第1162話

 地面に倒れているコボルトリーダーの死体を見ていたヴィヘラは、少し呆れたように呟く。


「勿体ぶってた割りには、呆気なかったわね。……まぁ、レイと戦ったんだから、それは当然なんでしょうけど」

「何だかんだ言っても、結局コボルトリーダーだしな。それに、異常なのはコボルトリーダーが殆ど考えもせず、それこそ獰猛……と言えば聞こえはいいかもしれないけど、殆ど何も考えないで部下を突撃させてたことだろ」

「そうかもしれないわね。普段のコボルトなら、相手の強さを見るくらいはする筈だもの。それこそセトのような存在がいるのに、攻めて来たというのは少し考えにくいわ」

「グルゥ?」


 自分の名前が呼ばれたのに気が付いたのだろう。コボルトリーダーの死体を前足で軽く突いていたセトが、何? と小首を傾げてヴィヘラへと視線を向ける。


「何でもないわよ。ただ、そのコボルトリーダーは何だかちょっと危ないから、あまり弄らない方がいいわよ」


 そう言われると、セトはコボルトリーダーからそっと離れる。

 特に残念そうな様子を見せていないのは、別にそこまでコボルトリーダーに拘るつもりはなかったからだろう。

 ただ何となく……ちょっとした暇潰しで、手を出していただけというのが、セトの正確な気持ちだった。


「それで、レイ。これはどうするの?」

「どうするってのは? ……まぁ、ゴブリンの時とは違ってそこまで急ぐ必要がある訳でもないし、コボルトの魔石くらいなら回収してもいいと思うけど」

「そうじゃなくて。コボルトリーダーの件よ。ギルドに報告するの?」

「……した方がいいだろうな。それに俺が報告しなくても、さっき逃げていった三人組が報告するだろ。向こうは俺をきちんと認識してたみたいだし、ギルドでも名前が出るのは間違いない」


 レイを知らない相手であればまだしも、ギルムの冒険者でレイを知らないという者はモグリと呼ばれてもおかしくはない。

 そんな三人組が今回の件をギルドに説明する上で、レイの名前を出さないということはまずなかった。


「そう? 何だかまた面倒なことになりそうね。前みたいなサイクロプスの集団なら、私もやる気がでるんだけど」


 そう告げるヴィヘラの表情は、以前行われた強敵との戦いを思い出しているのだろう。淫靡と呼ぶのに相応しいものだ。

 普通であれば、サイクロプスのような強力なモンスターと戦いたいと思う者は多くない。

 だが、戦闘欲とでも呼ぶべき欲望を持つヴィヘラにとっては、そのような相手との戦いは望むべきものだった。

 そんなヴィヘラを見ながら、レイはセトを撫でつつ口を開く。


「とにかく、このコボルトリーダーの魔石だけは取り出しておくか。ゴブリンリーダーの魔石を吸収出来たんだし、こっちも大丈夫だろ」

「……大丈夫?」


 セトに忠告した時と同じように呟くヴィヘラ。

 ヴィヘラから見れば、コボルトリーダーは決して強い相手ではない。

 だが、それでも普通のコボルトリーダーと違うのは事実であり、そんなモンスターの命の結晶とも呼べる魔石を吸収するのは、出来れば止めた方がいいというヴィヘラの思いだった。


「安心しろ、コボルトリーダー程度の魔石がどうなっていたところで、魔獣術の前には何を出来る訳でもない。……実際、セトはゴブリンリーダーの魔石を吸収しても特に異変はなかったんだろ?」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。


「……本当に大丈夫なの?」


 それでもヴィヘラの口から出るのは、心配そうな声音だ。

 基本的には楽観的で享楽的なヴィヘラだったが、それでも今の状況を考えればやはりレイやセトが心配になるのだろう。

 そんなヴィヘラの思いを理解しつつ、それでもレイはコボルトの魔石程度でどうにかなる筈はないという確信があった。

 何か理由がある訳ではない。だが、自分の中にある何かがそんな確信を抱かせるのだ。


「俺を信じろ」

「……馬鹿ね。そう言われたら、もう何も言えないじゃない」


 ヴィヘラが拗ねたように呟き、そっとレイの腕を撫でる。

 愛おしそうに自分の腕を撫でるヴィヘラに、再度大丈夫だという意味を込めて頷き、コボルトリーダーの死体へと近づく。


(取りあえず他のコボルトも、魔石だけは取り出しておくか)


