第1198話
巨大なアンブリス? とアロガンの言葉を聞き、レイは探知機を取り出して視線を向ける。
すると、確かに探知機はアロガン達がやってきた方にアンブリスがいると示していた。
先程まで見ていた探知機とは、どことなく反応の強さが違う。
(これは……もしかして、もしかするのか?)
これまでよりも強い探知機の反応。そして何より、アロガンが口にした巨大なアンブリスという言葉から考えれば、もしかしてアンブリスの親玉とでも呼ぶべき存在がいるのではないか。
レイがそう考えてもおかしくはなかっただろう。
「ヴィヘラ、セト」
短く呼び掛けると、それだけで一人と一匹はレイが何を言いたいのか分かったのだろう。
ヴィヘラは素早く頷き、セトが短く鳴く。
「悪いけど、俺達はその巨大なアンブリスとやらに会いにいく。暫くぶりに会って色々と話をしたかったけど、その辺の詳しい話はまた後でだな」
「分かってるわよ。こっちだって冒険者なんだから、今回の件を何とかする方が先でしょ」
レイの言葉に、キュロットが叫ぶ。
そんなキュロットの幼馴染みにしてストッパー役のスコラは、多少息を切らせながら口を開く。
「ほら、キュロットも少し落ち着いて。今はとにかく急ぐ必要があるんだから。……レイ、アンブリスは凄く大きかったよ。くれぐれも気をつけて」
「ああ」
いつもであれば、どこか穏やかな口調で告げるスコラだが、今はそんな余裕もないのか素早くそう告げてくる。
「分かってる。お前達はこれからどうするんだ?」
「ギルムに行ってこのことを知らせようと思ってたんだけど……」
そこで一旦言葉を止めたのは、やはり目の前にレイがいるからだろう。
ランクアップ試験を一緒に受けた同期ではあるが、レイはそこからも急激に成長していった。
少なくても、未だにここで燻っている自分達とは大きく力の差があるというのは理解している。
それこそ、ギルムの中でも有数の戦力と表現してもいいくらいには。
それだけに、今こうしてここでレイに会った以上、アンブリスは何とかなるのではないかという希望がある。
だが、それと同時に自分達が見た巨大なアンブリスを思えば、完全に安心出来ないというのも分かっていた。
結局スコラ達に出来るのは、もしレイに何かあった時の為にギルムへと自分達が見た巨大アンブリスの件を知らせることだけだった。
「そうか、分かった。ならそっちは頼む。一応、ギルムに到着したら援軍を派遣するように言ってくれ。俺達だけで何とかしようとは思うけど、相手がアンブリスである以上、何があるのか分からないからな」
これが普通のモンスターであれば、レイもそこまで慎重になることはなかっただろう。
だが、相手は魔石も自我も存在しない、アンブリス。
モンスターと呼べない……それこそ自然現象と呼ぶのが相応しい相手だ。
そんな相手だけに、レイの中にも不安のようなものがあったのだろう。
以前レイが遭遇したアンブリスは、呆気ない程簡単に倒せた。
だが、自我の類がないような存在だけに、今度も同じように倒せるかどうかと言われれば、首を傾げざるを得ないのだから。
レイの思いを汲み取ったのか、それとも自分達が見たアンブリスがとてもではないがどうしようもない相手だと理解しているからか、スコラはレイの言葉に即座に頷く。
「わかったよ。じゃあ、こっちはそうさせてもらうから、そっちもよろしくね」
短く言葉を交わし、久しぶりに会った旧交を暖めるでもなく、レイ達とスコラ達は別れる。
レイはそのままセトの背に跨がり、数歩の助走の後で空へと飛び立つ。
そのまま空中で方向転換し、地上近くまで降下したところでヴィヘラが跳躍してセトの前足を握る。
ここ最近はお馴染みになった移動方法で、レイ達は探知機の反応が示している方へと飛んでいく。
セトの飛行速度を考えると、数分程度でアンブリスを見つけるだろう。
そんな風に考えながら空を飛んでいたレイだったが、それこそ数分も経たずに視線の先にアンブリスの姿を見つけることに成功する。
何故なら、それはレイが以前倒したアンブリスとは比べものにならない程の大きさを持っていた為だ。
以前レイが倒したのは、ワーウルフに取り付いていたアンブリスで、その大きさは当然ワーウルフよりも小さいか、同程度。
だが、今こうしてレイの視線の先にいるのは、高さ十m程の木よりも大きく、それでいて横幅も広く、霧としての密度も濃い。それこそ、霧と呼ぶよりは雨雲と表現した方が相応しいだろう存在だった為だ。
