第1184話
夏の空を、レイとヴィヘラは飛ぶ。
正確には空を飛んでいるのはセトで、その背にレイが跨がり、前足にヴィヘラがぶら下がっているのだが……二人と一匹は、そんなのを全く気にした様子もなく空を飛んでいた。
レイが口を滑らせ、ミレイヌと……正確には灼熱の風とどちらが早くアンブリスを見つけるのかという競争を始めてから、三日。
それだけの時間があっても、未だにアンブリスの姿を見つけることが出来ずにいた。
勿論その間にもモンスターの群れが生み出されるのが止まる筈もなく、毎日のようにモンスターの群れが発見されては冒険者達によって討伐されていく。
特に多いのは元々数の多いゴブリンで、人を襲う為にギルムへと向かってくるところを発見されることが多かった。
そんな状況だけに、アンブリスを探すのに回っている冒険者は他の冒険者にしっかり働けといった目で見られることもあり、それが原因で険悪な雰囲気になることも珍しくはない。
ギルムで有名なレイにはそんな目を向けてくる者はいないが……それでも探索に回されている者として、やはりそろそろ事態を進展させたいとは思っていた。
だが、黒い霧状の存在をどうやって見つけるのかと言われれば、すぐに答えられる訳もない。
結局出来るのは、ただギルムの周辺をセトで飛び回りながら目視で探すということだけだった。
それでも結局アンブリスの姿を見つけることは出来ず、無駄に時間が流れていく。
今日もまた、空に浮かんでいる太陽が頂点をすぎて傾き掛けている。
「そろそろ昼だし、食事にするか?」
レイが、セトの背の上からセトの前足に掴まっているヴィヘラに向かって呼び掛ける。
幸い現在地上に広がっているのは緑の草原で、何本かの木も生えているので、直射日光を避ける為の木陰にも不自由はしない。
昼食を食べるのに、丁度いい場所ではあった。
もっとも、直射日光という意味では、高度百mの場所を飛んでいるレイ達にとっては今更のものなのだが。
「そうね。そろそろお腹が空いてきたし……食事にしましょうか」
セトの前足にぶら下がるという行為にも、完全に慣れた様子のヴィヘラが告げる。
当然セトも食事をするというレイとヴィヘラの言葉に異論などある筈がなく……いや、それどころか嬉々として地上へと降りていく。
元々セトは何かを食べるという行為が大好きだ。
それこそ、街中で売られているような料理から、モンスターの生肉であっても、美味しく食べることが出来る。
そして食事をする際に、近くにレイやヴィヘラのような人達がいれば余計に美味しく感じるということをこれまでの経験と本能的に悟っていた。
だからこそ、翼を羽ばたかせながら地上に生えている木の近くへと向かい……着地する寸前に、ヴィヘラが掴んでいた前足から手を離して一人と一匹は特に失敗もせずに地面へと着地する。
上空から見た通り、木の側には特に他のモンスターや動物の姿は見えない。
木の枝に小鳥が休んでいたが、それもセトがやってきたのを見ると、即座に逃げていく。
セトも特にそんな小鳥を追いかけたりもせず――肉の多い鳥であれば話は別だったかもしれないが――木陰に入ると、すぐにレイが食事の準備を始める。
ミスティリングの中から出されたパンやスープ、串焼きといったすぐに食べることが出来る料理が、次々と草原の上へと並べられていく。
冒険者の昼食としては、非常に満足出来るメニュー。
もっとも、今アンブリスの件で動いている者達もこの昼食には及ばないまでも、それなりの食事を持ち歩いていた。
数日ギルムに戻ってこない依頼という訳ではなく、皆夕方をすぎればギルムに戻ってくる。
だからこそ、サンドイッチを始めとした簡単な食事は持ち歩くことが出来る。
少なくても、数日がかりの依頼を行っている時のように焼き固めたパンと干し肉だけといった侘しい食事ではない。
(ゴブリンの肉の方も、そろそろ顔を出しておかないとな)
二人と一匹で食事を食べながら、レイはゴブリン肉を美味く食べる為の研究をしている仲間の顔を思い出す。
ゴブリンの肉を美味くする為の研究は、当然ながら殆ど進んでいない。
レイが香辛料を渡したりもしたが、その香辛料もあくまでもレイが持っているからこそ贅沢に使えるのであり、普通に買おうとすればかなりの高値がつく。
胡椒と金が同量の価値を持っていたという話や、香辛料を求めて戦争を起こした……といった、日本にいた時に何かで見たか読んだかした件を思い出す。
もっとも、ギルムではそこまで香辛料が高価な訳ではないが、それでも誰もが気軽に買える程に安いという訳でもない。
当然ゴブリンの肉に香辛料を大量に使うような真似をすれば、食べられなくはないが異様に高値になるだろう。
(そこまで高くない香辛料……ミントが繁殖力強いって聞いたことがあるけど。こっちにもあるのか?)
