第1139話
真っ直ぐ自分に向かってくる鉄球を見ながら、レイの口には小さな笑みが浮かぶ。
巨大な鉄の塊であり、直径一m近い大きさの鉄球は、とてつもない破壊力を持っているだろう。
それを大した苦労もなく振り回すだけの膂力は、身長が二m半ばの小さな巨人とでも呼ぶべき、矛盾した表現に合うだけのものは持っている。
だが……それでも、と。
レイはデスサイズを構えて自分に向かってくる鉄球へと向かい、デスサイズを振り下ろす。
(所詮はマジックアイテムでも何でもないただの鉄球。炎帝の紅鎧を使うまでもない)
そう、自分を押し潰さんと迫ってくる鉄球は、マジックアイテムでも何でもないただの武器にすぎない。
もし鉄球がマジックアイテムであれば、レイは今までマジックアイテムを見た時のように違和感を覚えている筈だった。
……もっとも、その違和感も全てのマジックアイテムで確実に覚える、という訳ではないのだが。
ともあれ、レイが振り下ろしたデスサイズは自分に向かってきた鉄球を真っ二つに出来る……筈だった。
それは間違いない。
だが……それはデスサイズの刃が鉄球に命中すればであり、レゾナンスが握っていた鎖を大きく動かし、意図的に鉄球の動きを変えたりしなければ、だが。
直径一mはあるだろう大きさの鉄球を自由自在に操るだけの能力を持っているレゾナンスのその行為は、振るわれたデスサイズが空中を斬るという結果をもたらした。
勿論レゾナンスの方も、そのまま鉄球を使ってレイを攻撃するような真似は出来ずに、鎖を自分の方に引っ張って鉄球を手元に戻したのだが。
「ほう、やるのう。まさか真っ正直にこの鉄球に向かってくるとは思わなかったぞ」
再び鎖を大きく引き、空中で鉄球を振り回しながらレゾナンスが告げる。
巨大な鉄球を振り回しているというのに、レゾナンスの口調には全く力んでいる様子はない。
自然体で告げてくるその言葉に、レイは少しだけ感心しながら口を開く。
「その割りにはあっさりと回避したように見えたが?」
そう告げながら、レイの視線は一瞬だけ周囲を見回す。
視線の先では、ザルーストとナルサスがそれぞれ長剣を手にして他の暗殺者達と戦っていた。
また、セトもそんな二人に協力するように縦横無尽に暴れ回っており、スキルを使わず次々に暗殺者達を吹き飛ばしている。
スキルを使っていないのは、ザルーストはともかくナルサスがこの場にいるからだろう。
ナルサスの雇い主のダリドラとは一時的に共闘しているに過ぎず、あまり自分達の手の内を見せたくないとレイが思っているのをセトも理解しているからこその行動だった。
目の前のレゾナンスから視線を逸らすのは色々と危険だと判断していた為に見たのは一瞬だったが、それでも戦い難そうにしているのがレイの目からでもはっきりと見て取れる。
「……なるほど、こいつらも痛みを感じないって奴か。厄介だな」
「それが儂等の特徴じゃからのう。……少々効果は強いが」
「効果が強い?」
「おっと、余計なことを言ってしまったようじゃな。先程も言ったが、詳しい話を知りたいのであれば儂を倒すことじゃ。そうすれば、お主の知りたいことを教えてやろう。……いくぞ!」
叫ぶと同時に、再びレゾナンスが鎖を操り鉄球をレイへと向けて投げつけてくる。
空気を砕きながら近づいてくる鉄球を見て、レイは先程と同じように……いや、フードの下で獰猛な笑みを浮かべている分、先程よりも好戦的にその鉄球へと向かっていく。
そして自分を押し潰さんとして迫ってくる鉄球へと向かい、デスサイズを振り上げる。
ここまでは、先程までの光景と全く同じ焼き回し。
……ただ違うところがあるとすれば、レイはレゾナンスが鎖を使って鉄球を自由に操ることが出来るだけの技量と膂力を持っていると知っていることか。