「……大きい、わね」
セトの前足に掴まっているヴィヘラの声がレイの耳に届く。
その呟きの中には恐怖は存在しない。
ただ、純粋に驚愕だけが存在していた。
「ああ、そうだな。予想していたよりも少しだけ大きかった」
レイの呟きの中にも、当然恐怖の類は存在していない。
アンブリスという存在に不気味なものは感じているが、やはり一度アンブリスを倒したことがあるというのが大きいのだろう。
また、レイ達が倒したアンブリスと同様に自我があるように動いていないというのも関係している。
「どうするの、レイ? 先手必勝で一気に仕留める?」
「ああ、そっちの方がいいだろうな」
まだ大分離れている場所であるにも関わらず、それでもアンブリスはしっかりと認識出来る。
そんな存在に対して、一気に攻撃をするかと尋ねるヴィヘラにレイは短く言葉を返す。
これで相手がモンスターなら、向こうの出方を見るような真似も必要だろう。
だが今回の場合、相手は自我の存在しない自然現象に近い存在だ。
それも、ゴブリンのような亜人型のモンスターをリーダー種へと進化させるような、そんな理不尽極まりない自然現象。
そうである以上、迂闊に様子見をしようものならどんな反応があるのか分からず、出来れば先制攻撃の一撃で仕留めるのが手っ取り早い。
「……あ」
アンブリスの様子を見ていたヴィヘラの口から、小さな声が漏れる。
レイの言葉に反応した訳ではないだろうが、視線の先にいるアンブリスが少し震えたかと思うと、その端の部分が分離し……そうして次の瞬間には分離した部分が風に乗るようにして空を飛ぶ。
分離した部分だけを見れば、レイが倒したアンブリスと同程度の大きさだ。
「なるほどな。俺が倒したのは、ああやって作られた……作られた? ともあれ、本物のアンブリスの切れっ端だった訳だ」
「そうね。ついでに言えばミレイヌ達が見たのも同じような相手だったんでしょうね。……でも、どうするの? もしあの本体を倒しても、他の小さなアンブリスがそのままだったら」
今までにどれだけの数があの本体から生まれたのかは分からなかったが、それでも間違いなくアンブリスが何匹も生み出されたのは間違いなかった。
「どうするって言われてもな。とにかく、あの本体をどうにかしないとこれから何匹もアンブリスが生み出されることになるだろ? それに……もう話している時間もないしな」
レイとヴィヘラが話しているのを悟り、巨大アンブリスへと進む速度を落としていたセトだったが、それでもセトの……グリフォンが飛ぶ速度は非常に速い。
既に巨大アンブリスは、レイ達からそう遠くない位置にまで近づいていた。
「じゃ、取りあえず俺はあの巨大なのを倒してくるから、ヴィヘラは様子を見ていて何か変だと思ったら教えてくれ」
「……気をつけてよ?」
少しだけ心配そうに呟くヴィヘラ。
相手がモンスターであれば、ここまで心配するようなことはなかっただろう。
だが、今回の相手はモンスターではなく自然現象だ。
もしかしたら、レイでも何かがあるかもしれない。
そんな風に思ってしまっても、仕方がないのだろう。
「任せろ。一度倒しているんだ。……まぁ、あれだけ大きい相手だから、前の時と同じようにあっさりと倒せるかどうかは分からないけどな。……じゃあ、いってくる」
巨大アンブリスとの距離が近づいてきたところで短くそう告げ、巨大アンブリスの真上でレイはそのままセトの背から飛び降りる。
地上へと向かって降下していく中で、レイは身体の魔力を圧縮していく。
そうして見る間に真下に巨大アンブリスの姿が近づいてくるのを見ながら……空中で落下しながら、レイの身体の魔力は赤く染まる。
可視化出来る程に濃縮された魔力は、赤く、紅く、朱く……そうして発動する炎帝の紅鎧。
セトの背から落下する時にミスティリングから取り出した、デスサイズ。
その大鎌を手に持ちながら、巨大アンブリスへと落下していく。
「く、た、ば、れぇっ!」
気合いの声と共に振るわれたデスサイズは、黒い霧を斬り裂いていく。
……ただし、アンブリスの身体を形成しているのは黒い霧だ。
当然レイにデスサイズを振るった手応えのようなものはなかったが、それでも間違いなく黒い霧を斬り裂いてたのだ。
(これは……どうだ!?)
