第1111話

「オウギュストさん、やっぱりまだレイは戻って来ていないようだ。正門前に行って確認してきたから間違いない」

「……そうですか。レイさんのことですし、そう簡単にモンスターに遅れをとるといったことはないと思うのですが……」


 ザルーストからの報告に心配ですねと呟くオウギュストは、手に持っていた書類に目を通してサインをすると机の上に置く。

 呟くオウギュストの言葉には、レイへの心配が多分に混ざっている。

 純粋な実力という意味では、レイがどうにかなるとは思っていない。

 それこそ、フェリス砂漠に存在するモンスターの殆どを相手にしてもレイとセトをどうにも出来はしないだろう。

 だが……それでも懸念は幾らでもあった。

 特に大きいのが、やはりここが砂漠だということだろう。

 砂漠にいるモンスターを相手にするのであれば心配いらずとも、砂漠という環境そのものに対しては決して甘く見る訳にはいかない。

 それがレイであっても……いや、レイだからこそと呼ぶべきか。


「大丈夫ですよ、オウギュストさん。レイ程の冒険者ともなれば、砂漠で一晩過ごすことくらいどうとでもなるでしょうし」


 心配そうなオウギュストを思い、敢えて楽観的な予想を口にするザルースト。

 それは完全に嘘という訳でもない。

 事実、レイの実力を考えれば砂漠で一晩過ごす程度でどうにかなるとは……それこそ、昼と夜の気温差で体調を崩すとは思えなかった。


「もしかして、エレーマ商会が何か手を出した……ということは考えられませんか?」

「有り得ませんね」


 オウギュストの言葉を、ザルーストは即座に否定する。

 ザルーストの目から見て、ダリドラはレイに対して尋常ではない恐怖を抱いていた。

 手を出せば間違いなく命を落とす……と、そう確実に思ってしまうような。

 そんなダリドラが、よりにもよってゴーシュの外でレイに手を出すということはまず有り得ない。

 もし手を出すとするのなら、それこそレイが全力を出すことが難しいゴーシュの中でだろう。


(まぁ、レイやセトを間近で見て、それでも街中で手を出すとは思えないが。ああ、そう考えると少しでも離れた場所でレイに手を出すという可能性は十分にあるのか?)


 少しでも自分達から離れた場所でレイに手を出すというのは、心情的には理解出来てしまう。

 砂漠であれば、ゴーシュでは使えないような悪辣な手段も使えるのだから。……それこそ、砂賊を雇って砂上船を与えてオウギュストを襲撃した時のように。

 あの時はレイという存在が近くにいたので何とかなったが、もしザルースト達だけであれば全滅していた可能性は十分にある。


(そう考えれば、有り得ない話じゃない、のか?)


 オウギュストを見ながらそんな風に考えるザルーストだったが、それでもレイの実力を知っている身としては、レイがどうにかなるとはとてもではないが思えなかった。

 それこそ下手にダリドラがレイに手出しをすれば、今日にでもエレーマ商会が消滅していてもおかしくはないと、本気でそう思ってしまう。


「レイという存在の危険さを知っていれば、手は出したりしないでしょう」

「……だと、いいんですけどね。昨夜食事の準備をしていたキャシーも、結局レイさんが帰ってこなかったから心配していまして。……レイさんが帰ってきたら、その辺はしっかりと言わないといけないだろうね」


 数秒前まではレイのことを心配していたオウギュストだったが、キャシーの……自分の妻に心配を掛けたというのを思い出すと得体のしれない重圧を作り出す。

 オウギュストから放たれる重圧に、ザルーストは思わず溜息を吐く。

 目の前にいる人物は、基本的に雇い主としてはこれ以上ない人物だ。だが、幾つかある欠点の中で最大のものが愛妻家ぶり……いや、その愛妻家ぶりが暴走しやすいということだった。


(そこまで一人の女を愛せるってのは、羨ましいけどな)


