第1049話

「これは……まさか、そんな……何でこんなことになってるの?」


 ラグドに連れられたレイとマリーナの二人が世界樹へと向かっていると、その途中……世界樹にある程度近づいた場所で、マリーナが思わずといった様子で叫ぶ。

 パーティドレスという動きにくい服装をしているにも関わらず、マリーナはラグドに全く遅れずに走っている。

 その姿は歴戦の冒険者と呼ぶに相応しいだけの迫力に満ちていた。


「俺には昨日と比べてもそんなに違いは分からないんだけど……ここから見て分かる程なのか?」


 マリーナの様子を見て呟いたレイに、その隣を走るラグドは首を横に振る。


「いえ、普通なら世界樹を前にしてようやく理解出来るかどうかといったところですね。ただ、マリーナ様の場合は元々血筋が違いますから。ここからでも世界樹の様子を感じ取ることが出来るのでしょう」

「……血筋、ね」


 マリーナのアリアンサという名字がレイの脳裏を過ぎる。

 名字付きという時点でマリーナに何か事情があるというのは理解していたし、オプティスというこの集落の長老の孫娘だというのもその辺に関係しているのだろうと思っていた。

 厳しい表情を浮かべているマリーナの横顔を見ながらレイが考えていると、やがて世界樹の下へと辿り着く。

 既にダークエルフの中には何人か世界樹の異変を感じていた者がいたのだろう。世界樹の根元には数人のダークエルフの姿がある。

 その中の一人が、走ってきたマリーナ達に気が付く。


「マリーナ様!」


 その視線には縋るような色があった。

 昨日魔力を注ぎ込んで治療を終えた筈の世界樹が、何故このようなことになっているのかと。

 理由が全く分からず、不安を込めた眼差し。

 そんなダークエルフに、世界樹の根元へと辿り着いたマリーナは、落ち着かせるように笑みを浮かべて口を開く。


「大丈夫よ。こうして見ている限りだと、弱ってはいるようだけど昨日や一昨日、それ以前よりは断然元気でしょう?」


 告げつつ、マリーナ自身が己の言葉に納得していなかった。

 確かに今の世界樹は以前と比べると元気だと言ってもいい。

 だがそれは、あくまでも昨日の今日だからこそなのだ。

 もしこれが明日、明後日となれば今よりも弱まっていくのは間違いないように思われた。

 である以上、何としても世界樹が弱まっている原因を解決しなければならない。


(世界樹を枯……いえ、死なせない為には、最悪レイが毎日世界樹に魔力を注ぐという行為をすれば何とかなるかもしれないけど……それはつまり、レイをこの集落に縛り付けることになってしまう)


 もしそんなことになってしまえば、余程のことでもない限りレイはこの集落から出ていくだろう。

 レイが一ヶ所に縛り付けられることを嫌うのは、これまでの付き合いから明らかだった。

 そしてレイが出て行くのを集落のダークエルフ達が邪魔をするようなことがあれば、この集落は間違いなく炎に包まれるだろう。

 レイの実力がどれ程のものなのか、ギルドマスターであるマリーナはよく知っている。

 それこそ深紅という異名を貰う程の実力を持っているのだから。

 そう考えると、絶対に集落の皆に無謀な真似はさせたくない。


(まぁ、この前の魔力を感知する騒動であれだけの騒ぎを起こしたんだから、そうそう迂闊な真似はしないと思うけど)


 周囲の者達が自分に向けている視線を感じながら、マリーナは目を瞑りそっと世界樹の幹へと手を伸ばす。

 トクン、と。

 最初に伝わってきたのは、そんな感触。

 規則正しく魔力が流れているのは感じるが、それでもやはり昨日に比べると間違いなくその魔力は弱まっている。


(このままだと、二ヶ月……いえ、場合によっては一ヶ月で昨日のような状態に戻ってしまうわね。でも、何故? 昨日は間違いなく世界樹は力を取り戻した。だとすれば、何かがあった筈なんだけど……ラグドが言うには、怪しい人物は近づいていないという話だし)


