目覚めを求めて
第1203話
ヴィヘラが意識を失ってから季節が流れる。
緑の葉が生い茂っていた夏が終わり、木々の葉が赤くなり、地面に散り始める。
既に秋も深まる季節になっても、未だにヴィヘラは意識を失ったままだった。
アンブリスは、レイが攻撃してヴィヘラの体内に逃げ込んだ個体がやはり大本の個体だったらしく、レイがアンブリスを倒した日以来、別の個体が見つかることはない。
瀕死の重傷を負った影響か、それとも本体がヴィヘラの体内に逃げ込んだ影響か……もしくは、それ以外の理由かはレイにも分からなかったが、ともあれヴィヘラが意識を失った日以降にアンブリスが確認されたことはない。
勿論アンブリスは黒い霧状の存在であり、地中を移動することも可能ではあるから、見つけることが出来ていないという可能性もあるが……レイは、恐らくアンブリスはもう残っていないだろうと判断している。
だが……それでもヴィヘラが倒れた日から今日まで、決してギルムが落ち着いた訳ではない。
アンブリスは消滅したが、アンブリスによりリーダー種に進化させられたモンスターの率いる群れはそのまま残っているのだ。
そうである以上、群れを作っているモンスターは倒さなければならず、ギルムの冒険者はその多くが討伐依頼に追われていた。
それでもアンブリスが消滅したということは、リーダー種がこれ以上簡単に増えるということはなく、時間が経って群れが消滅すればそれだけ安全だということになる。
そしてギルムに揃っている冒険者は優秀で、その群れの殲滅も順調に進んでいた。
夏から秋に掛けて減っていた商人の数も、今は元に戻っている。……いや、それどころか更に増えていると言ってもいい。
アンブリスの件でギルムに来ることが出来なかった商人達が、纏めてやって来ているのだ。
また、もう少しすれば秋も終わり、雪がちらつき冬となる。
冬にギルムへと行くような者は、基本的に何らかの理由がある者だけだ。
それ以外の者達は、春までギルムに行くのを待つ。
下手をすれば一冬ギルムに閉じ込められることになるので、その前に少しでも稼いでおきたいという者が多いのだろう。
いつも以上に賑わっているギルムの中を、レイはセトと共に歩いていた。
その様子は、いつもと変わらない。……少なくても、ギルムの住人にとってはそう思えた。
だが、もしもレイをより詳しく知っている存在がいれば、レイがいつもと変わらないのは表面だけだと気が付いただろう。
ヴィヘラが倒れてから、何とか意識を取り戻す方法がないのかと色々と探し回っているのだが、その全ては空振りだった。
……いや、実際に効果はあるのだろうが、ヴィヘラの意識を取り戻すことは出来なかった、と言うべきか。
勿論中にはレイを騙して金を巻き上げようと考える者もいたが……その人物がどのような結果になったのかは、言うまでもないだろう。
「セト、少し寒くなってきたけど大丈夫か?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは大丈夫と喉を鳴らす。
元々セトは真冬に雪の上で寝ていても全く問題ない。
グリフォンというのは、それ程までに人間とは違って高い能力を持っているのだ。
だが、それでもレイがセトを心配したのは、やはりレイがそれだけセトを大事に思っているからこそだろう。
自分に頭を擦りつけて撫でてくるセトに、レイは唇の端だけを曲げて頭を撫でてやる。
「そうか、大丈夫か。……けど、そろそろ秋も深まってきた。そう遠くないうちに雪も降るだろうから、セトも気をつけろよ」
セトに言い聞かせながら、レイとセトは通りを歩いていき……ふと、近くの屋台から食欲を刺激するような香ばしい匂いが漂ってきたのを嗅ぎつける。
「そう言えば、少し腹が減ったな。夕食まではもう少しあるし、食べていくか?」
「グルルゥ!」
レイの言葉にセトが嬉しそうに喉を鳴らし、近くの屋台へと顔を出す。
「お、レイとセトか。今日は何を買っていく? お勧めはリザードマンの串焼きだな。……まぁ、食い飽きてるかもしれないけど」
屋台の店主が顔馴染みの姿を見てそう告げる。
その口から出た言葉は、間違いのない事実でもあった。
アンブリスの件で群れを作ったモンスターの死体は、当然のようにギルムにて住人の食料となった。