そうして鉄球へと向かってデスサイズを振り下ろし、それを見たレゾナンスは当然のように鎖を操り鉄球を空中で動かす。
「飛斬っ!」
先程の行為と比べ、唯一違っているところ。
それはレイの放つ一撃がデスサイズを振り下ろすのではなく、デスサイズのスキルである飛斬を使用したことだった。
レベルが五になり飛躍的に威力の上がった飛斬は真っ直ぐに空中を走り、鉄球……ではなく、その鉄球を操っている鎖を切断する。
デスサイズを使っての一撃であればまだしも、幾ら威力が上がったとしても飛斬で鉄球を切断出来るとは考えられなかったのだ。
そんなレイの狙いは、鉄球ではなく鎖。
向こうに武器を使わせないようにするという意味では、鉄球を切断しても、また鎖を切断しても変わらないという判断からだった。
勿論鉄球を切断した方が、相手に与える心理的な動揺は強いだろう。
だが、結果が同じであればそこに拘る必要がないと判断したレイの攻撃だった。
轟音と呼べる音を立てながら、砂漠の上を転がっていく巨大な鉄球。
幸いと言うべきか、ザルーストやナルサス、そしてセトが戦闘を行っている場所とは全く関係のない方へと転がっていく。
「ふむ、そちらを狙うか。……じゃが、今まで同じようなことをしなかった者がおるとでも思っておるのかの」
レゾナンスは自分の武器である鉄球が使えなくなったというのに、全く焦った様子を見せることはない。
それどころか、この程度は予想の範囲内だと言いたげな様子だった。
「武器がなくなった割りには、随分と余裕だな?」
「ふむ、武器がなくなった? どこをどう見ればそう思うのじゃ?」
「……どこからどう見ても、そんな風に見えるが」
鉄球がなくなった鎖を手にしたレゾナンスを見て、レイが言葉を返す。
レゾナンスの最大の武器である鉄球は、鎖を途中で切られて砂の上を転がっていったので、とてもではないが武器として使えない。
そんな一目瞭然のことを分からないのか? と口にしたレイだったが、レゾナンスもそれは理解しているのか特に表情を変えた様子はない。
「武器はほれ、ここにあるじゃろう?」
そう告げたレゾナンスの手の中にあるのは、先端の鉄球を失った鎖。
その鎖を、レゾナンスは鋭く地面へと叩きつける。
直径一mはある鉄球を振り回す膂力を持ったレゾナンスの一撃だ。
レゾナンスの足下の砂は、今の一瞬で大きく抉れ、舞い上がった。
「……間違いなく武器だな」
レゾナンスの言葉が強がりでも何でもないと知ったレイは、改めてデスサイズを構える。
今の一撃は鉄球を使った時のような威力はないが、速度として考えれば鉄球とは比較にならないだけのものがあった。
そして並の人間であれば、レゾナンスの膂力で振り回された鎖に当たれば、それだけで身体は肉片と化してしまうだろう。
レゾナンスの自信がハッタリでも何でもなかったと知ったレイは、右手でデスサイズを構えたまま左手でフードを下ろす。
フードを下ろしたレイの顔を見て、レゾナンスは一瞬だけ目を見開く。
レイの存在を知ってはいても、普段フードを被っているので顔までは分からなかったのだろう。
その下にある顔が、まさかここまで女顔であるとは思わなかったらしい。
事実、レゾナンスは自分はともかく、他の暗殺者達に比べても華奢な体格を見て、一瞬男ではなく女ではないかと思ってしまったのだから。
それでもすぐに頭を切り換える辺り、この暗殺者達の中でも特別な存在だということか。
「行くぞ!」
レゾナンスは叫ぶと同時に、レイへと向かって距離を縮めてくる。
とてもではないが身長が二m半ばもあるようには見えない程にかろやかな動き。
(あの大きさで嘘だろ!?)
