第1193話
ギルドの敷地内にある建物の一つへと、レイはやってきた。
本来であれば倉庫の筈の建物。
レイも以前ダンジョンで倒した大量のガメリオンを運び込んだことがあるので、この建物のことは知っていた。
だが……そんな建物の中に入ったレイが見たのは、とてもではないが元倉庫とは思えない有様だった。
幾つものテーブルが運び込まれ、その上にはレイも見たことがない薬品の類が幾つもガラス瓶に入って存在している。
床には魔法陣が刻まれ、それぞれが何らかの実験を行っていた。
……とてもではないが、元倉庫とは思えない。
「レイ? お前、どうしたんだ?」
そんな声の聞こえてきた方へとレイが振り向くと、そこにはレイの知り合いの姿あった。
それは黄昏の槍の制作者にして、酔狂者と呼ぶのが相応しい錬金術師。
「アジモフ?」
少しだけの驚きと共にレイはその人物の名前を呼ぶ。
酔狂者であり、自分の興味があるものに対しては貪欲だが、興味のない代物には全く関心を払わない人物。
それこそ、ギルドに招集されたからといっても自分の研究があるとか、まだ眠いからといった理由で無視してもおかしくない性格をしている相手だ。
それが大人しくギルドに招集されているという時点で、レイには違和感しかない。
「はっはっは。何を驚いているんだよ。別に俺がここにいても不思議じゃないだろ? アンブリスとかいう不思議な存在を研究出来るかもしれないんだから、俺がここにいるのは当然だ」
嬉しそうに笑うアジモフは、脅されてきたといった様子はない。
寧ろ、アンブリスという存在に興味を持ち、自分から積極的にやって来たように思えた。
「なるほど。相変わらずだな」
一瞬だけ視線を自分の横にいるマリーナへと向けてから告げるが、アジモフはマリーナに……ギルドマスターの姿に気が付いた様子もなく、上機嫌に笑っている。
マリーナやヴィヘラ……この二人には劣るものの、ミレイヌやエクリルもまた平均以上の美人ではある。
事実、倉庫の中にいる錬金術師の中にも目を奪われている者が少なからずいるのだから。
マリーナやヴィヘラがアジモフに向ける視線は好意的なものだった。
二人共、自分が男を惹き付けるだけの美貌を持っているという自覚はある。
だが、それでも欲望に満ちた視線を向けられるというのは、面白いものではない。
女は見られて美しくなると言う者もいるのだが、少なくてもマリーナやヴィヘラは今の自分のままで十分だった。
……もっとも、レイがそれを望むのであれば話は別だったが。
ともあれ、マリーナにとってアジモフの第一印象は大半の予想を裏切って好印象と言ってもよかった。
(変にテンションが高いのも、やっぱりアンブリスの件が気になってるからか)
アジモフの様子に相変わらず我が道を進んでいるな、と自分のことを棚に置きつつレイは口を開く。
「それでアンブリスの件だけど……」
「見つかったのか!?」
「あー……それが……」
自分がアンブリスを倒したというのはあまり口外しない方がいいとマリーナに聞いているレイは、周囲にいる他の錬金術師達の視線を受けつつ、どうしたものかと頭を悩ませる。
だが、そんなレイに代わって、マリーナが口を開く。
「レイがアンブリスを倒したわ」
ざわり、と。
マリーナの言葉を聞いていた錬金術師達が、それぞれ驚愕の表情を浮かべる。
だが、錬金術師だけあって、レイのことを知っている者は多いのだろう。……もっとも、錬金術師の間でレイが有名なのは、デスサイズのような強力なマジックアイテムを持っているということや、何よりセトの主人という面が強いのだが。
ランクAモンスター……いや、希少種ということもありランクS相当のモンスターであるセトは、その素材――羽根や毛、爪――は錬金術師に非常に重用されていた。
だからこそ錬金術師達にとって、レイとセトではセトの方がメインとして映るのだろう。
「……なら、俺達が集められた理由はもうなくなったのか?」
アジモフの口から出た当然の疑問に、他の錬金術師達もマリーナへと視線を向ける。
ここにいる錬金術師達は、ギルドからの要請によって集められた者達だ。
中には多少強引に――といっても暴力的なものではないが――集められた者もいた。
もっとも、錬金術師というのは基本的には好奇心が非常に強い性格をしている者が多い。