香辛料の中でも非常に有名で、使い道も多いミント。
レイの認識としては、香辛料というよりハーブといったものなのだが、それでも一応香辛料として考えてもいいだろうと考える。
ミントというのは非常に繁殖力が強く、育てるのに苦労はしない。
いや、それどころか下手をすると育てるよりも間引く手間の方が大変になるというくらいに繁殖する。
レイも日本にいた時に友人の姉がミントを育てて管理するのに失敗し、庭がミントで溢れかえった光景を目にしたことがある。
世の中にはミントテロなどという言葉もあったのを考えれば、ミントがどれだけ繁殖力旺盛なのかが分かるだろう。
(ゴブリンの肉とミントか。……どういう料理になるんだろうな。単純に焼く? 蒸す? 煮る? その辺は料理人に任せるのが一番だろうけど。だとすれば、ミントをどうやって見つけるかという問題もある)
レイは友人の家でミントが庭一杯に増殖している光景を見ているし、その友人からお裾分け……いや、半ば押しつけられるような形でミントを渡されているので、ミントがどのような形をしているのか分かる。
売られていたり、どこかに生えていれば、すぐに見分けられる自信があった。
だが、生憎とレイがエルジィンに来てから数年。ミントを見たことも、食べたこともない。
これは偶然レイがミントを見つけることが出来なかったのか、それとも単純にミントがないのか、はたまたミントを香辛料やハーブとして認識してないのかは分からない。
(タクムがいたってことは、ある程度日本の文化とかが広まっててもいい筈なんだけどな。まぁ、箸とかも広まってないし、その辺は広げなかったのか、それとも単純に広めようとしたけど広まらなかったのか)
特に箸の場合、ナイフやフォークを使い慣れている者にとっては非常に使いにくい代物だろう。
そんな状況で箸を広めようとしても、不便で広がらなかったという可能性は十分にある。
(じゃなくて、ミントについてだ。……まぁ、家が農家だったり、田舎で広い庭がなかったり、ハーブティーを好んでいたりするのが家族にいなかったり、料理が趣味だったりしないと、普通はミントを見ることは出来ないか)
尚、レイの友人の姉はハーブティーに嵌まって庭でミントを育てることにしたらしい。
当然庭一杯に生え広がったミントをハーブティーや料理で使い切れる筈もなく、レイのように手当たり次第にお裾分けし、最終的にはハーブティーならぬハーブ風呂にして何とか処理したとか。
当時のレイは、別に無理に使わなくても抜いて捨てればいいんじゃ? と思っていたのだが、その辺はミントを育てた身として許容出来なかったらしい。
ともあれ、ミントは見つけることさえ出来れば繁殖させるのも難しくはないし、上手くいけばギルムの新しい名物になるのでは? という思いもレイの中にはあった。
もっとも、繁殖力旺盛なのを考えると、それこそすぐに他の街や村でも育てることは出来るのだろうが。
「レイ、どうしたの? 急に考え込んで」
「いや、こうして美味い料理を持ち運ぶことが出来る俺は幸せだけど、普通の冒険者はこんなに豪華な食事を食べることは出来ないんだろうと思ってな。普通なら干し肉と焼き固めたパンとか、そういうのだけだろ」
豪華な食事と言っても、ギルムの中では普通に食べることが出来る料理の数々だ。
だが、それが街の外でとなると、途端に豪華と表現するのに相応しい料理となる。
「……そうね。私もビューネと一緒にダンジョンに潜っていた時は、そういう食事だったわ」
「今更だけど、よくそんな食生活に耐えられたな」
最近ではレイも時々忘れることがあるが、ヴィヘラはベスティア帝国の皇族出身だ。
当然そこで出される料理は贅をつくしたものであり、そんな料理を食べ慣れていたヴィヘラが、よく干し肉や焼き固めたパンといった保存食で我慢出来たなというのがレイの正直な思いだ。
そんなレイの言葉に、ヴィヘラは残っていたパンを千切って口に入れながら笑みを浮かべる。
「そうでもないわよ。毒味とかそういうのをしなくてもいい分だけ、楽だったし。幾ら豪華で美味しい料理でも、作りたてならともかく冷めてしまってはね」
「そういうものか?」
「ええ、そういうもの。……ねぇ、レイ。ちょっとあれを見て」
話している途中、不意にヴィヘラの表情が笑みを浮かべたものから緊張したものへと変わる。