レゾナンスの動きにレイは一瞬驚くが、すぐに考えを切り替え、迎撃すべく前へと進む。
二人共がお互いを目掛けて距離を縮め……最初に攻撃の行動を取ったのは、遠距離攻撃の手段を持っているレイだった。
「飛斬っ!」
放たれた飛ぶ斬撃は、真っ直ぐにレゾナンスへと向かって飛ぶ。
真っ直ぐに飛ぶ斬撃。
だが、レゾナンスは既にその攻撃がどれだけの威力を持っているのかを、身を以て知っている。
丈夫な鎖をあっさりと断ち切ったその攻撃方法を、まともに受ける必要はなかった。
幸い、放たれたのは袈裟切りの形でデスサイズを振るった飛斬。
斜めに放たれたその斬撃は、来るのが分かっていればレゾナンスにとって回避するのは難しい話ではない。
レイとの距離を縮めながら身体を斜めにし、そのまま飛斬の斬撃をやり過ごす。
そしてレイとの距離を詰めたところで、鎖の鞭と呼んでもいいような鎖の残骸を振るう。
鉄球を振り回すだけの膂力で振るわれた鎖は、生身の人間であればそれを見切ることすら出来ないだろう。
それ程の速度でレイへと鎖が向かっていったのだが……
「その程度の攻撃で俺をどうにか出来ると思うな!」
デスサイズを振るい、自分の顔面目掛けて飛んできた鎖の先端を切断する。
その一撃で鎖の鞭は短くなったが、だからといってそれで攻撃が終わる訳ではない。
元々先端の鉄球が切断されて今の鎖の鞭になっているのだから、今更先端が多少切断されたところで意味はなかった。
レゾナンスが鎖の鞭を手元に戻したところでそれを悟ったレイは、次の一手を打つ。
「マジックシールド!」
スキルを発動する言葉と共に光の盾が生み出され、いきなりの行為に一瞬だがレゾナンスが驚きで動きを鈍らせる。
一瞬ではあったが、それでもレイから見れば大きな隙だ。
その隙を突き、一気に前へと進み出ていく。
そんなレイの姿にレゾナンスもすぐに我に返り、鎖の鞭を振るう。
二m半ば程もある体格の良さを活かし、レイへと叩きつけられた鎖の鞭の一撃。
勿論レゾナンスもレイが素直に一撃をうけるとは思わない。
マジックシールドと叫んでいたのはしっかりと聞こえていたし、レイの前にある光の盾で受け止めるのだろうというのは予想していた。
だが……それでも回避すらせず、それどころか視線すら鎖の鞭に向けずに真っ直ぐ自分との間合いを詰めてくるというのは完全に予想外の展開だった。
振るわれた鎖の鞭は、レイが展開した光の盾へとぶつかって弾かれる。
弾かれた鎖の鞭を、再びレイへと振るおうとしたレゾナンスだったが……自分の一撃を受け止めた光の盾が、そのまま光の粒となって消えていくのを見ると一瞬ではあるがそこに意識を奪われる。
そして一瞬であっても意識を逸らすというのは、レイと敵対している時に絶対にやってはいけないことだった。
斬っ!
振るわれるデスサイズの一撃が、レゾナンスの腹を深く斬り裂く。
それでも咄嗟に身体を動かして胴体を切断されなかったのは、暗殺者達を率いているだけのことはあるのだろう。
(けど、今の一撃は致命傷ではないといっても、十分深い一撃だった。重傷なのは間違いない。これで動きも……)
鈍るだろう。
そう思ったレイだったが、次の瞬間には空気を斬り裂く音に反射的にその場から後方へと跳躍する。
次の瞬間には、鋭く、そして鈍い音が周囲に鳴り響いた。
鋭い音は鎖の鞭が空気を斬り裂いた音。そして鈍い音は鎖の鞭が砂へと叩きつけられた際の衝突音。
「な!?」
レゾナンスから一旦距離を取ったレイは、あれだけの深い傷を与えたにも関わらず、次の瞬間には再び攻撃に移ったということに驚き……だが、ダリドラやその護衛から聞いた話を思い出し、すぐに納得する。
「そうか、そう言えばお前達には痛みを麻痺させるような何かがあるんだってな。他の奴だけじゃなくて、お前もそうなのか。……今までその手の類の奴とも戦ってきた経験があるけど、大抵そういう奴ってのは何らかの外的な手段を使ってるけど……さすがに暗殺者といったところだな」
レイが日本にいる時に痛みを感じない病気の特集をTVでやっていたのを見たことがある。
それは先天的なものであり、発症する人数もそれ程多くはない。
まさかこの村の人間に限って全員がその病気……などということは、まずないだろう。
(そう言えば、俺が研究所で戦った暗殺者もここの出身だよな? その割りに痛みを感じてない風には見えなかったけど……いや、毒を飲んで死んでしまったんだから、正確なところは分からないか)
痛みを感じない相手であっても、毒を飲んでしまえば痛みがどうこうというのは関係がない。
そんな風に考えたレイに対し、レゾナンスは腹から大量の血を流し、内臓すらも少しはみ出ているというのに、笑みすら浮かべて口を開く。
「ふむ、今何かしたかのう? 生憎とお主が何をしたのか、全く分からん。……勿論この身体の秘密に関しても、儂に勝たなければ謎のままじゃぞ?」
笑みを浮かべ、腹圧で内臓が零れ落ちないように力を入れながらも、レゾナンスは全く堪えた様子はない。
そのまま一歩、二歩と再びレイの方へと向かって歩き始める。
(痛みを感じてなくても、傷を受ければ動きが鈍くなるのは間違いない。……なら、幾らでもやりようはある。それに最悪の場合は炎帝の紅鎧が……いや、使ってしまえば情報を聞き出せなくなるか)
デスサイズを手に、レイもまた自分に近づいてくるレゾナンスの方へと歩みを進めるのだった。
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