第1191話
アンブリスの件が終わってからは、レイ達は特に何事もなくギルムへと到着した。
一番大変だったのが、セトを怖がって進まなくなってしまったワレインの乗っている馬をどう進めるかということだったのを考えれば、どのような道中だったのかが分かるだろう。
結局セトは偵察という名目で先行し、本当にそれ以外は何もないままギルムへと到着した。
そうして馬車を修理出来る店へワレイン達を案内し、そこでミスティリングの中に入っていた馬車や商品を出すと、ワレインは深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。本当にレイさん達がいなければ、どうなっていたことか……それこそ、生きていく為には冒険者にでもなるか、他の商人に雇われるかといったことをしなければならなかったでしょう」
「……何で冒険者の方が先に来るのかは分からないけど、ともあれ無事に到着したようで何よりだ。馬車の件もあって大変だろうが、頑張ってくれ」
「はい。元より危険は覚悟の上で辺境にやってきたのですから」
短く挨拶を交わすと、次にレイはジャコモとミーナへと視線を向ける。
「ギルドに行くんなら、一緒に行くか?」
ギルムで活動するべくやってきた二人だ。当然これからギルドに行くのだろうと思い、一緒にいかないかと尋ねたのだが……意外なことに、二人揃って首を横に振る。
「護衛の報酬を貰うのにギルドに行く必要はあるでしょうけど、少し時間を置いた方がいいと思うから」
ミーナの視線がジャコモへと向けられた。
今回の件でジャコモの中にあった自信やプライドといったものがへし折られてしまった。
ミーナ以外の者がいるところでは隠しているが、幼馴染みのミーナにはその辺りの事情はお見通しだ。
その辺りのことを話しておかないと、冒険者を続けるにしろ辞めるにしろ、色々と問題が起こるという可能性は理解していた。
「そうか? まぁ、無理にとは言わないけど。じゃあ、俺達は行くよ」
「グルゥ」
レイの言葉に、ワレイン、ミーナ、ジャコモの三人は頭を下げる。
レイ達がいなければ、自分達は間違いなく死んでいた。
それが分かっているからこそ、レイに向かって感謝を込めて頭を下げるのだ。
……ジャコモは、ヴィヘラという極上の美女と一緒に行動しているレイを羨ましく思っていたが、それでも助けられた恩を忘れる程ではない。
そんな三人に見送られながら、レイ達はギルドへと向かうのだった。
「アンブリスを倒した? それは本当なの? いえ、レイがそんな出鱈目を口にする筈もないわよね。……けど、その割りにあまり嬉しそうじゃないみたいだけど?」
ギルドへとやって来たレイ達は、早速レノラにマリーナとの面会を要請してすぐに受け入れられ、こうしてギルドマスターの執務室へと通されていた。
今日のマリーナは、白いパーティドレスを着ている。
褐色の肌に白いドレスが良く映えており、胸元が大きく開いている為に豊かな双丘が深い谷間を作っていた。
ソファに座りながら不思議そうに尋ねてくるマリーナに答えたのは、レイではなくヴィヘラだった。
「私達が……いえ、レイがアンブリスを倒したのは事実よ。けど、レイが言うには倒した時に何か違和感のようなものがあったらしいわ。……それがアンブリスがモンスターではないからそう感じたのか、それ以外の理由なのかは分からないけど」
「どういうこと?」
視線で答えを求められたレイは、少し困ったようにしながらも口を開く。
「明確に証拠や確信があってどうこうって訳じゃない。ただ、何て言えばいいんだろうな。何となく違和感がある……って言えば分かるか?」
「……ええ、分かるわ」
マリーナも腕利きの冒険者として活動してきた過去がある。
それだけに、冒険者の中にはある種の勘が働くということは実感として知っていた。
事実、マリーナも冒険者をしていた時には理屈でも何でもなく勘で判断して命が助かったという経験は何度かある。
ヴィヘラも戦闘を好むだけあって、その手の理由のない直感のようなものの存在は理解しているのだろう。
そしてレイは持っている魔力が関係しているのか、その手の感覚は発達している。
最終的に、三人はそれぞれ同じ結論へと辿り着く。
即ち、まだ今回のアンブリスの件は終わっていない……と。
何の証拠もない、それどころかレイがアンブリスを倒した以上、普通であれば間違いなく気のせいだと言われてもおかしくなかった。
