第1100話

「……んん……」


 朝、目を覚ましたレイは周囲を見回し、寝ぼけた表情を浮かべながらも不思議そうな顔をする。

 全く見慣れない部屋であり、自分が今まで寝ていた寝具も見慣れない物だったからだ。

 数秒程周囲を見回し、それでもやっぱり見覚えのない場所だと判断し、そのまま動きを止めて微動だにしなくなる。

 そのまま数分、ようやくレイの意識もしっかりと覚醒してきたらしく、先程同様に改めて周囲を見回す。

 そして、ようやく自分がどこにいるのかを思い出した。


「そうか、ゴーシュにきてオウギュストの屋敷に泊まることになったんだったな」


 改めて周囲を見回すと、普段は使われている部屋ではないのだろう。どこか少し埃っぽい気もする。

 この屋敷に住んでいるのはオウギュストとキャシーだけしかいない。

 門番のギュンターが通いで来ており、メイドの類も存在しない。

 そうなると、やはり掃除をするにしても普段使うような場所で精一杯であり、どうしても客間のような場所は後回しとなってしまうのだろう。


(それでも暇を見ては色々と掃除しているらしいから、こうして普通に寝ることが出来たんだけど)


 内心で呟きながらベッドから立ち上がり、身支度をする。

 顔や身体がべたついているのは、もう日も昇って気温が三十度を超えている為だろう。

 普段は簡易エアコンの能力を持つドラゴンローブを着ているレイだったが、寝る時までは着ていない。

 夕暮れの小麦亭やマジックテントの中であれば、外の気温で寒がったり暑がったりはしなくてもいいのだが……この屋敷はある程度広くても、普通の屋敷だ。

 レイはミスティリングから流水の短剣を取り出し、部屋に用意されていた布を濡らして汗を拭く。

 天上の甘露とでも呼ぶべき流水の短剣から出された水で身体を拭いているのを見れば、その味を知っているオウギュストは絶叫すら上げるだろう。

 ……もっとも、レイにとって流水の短剣というのは水を生み出すというマジックアイテムであり、こうして顔や身体を拭くのに使ったり、手を洗うのに使ったりするのは普通のことなのだが。

 そもそも、レイはいつでも流水の短剣を使えるのだ。つまり、レイにとって流水の短剣はあくまでも好きな時に水を出せるというマジックアイテムでしかない。

 これでレイが流水の短剣で水を鞭や長剣のように扱えるのであれば、まだ話は別だったのだろうが……

 ともあれ、流水の短剣で夜寝ている時に掻いた汗を拭き、それ以外の身支度も済ませるとドラゴンローブを身に纏う。


「ああ、涼しいな」


 ドラゴンローブを着た瞬間、簡易エアコンの効果が発揮する。

 日本にいた時のエアコンは直接冷風に当たっていると関節が痛くなったりするのだが、このドラゴンローブは魔力を使った効果であるが故か、そんなことはない。

 ……ドラゴンローブを着て、その中に魔力で生み出された冷風が生み出され、ドラゴンローブの中を巡っているのだから、常に直接身体に冷風が当たってる訳で……もし普通のエアコンと同じであれば、関節痛に悩まされていたかもしれない。


(もしかして、タクム辺りがその辺を考えたのか?)


 ゼパイル一門に存在した、自分と同じく地球からやって来た人物の顔を思い出す。

 日本からやって来たのだから、当然エアコンの弊害について理解していてもおかしくはない。

 それをどうにかする為に、魔力による冷風を……と考えるのも当然なのだろう。


(魔力を使った冷風なら、なんで身体が痛くならないのかは分からないけどな)


 若干疑問を覚えつつ、それでも魔力を……自分の身体の中にある力を使っているのだから、それもおかしくないのだろうと無理矢理納得しながら部屋を出て、廊下を進む。

 目指すのは、昨夜食事を食べた居間。

 人の少ないこの屋敷だったが、そこには恐らく人の姿があるだろうというのは十分に理解出来た。


「あら、おはよう。オウギュストはもう出掛けたけど、朝食にする?」


 キャシーも既に朝食は済ませたのだろう。何かの縫い物をしながらレイへと尋ねてくる。


「あ、うん。そうして貰えると助かる」

「そ。じゃあ、ちょっと待ってて。温め直すだけだから、そんなに時間は掛からないから」


 座っていたソファから立ち上がったキャシーは、テーブルの上に縫い物を置くとそのまま台所へと向かう。


(こうして見ると、普通だよな)