この倉庫にやってきて、今回集められた理由を聞かされた時点でそれを断るような者はいなかった。
それどころか、招集された時に依頼されていた仕事を一旦置いておいてアンブリスについての研究をしたいという者すらいる。
……仕事を投げ出すのではなく、一旦置いておくというところにせめてもの律儀さが残っているのだろう。
だからこそ、折角研究出来ると思ったアンブリスがもう倒されたという話を聞き、ギルムの危機が解決されたという安心と共に、アンブリスの研究が出来なくなったことを残念に思う。
だが、そんな錬金術師達に対して、マリーナは安心させるように口を開く。
「レイは間違いなくアンブリスを倒した。……けど、殆ど同時刻にこっちの灼熱の風が、別のアンブリスを発見してるのよ」
マリーナの口から出た言葉に、錬金術師達が一瞬何を言われたのか分からないとでも言いたげに首を傾げる。
だが、すぐにその言葉の意味を理解したのだろう。錬金術師達を代表するようにアジモフが口を開く。
「それはつまり……アンブリスが複数いるってことか?」
「恐らくだけど、そうなんでしょうね。だからこそ、貴方達錬金術師にはアンブリスを探すためのマジックアイテムを作って欲しいの」
「ちょっと待ってくれ」
そう呟いたアジモフは、難しい表情を浮かべたままだ。
それは他の錬金術師達も同様であり、自分達の技術の未熟さに悔しそうにしている。
「アンブリスというのは、魔力を感じることが出来る能力者でも見つけることが出来ないんだよな?」
「ええ。何か強烈な臭いをしている訳でもなく、外見的には黒い霧で見た目は特徴的だけど、その形状からちょっと見つけにくいわね」
「……その状況で、どうやって捜索する為のマジックアイテムを作れと? 何の特徴もないのなら、それこそ探しようがないだろ」
「安心して……というのはちょっと違うかもしれないけど、レイがアンブリスを倒した際に使った武器を調べて貰えれば、その残滓みたいなものは見つかるんじゃないかしら。……レイ?」
マリーナの言葉に従い、レイはミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
その瞬間、錬金術師達は大きな反応を示す。
驚き、嫉妬、憧憬……様々な反応を示すが、中でもやはり一番大きかったのは嫉妬だった。
だが、それはレイがデスサイズと黄昏の槍を持っているからという嫉妬ではない。
単純に、自分達の今の腕ではデスサイズのようなマジックアイテムを作ることは出来ないし、黄昏の槍もまた同様だった為だ。
魔獣術で生み出されたデスサイズはともかく、黄昏の槍はアジモフがパミドールと共に作り上げた代物だ。
作ろうと思えば作れる者もいるのかもしれないが、それを作る為に使用された素材を集めるのは並大抵のことではない。
特に、世界に三人しかいないランクS冒険者が使用していたマジックアイテムすら素材にされているのだとすれば、例え珍しい物が多くある辺境のギルムであっても、それに匹敵する素材はない。
いや、辺境だけに素材そのものはあるのだろうが、それを手に入れることが容易ではないと表現するべきか。
ともあれ、近年希に見る逸品の黄昏の槍を作り上げたアジモフは、周囲から注目の的となっていた。
変わり者が多い錬金術師の中でも、アジモフは更に変わり者でもある。
それだけに、今回こうして錬金術師が集まったことにより、初めて噂だけではなく実際にその顔を見たという者も決して少なくない。
「デスサイズと黄昏の槍だ。これでアンブリスがワーウルフをリーダー種に変えようとしていたところに攻撃して倒した。残滓的な物が残っているのなら、多分このどっちかだと思う」
「そうか。なら、少し借りるが構わないか?」
念を押すように尋ねてくるアジモフの言葉に、レイは頷きを返す。
「ただ、アンブリスがまだいる以上、俺もまたその捜索には入る必要がある。そうなると、あまり長い時間貸すことは出来ないんだけど、構わないか?」
「そんな!?」
レイの言葉に悲鳴の如き叫びを上げたのは、少し離れた場所でじっとデスサイズを見ていた女の錬金術師だ。
自分の声が周囲の視線を集めた理解したのか、女の錬金術師は顔を真っ赤に染めて俯く。
「ムーランが大きい声を上げるのは珍しいな」
「いや、珍しいっていうか、僕は初めて見たけど」