商人の足が遠のいていたので、皆がその肉を食べたのだが……それでも数日程度ならまだしも、十日を超えると毎食モンスターの肉だというのには飽きてくる。
ましてやそれが一月ともなれば、言うまでもないだろう。
肉以外の食材も買おうと思えば買える。だが、品薄である以上当然普段よりも値段は上がる。
結局大勢の人々が暫くの間は毎食モンスターの肉だけを食べていたのだ。
そうである以上、アンブリスの件が解決して商人が来るようになれば当然モンスターの肉を食べ飽きた人々はそれ以外の料理を求める。
もっとも、モンスターの肉といっても群れを作っていた亜人型のモンスター以外の肉であれば、まだ需要はあったのだろう。
ともあれ、ようやくモンスターの肉から解放されたのだから、暫くモンスターの肉は遠慮したいと思っている者は少なくない。
その関係もあって、屋台で売っているリザードマンの串焼きの売れ行きは決して順調とは言えなかった。
「何だって今更リザードマンの串焼きを売ってるんだ? もっと他のものを売った方が儲かるだろうに」
「そう言われてもな。うちは先祖代々リザードマンの串焼きを売ってきたから、今更変えることなんか出来る筈がない」
「……いや、そこは客が求めているものを売れよ。……ま、いいや。リザードマンの串焼きをあるだけ全部くれ」
レイの口から出て来た言葉に一瞬唖然とした店主だったが、相手がレイだということを思い出すと、すぐに満面の笑みを浮かべる。
「あいよっ! ちょっと待ってくれ。仕込んである奴も全部焼くからな」
そうして、渡されたのは焼き上がっていた串焼きだ。
食べきれなかった分はミスティリングの中に収納すればいいので、レイにとっては串焼きが冷めるということを考えなくてもいい。
そのまままずは一口……と口に運び、なるほどと頷く。
(リザードマンの串焼きを代々売ってきたってだけのことはあるな。実際にこの串焼きは普通に売ってる串焼きと比べても数段美味い)
外側は強火でパリッと焼かれており、それでいながら中の肉は火を通しすぎることはない柔らかさだ。
噛めば肉汁が口の中一杯に広がり、タレと一緒になって肉を解していく。
「美味いな」
「グルゥ」
レイの隣で同じく串焼きを食べていたセトも、美味しい! と鳴き声を上げる。
そんなレイの言葉が店主には嬉しかったのだろう。嬉しそうに笑みを浮かべて次の串焼きを焼く。
そして二十分程で残っていた串焼きの全てを受け取り、ある程度満足して食べたもの以外はミスティリングへと収納する。
料金を支払い、ここ暫くで一番の売り上げに笑みを堪えられない屋台の店主と別れ、レイとセトは道を進む。
すると、ギルドの姿が見えてくる。
「……多分ないだろうけどな」
「グルゥ……」
セトを撫でながら呟いたレイは、ギルドの中へと入っていく。
もうすぐ冬だということもあり、多くの冒険者が冬越えの為の準備に忙しい。
雪の中で依頼をこなすような真似をしたくないのは誰でも一緒だ。
もっとも不幸中の幸いと呼ぶべきか、アンブリスの件で多くの冒険者は討伐依頼を何度も繰り返してかなりの金額を稼いでいる。
モンスターの群れの討伐依頼に参加していた者達に限っては、既に冬越えの資金は殆ど貯まっていた。
今忙しく働いているのは、群れの時に何らかの事情でギルムにいなかったか、戦わなかった冒険者達だ。
もしくは、アンブリスの件が解決してからギルムに来た冒険者も一定の数がいる。
そんな中で、レイやセトは依頼を探しに来た……訳ではない。
「あ、レイ君。残念だけど、やっぱりまだ依頼の品は来てないわ」
「……そうか」
カウンターにレノラの姿がなかったので、ケニーへと近づいて行ったレイだったが、ケニーの言葉に小さく溜息を吐く。
レイがギルドに出している依頼、それは当然ヴィヘラの意識を取り戻す者や物を募集するという物だ。
報酬として用意されたのは、光金貨五枚。……稀少な素材やモンスターが集まる辺境の依頼として考えても、破格の報酬額だ。
だが、レイにとってはそのくらいの金額は楽に……という訳ではないが、少し無理をすれば出せる金額だった。
本来なら光金貨十枚でもいいと思っていたのだが、報酬の難易度を考えて五枚が限度だとレノラやケニー、それどころかマリーナにまで窘められた結果、この金額となった。