 昨日オウギュストと一緒にいる時に見た、何かあればすぐにイチャつくといった行為にうんざりとしていたのだが、オウギュストがいないと普通に接することも出来るらしいと知り、レイは内心で安堵の息を吐く。

 もしキャシーが一人だけでも、延々とオウギュストとの惚気を聞かされたらどうするか……その辺のモンスターに襲撃されるよりも精神的なダメージが大きかったのは間違いない。


「簡単なものしかないけど、これでいいかしら」


 台所から戻ってきたキャシーが持っていたのは、拳大のパンが四つに野菜とガメリオンの肉のスープだ。

 先程口にしたように、温め直したのだろう。スープからは湯気が上がっている。

 昨夜食べた香辛料が多く使われていた料理とは違う、素朴な香り。

 それでも野菜の類が入っているのは、ゴーシュという砂漠の街としては非常に贅沢なのだろう。

 ガメリオンの肉も、ゴーシュではすぐに腐ってしまう。それを考えれば、朝食で使い切ってしまうのが最善であり、それを暗に示すようにスープは肉が大量に入っていた。


(もしかして、食事に贅沢をしてるからメイドとか雇えないんじゃないか? いや、それとも単純にオウギュストとの生活に他人を寄せ付けたくないだけ? でも、それだと俺を泊めるのはどうだって話になるしな)


 色々と疑問を抱きつつではあったが、レイは朝食として用意された料理を全て食べ終える。

 昨日の料理もそうだったが、オウギュストが自慢するだけあってキャシーの料理の腕は非常に高い。

 出来ればもっと量が欲しかったが、オウギュストの好意で泊めて貰っている以上、そんな好き放題に食べる訳にもいかなかった。


「セトの食事は……」

「オウギュストがやってたみたいだけど」

「どのくらいの量をやったとかは?」

「どうかしら。けど、オウギュストは気が利くから、そんな片手間な真似はしないと思うけど。この前も私に……」


 そこまで聞き、このままだとオウギュストとの惚気に発展しそうだと判断したレイは、朝食の礼を告げるとそのまま屋敷を出る。

 向かったのは、当然ながらセトのいる厩舎。

 昨日も夕食を食べた後で寄ったので、迷うといったことはない。


「グルルルルゥ!」


 レイが近づいてくるのを感じとったのか、厩舎から嬉しそうなセトの鳴き声が上がった。

 それでも厩舎から出てこないのは、やはり建物を壊すというのがやってはいけないことだと理解している為だろう。

 レイの身に危険が及べば話は別だったが、今の状況でそんなことはまずなかった。

 厩舎に入ったレイを、木の間から顔を出したセトがこっちこっち、と喉を鳴らす。

 初めてセトを見た者にとっては威嚇の声に聞こえるかもしれないが、相棒であるレイにとってはそれが自分を待ち侘びている声なのだと理解出来る。


「元気だったみたいだな。夜に誰かが忍び込んでくるようなこともなかったし」

「グルゥ」


 レイの言葉に、何故か自慢気に喉を鳴らすセト。

 そんなセトの様子に笑みを浮かべつつ、セトが外に出られないようにしている木の棒を外して一緒に厩舎の外へと向かう。

 厩舎の側はある程度広い庭になっている。……正確には草の類が生えている訳でもないので、広場と表現するのが正しいのだろうが。

 正門や屋敷の側には多少の草も生えているのだが、この厩舎はもう使われていない場所だ。

 それだけに、決して経済的に余裕がある訳ではないオウギュストは手入れの類もしていないのだろう。


「ま、だから俺達が自由に動き回れるんだけど」


 呟くレイに、セトが同意するように鳴く。

 綺麗に手入れされている芝生を、セトが全力で駆けたりしようものならどうなるのかは自明の理だ。

 だが、広場のような場所であれば、そんなことを心配する必要もない。


「……さて。セト、周囲に誰かこっちの様子を窺っている奴はいるか? もしいてもエレーマ商会の者達だと思うけど」

「グルルルゥ」


 レイの問い掛けに、セトは首を横に振る。


「へぇ。昨日の様子から考えると、てっきりこっちの情報を集めるくらいはしてくると思ったんだけどな。……まぁ、それならいいさ。なら、少し訓練するか。今日はサンドサーペントの剥ぎ取りをやるから、身体を動かすことはないだろうし」

