第1199話

 炎帝の紅鎧やデスサイズ、黄昏の槍といったものを使用して大きくダメージを与えた巨大アンブリスだったが、周囲の地面からしみ出してきた黒い霧が合わさることにより、再びその姿は元に戻ってしまう。

 それを見たレイは、炎帝の紅鎧を展開させたままだったが、不愉快そうに呟く。


「きりがないな。……まぁ、考えてみれば向こうは結局黒い霧なんだから、切り離した分身をまた元に戻せばいいだけなんだろうが」


 じっと視線の先にいる巨大アンブリスを前にしながらも、レイは動かない。

 ここで動いても向こうがどのような行動に出るのか分からないというのがあるからだ。

 だが、レイが動かないのと同様に巨大アンブリスも動く様子を見せない。

 レイによって燃やされ、大きく量を減らした黒い霧を元に戻すと、再びその場でただじっと漂っているだけだった。

 これが普通のモンスターであれば、レイに向かって反撃に出るなり、もしくはこの場から逃げ出すといった風に何らかの反応を示すのだろう。

 しかし……自然現象のアンブリスは、全く現状から動く様子はない。

 上空ではセトがヴィヘラをぶら下げながら周囲を飛び回っているが、そちらにも反応する様子はない。

 レイが身に纏っている炎帝の紅鎧や、何よりも深炎によって生み出された炎の影響で周囲の気温は急激に上がっているのだが、そちらも当然のように気にしている様子はなかった。

 炎帝の紅鎧を展開したままのレイと、巨大アンブリス。

 お互いが沈黙を保ったまま、その場に存在している。

 ……もっとも、レイはともかく巨大アンブリスに自我はないとレイは予想している。

 それだけに、こうして向かい合っていても殆ど意味はない……それどころか、炎帝の紅鎧を使用していることにより、レイの魔力が消費されている分、時間が経つに連れて不利になっていくと言ってもいいだろう。

 炎帝の紅鎧は魔力の消耗が少ないとは言っても、それはあくまでも覇王の鎧に比べてのことだ。

 莫大な魔力を持つレイだからこそ使いこなせているのであり、普通であれば消費する魔力に魔法使いが耐えられないだろう。


「ともあれ……もう一度やるしかない、か」


 このまま無駄に時間を使えば自分が不利になるのは間違いないのだから、と。

 レイは左手に握っていた黄昏の槍へと魔力を込め……数歩の助走の後で、身体の捻りを使って一気に投擲する。

 そのまま空気を斬り裂きながら飛んでいった黄昏の槍は、高い魔法防御力を持ったアンブリスの身体をあっさりと貫いて背後まで飛んでいったかと思うと、再びレイの手元に戻ってくる。


「どうだ?」


 呟くレイだったが、黄昏の槍で貫かれて消滅した部分は再び周囲から黒い霧を集めてすぐに修復される。

 それを見て、レイは忌々しげに溜息を吐く。

 黄昏の槍は、そこまで強力ではないが回復阻害効果を持つ。

 つまり、黄昏の槍によって傷つけられた傷は強力なポーションや回復魔法を使用しない限り回復はしない……筈だったのだが……


「こっちも駄目か」


 黄昏の槍により消滅した部位があっさりと回復したのを見て、レイが溜息を吐く。

 アンブリスが魔力異常から生み出された存在であるが故に黄昏の槍の回復阻害効果が発揮しないのか、それとも単純にアンブリスの回復速度が黄昏の槍の回復阻害効果を上回っているのか。


(いや、単純にアンブリスがモンスター……どころか、生き物ですらないから黄昏の槍の回復阻害効果が発揮していないという可能性もあるか)


 当然だが、黄昏の槍で岩のような物を破壊したとしても、そこに回復阻害効果は発揮されない。

 相手は自然の物であり生き物ではないのだから当然だろう。

 そしてアンブリスもモンスターではなく自然物として認識されているのであれば、この結果は不思議でもなんでもなかった。


「厄介だな。……魔法で一気に燃やすか? けど、この大きさのアンブリスを倒すとなると……それともいっそ、身体を構成する為の黒い霧がなくなるまで延々と攻撃を続ける? ……最悪、それしかないか」