尚、アンブリスの件で入手した幾つもの群れの死体の解体に関しては、既に依頼として出し、完了している。
かなりの量の肉となったのだが、こちらもかなり奮発した報酬額だったので、すぐに依頼は達成された。
(あ、そう言えばまだオークリーダーの魔石は吸収していなかったな)
解体の依頼を思い出すと、連想されるようにオークリーダーの魔石の件を思い出す。
本来ならもっと早く吸収しても良かったのだが、ヴィヘラの件で忙しく動いていた為に完全にオークリーダーの魔石のことはレイの脳裏から消え去っていた。
それを思い出したレイだったが、それよりも……とケニーに向かって声を掛ける。
「今までは確実に効果のある物ってことで募集してたけど、もしかして噂とかも集めた方がいいと思うか?」
「止めた方がいいわ」
レイの問い掛けを、ケニーは即座に否定する。
「何でだ?」
「今は確実なということがついているから、詐欺師みたいな連中を追い払えているのよ。それと、レイ君という高ランク冒険者ということもあってね。けど、これが噂でもいいからってことになれば、それこそ適当な話を持ってくる相手が増えるわ」
「……そこまでか? 一応俺の名前が抑止力になってるんだろ?」
「そうね。でもそれは今も言ったけど確実性を求めているからなの。これが、もし噂でも大丈夫ってなったら、もしかしたら……という人が増えるでしょうね。後で出鱈目だと分かっても、噂だったからと言えば済むんだから」
「それは……ちょっと嫌だな」
現在の依頼を受ける者がいないのは、レイがどのような人物かを知っている為だ。
もしこれで依頼を出しているのがレイではなく、何の実績もないような冒険者だったりした場合、間違いなく金を巻き上げようと考える者が近寄ってくるだろう。
そして確実性という言葉を排除した場合、もしヴィヘラが目を覚まさなくてもケニーの言う通りに何とか誤魔化そうとする者が出てくるのは間違いない。
曰く、噂ではこの薬草を使えばどのような状態からでも回復出来る。
曰く、自分が聞いた話だと、このポーションを使えば死人でも生き返る。
曰く、師匠の友人の父親の上司の息子の嫁から聞いたが、この果実を使えばあらゆる病が克服出来る。
曰く、曰く、曰く、曰く……
そんな風に大勢がやってくれば、レイが爆発するのは確実だった。
「でしょう? ……ああ、そうだ。これは一応というか、念の為に聞きたいんだけど、貴族街のマルニーノ子爵家から指名依頼が入ってるわよ。現在レイ君は忙しくてそれどころじゃないとは言ったんだけど、それでも話を通してくれって押し切られて」
でも断るんでしょう?
言外にそう告げるケニーの言葉だったが、レイは少し考え……やがて口を開く。
「いや、ちょっと気分転換も含めて依頼を受けてみようと思う。ここ暫く動き回ってたから、色々と行き詰まってるし」
そんなレイの言葉が意外だったのだろう。ケニーは頭から生えている耳をピンと立たせて驚きを露わにする。
「いいの? 本当に? 言っておくけど、相手はレイ君の嫌いな貴族よ?」
「別に俺は貴族全てが嫌いって訳じゃないんだけどな」
エレーナやダスカー……それ以外にも、レイが好意を抱いている貴族というのはある程度存在している。
もっとも、逆に思い切り嫌っている貴族というのも存在しているのだが。
「で、マルニーノ子爵ってのはどういう貴族か聞いてもいいか?」
「ええ。国王派の貴族で、大きな悪い噂は聞かないわね。逆に言えばそれは小さな悪い噂はあるってことなんだけど」
「良い噂は?」
「そっちも大きいのはないけど、小さいのはそれなりに。総じて、毒にも薬にもならない貴族ってところかしら」
「……随分と思い切ったことを言うな」
ケニーの口から出てきた言葉に、レイは少しだけ驚く。
「いいのよ、別に。それより、マルニーノ子爵の屋敷には今日これから?」
「いや、明日にするよ。折角なんだし、しっかりと準備を整えてからいきたい」
「レイ君の場合、準備整えるとか必要ないでしょうに」
レイの右手に……正確には右手首に嵌まっているミスティリングを見ながらそう告げるケニーに、レイは小さく肩を竦めるのだった。
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