 閉じていた目を開け、周囲を見回す。

 特に何も変わった様子はなく、モンスターか何かが隠れているような感じもしない。

 だが昨日回復したばかりの世界樹がこうまで弱まっているのを考えれば、まず間違いなく何らかの要因がある筈だった。


「マリーナ様……どうですか?」


 近くにいたダークエルフの一人が、マリーナに尋ねる。

 瞑っていた目を開けたことで、もう世界樹がどんな状況か把握したと判断したのだろう。


「……間違いなく弱ってるわ。何があったのかは分からないけど、このままだとそう遠くない内に魔力が足りなくなるでしょう」

「そんな、だって昨日はあんなに……」


 信じられないと言わんばかりに口を押さえるダークエルフ。

 周囲にいた他の者達も同じようにショックを受けた表情をしていた。

 なまじ昨日世界樹が回復したのをその目にしただけに、ダークエルフ達はより深い悲しみに襲われる。

 上げて、落とす。

 まさにそれを行われた形だった。

 そんな仲間の姿を少し離れた場所で見ていたラグドは、このままだと危険だと判断する。

 自分達の心の拠り所でもある世界樹が治療を終えた筈なのにまた弱っているというのは、一度回復したと思っただけに余計強い絶望に襲われるのは間違いない。

 そこまで考えたラグドは、もしかしてこれが最初から敵の狙いだったのではないかと思いつく。


(敵……そう、敵と呼ぶべきでしょうね。世界樹がただ弱っているだけであれば、昨日のレイの魔力によって回復していた筈。だというのに、この状況で再び弱まったということは、明らかに何者かが意図的に行っているとしか考えられません)


 世界樹の幹へと視線を向けたラグドは、悲しげに顔を歪める。

 ラグドも他のダークエルフ同様に、世界樹に関しては強い思いを抱いている。

 世界樹を慕っている、と言ってもいい。

 それだけに世界樹をどうにかしている相手がいるのであれば、とてもではないが許せない。


(いえ、今は自分の考えに浸っている場合ではないですね。とにかく皆が動揺するのを防ぐ必要があります)


 周囲を見回し、何人ものダークエルフ達が悲しそうな顔をしているのをどうにかするべく口を開く。


「皆さん、心配する必要はありません」


 突然響き渡ったその声に、ダークエルフ達は視線を向ける。

 そこにいるのは、ラグド。

 マリーナとの……より正確にはレイとのやり取りで大きく株を落としたラグドだったが、それでも今の言葉は周囲にいた全員の耳に届いた。


「そもそも、レイが昨日世界樹の治療をしたのを、皆も見て……はいないですが、知っているでしょう? であれば、レイに治療をして貰えば世界樹がどうにかなることはありません」


 その言葉は、マリーナにとって絶対に言って欲しくないことだった。

 マリーナにとって最悪の展開と呼んでもいいような流れになるかのように、ダークエルフ達はレイへと期待の視線を向ける。

 その中の一人が何かを言う前に、マリーナは口を開く。


「待ってちょうだい。レイに世界樹を治療して貰うというラグドの言葉は分かるけど、それは少し問題があるわ」


 マリーナの口から出た問題という言葉に、他のダークエルフ達はどういうことかと視線で尋ねてくる。

 今の話の流れに持っていったラグドも、マリーナに疑問の視線を向けていた。

 当然だろう。もしレイが世界樹を回復するのに問題があるというのであれば、それは即ちこのままでは本格的に世界樹が枯れてしまう可能性が高いということに他ならないのだから。


「いい? レイは確かに昨日世界樹を治療した。これは間違いのない事実よ」

「なら……」


 ダークエルフの男の一人が何かを言いそうになったのを、マリーナは遮って言葉を続ける。


「最後まで聞いてちょうだい。いい? レイの魔力を使って一気に世界樹が全快した。けど、その行為自体が世界樹にとっては相応の負担になった筈よ。弱っていたところで、一気に全快するだけの魔力を注がれたのだから。それが昨日一回だけならまだしも、何度も行われたらどうなると思う?」

「それは……世界樹が治療されて……」

「待て」


 マリーナとダークエルフの男の話を聞いていた別の男が、何かに気が付いたように言葉を挟む。


「衰弱と全快を繰り返すということは、つまりそれだけ世界樹に大きな負担が掛かるということか?」


 その男の言葉にマリーナは我が意を得たりと艶然とした笑みを浮かべる。

 こんな時であるにも関わらず、男は一瞬マリーナの笑みへと見とれるが、すぐに我に返って口を開く。


「負担が掛かるということは、当然世界樹にとっても良いことではない?」

「そうなるわね。特に魔力を感じることが出来る人がレイを見てどんな反応をしたのかを思い出して。それだけの魔力を一気に世界樹に注ぐのよ? 一回や二回ならともかく、何度となくそんな真似をしたら、最終的には世界樹にとって最悪の結果を招く可能性すらあるわ」

