第1165話

 ゴブリンの死骸が大量に広がっている草原……そこに、レイやセトを含めて今回の依頼に狩り出された者達の姿があった。

 ゴブリンの流した血や内臓、体液といったものの臭いが周囲には広がっており、夏の午後だけに太陽から降り注いだ日光によって熱せられた空気で強烈な悪臭を漂わせる。

 まだ春や秋……そこまでいかなくても、涼しい午前中であればここまで臭いもしなかったのだろうが。

 そんな悪臭漂う中だったが、冒険者達は特に気にした様子もなく集まっている。

 この中で最も嗅覚の鋭いセトは微かに嫌そうな鳴き声を上げていたが、それでもゾンビのようなアンデッドに比べれば、まだ我慢出来た。


「それで、この有様だけど……どうする?」


 最初に口を開いたのは、この場にいる中では最も年下にして……最も高ランク冒険者の、レイ。

 普通であれば、まだ十代半ばのレイに話の主導権を握られるのは他の者達にとって面白いことではない。

 だが、この場にいる者達はレイがどのような存在か知っているし、何よりもしそれを知らない者がいても、ゴブリンの群れの背後から炎の魔法やセトのファイアブレスで攻撃しているのを見ている。

 それを見てしまえば、誰がこの中で一番格上なのかということは認めない訳にもいかないだろう。


「どうって言われても……このままにはしておけないだろ? このままにしておけば、間違いなく腐って臭くなるし、ゴブリンの肉を目当てにモンスターや動物がやってくるかもしれない。何よりアンデッドになる危険がある」


 鎚を手にした冒険者が呟くと、他の者達もそれに同意だと言いたげに頷きを返す。


「じゃあ、燃やすか」


 レイの言葉に、こちらもまた皆が頷く。

 ここにいる冒険者は、誰もがそれなりの腕利きだ。

 当然ながら、ゴブリンの素材を剥ぎ取るような真似をしても、労力に対して得られる収入が少ないというのを理解している。


「誰も異論がないようだし……ああ、そうそう。ゴブリンリーダーの魔石は一つ俺が貰うけど、構わないか?」


 尋ねるレイに、誰もが否定的な意見を口にはしない。

 ゴブリンの群れを相手に、レイがどれだけの働きをしたのかというのを皆が理解している為だ。


「ゴブリンリーダーの魔石くらいなら、レイが貰っても誰も文句は言えないだろ」


 冒険者の一人が頷き……レイは数匹いるゴブリンリーダーの死体をミスティリングに収納していく。

 このゴブリンリーダーの死体は、ギルドの方に提出して今回の依頼を済ませた証拠となる。


「けど、魔石だけでいいのか? ゴブリンリーダーは、ある程度の素材があるぞ?」

「いや、俺は魔石だけでいいよ。この死体の剥ぎ取りはそっちに任せる。後はギルドから貰える報酬でいいし」


 レイの言葉に、他の冒険者達も少しだけ嬉しそうな気がする。

 正直なところ、レイはゴブリンリーダーの死体を解体するのが面倒だから他の面子に投げたというのが正しいのだが……それを他の冒険者達が理解する様子はない。


「じゃあ、ゴブリンリーダーの死体も収納したし、ゴブリンの死体を片付けるぞ。構わないか?」


 確認し、誰もが異論がないことを確認してからレイはデスサイズを手にして呪文を紡ぐ。


『炎よ、我が魔力を糧とし死する者を燃やし尽くせ。その無念、尽く我が炎により浄化せよ。恨み、辛み、妬み、憎しみ。その全ては我が魔力の前に意味は無し。炎は怨念すらも燃やし尽くす。故に我が魔力を持ちて天へと還れ』


 デスサイズの石突きに、青い炎が生み出される。

 その石突きを地面に突き刺し……魔法は完成した。


『弔いの炎』


 地面を走って広がる青い炎がゴブリンの死体を包み込み、やがて炎の中でゴブリンの死体は崩れていく。

 その光景を見ながら、レイは自分の中にある魔力が大量に消耗したのを感じる。

 元々この魔法は、炎属性以外にも神聖属性の要素も持っている。

 それだけに、本来は炎属性の適性しかないレイが強引にその魔法を使っているので、魔力の消耗が物凄かった。

 魔力量だけなら、この世界で並ぶ者がいないだろうレイの魔力が、この魔法を一度使うだけで何割かを消耗するのだ。

 適性のある魔法使いが指先一本動かす程度の労力で可能なことを、原子力発電所で出せる最大の電力を使って何とか同じことを行っている……と表現すれば分かりやすいか。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 荒い息を吐きながら、何とか呼吸を整える。

