第1158話
「あら、お帰り。戻ってきて早々にゴブリン討伐に行ったんですって? 相変わらず忙しいのね。そっちに座ってちょうだい」
自分の部屋に入ってきたレイを見て、ソファへ座るように勧めながら、マリーナは笑みと共にそう告げる。
いつものように胸元が大きく露出したパーティドレスを身につけており、柔らかそうな双丘の谷間がレイの目には見て取れる。
露出度という意味ではヴィヘラも決して負けている訳ではないのだが、やはりそこは女の艶という点でマリーナの方がヴィヘラを上回っているのだろう。
そっと褐色の谷間から視線を逸らしたレイは、何かを誤魔化すかのようにマリーナの言葉に頷く。
「ああ。未知のモンスターの魔石を入手出来る可能性があったからな」
「レイならそう言うと思っていたわ。ヴィヘラはいかなかったの?」
レイの言葉に予想していたといった感じで艶然とした笑みを浮かべたマリーナは、レイの隣のヴィヘラに視線を向ける。
「そう言われても……正直なところ、ゴブリンジェネラルやゴブリンキングなら少しは食指を動かされたかもしれないけど。ゴブリンリーダーくらいじゃね」
戦っても面白くないもの、と小さく肩を竦めるヴィヘラ。
そのような真似をすれば、当然のようにマリーナに勝るとも劣らぬ双丘がユサリと揺れ動く。
……この時、ギルドのカウンターで某受付嬢がくしゃみをしたのだが、それは特に何か因果関係がある訳でもないのだろう。
「ヘスターの話だと、相当頭のいい個体だって話だったけど……」
言葉を濁すレイ。
当然だろう。実際にはレイが姿を現した時、即座に飛斬によって命を絶たれてしまったのだ。
つまり、レイがそのゴブリンリーダーの頭のいいところを見たことはないということになる。
もっとも……パンプを吊して遊び半分にいたぶっていたのを見る限り、ゴブリンはゴブリンだとしか言えないのだろうが。
「そう。とにかく、ゴブリンは単体では問題ないモンスターだけど、数が揃うと厄介になるわ。その被害を抑えてくれたのだから、きちんとお礼はしなくてはいけないわね」
誘うような視線を向けるマリーナだったが、その口が更に開く前にヴィヘラが口を開く。
「マリーナ、そんなことを言う為にわざわざレイを呼んだの?」
「あら、随分とせっかちね。まぁ、いいわ。その辺は後でゆっくりするとして……ソルレイン国の方はどうだったの? あそこは砂漠だし、レイが好む未知のモンスターの魔石があるだろうから、もう暫くは帰ってこないと思ってたんだけど」
予想外に早く帰ってきた……と言外に告げるマリーナ。
そう尋ねるマリーナの中には、少しだけ不安がある。
その不安は、レイが何かされて戻ってきたのかといった不安……ではなく、もしかしたらレイがゴーシュで何かとんでもない事件を起こし、もう向こうにいられなくなったのではないかという不安だ。
レイという人物を知っているだけに、その不安は決して考えすぎではない。
「その、レイ。もしかして……本当にもしかしてだけど、ゴーシュで大きな問題は起こさなかったわよね?」
「大きな問題? 大きな問題……それは、例えばゴーシュで一番勢力を持っている商会の会頭が持っていたマジックアイテムを奪ったり、領主を脅してたりとかか?」
「……やったの?」
レイの口から出たのは、どちらも普通に考えれば致命的な失態と呼んでもいいものだ。
いつもは余裕のある大人の女といった佇まいのマリーナだったが、今はまるで頭痛を堪えるかのように額に手を当て、机を見る。
そんなマリーナの様子が気になったのだろう。レイは慌てて口を開く。
「言っておくけど、マジックアイテムを奪ったのは砂賊……盗賊の一種にその会頭が砂上船ってマジックアイテムを貸して、他の商人を襲わせてたからだぞ? それを助けた時に、砂賊から砂上船を取り上げたんだ」
「……そう。それは仕方がないかもしれないわね。盗賊喰いとか言われているレイのことだもの。盗賊を襲うのは、もう趣味の一つみたいなものでしょ」
マリーナの口から盗賊喰いという言葉が出たことに少し驚くレイだったが、考えてみればマリーナはギルドマスターなのだ。
当然のようにレイがどのように呼ばれてるのかというのは、知っていてもおかしくはない。