 趣味が娼館通いのザルーストとしては、一人の女に縛られるのはごめんだという思いがあると同時に、家に帰った時に誰もおらず寂しい思いをすることもある。


「……ん、こほん」


 ザルーストの視線で我に返ったのだろう。小さく咳払いをしたオウギュストが意識を切り替えて口を開く。


「レイさん達が帰ってこない理由……何だと思いますか?」

「そうですね。普通に考えれば、単純にゴーシュから出て行ったとかなんですが……」

「それはない、でしょうね。何だかんだと義理堅いレイさんです。もしゴーシュから出て行くのであれば、何か言伝をしてもおかしくはありません」


 その言葉にザルーストは頷きを返す。


「ええ。レイなら黙って出て行くということはないかと。そうなると、何か不測の事態があったとしか思えませんが……」


 レイの強さを考えれば、不測の事態が起こるとは考えにくい。

 ましてやレイだけではなく、グリフォンのセトもいるのだ。

 そんな相手をどうにかしようと思えば、それこそドラゴンの類でも連れてくる必要がある。

 ザルーストの考えはオウギュストにも理解出来たのだろう。難しい表情で頷きを返す。


「そうですね。ですが、レイさんに起きる不測の事態というのは何があると思いますか?」

「……さて、分かりかねますね。モンスターや砂賊による襲撃というのは、まず考えなくてもいいでしょう。そうなると砂嵐にでも巻き込まれたのか」


 砂嵐と聞き、オウギュストの顔が顰められた。

 この地域で発生する砂嵐は、時として非常に凶悪な代物となる。

 風により巻き上げられた砂がヤスリのように皮を削り、肉を削ぎ、運が悪い者は骨すら削られてしまう。

 勿論そんな砂嵐は滅多に起きないが、それでも毎年少なくない者達が砂嵐によって命を奪われていた。

 そんな砂嵐に襲われれば、例えレイであっても死んでしまうのではないか。

 ザルーストの話に、オウギュストはその死体を想像してしまう。


「昨日から今日に掛けてゴーシュの周辺で砂嵐が発生したという話は聞いていませんが?」

「そうですね。ですが、レイにはセトという存在がいます。グリフォンの飛行速度を考えれば、ゴーシュから遠く離れた場所まで移動するのはそう難しい話ではないでしょう。だとすれば……」


 それ以上は聞くまでもない。

 オウギュストは沈痛な表情を浮かべて、溜息を吐く。

 レイという人物を戦力として期待していなかったと言えば嘘になる。

 だが同時に、まだ短い付き合いだったがどこか親しみを持っていたのも事実。

 そう考えると、レイが死んでしまったというのはどうしても信じたくはなかった。


「っ!?」


 そんなオウギュストの前で突然ザルーストが緊張し、腰の鞘へと手を伸ばす。

 同時に部屋の扉が激しくノックされ、オウギュストが入室の許可を告げると慌てて一人の獣人が部屋の中へと入ってくる。

 猿の獣人である男は、普段はひょうきんと評される顔を厳しく引き締めていた。

 顔見知りの人物だった為に、ザルーストは鞘から手を離す。

 下手をすれば自分の命の危機だったかもしれないということに全く気が付かないまま、猿の獣人は口を開く。


「オウギュストさん、今ゴーシュに砂上船が近づいている! それも、俺達にも見覚えのある砂上船だ!」


 その言葉だけで、オウギュストは誰がその砂上船に乗っているのかを理解する。

 自分が見たことのある砂上船というのはそれ程数はなく、何より最近見た砂上船というのは砂賊が使っていた代物……つまり、エレーマ商会の会頭であるダリドラが所有していたものなのだから。