 炎帝の紅鎧を全開にしながら、レイはアンブリスへと向かって突っ込んでいく。

 そうしてデスサイズを振るおうとした、その時……アンブリスはこれまでにない反応を見せる。

 今までであれば、一方的にレイに攻撃されて身体を形成している黒い霧を消滅させられていた。

 だが、今回に限っては、まるでレイの接近を嫌がるように黒い霧が移動したのだ。

 いや、それは嫌がるかのようにではなく、明らかに嫌がっての行動だった。

 ピクリ、と。

 これまでにない反応を見せた巨大アンブリスに、距離を詰めるレイが少しだけ意外そうに眉を動かす。

 だが、黒い霧が動いた時には、既にレイの姿は巨大アンブリスの中にあった。


「内側から焼かれて炭になれ!」


 その言葉と共に、レイを覆っていた炎帝の紅鎧は急激に温度を上げていく。

 それだけではなく、レイの身体を覆っていた炎の赤い魔力も急速に増えていき、鞭の如く自由自在に黒い霧の中で動き回る。

 そうして触れるや否や燃やされ、消滅……焼滅していく巨大アンブリス。

 瞬く間に燃やされていく巨大アンブリスだったが、それでも大きさが変わらないのは周囲の地面から浮かび上がってくるアンブリスや、空を飛んで近づいてくるアンブリスを次々に吸収しているからだった。

 燃やし続けられても全くその大きさが変わらない巨大アンブリスだったが、その状況のままで数分程も経過すると、やがてレイの前ではこれまでに見せなかった動きを見せ始めた。

 黒い霧の中心部分に、今までレイの姿はあった。

 そこから巨大アンブリスの中心部分を焼いていたのだが……ふとレイが気が付けば、自分の周囲に黒い霧が存在していない。

 一瞬焼きつくしたのか? と疑問を抱いて周囲を見回すと、そこには相変わらず黒い霧の姿がある。

 ……そう、黒い霧はレイを中心にしてぽっかりと何もない空間を生み出していたのだ。


「……自我はない筈だってのに、俺の動きに対応したのか? それとも、自我がないってのは分裂した方だけで、こっちの本体には自我がある?」


 疑問を抱きつつも、とにかく目的は変わらない。

 巨大アンブリスへと向かって飛斬を放ち、黄昏の槍を投擲し、炎帝の紅鎧を鞭状にしながら振り回し、深炎を放って爆炎を生み出す。

 そんな行為をしているうちに、巨大アンブリスは更にレイに対する危険度を確認したのだろう。より広くレイを中心に黒い霧を退避させ……外から見れば、黒い霧のドームの中心にレイがおり、そのレイを中心に黒い霧のない空間があるという、そんな様子になっていた。

