第1185話

 レイとヴィヘラ、セトの視線の先で通常のゴブリンからゴブリンリーダーになったその個体は、激しく鳴き声を……否、雄叫びを上げる。

 すると、その声に引きずられるようにして、ゴブリンの姿が見えてきた。

 その上、ゴブリン達はレイのすぐ近くを通っているというのに、全くレイ達に気が付いた様子もなくゴブリンリーダーの元へと進み続ける。

 集まってきたゴブリンの数は、約五十匹程。

 これまでにレイが倒してきたゴブリンリーダーが率いる群れは、大体百匹程度の数だったことを考えれば、半分程しかいない。


「どう思う?」

「そうね。ここ暫くの間、ゴブリンの群れが幾つも消滅してるから、実はこの周辺のゴブリンの数が少なくなってきたってのは?」

「可能性はあるけど、ゴブリンの数が少なくなることがあると思うか?」

「……ある、と言えないのが怖いところね」


 人間でも獣人でもエルフでも……それどころか、他のモンスターの雌や、更には動物の雌からすらもゴブリンは繁殖する。

 そんなゴブリンが、多少倒されたくらいで群れを作れなくなる程に数が足りなくなるとは、レイには到底思えなかった。

 ヴィヘラもそれは同様であり、今の言葉は一応言ってみただけなのだろう。


「だとすれば、恐らく他のゴブリンはもう少し時間を掛けて集まってくるんだろうな」

「でしょうね」


 レイの言葉にヴィヘラは同意し、改めてゴブリンの群れへと視線を向ける。

 そこでは、ゴブリンリーダーの周囲にゴブリンが集まってきているところだった。

 こうして見ていても、既にゴブリンリーダーの身体に黒い霧は存在しない。

 アンブリスの残滓とも呼べるだろう代物は、既に完全に消え去っている。


「このままゴブリンの群れを追いかけても、特に意味はないか。多分ギルムに向かうだろうし」

「じゃあ、向かうべきは……」

「グルルルゥ」


 レイの言葉にヴィヘラが視線を向けたのは、ゴブリンリーダーへと進化したゴブリンが歩いてきた方向。

 それに賛成するように、セトも喉を鳴らす。


「そうだな。そっちを調べた方がアンブリスを見つけられる可能性は高いだろ。じゃあ、行くか。いや、その前にやっておくことがあったな」


 呟き、レイはミスティリングの中からデスサイズを取り出し、呪文を唱える。


『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』


 呪文を唱えるのと同時に、デスサイズの石突きを地面に突き刺す。

 石突きを地面へと突き刺すと、石突きが突き刺さった場所を起点として紅いラインが地面を走る。

 その紅いラインはゴブリンリーダーを中心としているゴブリンの群れを囲むように円を描き……


『火精乱舞』


 レイの口からその言葉が紡がれると同時に魔法が発動し、地面に走ったラインから赤い力場が生み出され、最終的にそれは紅いドームへと姿を変える。

 ゴブリンの群れをそのまま飲み込んだ紅いドームは、次にトカゲの形をした火精を生み出す。

 トカゲは紅いドームの中に大量に生み出されており、その数はゴブリンを遙かに超える。

 ゴブリンリーダーとなったゴブリンが喚きながら周囲を見回しているが、その声はレイには聞こえない。

 そして自分達を率いる者がまともに指揮を執っていない以上、他のゴブリンが混乱するのは当然だった。

 紅いドームの中でゴブリン達が喚き、そうなれば当然ドームの中にいるトカゲに苛立ちをぶつけようとする個体もいる。

 しかし……その行為が、紅いドームの中にいるゴブリン達の運命を決めた。

 ゴブリンに殴られそうに見えたトカゲが爆発し、ゴブリンの身体の一部を砕く。

 また、その爆発の衝撃により他のトカゲも爆発し、ゴブリンを砕きながら別のトカゲが爆発し……といった具合に、次々にトカゲの爆発に巻き込まれてゴブリンは死んでいく。

 トカゲも爆発の衝撃により爆発し、またその衝撃により他のトカゲが爆発し……と、連鎖するように爆発していく。

 トカゲの連鎖爆発は、見る間に紅いドームの中を爆発で満たす。


「これは……凄いわね」


 この魔法を初めて見るヴィヘラは、感嘆したように呟く。

 紅いドームの中で起こっている爆発は、普通に考えれば残酷極まりないものだろう。

 だが、紅いドームの外には内部からの音は何も聞こえてこない。

 そう、爆発の音そのものも聞こえてこないし、その爆発により命を奪われているゴブリン達の悲鳴や苦痛の声も聞こえてはこないのだ。

 外から見えるのは、純粋に爆発のみ。

 紅いドームの中で起きている無音の爆発はヴィヘラにとっても興味深いものだったのだろう。

 もっとも、レイの場合は花火というものを知っているので、紅いドームの爆発を見ても特に驚くようなことはなかったが。

 そもそも、この魔法を初めて使った訳でもないというのも大きい。


(こういうのって……汚え花火だぜ、とか言った方がいいのか?)