ヴィヘラの視線を向けている方を向いたレイが見たのは、ゴブリン。
それだけであれば特に驚くようなこともなかっただろう。
最近は群れになって多く出没しており、それこそ毎日飽きるように見ているのだから。
レイも、ゴブリンの群れを見つければセトで上を通りすぎる時に地上へと魔法を放っては群れ諸共に焼き殺しているのだから。
だが、そんなゴブリンを見てヴィヘラの表情が変わった理由はレイにも一目で理解出来た。
何故なら、覚束ない足取りで草原の中を歩いているゴブリンは、身体に黒い霧を纏っていたからだ。
いや、纏っているという表現は正しくない。どちらかと言えば、黒い霧の残滓が残っていてそんな風に見えているというのが正しい。
その黒い霧を抜かしても、ゴブリンには色々と違和感がある。
「……どう思う?」
「取りあえず、見逃すということはないでしょうね。今までアンブリスを散々探してきたんだから、少しでも情報が欲しいわ」
ヴィヘラの言葉に、レイも同意して頷く。
残っている料理を素早くミスティリングの中に収納し、ゴブリンを追いかける準備を整える。
食事が途中で終わったことに少しだけ残念そうにしたセトだったが、それでもアンブリスの手掛かりを追うというレイとヴィヘラには抗議はせずに立ち上がった。
そうして二人と一匹は、空を飛ぶのではなくゴブリンの後を追う。
ある程度の距離を置き、ゴブリンに何があってもすぐに対応出来るように進んでいく。
ゴブリンは相変わらず覚束ない足取りのままで草原を歩いていく。
「あのゴブリンの様子から考えると、明らかにおかしいんだが……」
「そうね。問題は、いつあのゴブリンがアンブリスに接触したか、かしら。数時間以内なら、この近くにまだアンブリスがいるんでしょうけど。……でも、こうして周囲を見る限り、アンブリスの姿はないわよね?」
尋ねるヴィヘラの言葉に、セトは喉を鳴らす。
視覚や嗅覚、聴覚といった感覚を使っても、周囲にアンブリスの姿は発見出来ない。
だが、元々アンブリスはその特性からなかなか見つからないのが当然であり、もし周囲にいてもそう簡単に見つけ出すことは出来ない。
「何とか周囲の様子をしっかりと探って、出来ればアンブリスを見つけたいところだけど……それも難しそうだな」
「そうね」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトがごめんなさいといった鳴き声を漏らす。
そんなセトに、レイとヴィヘラの二人は気にするなと撫でる。
だが、慰められたセトは自分の力ではアンブリスを見つけることが出来ないというのが情けないと思っているのか、いつもならすぐに元気を取り戻すのだが、未だ完全には立ち直っていない。
セトの背中を撫でながら草原の中を進んでいくと、レイ達の前を覚束ない足取り……それこそ千鳥足と表現してもいいような、まるで酔っ払っているように見える足取りで歩いていたゴブリンの動きが止まる。
それは自分の意志で止まったのではなく、まるで一時停止のボタンを押されたかのような、そんな止まり方。
明らかに違和感のある止まり方であり、だからこそレイとヴィヘラ、セトの二人と一匹はそのゴブリンの様子をじっと見守っていた。
何かがあれば……具体的には、アンブリスが姿を現せばすぐに行動に移れるように。
魔力異常によって生み出されたアンブリスは、物理攻撃が効かない。
そもそも、実体がないのだからそれは当然だろう。
そして魔力異常という現象そのものが形を持った存在ということで、高い魔法防御力も有している。
そんなアンブリスを何とかするには、莫大な魔力を持ったレイが魔法防御を力尽くで突破する……というのが、最善の方法の筈だった。
いつ何が起きても大丈夫なように行動を起こす準備をし、ゴブリンを見ていると、不意にゴブリンの周囲に存在していた黒い霧が消えていく。
そう、ゴブリンの身体に吸収されているかのように。
「ギャアアアアアアアアァ!」
黒い霧が全て吸収された瞬間、ゴブリンは雄叫びを上げ……その身体は数秒前よりも明らかに大きくなっていた。
ゴブリンリーダーの誕生である。
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