「恥ずかしがり屋なのに、腕はいいんだからなぁ……」
「お? 嫉妬か? まぁ、ムーランの作るポーションは、他の奴が作るよりも一割は効果が高いからな」
「たかが一割、されど一割……か」
錬金術師達が自分の顔見知りと会話をしている声がレイの耳に入ってくる。
(話を聞く限りだと、腕利きだけど恥ずかしがりやらしいな)
その会話で何となく女の錬金術師……ムーランの性格を理解しながら、口を開く。
「悪いけど、さっきも言ったようにあまり長時間貸すことは出来ないんだ。分かって欲しい」
「え? あの、その……でも……うううぅ」
直接レイに話し掛けられたのがショックだったのか、ムーランは困ったように周囲を見回す。
最終的に助けを求める視線が向けられたのがアジモフだったのは、やはりレイの知り合いだったからというのも大きいのだろう。……そして、黄昏の槍のようなマジックアイテムを作ったことに対する尊敬という気持ちがあったのも間違いない。
だが、アジモフはそんなムーランに向かって首を横に振る。
アンブリスという存在をどうにかするには、レイの力が必要だというのを理解しているからこそだろう。
「うー……」
それでも名残惜しそうにデスサイズを見ていたムーランだったが、最終的にはそのまま大人しく引き下がっていく。
ムーラン以外にも、デスサイズや黄昏の槍を調べる期間が短いということを考えている者はいたのだが、アジモフの態度を考えれば何を言っても無駄だというのは分かった。
「それで、具体的にはいつまで貸して貰えるんだ?」
「そうだな……俺としては出来るだけ早く返して貰いたいんだが、それだとアンブリスを見つけることは出来ないしな。その辺どうなんだ?」
レイの問うような視線を向けられたマリーナが、少し考える仕草を見せる。
その仕草が、女の艶というものを強烈に周囲に放っており、
「出来るだけ早いほうがいいのは事実なんだけど。ただ、アンブリスを見つけることが出来ないのであれば、その辺の意味はないし……そうね、取りあえず明日の朝までということでどう?」
「明日の朝……か」
マリーナの発する強烈な女の色気をものともせずに、アジモフが呟く。
その言葉には不満そうな色があるが、それでも早すぎると言葉にしないのは、やはりアンブリスの脅威を一番手っ取り早くどうにか出来るのはレイだと分かっているからだろう。
いつの間にかアジモフがここに集まっている錬金術師達の代表という形で話しているが、これはやはりレイと知り合いであり、マリーナの放つ色気を無視出来るというのが大きい。
……もっとも、それ以外ではやはり黄昏の槍を作ったという腕が認められているというのが大きいのだろうが。
「もう少し何とかならないか? 出来れば数日……」
「駄目よ。アンブリスに生み出されたリーダー種は数が多いわ。群れとしての能力はそこまで高くないけど、数が多いの。であれば、それに対処する為に必要なのはやっぱりレイとセトの能力なのよ」
「なら、レイが明日ギルムに戻ってきたら、明後日の朝まで借りるというのはどうだ?」
レイがギルムにいる時であれば、デスサイズと黄昏の槍を借りても問題ないだろう。
そう告げてくるアジモフに、レイは少し考えてから口を開く。
「それはいいけど、アンブリスの残滓とやらがあるかどうかも分からないし、もしあってもデスサイズを戦闘で使えばアンブリスの残滓はなくなったりするんじゃないのか?」
「……デスサイズはレイの魔法発動体だったよな? なら、杖か何かを貸すというのは……」
「駄目だろうな。自慢じゃないが、俺の魔力は莫大だ。デスサイズ以外の魔法発動体だと、多分耐えきれない」
レイの言葉に何人かの錬金術師が不満そうな表情を浮かべる。
魔法発動体を作っているのは錬金術師であり、それが耐えきれないというのは錬金術師の腕が未熟だからと言われているのに等しいのだから。
だが、その不満がレイに向けられているのではなく、自分の腕の未熟に向けられているのは錬金術師達としての自負心からくるものだろう。
最終的には、レイはデスサイズを使った戦闘では魔法を使うだけで直接敵を攻撃する際には黄昏の槍を使うということで決着するのだった。
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