「水をやりすぎると、木も枯れる……」


 別のダークエルフの呟く声に、マリーナは頷きを返す。


「ええ、そっちの問題もあるわね。レイの魔力は量も質も常人とは……いえ、私達ダークエルフと比べても異常すぎるのよ。何度も言うようだけど、一度や二度ならともかく、何度となくそんな魔力を注いだら……」


 最悪、世界樹は弱まるよりも前に魔力過多で枯れる。

 そう言外に告げるマリーナに、ダークエルフ達は厳しい表情を浮かべていた。

 そんなやり取りを見ていたラグドは、声には出さないもののマリーナへと厳しい視線を向ける。

 ここで皆を意気消沈させてどうするのかと。

 ラグドも、何度となくレイに世界樹の治療をさせるということの問題点には当然気が付いていた。

 だが……それでも、今は皆に希望を与えることが必要だったのだ。

 それをマリーナが邪魔をしたのだと、内心の苛立ちを押さえるのも難しい。


(どうするつもりですか! ここで皆を落ち込ませたら、それが集落全体に広まってしまいますよ!)


 視線で明確にラグドの意思を感じ取った訳ではないが、それでも何が言いたいのかはマリーナにも何となく理解出来た。


「世界樹にどこかから誰かが何かをしているのは、ほぼ間違いないと思うわ。つまり世界樹の治療よりも前に、そちらをどうにかする必要があるということよ。そうすれば、世界樹もこれ以上弱まったりはしないでしょうしね」

「……けど、誰がどうやって世界樹に手を出してるって言うんだ? 昨日はこの近くで宴会をやってた奴も多いから、もし誰かが何かをしたのなら、最初から気付いた筈だぞ」

「ええ、その辺はラグドから聞いているわ。けど……それでも、世界樹に手を出している犯人を捜さなきゃ駄目でしょう? でないと、それこそ世界樹は次第に弱まっていくだけなんだから」


 マリーナが言い切ったのは、覆しようのない事実でもあった。

 ここで何とか世界樹を弱めている原因を見つけ出すことが出来なければ、世界樹はいずれ病に倒れる。

 そうなってしまえば、当然世界樹が張っていた結界についても消滅してしまうだろう。

 そんなことはどうしても避けなければならない。

 それこそ、この集落が生き残る為に……そして何より、自分達の象徴的な存在でもある世界樹を助ける為に。


「でも……」


 男の言葉にどこか自信がないのは、やはり世界樹に対して何かを行っている者の見当が全く付かないからだろう。


「この集落にいる皆は知らないと思うけど、レイは有名な冒険者よ。この若さでランクB冒険者として活躍しているし、異名持ちですらあるわ」


 異名というのは、この集落にいるダークエルフ達も知っていた。

 数少ないこの集落と取引をしている商人が、護衛として連れてくる冒険者から話を聞いたことがあったし、集落の中には少ないながらもマリーナのように冒険者として活動していた者もいるのだから。


「異名持ち……?」


 誰かが呟くと、その声は周囲に響いていく。

 そうして、皆がレイの方へと視線を向ける。

 だが、その視線に不審の色はない。

 魔力を感じる能力を持つ者であればレイがどれだけの魔力を持っているのかというのを知っていたし、それ以外の者でも自分達では病状の進行を遅らせるのがやっとだった世界樹をあっという間に治療したというのをその目で見ているのだから。

 ……正確には治療した現場を見たのではなく、治療を終えた世界樹を見たという方が正しいのだが。

 それだけに、レイが異名持ちの冒険者であると言われても、殆ど全ての者達が納得出来た。

 それは今であれば出来れば希望となるものが欲しかったというのもあるだろう。

 周囲の皆から視線を向けられたレイは、小さく頷き口を開く。


「世界樹の回復は俺が依頼された仕事だ。である以上、最大限に協力することを約束しよう」


 自信に満ちたその言葉は、その場にいたダークエルフ達の心に不思議と響くのだった。

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