それでも現在の状況を考えれば、アンブリスの討伐は早い方がいいのは事実なのだが……マリーナが、少し残念そうに口を開く。
「じゃあ、アンブリスを倒した……かもしれないというのは、まだ公表しない方がいいわよね?」
「でしょうね。今回の件が解決しましたと話して、それなのにまたモンスターの群れが姿を現したりすれば……面白くないことになるのは分かるでしょう?」
ヴィヘラの言葉に、マリーナが頷く。
それ程長期間ではないが、今回の群れの件はギルムに大きな影響を与えている。
それこそ、ギルムにやって来る商人が減るくらいには確実に、だ。
今のような状況の中で、アンブリスの件が解決したと公表し、喜びに満ちた商人や冒険者といった者達が再びモンスターの群れに襲われたりしたらどうなるか。
間違いなく解決をしたと公表したマリーナが責められるし、下手をすればアンブリスを倒したというレイの行為すら口から出任せを言ったと思われてもおかしくはない。
そもそも、アンブリスを見たのはレイ達だけであり、倒したのもレイ達だけだ。
そしてマリーナがレイと親しいというのはそれなりに知られている事実であり、そのことと結びつけて妙な勘ぐりをしてくる者がいないとも限らない。
「二人の言い分は分かった。けど、じゃあどうするんだ? そもそも、今回の元凶のアンブリスは倒したんだし……俺が言うのもなんだけど、出来るだけ早くそのことは知らせた方がいいと思うんだけどな」
自分の勘ではまだ何かあると感じているのだが、そう確信出来る何かがある訳ではない。
少し迷ったように呟くレイに、マリーナは大丈夫だと頷いてから口を開く。
「もし本当にアンブリスが倒されたのだとすれば、もうリーダー種は現れない筈でしょう? 勿論レイがアンブリスを倒すよりも前にリーダー種を生み出して、そのリーダー種がまだ生き残っている……とは考えられるけど」
「それでもこれ以上リーダー種を生み出すことが出来ない以上、間違いなく群れの数は減ってくる。……そういうことね?」
ヴィヘラの言葉に、マリーナは頷く。
「けど、この状況になってもまだ群れが減らずに被害が続いた場合、それはまだ今回の件が終わっていない事を示しているわ」
「でしょうね」
三人が全員、恐らくこのままで終わることはないだろうというのは何となく理解していた。
それぞれがお互いの認識を共有し、やがてマリーナが口を開く。
「アンブリスを倒した光景を見ていたのは他に誰もいないのね?」
「ああ。ワレインという商人と二人の護衛の冒険者がいたけど、その三人は離れた位置で待機していた」
「こっそりとレイ達の様子を見に来ていた、ということも?」
念の為、確認の為、一応……そんな思いで尋ねるマリーナに、レイは自信に満ちた笑みを浮かべて口を開く。
「俺やヴィヘラ、そして何より、セトが警戒している中を近づいてくることが出来たら、それは高ランク冒険者並の強さを持っていることになるだろうな」
「……そうね。あの子達にそんな真似が出来るとは思えないわ」
ヴィヘラの脳裏を、自分に懐き、憧れの目を向けてくるミーナの姿と、自分に目を奪われているジャコモの姿が過ぎる。
男を挑発するような薄衣を身に纏っているヴィヘラだけに、当然男の視線には敏感だ。
将来性はともかく、とてもではないがあの二人が自分達を出し抜けるとは思えない。
「つまり、アンブリスの件を知ってるのはレイ達だけでいい訳ね」
安堵の息を吐くマリーナに、レイとヴィヘラは改めて頷く。
「じゃあ、悪いけどアンブリスの件はもう暫くは黙っていることにしましょう。その間に群れが発見されていくかどうかを……あら?」
マリーナが言葉を途中で止め、視線を扉の方へと向ける。
それはレイとヴィヘラも同様で、この執務室に近づいてくる人物の気配を……いや、それよりも荒い足音を聞き取っていた。
勿論ここはギルドマスターの執務室である以上、何らかの用事のあるギルド職員がやってきてもおかしくはない。
だが、そのような場合は普通に歩いてくるだけであり……少なくても、このように足音も荒く近づいてくるようなことは緊急の事態でもない限り、滅多にない。
つまり、これは緊急の事態が起きたということになるのだ。
「何かしら。今の状況で、他に問題が起きるのは勘弁して欲しいんだけど」
マリーナが呟くのと、扉がノックされるのは殆ど同時だった。
普通のノックではなく、いかにも急いでいるというのを示すかのような乱暴なノック。
