第1194話
アンブリスを倒した日の夜、レイは夕暮れの小麦亭でどこか落ち着かなさげな様子でベッドに寝転がっていた。
やはりデスサイズと黄昏の槍という、愛用の武器が手元にないというのが大きいのだろう。
「ふふっ、そうしているとレイもやっぱり年齢相応なのね」
レイの寝転がっているベッドに座っているヴィヘラが、笑みを浮かべて告げる。
そんなヴィヘラに、レイは少し不満そうな視線を向けた。
アンブリスの件を考えれば、その残滓があるかどうかを研究してアンブリスの本体とも呼ぶべきものを見つけ出すマジックアイテムを作るというマリーナの考えは理解出来る。
理解出来たからこそ、デスサイズと黄昏の槍を預けたのだ。
勿論錬金術師の中にはマジックアイテムを持ち逃げしようとする者がいないとも限らないので、ギルド職員がしっかりと倉庫の中で見張っている。
特にデスサイズは人間が容易に持てるような重量ではないので、盗むことは難しい。
だがそれでも錬金術師がどのようなマジックアイテムを持っているか分からない以上、それを厳しく見張っておくことは必須だった。
それにデスサイズはその重量と大きさから盗み出すのは難しいだろうが、黄昏の槍は重量的にも普通の槍とそう大差はない。
アジモフの能力に嫉妬の視線を向けていた者が数名いたことを考えれば、決してその可能性がないとは言えなかった。
「ま、もしそんなことになったりしたら、セトの出番でしょ? 臭いがある限り、どこまでも追いかけていくでしょうし」
「それはそうだけど……でもやっぱり、面白くないのは事実なんだよな」
溜息を吐くレイに、ヴィヘラは笑みを浮かべる。
こうしてレイと一緒にいる時間というのは、ヴィヘラにとって間違いなく至福の時間だった。
別にレイに愛を囁かれたりしている訳ではない。
それでも、こうしてレイと一緒にいるだけで幸福を実感出来るのだ。
……勿論、強い相手との戦いで得られる充実感はまた別の話なのだが。
「それにしても、アンブリスを簡単に倒せたのはやっぱり偽物だったからだと思うか?」
「別に偽物じゃないでしょ。アンブリスの一匹だったのは間違いないんだし。単純に他にもまだいたってだけで」
「まぁ、あのアンブリスは何となく俺達が見つけた奴よりも小さいような気がしたんだよな。ワーウルフにくっついてたから、正確には分からなかったけど」
寝っ転がっていた状態から、上半身を起こす。
レイとヴィヘラが最初に見つけた……地中に潜っていったアンブリスの姿は、レイの印象からすればもっと大きかった。
ミレイヌ達が見つけたアンブリスが、レイの見つけたアンブリスであったのかどうかは分からない。
もしアンブリスの数が一匹や二匹ではなく、もっと多かった場合は他にも大量にいるという可能性は決して否定しきれないのだから。
「そうね、気分転換でもしたらどう? このまま無駄に考えていても面白くないでしょ?」
「気分転換って……今から外に行くのか?」
現状でレイに出来る気分転換は、美味い料理を食べること、訓練をすること、そしてセトと戯れることだ。
(いや、読書もあったな。……けど、この世界って小説の類が殆どないんだよな。お伽話とか、そういうのはあるんだけど)
悩むレイに、ヴィヘラは軽く肩を竦める。
その際に豊かな双丘が揺れるのだが、ベッドの上での行為だというのにレイはそんなヴィヘラの様子に気が付かない。
少しだけ自分の魅力に自信を失ったヴィヘラだったが、レイが女に興味がない訳ではないというのはヴィヘラも自覚している。
時々自分の身体にレイが視線を向けている時があるのだ。
……レイはヴィヘラに気が付かれていないつもりだったが、女というのは自分に向けられる視線には敏感だ。
特にヴィヘラはその服装から自分にどのような視線が向けられることが多いのかというのは分かるし、何よりレイはその辺の有象無象とは大きく違う。
「あのね、レイにはエレーナと話せるマジックアイテムがあったでしょ? 対のオーブだったかしら」
「ああ、そう言えばここ何日か連絡してなかったな」
「離れていてもレイと話が出来るというのは、正直なところ羨ましいわね」
そう呟くヴィヘラだったが、エレーナにしてみればレイと行動を共にしているヴィヘラの方が羨ましいと言うだろう。