 黒い霧が密集しているが、それでも外から見てレイの姿を確認出来るのは、やはり霧という形を取っているからだろう。

 密集してはいても、ある程度中の様子を確認出来る。


「大丈夫かしら。アンブリスは自我がないって思ってたんだけど……それとも、あのアンブリスが本体だから別?」

「グルゥ」


 セトの足にぶら下がりながら呟くヴィヘラに、セトは翼を羽ばたかせて空を飛びながらも首を傾げるといった器用な真似をする。

 ヴィヘラも、何かあったら即座に地上へと向かうつもりではいたのだが、最初のレイの戦いを見る限りでは一方的に巨大アンブリスを押しているように見えた。

 いや、押していると言うよりも、巨大アンブリスが何も反応を示さなかったというのが正しいか。

 レイが何をしようとも、全く気にした様子のない巨大アンブリス。

 だが、身体を構成する黒い霧の大部分を破壊されると、その行動は変わる。

 レイという存在を全く無視していたにも関わらず、対処するようになったのだ。


「セト、どうしたらいいと思う? やっぱり助けに行った方がいいのかしら?」

「グルルルゥ!」


 ヴィヘラの言葉に、セトが首を横に振る。

 現在レイは、炎帝の紅鎧を使って周囲の黒い霧を燃やしている。

 そうである以上、レイと巨大アンブリスとの戦いの場に突入すれば、それはヴィヘラをも傷つけることになる筈だった。

 ましてや、戦闘が行われている場所から距離を取っているこの上空でも暑くなっている。

 この状況で戦場に突っ込んでいく訳にはいかない。

 ヴィヘラもそれは理解している。だが、それでも巨大アンブリスの中にいるレイの姿を見ると、どうにかしなければならないという思いがあった。


「……大丈夫よね、レイだもの」


 普段は強気なヴィヘラの口から出た、弱気ともとれる言葉。

 レイとの付き合いはそれなりに長くなっているが、それでもやはりレイのことは心配だった。

 だが、それでも今のヴィヘラに出来るのは、レイの無事を信じるだけだ。






 ヴィヘラに心配されているレイは、現在巨大アンブリスに飲み込まれているような形で周囲の黒い霧を相手に攻撃を仕掛けていた。


「飛斬!」


 その言葉と共に斬撃が飛ばされ、同時にレイの投擲した黄昏の槍が黒い霧を貫く。

 攻撃という意味では、圧倒的にレイの方が優勢であり、一方的に攻撃をしていると言ってもいい。

 だが、その代わりという訳ではないが、巨大アンブリスは消し去れた分の黒い霧を、次から次に補充していく。

 そのうえ、レイの振るうデスサイズや黄昏の槍に当たらないように、最初よりも徐々に何もない空間を広げていった。

 今では、レイを中心に半径五m程の位置には既に黒い霧は存在していない。


「ちっ、いい加減にしろよな。まさか、無限に回復用の黒い霧を呼び出せるとかじゃないよな? もしそうなら、色々と面倒なんだが」


 デスサイズと黄昏の槍という二槍流の構えをしながら、レイの口から愚痴が漏れる。

 幾ら攻撃しても全く動じた様子がないというのは、一方的に攻撃をしているレイから見ても面白いものではなかった。

 痛みでも何でもいいから、ある程度の反応でもあれば自分の攻撃の効果があるというのを理解出来るのだが、その類の反応が一切なく、ただ機械的にダメージを受けると黒い霧を吸収して回復するという行為しかしていない。


(一応俺の周囲に黒い霧がなくなったってのは、多分こっちの動きを嫌っているのは間違いないんだろうけど)


 そんなアンブリスの動きを見ながら、レイは覚悟を決める。

 出来れば魔力異常で生み出されたアンブリスが相手だけに、魔法を使いたくはなかった。

 だが……こうもイタチごっこな状況が続くと、切りがないというのも間違いはない。


(しょうがない、か。このまま延々とこの状況が続けば、いずれ俺の魔力切れが来る可能性もある)


 魔力量だけで考えれば、レイよりも上の存在というのは考えられない。

 それは人間だけではなく、全ての生きとし生けるものに言える。

 だが、それでも無限という訳ではない以上、いずれ魔力が切れるのは確実だった。

 もしくは敵にダメージを与えれば魔力を吸収出来る吸魔の腕輪が効果を発揮していれば、もしかしたら永遠に魔力が尽きることはないかもしれない。

 しかし……残念ながらアンブリスが敵と認識されていないのか、もしくは黒い霧を攻撃しただけでは意味がないのか。

 理由の有無はレイにも分からなかったが、ともあれ幾らアンブリスを斬っても魔力が回復することはない。

 素早く考えを纏め、現状で最も相応しい魔法……灼熱の業火で巨大アンブリスを燃やしつくす魔法を選び、口を開く。


『炎よ、汝のあるべき姿の1つである破壊をその身で示せ、汝は全てを燃やし尽くし、消し去り、消滅させるもの。大いなる破壊をもたらし、それを以って即ち新たなる再生への贄と化せ』


 デスサイズに生み出される炎球。

 だが、その数はたった一つ。……それでも、レイの魔力が大量に注ぎ込まれたその炎球は、まさにレイが口にした灼熱の業火という言葉に相応しいだろう炎球だ。

 デスサイズを振るい、その炎球を放つ。


『灼熱の業火!』


 レイによって生み出されたその炎球は、真っ直ぐに黒い霧の中へと……それもより黒い霧が濃密に固まっている場所へと向かって飛んでいく。

 そして次の瞬間……生み出されるのは、炎による地獄。

 黒い霧の大部分が燃やしつくされていくも、レイのいた場所が霧の中央部分だけに炎球を放った場所以外に存在した黒い霧は無事だった。

 それでも黒い霧は消滅した場所へと次々に流れ込んでいっては、燃やしつくされる。

 そんな時間がどれだけ続いたか……周辺を燃やす炎が消えた時、残っていたのは一際濃い黒い霧のみ。

 最後の黒い霧へと向かって、レイが炎帝の紅鎧を鞭状にして放つ。

 これでアンブリスの騒動もようやく終わる。

 そう思った瞬間、不意にレイの視線の先に……炎帝の紅鎧の炎の魔力が鞭状になって振り下ろされた場所にいた筈の黒い霧が消える。


「……え?」

「きゃああああっ!」


 そして聞こえる悲鳴。

 咄嗟に悲鳴の聞こえた方へと振り向いたレイが見たのは、黒い霧が身体に沈んでいくヴィヘラの姿だった。

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