ましてや、マリーナは恋する乙女なのだから。
「別に盗賊を襲うのが趣味って訳じゃないんだが……」
もしそれが本当に趣味なら、結構嫌な趣味だな。
そんな風に思うレイだったが、今までの自分の行いを振り返れば決してそれを否定出来る訳ではなかった。
「で、領主を脅したというのは?」
「そっちは俺が貴族を特別視していないってのを証明する為だな」
「……何でそんなことになったのかというのは、聞かないわよ?」
これ以上話を聞けば、色々と胃が痛くなりそうだという思いがマリーナの中にはある。
そんな二人の様子を見て、ヴィヘラは笑みを堪えるのがやっとだ。
ヴィヘラとマリーナは恋敵ではあるが、だからといってお互いの仲が悪い訳ではない。
「レイのことだから、きっとまた色々と突飛なことでもしたんでしょうね」
「それが本気で否定出来ないから、始末に悪いのよ」
面白そうに呟くヴィヘラに、マリーナが溜息を吐きながら言葉を返す。
レイにとっては普通のこと……と言いたいところだったが、それでも現在の様子を考えると普通とは言えないのは事実だ。
そもそも、領主を脅すという真似をするのが普通だとすれば、物騒極まりないのだから。
(それでもレイ程の人材なら、ソルレイン国が何を言ってきても庇うことになるでしょうけど)
グリフォンを従魔にした、異名持ちのランクB冒険者。そして攻撃力という意味に関しては、一人で一軍を相手に出来るだけのものを持つ。
それだけの人材を、従属国が何を言ってきたところで処分する筈がない。
そもそも、そんなことで処分をしようとして他国に逃げられてしまっては、ミレアーナ王国にとって致命的なまでに大きな被害を受けることになる。
レイが他国に行く前に処分を……と考えても、そもそも一人で一軍を相手に出来るだけの手段を持ち、馬車や馬とは比較にならない程の機動力を持つグリフォンを従えているのだから、敵対しても被害が大きくなるだけだ。
その上、レイは中立派のダスカーが庇護しており、強引にレイを処分しようとすれば中立派をも敵に回しかねない。
どこからどう考えても、レイを処分するという手段は存在しなかった。
ヴィヘラ、マリーナ……そしてエレーナという、非常に強力な力を持った三人がレイを慕っていると考えれば、その時点で敵対するという手段はないだろう。
当然その三人の中のマリーナも、もしレイが討伐対象にされようものならギルドマスターとしての権限を使い、マリーナ個人としての戦闘能力をも使い、援護するつもりだった。
(そうなったら、いっそ私達の集落に……あら、それも結構いいかもしれないわね。集落の皆も世界樹の件でレイには好感を持っているし)
ふと、脳裏をそんな誘惑が過ぎる。
だが、すぐに首を横に振ってそれを否定した。
もしそんな真似をすれば、恐らく自分達だけの話では収まらないからだ。
それこそ、ヴィヘラが手を回して再びミレアーナ王国とベスティア帝国の間で戦争が起きかねない。
「……それで、ゴブリンリーダーの件に話を戻すけど、希少種だったと思ってもいいのかしら?」
突然話が逸らされたことにレイは疑問を覚えつつ、話に乗った方がいいと判断してマリーナへ首を横に振る。
「いや、残念ながら希少種じゃなくて上位種だった。モンスター図鑑に載っているのと変わらなかったし、死体を見せた時もレノラは特に何も言ってなかったからな」
「そう。じゃあ、偶然そのゴブリンリーダーの頭が良かったってことなのかしら」
物憂げに呟くマリーナは、その表情通りどこか気分が沈んでいる様子を見せていた。
「何故そこまで沈んでいるの? 現れたのは、所詮ゴブリンリーダー程度でしょう? なら、別にそこまで心配する必要はないと思うけど」
「……そう、ね。本当にその程度で済んでくれればいいのだけど」
マリーナの口から出た奥歯に物が挟まったような言い方に、レイとヴィヘラは疑問を感じる。
戦ったレイにしてみれば、特にどうということのない相手だった。
実際出会い頭に飛斬を放ち、それで仕留めたので頭の良さを実感出来なかったというのも大きいのだろうが。
「取りあえず、レイは暫くギルムから動く予定はないのよね?」