そして実際、ヴィヘラもそれは理解していた。
もし対のオーブをくれるというのであれば、喜んで貰うだろう。
だが、その対のオーブと引き替えにレイと一緒に行動する役を譲って欲しいと言われれば、即座に否と答える。
(ま、それが出来るのは私が皇族から抜けたからだけど……そういう意味では、エレーナも公爵家から出てくれば私と同じ位置には立てるんだけどね。……今となっては難しいか)
対のオーブを取り出しているレイを見ながら、ヴィヘラは苦笑を浮かべる。
自分がベスティア帝国を出奔した時は、国の中でならそれなりに名前が知られていたが、それでも国外ではあまり有名という訳ではなかった。
少なくても、今のエレーナのように姫将軍という異名が近隣諸国に知れ渡っているというのとは、事情が大きく違う。
もしヴィヘラがベスティア帝国から出奔せず、そのまま皇女として残っており……更には戦場で活躍して異名持ちになっていれば、恐らく出奔することは難しかっただろう。
もっとも、ヴィヘラの場合はもし異名持ちの皇女となっていた場合でも、レイと出会っていればそんなのは関係なく出奔していただろうという自覚はあるが。
良くも悪くも、ヴィヘラは責任感の強いエレーナとは違って自由奔放なのだ。
(自分でも厄介な性格だとは思うけど……そのおかげで、こうしてレイと一緒にいられるんだから、後悔はないわね)
自分でも自分の性格は厄介だという自覚はある。
だが、それでも決してそれを卑下するようなことはなく、寧ろそのような性格をしているからこそ、今はこうしてレイと一緒にいられるのだと思えば、自分がこんな性格で良かったと思う。
ヴィヘラにそんな思いを抱かせているレイはと言えば、ミスティリングから取り出した対のオーブに魔力を流して起動させていた。
『……うん? ああ、レイ。ここ数日は連絡がなかったようだが、どうしたんだ?』
「いや、ちょっと忙しくてな。ほら、アンブリスを探しているって言っただろ?」
『ふむ。レイとセトがいて、それでも見つけられない相手か。厄介だな』
「一応私もいるんだけどね」
ひょい、と。そんな風に対のオーブの前にヴィヘラが顔を出す。
いきなりアップになったヴィヘラの顔に一瞬驚いたエレーナだったが、すぐに小さく溜息を吐く。
『今は夜だぞ? この時間にレイの部屋にいるというのは、些か問題ではないか?』
「あら、そう? 一緒に行動してるんだし、それくらいは構わないでしょう? ああ、そうだ。どうせならこの際、パーティを結成しましょうか」
エレーナを挑発するように告げるヴィヘラだったが、それに首を傾げたのはレイだ。
「パーティって、二人でか? まぁ、二人のパーティってのもいない訳じゃないけど」
二人のパーティといったところで、最初にレイの脳裏を過ぎったのは、以前にハーピーの討伐依頼を共に行ったランクCパーティ、砕きし戦士の二人だ。
酒好きのドワーフと男勝りの姐御と呼ばれるに相応しい二人が組んでいるパーティ。
ランクCパーティということもあって相応の腕利きで、アンブリスの件でもモンスターの群れを元気に蹴散らしているという噂はレイも聞いている。
また、何度か顔を合わせて短く話もしているので、それなりに親しいパーティと言えるだろう。
「別に二人でもいいけど……そのうちビューネが帰って来るわ。そうすれば盗賊のビューネに、近距離戦が得意な私と遠距離、中距離、近距離のどれも万能にこなせるレイ。ほら、パーティとしてのバランスも決して悪くないでしょ?」
そう告げるヴィヘラの言葉に、対のオーブの向こう側でエレーナが面白くなさそうな表情を浮かべる。
自分の今の立場と、レイの側にいることが出来るヴィヘラという立場の違いはしっかりと理解している。
だが、理解しているからといってそれが納得出来るのかと言われれば、答えは否だ。
いや、もしこれであまり親しくない相手がいるのであれば話は別だったが、現在対のオーブを見ることが出来る場所にいるのは、レイとヴィヘラ、そしてエレーナの三人のみだ。
『キュ?』
イエロも入れれば、三人と一匹と表現するのが正しいが。
『キュウ! キュウウウ?』
セトは? いないの? そんな風に対のオーブを覗き込むイエロに、レイとヴィヘラは癒やしを感じる。