 そして砂賊から奪った砂上船の現在の所有者は……


「レイさんが戻ってきましたか!」


 喜びの声を叫び、オウギュストはそのまま部屋を出て行く。

 ザルーストも慌ててその後を追う。

 その顔には、隠しようもない笑みが浮かんでいた。






「レイが戻ってきたですって!?」


 オウギュストが喜びの叫びを上げているのと同じ頃、同じ報告を受けて同じように叫んでいた人物がいた。

 ……ただし、その叫びに含まれている感情はオウギュストとは正反対のもの。

 忌ま忌ましく叫んだその人物……ダリドラの言葉に、レイが戻ってきたという情報を知らせた男は萎縮したように頷く。

 目の前の人物がつい最近雇ったばかりの男であると思い出したダリドラは、胸の中の感情を押し殺すように深く深呼吸をしてから、再度口を開く。


「それで、レイが戻ってきたというのは本当なのですか?」

「は、はい。その……ダリドラさんが持ってた砂上船が近づいてきたので、恐らくあのレイって冒険者が戻ってきたと思うんですが」

「……なるほど。では、直接レイの顔を見た訳ではないのですね?」

「ええ。ですが、あの砂上船を見れば……」


 確実にレイが帰ってきたという報告ではないことを責められたと思ったのか、男は慌てたように言葉を続けようとする。

 元々神経質な性格をしているダリドラだけに、中途半端な情報を持ってきたことを後悔しながら。

 だが、そんな男にダリドラは首を横に振ってそれ以上は言わなくてもいいと示す。

 今回の情報は第一報であり、多少正確ではなくても早さを重視したものなのだから。


「分かっています。私も別に責めている訳ではありませんから」


 ダリドラの言葉に、責められることはないだろうと情報を持ってきた男は安堵の息を吐く。

 そんな男を眺めながら、ダリドラは指先で机の上を何度も叩く。

 神経質そうな表情に浮かんでいるのは苛立ちに近い。

 レイがいなくなってくれれば……と思っていたところで、昨日の午後に出掛けてから帰ってこなかったのだから、もしかしてと思っていたのだ。


(元々レイは偶然この街に立ち寄っただけだと言ってましたし、このままどこかに行ってくれればと思っていたのですが。まさか、帰ってくるとは思いませんでした)


 さざ波が立ちそうになる心の中を何とか落ち着け、そのまま椅子から立ち上がる。

 何はともあれ、本当に帰ってきたのがレイであるのかどうかを確認しなければならない。

 もしかしたら……本当にもしかしたらだが、何らかの理由で砂上船を誰かに譲ったか、更に万が一ではあるがレイが死んで偶然他の冒険者か商人辺りが砂上船を手に入れたのかもしれない。

 万が一、億が一といった確率であることは分かっているが、それに期待してしまうだけダリドラにとってレイという人物は厄介な相手だった。

 力では到底敵わないのは護衛に言われて既に理解しているので、迂闊な真似も出来ない。

 かといって言葉巧みに説得しようにも、ダリドラはオウギュストと敵対している身だ。

 オウギュストと良好な関係を築いているレイは当然ダリドラに否定的な感情を覚えているだろう。


(第一印象も最悪でしたでしょうしね)


 方々に手を尽くし、砂上船まで貸し与えて行ったオウギュストへの襲撃。

 本来ならば絶対に成功する筈のその襲撃があったにも関わらず、オウギュストが無事にゴーシュへと戻ってきたと聞いて慌てて見に行った時、オウギュストと共にいたのがレイだった。

 そんな状況でレイとの初対面が行われ、更に自分の砂上船すらレイに奪われてしまってはダリドラとしても我慢出来ずにお互いの初対面は最悪と表現すべき結果に終わっている。


「ど、どうしますか?」


 考えごとをしているダリドラが、目の前にいる男の言葉で我に返る。

 考えている途中で言葉を挟まれたことに若干不愉快な思いを抱きつつ、それでも目の前の人物は有益な情報を持ってきてくれたのだからと口を開く。


「何がですか?」

「その、レイです。……戻ってきたのが本当にレイだと、きちんと確認した方がいいのでは?」

「……そうですね。では、悪いですが確認してきて貰えますか?」

「はい! すぐに!」


 その言葉を待ってましたと言わんばかりに去って行く男の後ろ姿を見送り、ダリドラは小さく溜息を吐く。

 分かっているのだ。やってきた砂上船に乗っているのはレイ以外にいないだろうというのは。

 グリフォンを従魔にしているような者が、そう簡単にどうにかなる訳がないのだから。

 それでも男に様子を見に行かせたのは、僅かな可能性に賭けたというのもあるし、何より考えごとをするのに男が邪魔だったからという理由が大きい。


「さて、どうするべきでしょうか。幸いまだこちらは行動を起こしてはいませんが……いえ、この件はもう私の手に負えるような事態ではないですし、大人しくリューブランド様に話を持っていくべきでしょうね」


 このゴーシュを治める領主の名前を口に出す。

 レイをどうにかするのは自分ではまず手が出せず、出て行くのを待つにしても今回のようにあっさりと戻ってきてしまう。

 出来れば自分だけでこの件を片付けたかったダリドラだったが、自分でどうにか出来る手段がない以上はより力のある人物へと頼るしかなかった。

 その人物が必ずしも頼れる人物ではないと知りながらも。

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