第1048話

 世界樹の治療が終わり、身内の宴会を終えた日の翌日。

 昨夜は集落のいたる場所で世界樹を見ながら遅くまで飲んで騒いでいただけあって、いつもであればそろそろ誰かが起きてきてもいい時刻になっても、集落の者達は未だぐっすりと眠っていた。

 当然レイも……飲むのではなく食べる専門だったが、遅くまで食べていたこともあって、まだ借りた家の中でぐっすりと眠っている。

 この家の中には、レイ以外にアースの姿もある。

 まさか宴会が終わった後で集落の外に放り出す訳にもいかず、かといってエレーナ達が借りている家にまだ会ったばかりのアースを泊める訳にもいかず、消去法でレイの借りている家に泊まることになった。

 部屋数には余裕がなかったが、それでも居間があった為、レイも特にアースを拒むこともなく泊めるのに賛成したのだ。

 そんな中……まだ朝の早い時間。普段であればレイはまだ眠っているだろう時間にも関わらず、レイは唐突にベッドから起き上がる。

 飛び起きたという訳ではないが、それでも普段寝起きのレイを知っている者がいれば、その寝起きの良さに驚いただろう。

 いつもであれば、起きた後は十数分……下手をすれば数十分程もボーッとしているレイなのだが、今は違った。


「何だ? ……いや、誰だ?」


 呟き、ミスティリングからドラゴンローブを取り出して身に纏い、スレイプニルの靴を履き、部屋から出る。

 それでもミスティリングからデスサイズを取り出していないのは、レイが起きた原因……眠っている時に感じた何かの感覚がそこまで不愉快なものではなかったからだろう。

 なのにきちんと目が覚めたのは、今の感覚がどこか切羽詰まっているというのを第六感辺りで感じ取ったというのもあるし、虫の知らせとでも呼ぶべきものもあった。

 今の感覚が何だったのか。それを疑問に思い、ふと気が付く。


「今のは、世界樹の治療が終わった後で感じた視線に近い、か?」


 正確には視線ではなく言葉に出来ないような感覚ではあったが、一番近いのは視線と呼ぶのが相応しいように思えた。

 だが、結局その感覚が何を教えているのか分からない以上、どうすることも出来ない。

 それでも何故かじっとしていられずに部屋から出てそのまま居間へと向かうと、ソファで寝ているアースの姿が見えた。

 そしてアースの側で自分の九尾を枕代わりにしていたポロは、レイの出した物音で目が覚めたのか顔を上げる。


「ポルー?」


 少し寝ぼけた表情のまま、ボーッとレイの方へと視線を向けてくるポロ。

 モンスターが寝起きにそんな状況でいいのか? と、自分のことを完全に棚に上げながらレイは考える。

 だが先程感じた視線のことを考えると、今ここでポロに関わっている暇はなかった。

 ソファの上で全く何も感じずに眠っているアースへと視線を向けると、レイはアースを起こさないように口を開く。


「俺はちょっと外に出るから、お前はまだ眠っててもいいぞ」

「ポロロォ」


 そんなレイの言葉に、ポロはあっさりと再び自分の尻尾を枕代わりにして眠りにつく。


(ポロならともかく、昨日会ったばかりの俺が近くにいるのに全く起きないってのは……正直冒険者としては色々と駄目なんじゃないのか?)


