第1159話

 ギルドを出た後で一通り顔見知りの下へと顔を出し……それが終わると屋台で色々と買い食いをしながらヴィヘラと共に街中を――ヴィヘラはデートと認識していたが――歩き回り、その日は結局それで宿へと戻る。

 当然レイがギルムに戻ってきた以上、泊まる宿は夕暮れの小麦亭だった。

 高級宿ではあるがレイの懐的には全く問題はないし、それはレイが戻ってくるまでの間にモンスターの討伐依頼を受けていたヴィヘラもまた同様だ。

 食事が非常に美味であり、高級宿だけあってマジックアイテムによって部屋は涼しく、食堂では冷たく冷えた飲み物をいつでも飲むことが出来る。

 また、セトがゆっくり出来るだけの広さを持つ厩舎があるというのも大きいだろう。

 ……唯一の難点は、夕暮れの小麦亭に泊まっている他の客達の出入りにより、厩舎の中にいる馬の中に入れ替わっているものがいたので、突然厩舎に入ってきたグリフォンを見て硬直したことか。

 ともあれ、いつも通りと言えばいつも通りの一日をすごし……翌日、レイはヴィヘラと共に夕暮れの小麦亭の一階にある食堂へとやってきていた。


「それで、レイ。今日はこれからどうするの? 昨日の今日だし、何か依頼を受ける?」

「そこは普通、昨日の今日だからゆっくりするってならないか?」


 じっくりと野菜を煮込み、溶けてなくなってしまったスープに、更に野菜とベーコンを追加して作り上げたスープを味わいながらレイは言葉を返す。

 ベーコンも小さいものではなく、しっかりと食べ応えのある大きさの角切りベーコンだ。

 スープの具として入っているのに、噛むとしっかりと口の中にベーコンの旨味が広がる。

 勿論ベーコンだけではなく、スープに溶け出している野菜の甘みと旨味も十分に感じることが出来るし、火が通っていながらまだしっかりとした歯応えのある野菜も美味だった。

 このスープとパンさえあれば、余計な料理はいらないのではないかと思える程のスープ。

 パンは焼きたてで、まだ温かく、香ばしく、柔らかだ。

 高級宿でありながら食堂として一階を開放しているだけあって、その料理の味はさすがと言うべきものだった。


「美味い」


 レイの口からは賞賛の言葉しか出ない。

 それはレイだけではない。レイの向かいに座って同じくスープを味わっているヴィヘラがいるが、そのヴィヘラもスープをしっかりと味わっていた。


「美味しいわね、このスープ」


 皇女として色々な料理を食べた経験を持つヴィヘラだったが、そのヴィヘラにしてこの野菜スープは美味いとしか表現出来なかったのだろう。

 そのまま、暫くの間は無言でスープとパンを食べていくレイとヴィヘラ。

 周囲のテーブルでは、そんな二人と同じような光景が幾つも広がっていた。

 どのテーブルでも、いつもとは違う……いや、いつも出てくる料理は美味いのだが、それよりも上の美味さの料理に感嘆の溜息を吐き、またはその味に感動している者が多い。

 野菜とベーコンのスープに、パン。

 メニューを聞けば決して豪華ではない料理だが、それだけにここまでの味に仕上げたというのが、この料理を作った者の腕前を証明していた。


「ふふっ、喜んで貰えたようですね」


 笑みを浮かべながらレイとヴィヘラのテーブルに近づいてきたのは、恰幅のいい中年の女。

 夕暮れの小麦亭の女将をしているラナだ。


「ええ。ここまで美味しい野菜スープを飲んだのは初めてかもしれないわ。……何故今日はこんなスープを? いえ、勿論これを飲むことが出来て嬉しいし、パンも凄く美味しいのだけれど」