「ふふっ、何だか馬鹿らしくなってきたわね。……けど、エレーナ。私とレイが一緒に行動しているのは事実よ? それに、レイと私が住んでいるギルムのギルドマスターはマリーナ。……私の言いたいことは最後まで言わなくても分かるわよね?」
『不本意ながらな』
少しだけ憮然とした様子で答えるエレーナに、ヴィヘラはそれ以上言うことはないと頷きだけを返す。
そんな二人のやり取りを眺めていたレイだったが、イエロがじっと自分をみているのに気が付き、首を横に振ってから口を開く。
「悪いな、イエロ。ここは宿の部屋だから、セトは厩舎にいるんだよ。今度また外で対のオーブを使う時にはしっかりと顔を出させるから、少し我慢してくれ」
『キュウ……』
レイの言葉にイエロは残念そうに鳴き、その場から去っていく。
……空を飛ぶのではなく、歩いて移動しているというのがイエロの残念さを現していた。
そうしてイエロとのやり取りを終えると、エレーナとヴィヘラのやり取りも自然と終わっていることに気が付く。
それどころか、どこか呆れたような視線を自分に向けている二人に首を傾げる。
「それで、アンブリスのことだけど……」
何となく妙な視線を向けられているのを察したレイが、取りあえずと話を誤魔化すようにアンブリスについての話題を振る。
もっとも話を誤魔化す云々ではなく、実際にレイやヴィヘラにとってはアンブリスについては深刻な話題なのだ。
亜人型モンスターをリーダー種に強制的に進化させるという、非常に厄介な能力を持っている相手なのだから。
それをどうにかするには、複数のアンブリスを倒す必要がある。
だが、そのアンブリスは物理攻撃が無効であり、有効なダメージを与えるには強力な魔法防御をどうにか突破して魔力によるダメージを与える必要がある。
(魔力による攻撃か。そういう意味だと、継承の祭壇でエンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナは莫大な魔力を持っているのは事実だ。竜言語魔法とかを使えば、アンブリスを相手にしても対処可能なんだろうけどな)
それは分かっているのだが、それでもまさかアンブリスを退治するために貴族派の象徴の姫将軍をギルムに寄越して欲しいとはダスカーも要請出来ないだろう。
そんな真似をすれば、中立派は貴族派に大きな借りを作ることになってしまう。
中立派と貴族派の関係は、現在のところ悪くはない。……いや、それどころか良好だと言ってもいいだろう。
それでも、派閥間で貸し借りを作るとなれば非常に大きな意味を持つ。
今は良好な関係だからいいが、ミレアーナ王国の三大派閥だ。永遠に仲がいいままというのは難しい。
そして仲が悪くなった時、大きな借りがあった場合はそれを返すのにどれだけの労力が必要になるのかは、考えるまでもないだろう。
貴族派も引き出せる限界までは……いや、それ以上のものを引き出そうとするだろうし、そうなれば中立派としても借りを返さない訳にはいかない。
その辺を考えると、何らかの対価を提示してエレーナを呼び寄せるというのが最善の選択肢だろうが……
(ギルムの領主としてはともかく、中立派の中心人物としては難しいだろうし)
レイは、そこまで政治といったものに詳しい訳ではない。
だがそれでも、何となく不味そうだというのは理解出来た。
「レイ? どうしたの?」
「いや、何でもない。どうやってアンブリスを倒したらいいのかと考えていただけだよ」
ヴィヘラの言葉にそう誤魔化す。
「あら、倒すと言うだけならもう倒しているんだから、心配する必要はないと思うけど? 寧ろ、どうやって見つけるかが問題なんでしょ?」
『臭いで追うことも出来ず、魔力を感じることも出来ない相手か。……厄介だな』
対のオーブの向こう側で、エレーナもヴィヘラの言葉に同意するように呟く。
倒すという意味では、レイもエレーナも強力な魔力を持った攻撃手段を持っているので何とかなるだろうが、それを見つけるまでが大変なのだ。
そして、見つけ出して倒してもまだ残っており……と非常に厄介な相手なのは間違いなかった。
ともあれ、レイとヴィヘラ、エレーナの三人は数日ぶりにゆっくりとした会話を楽しむのだった。
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