 ゴブリンと違い、コボルトは毛皮がある程度の値段で売れる。

 勿論高額という訳ではないが、それでも全く素材として期待出来ないゴブリンよりはマシだった。


(ゴブリンの肉の研究が上手くいけば、数の多いゴブリンの肉はそれなりに高い値段で取引されるようになるだろうけど……いつになることやら)


 不味い肉の代名詞的な存在である、ゴブリンの肉。

 その肉を美味く食べられるように研究を重ねている……正確には商人の一人と協力して研究をしているレイだったが、それでも未だにゴブリンの肉を美味く食べることが出来る突破口は見えなかった。


(いっそコボルトの肉にしてみるか? 一応コボルトの肉は普通に食べることが出来るんだし。……ただなぁ、コボルトはゴブリンに比べるとどうしても数が少ないから、肉の量という点で劣るんだよな)


 解体用のナイフを取り出し、コボルトリーダーの心臓から魔石を取り出しながら、そんな風に考える。


(そうだな。一応肉を持ち込んでみるか。どのみちここに放っておけば、他の動物やモンスターの餌にされるだけだし。それに、最悪アンデッドになる可能性もある。そう考えれば)


 コボルトリーダーの異常さを理解しつつ、魔石を取り出したレイはその魔石をどうするか悩み……やがてデスサイズを取り出す。


「セト、ゴブリンリーダーの魔石はセトにやったから、この魔石はデスサイズで吸収してもいいか?」

「グルゥ? ……グルルルゥ!」


 レイの言葉に少し迷ったセトだったが、すぐにその言葉に頷きを返す。

 そんなセトに感謝の意味を込めて小さく頭を撫でると、レイは魔石を手にしてヴィヘラへと向き直る。


「ヴィヘラ、セトが魔石を吸収する光景は見たけど、デスサイズで魔石を吸収する光景は見せてなかったよな?」

「え? ええ。……セトの場合は飲み込んでたけど、デスサイズだとどうするの? もしかして、デスサイズもレイの魔力から生み出されたんだから、自分の意志を持っていて、それで魔石を吸収するとか?」


 ヴィヘラの口から出た言葉に、ふとレイの脳裏をデスサイズに口が生み出され、それが魔石を食らっている光景が過ぎる。

 だが、あまりにも非現実的な想像に、レイの口から出たのは苦笑のみだ。

 マジックアイテムのデスサイズにそんな機能があれば面白いとは思うが。


(そうなれば、口だけを伸ばして敵の魔石を食い千切るとか? それはそれで結構面白そうだけど)


 自分の意志を持ったマジックアイテムというのは、それだけを聞けば面白そうだ。

 しかし、もしそんなものを作ることに成功した場合、色々と面倒な事態になるのは間違いなかった。


(あ、でも選ばれた者だけが持つ聖剣とか……そういうのって、もしかしてそういう風なのか?)


 勿論その類の伝説はこのエルジィンにもあった。

 いや、それどころか物語としてかなり残っている。

 一般人には買えないが、貴族が文字を覚える為の絵本のようなものがあるという話も、レイは知っている。

 本屋に置いてあったのを少し見せて貰っただけだったが。

 この世界の本というのはそれなりに高価なものである以上、当然ながら立ち読みの類は出来ない。

 そんな真似をすれば、すぐに店を追い出されてしまう。

 だからこそ、レイはしっかりとその絵本を読んだのではなく、適当に数ページ見てみたにすぎない。

 それでも、聖剣を抜いているシーンを見れば、理解出来ない筈がない。


「レイ?」


 意志を持つマジックアイテムという言葉に考え込んでいたレイは、ヴィヘラのそんな声で我に返った。


「いや、何でもない。別にデスサイズに意志がある訳じゃなくて、魔石を吸収する場合はこうするんだよ」


 手に持つ魔石を空中へと放り投げ、次の瞬間にはデスサイズが一閃する。

 魔石は綺麗に斬り裂かれ……だが、レイの脳裏にいつものアナウンスメッセージが流れることはなかった。


「……駄目か。というか、普通に考えれば嗅覚上昇のスキルを入手するのならゴブリンの魔石じゃなくてコボルトの魔石の方がらしいと思うけどな」

「グルゥ?」


 レイの言葉に、セトはそう? と小首を傾げる。

 セトにとっては、ゴブリンの魔石で嗅覚上昇のスキルを覚える……より正確には強化されたとしても、おかしなことではなかったのだろう。


(まぁ、上位種だったし……そう考えれば、そんなに間違ってるって程でもないのか? その割りには、俺達が空にいるのを嗅ぎ取ることが出来なかったみたいだけど)