「レイさんとセトが戻ってきた記念……と言いたいところなのですが、正確にはうちの人がその気になったからというのが正確ですね」


 ラナの亭主は、夕暮れの小麦亭で厨房を任されている。

 この料理の全ては、ラナの亭主の手によるものなのだ。

 そんなラナの亭主だったが、突発的に手の込んだ料理を作る時がある。

 勿論滅多にないことではあるのだが、それだけに出来上がった料理は非常に美味なものが多い。

 それは、テーブルの上にある野菜スープを味わえば誰もが理解出来るだろう。

 それこそ、その辺の貴族でもちょっと食べることが出来ないだろう極上の料理なのだから。


「何はともあれ……レイさんがいないと、どことなくギルムも落ち着いた日々というか、寂しげな日々というか……それだけ、レイさんがギルムに馴染んでいるんでしょうね」

「そう言われるのは嬉しいけど、俺は別にギルムで生まれ育った訳でもなければ、何十年もここに住んでいる訳じゃないんだけどな」


 レイがギルムに住み着いて……より正確にはエルジィンというこの世界にやってきてから、まだ数年しか経っていない。

 更にその数年の間にも、何度も他の場所に出掛けたりしているのを考えれば、自分がそれだけこのギルムに馴染んでいるというのは少しだけ疑問だった。

 もっともそれが嬉しくないのかと言われれば、答えは否なのだが。

 レイにとってもギルムというのは馴染みのある場所であり、何よりセトを怖がることなく受け入れてくれた街だ。……最初はセトを怖がる者も多かったのは事実だが。

 第二の故郷……いや、今のレイの身体のことを考えれば、まさにここが自分の故郷と言ってもいいだろう。


「暫くはギルムにいるんですか?」

「そのつもりだけど……予定は未定って言うから、正確なところは分からないかな」


 特にレイの場合は腕利きの冒険者として名前が知られている。

 空を飛べるセトの移動速度を考えれば、緊急にどこかに何かを運ばなくてはいけないような依頼がある時にも非常に有利だろう。

 それが如実に表れたのが以前の魔熱病の件であり、同時に昨日のゴブリンリーダーの件もそれに当て嵌まるだろう。

 もしセトがいなければ、林まで馬か何かで移動して馬を林の木に繋ぎ――モンスターに襲われないようにする為には見張りを置く必要もある――自分達だけで林の中に入り、ゴブリンの集団を探さなければならなかった。

 ゴブリンというのは、ただでさえ数の多い種族だ。

 もし林でゴブリンを見つけたとしても、それがヘスターやパンプ達を襲ったゴブリンだとは言い切れず……そうなれば、確実にパンプは助からずに殺されていただろう。

 パンプを迅速に助けることが出来たのは、セトという存在がいたからだ。

 そう考えれば、間違いなくレイとセトはギルムにおいて何か緊急の事態が起きた時には頼られる存在だということになる。


「そう、ですか。まぁ、レイさんも冒険者ですからね。こちらとしては無理にここにいて下さいなどとも言えませんか」


 そう告げるラナだったが、表情に浮かんでいるのは残念そうな表情だ。

 ラナにとって、レイというのは上客であると同時に親しみを持てる相手でもあった。

 息子のように……とは、キャシーとは違い、実の息子がいるのでそこまでは思っていないのだが。

 それでもラナにとってレイは特に問題を起こす訳でもなく……いや、エルクとの戦いを含めて何度か問題は起こしているのだが、それでも他の冒険者に比べればそこまで問題を起こしてはいないので許容範囲だった。

 何より、レイは長期滞在してくれるという意味でも上客だった。

 客の中には長期滞在するので無茶な割引きをしろと言ってくる者もいるのだが、レイの場合は大人しく言い値を払っている。

 更に食事でも数人前食べるので、夕暮れの小麦亭という宿屋の利益として考えれば、他に望むべくもない存在だ。

 もっとも、それはレイが金に困っていないからこそ出来ることなのだが。


「暫くはここにいると思うから、また美味い食事を期待してるよ」


 そんな風に会話を交わしながら、レイは再びヴィヘラと朝食を再開する。

 内容的には質素だが、非常に手間の掛かった食事を終えると、レイはヴィヘラを郊外へと誘う。

 ……何をしに行くのかと言えば、ゴブリンリーダーの解体だ。

 もっとも、ゴブリンリーダーの肉はゴブリンとそう変わらない味であり、素材も特に目立つものはない。

 一応皮膚はレザーアーマー用の革に加工出来るが、そこまで高価な代物ではないので、手間の割りには今一だ。

 そんな中……レイが欲しているのは、当然の如くゴブリンリーダーの魔石であり、その場所にヴィヘラを連れていくのは、そろそろ自分のことを話すべきだと考えていた為だ。

 以前にもそんな決意をしたのだが、その時は結局有耶無耶になってしまった。


(ヴィヘラだけじゃなくてマリーナにも話した方がいいんだろうけど……マリーナはまた今度だな。今は色々と忙しそうだし)


 出来れば二人一緒に話したかったのだが、二人揃ってから話すとなるとまたいつになるのか分からない。

 そして何より、トラブル体質である以上は何かをしようとしてもトラブルに巻き込まれてしまって、話すに話せない状況になるのが目に見えていたからだ。

 自分の力を極力隠せば、トラブルに巻き込まれるようなことはなかったかもしれないが、そもそもセトを連れている以上悪目立ちするのが避けられなかったというのもある。


(それこそどこか人のいない場所で隠居生活でもしていれば、話は別だったかもしれないけどな)


 そんな自分の姿を想像するレイだったが……何故かそうしても、人間のトラブルには巻き込まれずにすむのかもしれないが、他のトラブルに巻き込まれるような感じはしていた。


(意外とそれも面白かったかもしれないけどな)


