得したのだと思ったのだろう。
ライナスは満足そうに頷き、口を開き掛け……
「残念だが今回の話はなかったことにして貰おう。俺は依頼を受ける気はない」
レイの口から出て来た言葉に、大きく目を見開くのだった。
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