 自分の魔法の結果を見ながら呟くレイだったが、やがて紅いドームの内部に生み出されたトカゲも全てが爆発して消え去ったのだろう。紅いドームそのものが消えていく。

 すると、同時に周囲に濃厚な鉄錆の臭いが漂い始めた。

 紅いドームが消え、爆発の名残も風に流されて消えていった後に残っていたのは、肉も骨も内臓も、その全てが爆発の影響で原型を残さない程のペースト状になった地面だった。

 それはゴブリンもゴブリンリーダーも関係なく、肉のペーストと化している。


(ゴブリンよりも強力なモンスターだと、多分ここまで派手なことにはならなかったんだろうけど。まぁ、ここまで死体の原型が残ってなければアンデッドになることもないから、後処理が楽でいいか)


 五十匹程度ではあっても、ゴブリンの死体を集めて焼く手間が省けたと思えば、この魔法を使ったことは決してやりすぎという訳ではなかった。

 ゴブリンリーダーも含めて生き残りが一匹もいないことを確認すると、レイは隣でゴブリンの血臭に微かに不愉快そうな表情を浮かべているヴィヘラへと声を掛ける。


「ヴィヘラ、呆けてないでアンブリスを探しに行くんだろ」

「……ああ、そう言えばそうだったわね。今の光景を見てすっかり忘れてたわ」

「グルルルゥ」


 ヴィヘラの様子に何かを感じたのか、セトは喉を鳴らしながらヴィヘラに顔を擦りつけた。

 そんなセトに、ヴィヘラは笑みを浮かべて身体を撫でてやる。

 セトを撫でている内に次第に気分を切り替えたのか、一分も経たないうちにヴィヘラは口を開く。


「じゃ、行きましょうか。今は少しでもアンブリスの手掛かりを手に入れないといけないしね」


 そう告げ、ヴィヘラは先程ゴブリンリーダーが歩いてきた方へと向かって進んでいく。

 当然レイとセトもそれに続き、ヴィヘラの後を追う。

 草原の中を歩き続けるレイ達だったが、やがてヴィヘラが困ったように口を開いた。


「ねぇ、レイ。さっきのゴブリンがゴブリンリーダーになる前に歩いてきたのはこっちだけど、かなり覚束ない足取りだったわよね? だとすれば、真っ直ぐにゴブリンが来た方に向かっても、意味ないんじゃないかしら」

「……そう言えば、そうか」


 千鳥足と表現するのが相応しいような足取りのゴブリンの様子を思い出しながら、レイはヴィヘラの言葉に同意した。

 だが、少し迷っている様子のヴィヘラと違い、レイは全く気にした様子がない。

 何故なら、レイはこの状況でも有効な追跡手段を知っている為だ。


「セト、頼む」


 それだけでレイが何を頼んでいるのかを理解したセトは、嬉しそうに喉を鳴らす。

 レイに頼られるということは、セトにとっても非常に嬉しいことなのだと証明するかのように。

 そうして発動されたのは、セトのスキル嗅覚上昇。

 以前も、街の外にある百面の者の本拠地へと辿り着くことが出来た程の嗅覚の鋭さだ。

 それが、今ではこの短期間にレベル四へと上昇しており、以前にも増してセトの嗅覚は鋭くなっている。

 最終的に五十匹程のゴブリンが集まったが、その中から特定の一匹だけが来た方向を辿るというのは、セトにとって難しいことではない。


「グルルゥ」


 こっちだよ、とセトが喉を鳴らし、ヴィヘラの前に出て二人を先導していく。

 ヴィヘラがレイに視線を向けると、大丈夫だと頷き返される。

 それを見て安心したのだろう。ヴィヘラはセトの後を追ってレイと共に進む。


「セトにこんな追跡手段があるとは思わなかったわ」

「まぁ、目立つ能力じゃないしな」


 ファイアブレスのように派手なスキルではないが、それでも非常に役に立つスキルなのは間違いなかった。

 セトは戦闘で使用出来るスキル以外はそれ程多くはないが、嗅覚上昇はその数少ない例外だ。

 水球のように、戦闘用のスキルでも戦闘以外にも使用可能なスキルというのは決して少なくないのだが。……もっとも、水球は流水の短剣をレイが入手してから、水分補給という意味ではめっきり出番が減ったのだが。