 そんな風に悩んでいると、ヴィヘラが少しだけ意外そうに口を開く。


「もしかして、魔石を吸収したからといって必ずスキルを習得出来る訳ではないの?」

「ああ。何が関係してるのか正確なところは分からないけど、覚えることがあったりなかったりするな。覚えることが出来るスキルも、その魔石を持っていたモンスターの特徴に関係することもあれば、関係しないこともある」


 今回のゴブリンリーダーとコボルトリーダーの魔石は特にそうだ、と。

 そう告げるレイの言葉に、ヴィヘラは納得の表情を浮かべる。


「なるほど。あの魔人ゼパイルでも、そう簡単にスキルの習得を出来るようにするのは無理だったのね」


 しみじみと呟くヴィヘラの表情に浮かんでいるのは、安堵に近い表情だった。

 何故自分がそのような表情を浮かべているのか、ヴィヘラは一瞬迷うも、すぐに理解する。

 それは、レイに置いていかれるのではないかという恐怖。

 レイを想うが故に、レイに置いていかれるのが我慢出来なかったのだ。


「ああ、そうなるな。……じゃあ、そろそろ行くか。いつまでもこの森にいると、また何かに巻き込まれかねないし」

「既に今も十分巻き込まれている気がするけど……」


 自分の胸の中にある不安を押し殺すように告げてきたその事に、レイは納得せざるを得ない。

 ゴブリンリーダーの件は自分から依頼を受けたのだが、今回のコボルトリーダーの件は明らかに巻き込まれた形だったからだ。

 元々、自分はトラブルに巻き込まれやすいと理解しているレイだけに、ここに残っていれば恐らくまた何か別のトラブルに巻き込まれるのではないか。

 そんな風に思ってしまうのは、レイのこれまでの経験を考えれば当然だろう。


「じゃ、行くか。今回の件をギルドにも説明しないといけないし」

「はいはい。それでまた何かおきるんでしょうね。……でも、出来ればもう少し強いモンスターが現れて欲しいところだけど」


 苦笑気味に告げるヴィヘラの言葉を聞きながら、レイはコボルトリーダーとコボルトの死体を全てミスティリングへと収納する。


「あら、結局全部持っていくの?」

「ああ。アイテムボックスに収納しておけば、別に腐る訳でもないし。何かあった時の非常食として考えれば、決して悪いことじゃないだろ」

「別に悪いとは言わないけど。それにしても、アイテムボックスって便利よね」


 しみじみと呟くヴィヘラ。

 基本的に踊り子や娼婦と見紛うばかりの格好をしているヴィヘラだ。当然のようにそこにポケットのような収納する場所はなく、物の収納は時々バッグを持っているくらいだ。

 そんなヴィヘラにとって、やはり装飾品のようにしか見えないミスティリングというのは非常に羨ましいのだろう。


「簡易版というか、量産型のアイテムボックスがあるだろ? それは買わないのか? かなり高価だけど、ヴィヘラなら購入出来るくらい稼ぐのはそう難しくないと思うけど」


 レイの脳裏を過ぎったのは、エレーナが持っている簡易版のアイテムボックス。

 ただし、その値段はかなり高価であり、その割りには収納出来るのはかなり少ないという難点を持つ。

 もっとも、バッグと比べると圧倒的に持ち運べる荷物の量は多くなるので、欲しいと思っている者は多い。


「そうね。出来れば欲しいところだけど……元々かなり稀少な品だし、金銭的な問題だけじゃないのよ。それに、ギルムでもなかなか入手出来ないわ」

「黄昏の槍を作った奴に聞いてみるか? マジックアイテムだし、何とか出来るかもしれないぞ?」

「……どうかしら。アイテムボックスの系統を作るにはかなりの魔力が必要だし、魔法の属性も重要になってくるわ。ただ、錬金術が使えればそれでいいという訳でもないのよ」

「けど、動かないと何も始まらないだろ? もしなければないで、別の方法を考えればいいんだし」

「それは……まぁ、そうかもしれないけど」

「じゃ、ギルドにコボルトリーダーの報告をしたら、ちょっと行ってみるか?」

「……レイがそう言うなら、行ってみましょうか。駄目な可能性の方が高いでしょうけど」


 そう告げ、ヴィヘラはレイやセトと共に森を出て、ギルムへと向かうのだった。

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