 そんなレイの姿を見て、セトが心配そうに喉を鳴らしながら顔を擦りつけた。

 大丈夫? と態度で示すセト。

 周囲の冒険者達はレイやセトの様子に気が付く様子もなく、ただ、周囲に見える光景に……青い炎に目を奪われていた。

 炎と言えば赤という認識を持つのは、当然だろう。

 そんな者達にとって、青い炎というのは見るからに不思議なものでしかなかった。

 気のせいか、ゴブリンの死体が崩れていくのもどこか幸せそうに見えるような気がする。


「お、おい……これ……」


 青い炎に目を奪われていた冒険者の一人が、ようやくそれだけを口にする。

 その声により、他の者達も身動きが出来るようになった。


「これは、何て言えばいいんだろうな……幻想的。そんな表現では物足りない」

「ああ」


 次々にゴブリンの死体が消えていくのを眺めつつ、それぞれが感嘆の息を漏らす。

 数匹のゴブリンリーダーが率いる、ゴブリンの群れ。

 一つの群れが百匹前後であれば、数百匹分のゴブリンの死骸だ。

 幾らか逃げ延びることに成功したゴブリンもいたが、その数はそれ程多くはない。

 つまり、冒険者達の前で青い炎に包まれて燃えている……否、浄化されているゴブリンは数百匹近い数だった。

 それだけの数がこうして青く燃えているのだから、冒険者のうちの一人が口にしたように幻想的と表現しても決して過剰な表現ではないだろう。

 そんな幻想的な光景も、燃えるものがなくなってしまえば消えてしまう。

 青い炎が消え去った時、周囲にはゴブリンの死骸を思わせるものは何一つとして残っていなかった。

 ……いや、ゴブリンの武器や防具といった物が転がっているのだから、何一つとして残っていないというのは言いすぎだろうが。


「さて、ゴブリンの件も終わったし、そろそろギルムに戻るとしないか? ギルドに報告する必要もあるだろうし、もしかしたら他の群れがギルムに近づいてきている可能性もある」


 レイの声で我に返ったのだろう。冒険者達は慌てて帰る準備をし、馬車へと向かう。


「レイさん、あんたは……いや、あんたが馬車に乗る必要はないのか」


 冒険者の一人が、セトを撫でているレイの方へと視線を向けて話し掛け、一人で納得する。

 レイがセトに乗って移動出来るというのは、それこそ自分の目で見ているのだから。


「ああ、先に行ってくれ。俺はセトと一緒に別に行くから」


 そう告げたところで、ふとヘスターのことを思い出す。


(ゴブリンを憎んでいたんだし、この依頼を受けてもおかしくなかったと思うけど。まぁ、日中だし自分の依頼を受けていたのかもしれないけど)


「どうしたんだ?」

「ああ、いや。何でもない。もしセトにぶら下がりたい奴がいたら一緒に連れていってもいいけど、どうする?」

「……え? ぶら下がる? 乗るじゃなくてか?」


 レイの言葉に、一瞬自分もセトに乗れるのか!? と喜びの声を上げた男だったが、すぐにレイの口から出たのが乗るではなくてぶら下がるという言葉だったことに気が付く。


「ああ。残念ながらセトは俺以外を基本的に背には乗せない。その代わり、前足で肩を掴んで運ぶということは出来る」

「あー……いや、馬車で行くよ」

「そうか? まぁ、別に無理にとは言わないけど」


 きちんと背に乗るのであればまだしも、前足に捕まえられてぶら下げられて移動するというのは遠慮したかったらしく、レイと話していた冒険者の男は短くそう告げる。

 レイと男の話を聞いていた他の冒険者達も、もしかしたら自分もセトに乗れるかも? と期待の視線を向けていたが、前足に捕まえられ、ぶら下がって移動するというのは遠慮したかったらしい。