 イビキもかかずに深い眠りについているアースを一瞥し、そのまま居間を出て行く。

 そうして扉を開け、春らしい爽やかな朝の空気を吸っていると、やがてレイのいる方へと駆け寄ってくる人の気配に気が付く。

 もしかして自分が感じた何かに関係あるのか? そう思い、近づいてくる相手の方へと視線を向け……


「へぇ?」


 その人物の姿が完全に予想外だった為だろう。レイは少しだけ驚きの表情を浮かべる。

 何故なら、そこにいたのはレイにとってはあまり好ましい相手ではなく、同時に向こうも自分を決して好んでいる訳ではないというのを理解していた為だ。

 向こうも……ラグドもレイの姿に気が付いたのだろう。走る速度を更に上げてレイの前へとやって来ると、速度を殺す。


「はぁ、はぁ、はぁ。……よく私が来ると分かりましたね」

「別に分かった訳じゃない。ちょっと外に出てみただけだから偶然だよ。それで、何だってお前がこんな朝早く……」


 視線を空へと向け、既に太陽が顔を出していることに気が付く。


「って訳じゃないけど、まだ殆どが寝てる時間にどうしたんだ?」

「……話すより、直接見て貰った方がいいかと。申し訳ありませんが一緒に来て下さい」


 真剣な……それこそ誤魔化しの一切ない視線をレイへと向けながら呟くラグドに、レイもラグドの言葉が偽りの類ではないということを理解する。


「分かった」


 余計な問答は口にせず、即座に頷きを返す。

 幸いレイの場合は自分の荷物は全てがミスティリングに入っている。

 わざわざ部屋に何か荷物を取りに戻るような必要もなく、そのままラグドと共に家を後にする。


「マリーナはいいのか?」

「勿論必要です。ですから、今こうして向かっているんですよ」

「うん? じゃあ、場所が違うぞ」


 ラグドが向かっているのは、オプティスの家の方だ。

 それに気が付いたレイの言葉に、ラグドは不思議そうな視線を向けてくる。


「どういうことです?」

「マリーナがいるのはこっちだ」


 レイが向かったのは、エレーナ達が借りている家の方。

 一昨日はマリーナも自分の家……オプティスが暮らしている家で寝たのだが、昨日は違う。

 宴会で夜遅くまで騒いでいたので、そのままエレーナ達の借りている家に泊まることにしたのだ。

 他にも女同士での話……それこそレイとのことについて色々と話が盛り上がっていたのだが、レイはそれを知らない。

 それでもマリーナがエレーナ達の借りている家に泊まったというのは知っていたので、ラグドを連れてそちらへと向かう。

 ラグドも口の中では多少不満そうにしながらも、ここで無駄に時間を取るのは意味がないと理解しているのだろう。

 大人しくレイに従ってエレーナ達が借りている家の方へと向かう。

 当然非常時である以上は歩いて行く訳ではなく、レイもラグドも走って移動する。

 その際にレイが驚いたのは、ラグドの足が意外な程に速かったことだ。

 外見は優男と表現してもいいようなラグドだけに、てっきり身体を動かすのは苦手だとばかり思っていたのだが……

 そんな風に考えたレイだったが、すぐに自分の中にある考えを否定する。

 そもそもダークエルフなのだから、身体を動かすのが苦手な筈はないと。

 勿論全てのダークエルフが身体を動かすのが得意だという訳ではない。

 何にでも向き不向きがある以上、身体を動かすのが苦手なダークエルフというのも当然いるだろう。 

 それでもラグドが身体を動かすのを得意としているという風に思ったのは、オプティスの下で働いているからという理由に限る。

 理由になっていない理由なのだが、それでもオプティスという人物を知ってしまえば納得出来てしまうのが不思議だった。

 そうしてやがて見えてきたエレーナ達が借りている家へと到着すると、ラグドは問答無用で扉を叩く。

 それは、ノックと呼ぶよりまさに叩くと表現すべき行為。

 幸いエレーナが借りている家の周りには他の家は存在しないが、もしあったとすれば近所迷惑になっていただろう音。


(ノック……いや、叩くでもなくて殴るって感じだよな)


 周囲に響く音は、当然家の中にも聞こえていたのだろう。中で何かが動く音や気配がレイにも理解出来た。

 それでもすぐに表に出てこないのは、家の外にいるのがレイだと知っている為だろう。

 これがもしラグドだけであればまだしも、自分達が好意を抱いている相手に対して寝起きの姿を見せたいとは……それも宴会翌日の姿を見せたいと思えないのは、女として当然だった。

 ラグドが扉を殴る音が止まってから数十秒。

 苛々を募らせたラグドが再び拳を……先程までの行為で赤くなっている拳を再び振り上げたのをレイが止める。


「何をするんですか! 今はとにかく早くマリーナ様を……」

「落ち着け」

「ん」


 レイの言葉と一緒に聞こえてきた小さな呟きに、ラグドは一瞬動きを止める。

 声のしてきた方へと視線を向けると、そこにいたのは十歳くらいに見える少女だった。

 ラグドはその少女にも当然見覚えがある。

 レイ達一行の中にいた少女だ。

 エレーナ、ヴィヘラ、そしてマリーナと派手な美貌を誇る三人がいるだけに目立たなかったが、それでも一行の中にいる人物を見逃す筈がなかった。


(そう言えばもう一人バトルアックスを持った女もいましたね)