「グルゥ?」


 レイの言葉に、セトは首を傾げる。

 サンドサーペントの剥ぎ取りは、ザルーストがやると言ってくれたのだ。

 であれば、別にレイやセトがいなくてもいいのではないか。そんな疑問から出た行為。


「ザルーストは信用出来ると思うけど、全員を完全に信用出来る訳じゃない。それは砂賊の件で明らかだろ?」


 砂賊がオウギュスト達を襲うのに必要な情報を流した者がいるのは間違いない。

 結局野営ではセトを警戒したのか動きを見せなかったが、それでも護衛の中に……もしくはオウギュストの率いる商隊の中にいた商人の中にエレーマ商会の息が掛かっている者がいるのは間違いなかった。


「グルルゥ……」


 レイの言葉に、セトは少しだけ残念そうに喉を鳴らす。

 野営を共に過ごし、オウギュスト率いる商隊の面々は殆どがセトと仲良くなってくれたのだ。

 だからこそ、その中に裏切り者がいると聞けば、セトとしては悲しくなって当然だった。


「ま、何かどうしようもない理由で裏切ったって可能性もあるから、そこまで落ち込むな」

「グルゥ?」


 本当? と小首を傾げるセトに向かい、レイは頷いて口を開く。


「家族や恋人の病気の治療の為に、高価な薬が必要だったりな。……そう言えば……」


 マリーナの依頼の報酬として貰った、世界樹の雫。

 黄昏の槍を作る為に幾らかは使ったが、その全てを使った訳ではない。

 高度な技術が必要だが、錬金術で非常に高性能の……それこそ死ぬ寸前であっても見る間に全快出来るようなポーションを作れるという話を聞いていた為だ。


(ギルムに戻ったら、アジモフにでも頼んでみるか。そろそろ体調も元に戻っただろうし)


 世界樹の雫を材料としたポーション。元々それも作って貰う予定ではあったのだが、アジモフは黄昏の槍を作り出す為に、文字通りの意味で全身全霊を酷使した。

 腕のいい錬金術師として有名だったアジモフと、こちらもまた腕のいい鍛冶師として有名だったパミドール。

 その二人が力の限り、技工の粋をつくし、これ以上の物は作れないだろうと断言する程のマジックアイテムが黄昏の槍であり、特にマジックアイテムがマジックアイテムたる由縁の魔力を用いた加工でアジモフはいつ死んでもおかしくない程に消耗してしまうのは当然だろう。

 それを回復する為に暫くの間寝込んでおり、それはレイがギルムからゴーシュへと旅立った時も変わってはいなかった。

 そんなアジモフだったが、ゴーシュで暫く時間を潰してギルムへと戻れば体調は戻っている筈であり、新しい依頼として世界樹の雫を使ったポーションの作製というのは悪くない仕事の筈だ……と思うレイ。

 世界樹の雫というのは非常に稀少な素材なのだが、それでもアジモフなら大丈夫と思うのは、やはり黄昏の槍という極上のマジックアイテムを生み出したからか。


(それにセトの素材にも喜んでいたしな)


 セトを撫でながら、レイはセトの素材……羽毛をアジモフに渡した時のことを思い出す。


「グルルルゥ!」


 訓練の前に遊ぼう! と喉を鳴らすセトに我に返ったレイは、そのまま広場となっている厩舎の周囲をセトと共に走り回る。

 鬼ごっこ……というよりは、単純な追いかけっこと呼ぶべきか。

 そんな単純な遊びであっても、レイと一緒に遊べるという時点でセトは非常に嬉しく、見るからに上機嫌に駆け回る。

 そのままどれくらいが経っただろう。一時間は経っているが、二時間は経っていない。そのくらいの時間。

 そろそろデスサイズを使って軽く訓練でもするか……と思った頃、不意に自分達のいる場所に近づいてくる気配に気が付く。


「誰だ? こんな場所にやってくるんだから、俺達に用件があるんだろうけど」

「グルルルゥ」


 レイの言葉に同意するようにセトが不満そうに鳴く。

 これまでの経験から、恐らく……いや、間違いなくレイと一緒にいる時間が終わるのだろうと判断した為だった。

 そんな一人と一匹の視線の先に姿を現したのは……ザルーストだった。


「こっちにいるってキャシーさんから聞いてきたけど、本当だったな」

「ザルースト? どうしたんだ?」


 エレーマ商会の手の者ではないというのを知り、安堵の息と共に尋ねるレイに、ザルーストは溜息を吐きながら口を開く。


「ギルドに来ないから何をしてるかと思えば……昨日言っただろ? サンドサーペントの剥ぎ取りをする準備をしておくって」


 そう告げたのだった。

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