 とにかく、今のセトの嗅覚上昇の能力を以てすれば、ゴブリンリーダーになったゴブリンが来た場所へと、即ちアンブリスと接触した場所へ向かうのは容易なことなのだ。

 そんなセトの案内に従って進んでいくと、やがて視線の先に小さな林が見えてくる。

 それは本当に小さな林であり、規模としてもモンスターや野生動物といった存在は少ないだろうと見て分かる程度の小ささ。


「……ここか?」

「グルゥ!」


 確認するように尋ねるレイに、セトは自信ありげに喉を鳴らす。

 ゴブリンリーダーになったゴブリンがやってきた場所を辿れば、ここに辿り着くのはセトの嗅覚でも間違いのない事実だった。


「こんな場所に住んでいたゴブリンでも、ゴブリンリーダーに進化出来るのね」

「いや、住んでる場所はあまり関係ないだろ」

「そう? 進化するには当然幾つもの経験をしないといけないのよ? だとすれば、こんな場所に住んでいたゴブリンにそんな経験が出来るかしら」


 ヴィヘラの口から出たのは、レイにとっても納得出来る一言だった。

 高ランクモンスターが住むには狭すぎるこの林は、ゴブリン達にとって意外といい住処だったのかもしれないと。

 勿論ゴブリンが住みやすいということは、他の低ランクモンスターも住んでいる可能性はある。

 だが、絶対的強者がいないのであれば、ゴブリンが生き延びる可能性が上がるのは間違いない。


「……けど、そうなると他にも低ランクモンスターが住んでいる可能性があって、アンブリスの能力でリーダー種になっている可能性も否定出来ないのか」

「それはあるでしょうね。けど、アンブリスがリーダー種にすることが出来るのは、亜人型のモンスターだけなんでしょ? だとすれば、他にいるのがそれ以外のモンスターだったら……」

「リーダー種は存在しない、か」

「ええ。……もっとも、亜人型のモンスターをリーダー種にするというのは、あくまでも三百年前のアンブリスの特徴であって、今回のアンブリスもそうだとは限らないんだけど」

「けど、実際今のところリーダー種になって群れを率いているのは全部亜人型だろ? なら、今回も同じだと考えてもいいと思うけどな」


 レイの口から楽観的とも言える言葉が出た瞬間、ヴィヘラは窘めるように口を開く。


「あのね、レイ。アンブリスの目撃例は今回でまだ二回目でしょう。なら、もしかしたら全く違う可能性もあるでしょう?」


 それは間違いない事実だった。

 前例が一例しかないということは、全く違う能力を持っているアンブリスが出て来てもおかしくはないのだから。

 もっとも、レイはそこまで心配はしていない。

 事実、これまでに生み出された群れは現在全てが亜人型モンスターのものだ。

 以前のアンブリスと違うのであれば、リーダー種を生み出すモンスターも全く違うものになっていたはずだった。

 勿論油断をするような真似はしていないが、それでもアンブリスが全く違う存在だとは思っていない。


「グルルゥ」


 レイとヴィヘラの言葉を遮るようにセトが喉を鳴らす。

 そうしてセトの見ている方へとレイとヴィヘラが視線を向けると……そこには、黒い霧と呼ぶべきものが木々に紛れるように存在していた。


「……レイ」

「ああ」


 ヴィヘラの言葉に、レイは短く頷く。

 セトもアンブリスの姿を見て、唸り声を上げる。

 だが、そんなレイ達を全く気にした様子もなく、アンブリスは浮かびながら木々の間を漂い……やがてそのまま地面へと向かって下りていく。

 もしかして地面の上を移動するのか? そんな疑問を抱いたレイだったが、アンブリスが次に見せた動きは地上に留まるのではなく、地面に沈むというものだった。

 霧であっても、普通は地面に潜ることが出来ない。

 それが出来るのは、やはり魔力異常だからこそなのだろう。

 一見すると黒い霧に見えはするが、実際には霧ではないということの証明だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る