 次々に馬車へと乗り込んでいく。

 全員が馬車に乗り込み、レイに一声掛けてから去って行く。

 そんな様子を見ていたレイは、少しだけ不満そうにしながらセトを撫でる。


「前足で掴まれて移動するのだって、別にいいと思うんだけどな。なぁ?」

「グルゥ?」


 そう? と小首を傾げるセト。

 セトにとっては、人を連れていくというのは出来るけど、やらなくてもいいのなら別にいいかという思いだったのだろう。


「ま、いいや。ヴィヘラもそろそろ戻ってるかもしれないし、俺達も帰るか」

「グルゥ!」


 ギルムに近づいてきたゴブリンの群れは、ここでレイ達が戦った者達だけではなかった。

 それは、レイ達が倒したゴブリンリーダーが数匹にも及んでいるというのを考えれば、当然だっただろう。

 レイと同じく一般の冒険者に比べて高い戦闘力を持っているヴィヘラは、レイとは別のゴブリンの群れへと対処する為に派遣されたのだ。

 ヴィヘラはレイと一緒の群れに行くつもりだったのだが、セトに乗れない以上は馬車で移動するしかなく、ギルドから貸し出すことが出来る馬車にも余裕がある訳ではない。

 特にレイが向かった以上、そのゴブリンの群れの壊滅は半ば確定しており、そこに更に戦力を向けるのは遊兵を作ることにもなりかねなかった。

 勿論ギルドからの依頼であるし、領主としてダスカーも騎士団を派遣している。


 戦力的には十分である以上、ヴィヘラも馬車ではなく馬を借りて一人でレイの下に向かっても良かったのだが……そこまでする必要もないだろうと判断し、ヴィヘラは大人しく別のゴブリンの群れへと向かった。

 そして、レイにとってはヴィヘラがゴブリンの群れを相手にどうにかなるとは全く思えず……だからこそ、そろそろギルムに戻っていてもおかしくないだろうと判断する。


「じゃ、行くぞ」


 そう告げ、セトの背に跨がるレイ。

 セトはそんなレイの様子に嬉しそうに喉を鳴らし、数歩の助走の後で空中へと駆け上がって行く。


(そう言えば、ヘスターと一緒に行った時のゴブリンの死体はそのままだったけど、大丈夫か? ……まぁ、あのままだとパンプが危険だったから、仕方がないだろうけど。獣や他のモンスターに食べられていることを祈るだけだな)


 それに林の中だったこともあって、アンデッドになっていてもギルムには被害は出ないだろうという予想もあった。

 恐らくより上位のモンスターに倒されるだろうというのがレイの予想だ。


「向こうは向こうで何とかなるだろ。……お、見えてきたな」


 空を飛ぶセトは、当然のように馬車で移動する者達よりも遙かに早くギルムへと到着する。

 正門から少し離れた場所に着地すると、警備兵が正門の方から近づいてくる。

 普段であれば警備兵は正門で待っているのだが、それが移動するということはそれだけレイの行動に……具体的にはギルムに近づいてきているゴブリンの群れに興味があったからだろう。


「レイが戻ってきたってことは、もうゴブリンの群れは倒したんだよな? どんな感じだった?」


 レイがゴブリンを相手に……それが例え群れであっても遅れを取ることは有り得ないと信じ切っている口調。

 もっとも、レイの能力を理解していれば当然なのだろうが。

 寧ろ、有象無象の大軍を相手にするというのは、レイにとって最も得意な戦闘方法だった。


「ゴブリンリーダー数匹がそれぞれ群れを率いて、それが集まってたりしたな。一応ゴブリンリーダーの死体は持ってきたけど、ゴブリンの方は全部燃やしてきた」


 正確にはアンデッド化しないように死骸を燃やしてきたというのが正しいのだが、レイとしてはわざわざそこまで教える必要は感じなかった。

 ギルドに説明するのであればまだしも、警備兵への説明ならこの程度でいいだろうと。


「も、燃やした……結構な数がいるって聞いてたけど……深紅の異名を持つだけはあるな」


 ゴブリンの全てを燃やしたという話を聞かされた警備兵は一瞬唖然としたものの、すぐに納得の表情を浮かべる。

 実際、レイの強さを考えれば当然だろうと。


「それにしても、ゴブリンの群れか。これが大きい群れならかえって対処しやすいんだけどな。こうして小さな群れが幾つも現れるとなると、厄介だぞ」


 警備兵の言葉に、レイもまた頷きを返す。

 どこかに大きな大軍が一つあるだけなら、それこそレイを派遣して一気にその群れを殲滅してしまえばいい。

 だが、こうして何個もの小さな集団が好き勝手に動くとなれば、一々群れを見つけてから倒しにいかなければならない。


(兵力分散の愚と言うけど、これはこれで嫌な手だよな)


 警備兵と話しながらそんなことを考え、ギルムに入る手続きを終えるのだった。

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