小さく溜息を吐き、気分を変えるように尋ねてくるマリーナの言葉に、レイは頷きを返す。
「レイがギルムにいる以上、ヴィヘラも動かないと考えてもいいのかしら?」
「どうかしらね。動くつもりはないけど、絶対にとは約束出来ないわ。もしかしたら急に何か移動しなければならなくなるかもしれないし」
「その辺は仕方がないわよ。取りあえず何もなければ動かないというのを聞かせて貰えれば助かるわ。……ごめんなさい、レイ。本当はもっと色々と話したかったんだけど、ちょっと調べることが出来てしまったわ」
また今度、改めて話しましょう? と、そう告げてくるマリーナに、レイは頷く。
そんな二人を見て、ヴィヘラが若干面白くなさそうにしていたのだが、それでも不満は口に出さずに口を開く。
「じゃあ、ここでマリーナの邪魔をしてもなんだし、そろそろ行きましょうか。私もレイに色々と話したいことがあるし」
「……あら、随分と羨ましいわね。出来れば私もその話し合いには混ぜて欲しいわ」
「調べ物があるんでしょう?」
「そうなんだけど、それでもレイと話したいと思うのはおかしいかしら」
お互いに笑みを浮かべて言葉のやり取りをしているのだが、何故かその一見微笑ましそうなやり取りを見ていたレイは、どこか背筋が冷たくなるような思いを抱く。
「あー……じゃあ、俺はそろそろ行くよ。まだギルムの中で会っておきたい相手もいるし」
「あら、私やヴィヘラの他にも逢っておきたい人がいるの? 隅に置けないわね」
「……何か俺とお前だと同じようで全く別の言葉を言ってるように聞こえるんだけど」
からかうような笑みを浮かべて告げてくるマリーナに、レイはそう言葉を返す。
だが、レイにそう言われたマリーナは、当然と笑みを浮かべる。
「折角レイが帰ってきたのに、ゆっくり話す時間もないんだから、少しくらいはいいでしょ?」
「そうね。マリーナの気持ちは私も分かるわ」
何故かヴィヘラがマリーナに同意してしまい、レイもそれ以上は文句を言いづらくなる。
やがて小さく溜息を吐くと、不承不承頷く。
「分かったよ、大人しくマリーナの玩具になっておくから、調べ物は真面目にやってくれよ? 今回の件に関係あることなんだろ?」
ゴブリンは元々非常に数の多いモンスターだ。
そうなれば当然中には多少頭のいいモンスターが生まれてもおかしくはないだろう。
今回はそれが偶然ゴブリンリーダーという、ゴブリンの上位種だっただけだ……レイはそう思っているのだが、どこかに違和感がある。
何か証拠がある訳ではないが、それでも自分の中でその違和感が危険だと知らせていた。
だからこそ、こうしてレイはマリーナが調べるという件に期待していた。
それを理解しているのだろう。マリーナも、いつものように艶然とした笑みを浮かべて頷きを返す。
「じゃあ、何か分かったらレイとヴィヘラに指名依頼をすることになるかもしれないから、そのつもりでいてね」
「あら、ギルドマスターの職権乱用?」
言葉では責めているヴィヘラだったが、その表情に浮かんでいるのは笑みだ。
それが分かっているからだろう。マリーナも軽い口調で言葉を返す。
「別にそんなつもりはないわよ。ただ、今回の件を解決したのはレイでしょ? なら、当然今回の件に関係する件で指名依頼が入ってもおかしくはないでしょう?」
「そうかしら。……まぁ、私はレイと一緒に行動出来るのだから文句はないけど」
「……それが少し羨ましいわね。どうせなら、私も冒険者に戻ろうかしら」
小さく呟かれたマリーナの言葉だったが、そこに感じられるのは間違いなく本気の意志だ。
元々マリーナはギルドマスターをやっているが、それは永遠にギルドマスターをやっているつもりではない。
マリーナは、今でも自分は冒険者だという意識を持っている。
それでも今までは特に問題なくやってこられた。
だが……そこにレイという要因が混ざってしまうと、どうしてもマリーナも恋する乙女へと変わってしまう。
……それでも自分の想いだけでギルドマスターという地位をあっさりと捨てることが出来ないのが、マリーナのマリーナたる由縁なのだろう。
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