明らかに何らかの事態が起きたのは明白であり、自分の嫌な予感が当たったマリーナは憂鬱そうな表情を浮かべながら中に入るように告げる。
尚、マリーナの憂鬱そうな表情はそれだけで普通の男が見れば、背筋がゾクリとするような憂いと女の艶に満ちていた。
幸か不幸か、レイは扉の方に意識を向けていたのでマリーナの様子に気が付くことはなかったが。
ヴィヘラはマリーナの様子に気が付き、同じ女から見ても惹き付けられるマリーナの持つ女の艶に、少しだけ羨ましそうな視線を向けていたが。
そんな、レイを巡るやり取り……と言えるようなものではないが、そんなやり取りがされている間に扉は開く。
そして血相を変えて執務室の中に入ってきたのは、レイやヴィヘラも何度か見たことのあるギルド職員の男だった。
受付嬢ではなく、カウンターの内部で事務処理をしているギルド職員が、緊張で表情を厳しく引き締めながら口を開く。
「ギルドマスター、緊急の報告です。アンブリスを発見しました!」
「何ですって?」
マリーナの口から出たのは、予想外の戸惑い。
勿論レイが倒したアンブリスで全てが解決するとは思っていなかったが、それでもまさかアンブリスが生き残っているとは思っていなかったのだろう。
「それは、いつ発見したの?」
もしかして、レイが倒す前に発見した情報が今頃伝わってきたのではないか。
そんな風に考えて尋ねたのだが、ギルド職員の男は目を輝かせて口を開く。
「三時間程前だという話です」
三時間……それは、レイがアンブリスを倒した時間と前後する。
つまり、レイが倒したのとは別のアンブリスが発見されたと考えるのが正しい。
(アンブリスが一匹だけじゃなかった? 可能性としては考えられるけど……魔力異常によって生み出されたアンブリスが何匹もいるとういうのは、少し納得出来ないけど)
元々アンブリスは三百年前の一件でしか知られていない。だとすれば、マリーナが知らないような生態を持っていても不思議ではない。
「アンブリスを発見したのは誰? 信用出来る相手?」
「はい。ランクCパーティ、灼熱の風です」
「……は?」
間の抜けた声を発したのは、レイ。
当然だろう。灼熱の風というのは、レイとも関係の深いパーティなのだから。
そして何より、アンブリスの発見については灼熱の風のリーダー、ミレイヌと賭けすら行っていた。
もしミレイヌがレイよりも先にアンブリスを見つけることが出来れば、一日セトとすごす権利を与えるという、そんな賭け。
灼熱の風が探索をしている場所は、弓術士で視力のいいエクリルと、魔法使いのスルニンがいるということでそれなりに広い。
だがそれでも、空を飛ぶセトを有するレイ達と比べれば捜索範囲は圧倒的に狭い。
そんな状況である以上、ミレイヌ達がアンブリスを見つけるのは絶対に無理。
そう思っていたのだが……それだけに、こうしてミレイヌがアンブリスを見つけたと言われれば驚きの声を漏らすのは当然だった。
「それは見間違いとかじゃなくて、本当にアンブリスだったの?」
確認するように尋ねるマリーナ。
その言葉に何かを感じたのだろう。ギルド職員は戸惑いながらも頷く。
この情報を持ってきたギルド職員は、アンブリスを発見したという報告を聞いてマリーナは喜ぶと思っていた。
だが、返ってきたのはそんな自分の予想とは少し違う反応。
「ええ。黒い霧のような存在が他にもいるとは思えません。いえ、もしかしたらいるかもしれませんが……アンブリスがいるこの状況で同じようなモンスターが出てくるとは思えませんし。……どうしました?」
「いえ、何でもないわ。ちょっと話を聞きたいから、灼熱の風をここに呼んでくれるかしら?」
その言葉に頷き、ギルド職員は灼熱の風を呼ぶ為に執務室を出て行く。
「俺達はどうする?」
もしここにいるのが邪魔になるのであれば、帰ってもいいが。
そう告げるレイに、マリーナは首を横に振る。
「いえ、ここにいてちょうだい。色々意見を聞きたいし」
言葉は濁しているが、アンブリスを倒したレイに灼熱の風の言葉を判断して欲しいと思っているのはレイにも分かったので、それに頷く。
そうして……
「失礼します」
代表としてミレイヌがそう声を掛け、灼熱の風の三人が執務室の中に入ってくるのだった。
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