地面に着地したレイは、そのまま残っているアンブリスの本体へと自分の身体を覆っている赤い魔力……炎の魔力を鞭状にして叩きつける。
通常の魔法使いとは比べものにならない程のレイの魔力によって生み出された炎帝の紅鎧は、巨大アンブリスの身体をあっさりと焼き尽くしていく。
触れた黒い霧がそのまま消えていくような状況ではあったが、それでもレイは油断せずに炎帝の紅鎧の魔力を飛ばす深炎というスキルを使用する。
炎帝の紅鎧から切り離されて地面に着弾した深炎は、瞬く間に業火を生み出す。
その炎に触れた黒い霧も瞬く間に燃やしつくされ、消え去っていく。
自分の身体とも呼べる部分が次々に焼かれているというのに、巨大アンブリスには全くそれを気にした様子がない。
それこそ、レイが以前に戦った小型のアンブリスと同じように、何もしないままに消滅していくのではないか。
炎帝の紅鎧を操り、デスサイズを振るい、深炎を飛ばしながらレイはそんなことを考える。
そうして数秒で巨大アンブリスを形成していた黒い霧の殆どが消滅していき……だが、次の瞬間レイの前にあった黒い霧の残りの部分が突然一ヶ所へと集まっていく。
「やっぱり一筋縄じゃいかないか」
舌打ちをするレイだったが、当然自我のないアンブリスがそれに答える筈がない。
だが、言葉には出さずともアンブリスの身体を形成している黒い霧が一ヶ所に集まっていくというのは、明らかにレイに対する対応だった。
(自然現象のようなものだって話だけど……それでも自分に危害が加えられれば対処はどうするのか?)
一瞬疑問に思ったレイだったが、それでもこのまま大人しく、向こうのやることを待っているような律儀さは存在しない。
「飛斬!」
炎帝の紅鎧を使っている状態から放たれた飛斬は、真っ直ぐに黒い霧が集まっている方へと向かっていく。
そして飛斬を放ったばかりのレイは、そのまま一気に黒い霧の集まっている場所へと向かって駆け出す。
炎帝の紅鎧を展開して身体能力が普段よりも上がっているレイは、一瞬にして飛斬へと追いつく。
同時に、デスサイズがレイの左手へと移っており、右手には黄昏の槍が握られる。
「はぁっ」
アジモフが大量の稀少素材を使って作り上げた黄昏の槍は、炎帝の紅鎧を展開した状態のレイの魔力も容易に受け止めることが出来る。
その黄昏の槍に魔力を流し、黒い霧の最も濃い場所を貫く。
そして瞬時に黄昏の槍を引き抜き、左手のデスサイズを振るう。
「多連斬!」
振るわれたデスサイズの一撃が黒い霧を斬り裂くと同時に、その真横をもう一つの斬撃が斬り裂く。
そして放たれた飛斬が到着し、再び黒い霧を斬り裂いてく。
「仕上げだ、食らえ!」
最後に放たれたのは、レイの周囲に存在していた炎の魔力を放つ深炎。
多連斬を放った勢いのままに距離を取りながら放たれた深炎は、黒い霧その物を飲み込む程に巨大な炎となって燃え盛る。
「……どうだ?」
瞬時に燃え上がった炎は、やがてその姿を消していく。
そのままじっと見ているレイの前で完全に炎が消えた時……そこに残っているのは、殆どが燃やしつくされた黒い霧のみ。
だが、アンブリスの黒い霧がまだ残っているということは、まだ死んだ訳ではないと判断したのか、レイは握っていたデスサイズと黄昏の槍をそれぞれ入れ替え、いつものように右手にデスサイズを、左手に黄昏の槍を持ちじっとアンブリスを見つめる。
(最初に倒したアンブリスは、殆ど手応えもないままに消えていった。……なら、こいつもこのまま消えるのか? それとも、ここで追撃の一撃を放った方がいいか?)
普通のモンスターが相手なら、ここで追撃を放てば難なく倒すことが出来る。
だが、今レイの前にいるのはモンスター……ではなく、それ以前に生き物ですらない自然現象だ。
ここで追撃を仕掛ければどうなるのか、それが分からず様子を見ていると……不意に地中から幾つもの黒い霧が浮かび上がってくる。
それが何なのか、当然レイは知っていた。
何故なら、つい先程までレイが攻撃していた相手なのだから。
そうして黒い霧が集まっていき……気が付けば再びレイの前には巨大なアンブリスの姿があった。
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