 ふと、自分がギルムではなく野山でサバイバル生活をしていたらどうなったのかと考えるのだが、実際には何とかなったような気がする。

 勿論今の生活に比べれば、とても快適とは呼べない生活になるだろうが。


「レイ、魔石を取り出すだけなら、別にここまで来る必要はないんじゃない?」


 ヴィヘラが周囲の様子を眺めながら呟く。

 今、レイとセト、ヴィヘラの二人と一匹がいるのは、ギルムからそれ程離れていない場所にある森の中だ。

 昨日のゴブリンがいた林よりは随分とギルムに近い位置にあり、今レイ達がいる川はモンスターの解体をする場所としてはレイには慣れている場所だった。


(前にここでモンスターを纏めて解体したことがあったよな)


 ふと、あの時のメンバー……アロガン、キュロット、スコラはどうしているのかと考える。

 冒険者として活動しているのでレイとは時間が合わない為か、あれから何度かは会っているが、それでも頻繁に顔を合わせている訳ではない。


「それで、レイ。これからどうするの? ゴブリンリーダーの解体をする為だけに私を連れてきた……って訳じゃないんでしょ?」

「ん? ああ、勿論だ。……ただ、ゴブリンリーダーから魔石を取り出す作業をしにきたのは事実だし、そっちをさせて貰うよ」


 レイの態度に疑問を持ったヴィヘラだったが、ここで何を言ってもレイは答えないと判断したのだろう。

 特に何を言うでもなく、黙ってレイのやるべきことを見つめていた。

 そんなヴィヘラに、近くにいたセトが喉を鳴らしながら顔を擦りつけてくる。


「あら、どうしたの? 今日は甘えん坊ね」


 レイの行動を眺めつつも、ヴィヘラはそっとセトの頭を撫でる。

 セトも、レイがヴィヘラに何を話そうとしているのかを予想している為、レイを嫌わないで……そして自分を嫌わないでと、ヴィヘラに頭を擦りつけていた。


「グルルルゥ」


 喉を鳴らしたセトがヴィヘラに撫でられている間に、レイはミスティリングからゴブリンリーダーの死体を取り出す。

 ただし、取り出したのは切断された首ではなく、胴体。

 魔石が埋まっているのは胴体なのだから、当然だろう。

 そうしてナイフで心臓のある場所を斬り裂き、魔石を取り出す。

 頭がいいといっても、結局はゴブリンリーダーという存在でしかない。

 そこから取り出された魔石は、決して大きな訳でなく……寧ろ、普通のゴブリンと比べてもそれ程の差はないように思えた。

 取り出した魔石を川の水で洗う。

 夏だけあって、流れている川の水に手を入れると気持ちいい。

 ゴブリンの魔石に付着していた血や肉片が川の水に流されていく。


(あの肉片とかも魚の餌とかになるのか。……なるのか?)


 ゴブリンの肉の不味さを知っているレイとしては、魚があの肉片を食べるのか? と聞かれれば、首を傾げるしか出来ない。

 同時に、ゴブリンの肉を美味く食べさせる為の研究にはいいか、と。ゴブリンリーダーの死体をミスティリングに収納する。


(そう言えば、香辛料を持っていくつもりだったけど、そっちはまだ忘れてたな。ゴブリンの肉の方で何か進展があったかどうかも聞かないといけないし……まぁ、それもこれも、ヴィヘラが俺とセトのことをどう思うかだな)


 考えながら、セトを撫でているヴィヘラを眺める。

 幸せそうにしているヴィヘラに向かって、意を決するとレイは口を開く。


「ヴィヘラ、俺が魔石を集める趣味があるって話は覚えてるか?」

「え? ええ、勿論知ってるわよ? 妙な趣味だとは思うけど」

「実はそれは嘘だ。俺が集めている魔石は……こう使う。セト」


 セトを呼び、持っているゴブリンリーダーの魔石をセトへ向かって放り投げる。

 セトはそれを器用にクチバシで受け止め……次の瞬間、飲み込む。


【セトは『嗅覚上昇 Lv.二』のスキルを習得した】


「……え? 何でゴブリンで嗅覚上昇?」


 レイの口から、少しだけ間の抜けた声が響くのだった。






【セト】

『水球 Lv.三』『ファイアブレス Lv.三』『ウィンドアロー Lv.三』『王の威圧 Lv.二』『毒の爪 Lv.四』『サイズ変更 Lv.一』『トルネード Lv.二』『アイスアロー Lv.一』『光学迷彩 Lv.四』『衝撃の魔眼 Lv.一』『パワークラッシュ Lv.四』『嗅覚上昇 Lv.二』new『バブルブレス Lv.一』『クリスタルブレス Lv.一』『アースアロー Lv.一』


嗅覚上昇:使用者の嗅覚が鋭くなる。

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