 少し考えている間にもレイとビューネの間で会話は続く。……それが会話と呼んでもいいのかどうかは微妙なのだが。


「マリーナは昨夜こっちに泊まったよな?」

「ん」

「じゃあ、悪いけどちょっとマリーナを呼んできてくれるか? ラグドが何か大変な事態があるって話らしいんだ」

「ん」


 頷き、ビューネは家の中へと戻っていく。

 それを見送ったレイは、改めてラグドの方へと視線を向けて話し掛ける。


「で、結局何がどうなってそこまで急いでるんだ? マリーナが出てくるまで時間があるし、今のうちにその辺の事情を聞かせてくれないか?」

「……そうですね。出来れば説明は一度で済ませたかったのですが……そちらの方がいいですか」


 ラグドもレイの言葉にこのままでは無意味に時間を消費するだけだと気が付いたのだろう。

 自分の労力とレイに先に事情を説明しておくことのどちらがいいのかと考え、結局後者を選ぶ。


「実は私は今朝世界樹に行ってみたのですが……その際、君に……いえ、レイ殿が昨日魔力を世界樹へと注いで元気を取り戻していた筈の世界樹が、明らかに弱っていたのです」

「……何?」


 それはレイにとっても予想外の話だ。

 自分が魔力を注いだことにより、世界樹は魔力不足を補って回復した筈だった。

 事実、魔力を注ぎ終えた後には強烈な光を放っていたのだから。

 それこそ元気一杯だというのを態度で示したかのような、眩い発光が。

 だからこそダークエルフ達も、そしてレイ達も世界樹の治療が終わったと判断し、森の異変についても時間は掛かるだろうが次第に少なくなっていくのだろうと判断していたのだが……


「世界樹が弱まったってことは、それはつまりまだ病が治っていなかったってことなのか?」


 当然のレイの疑問に、ラグドは難しい顔をして言葉に詰まる。

 ラグドの目から見ても、昨日世界樹が放った眩いまでの輝きは世界樹の全快を思わせるものだった。

 そして事実、昨日に限って言えば世界樹は間違いなく全快したとしか思えない程の状態だったのだ。

 それが何故か今朝になってラグドが世界樹の下へと向かってみれば、明らかに昨日よりも弱っている。

 そう考えれば、実は全快していなかったと言われる方が納得出来るのは事実だ。

 だが……それでも昨日の世界樹を見ると、とてもではないが実は回復していなかったとは思えない。

 そして何より、世界樹と深い関係を持つマリーナが昨日の件で世界樹が回復したと口にしたのを聞いている。

 レイと初めて会った時のラグドであれば、もしかしたらマリーナがレイを庇う為に誤魔化しを口にしたのではないかと疑ったかもしれない。

 しかし今のラグドは、レイがどれだけの力を持っているのかを間近で見て、これ以上ない程に理解している。

 それでも今朝自分が見た世界樹が明らかに弱まっていたのは間違いない事実であり……そんな自分の中にある矛盾が、ラグドがレイの問い掛けに頷くのを躊躇わせていた。

 数秒躊躇った後、ラグドはようやく首を横に振る。


「いえ、正直昨日の世界樹を見た限りでは、とてもではありませんが病が治っていないようには見えませんでした。……だからこそ、異常なのです」

「だ、そうだが? 何か心当たりはあるか?」


 ラグドと話していたレイが視線を向けたのは、扉から姿を現していたビューネの後ろ。

 そこに立って厳しい表情を浮かべているマリーナだった。

 朝早く……という訳ではないが、それでも昨夜の宴会の集落の者達の殆どがまだ起きていない時間帯。

 そんな時刻にも関わらず、マリーナは昨日とは違うパーティドレスを身につけている。

 森の中に探索へ向かった時にも色や形は違えどパーティドレスを身につけていたのだから、マリーナにとっては朝早くであろうが森の中であろうが、パーティドレスで違和感はないのだろう。

 そのマリーナは、ラグドの話を全て聞いていた訳ではない。

 それでも、途中から話を聞いただけで大体の事情は理解出来た。

 レイの問い掛けに、マリーナは首を横に振る。


「いえ、全く心当たりはないわ。少なくても昨日私がレイと一緒に世界樹に魔力を注いだ時は、間違いなく病は完治して力を取り戻していたもの」

「だとすれば、魔力を注ぎ終わってから今朝までの間に何か起きたとかか? 誰か怪しい奴が世界樹に近づいたりは?」

「有り得ません!」


 ラグドはレイの言葉を即座に否定する。

 これは仲間を思ってのことではない。純粋に昨日は一晩中世界樹の見える位置でダークエルフが快気祝いとして宴会をしていたのだ。

 もし誰かが近づいたとすれば、間違いなく分かった筈だ、と。


「となると、可能性はその宴会が終わってからラグドが世界樹に行くまでの短い時間か。……ともあれ、マリーナの準備も整ったようだし世界樹に行ってみるか」

「レイ、私達も一緒に行こう」


 エレーナとヴィヘラがそれぞれそう告げて姿を現す。

 既に二人とも準備は万端であり、エレーナはミラージュの収まった鞘を、ヴィヘラは手甲と足甲を身につけていた。

 問答しているのも惜しいと、そして何よりこの二人の戦力を考えれば邪魔にはならないだろうと判断し、ふとこの場にいない人物に気が付く。


「アーラは?」

「飲み過ぎたらしくてな」


 苦笑と共に告げたエレーナの言葉で、まだ起きていないのだろうと理解する。


「分かった、じゃあ行くか」


 そう告げ、走り出すレイ達をビューネは表情を変えずに手を振って見送り……小さく欠伸をすると、そのまま家の中へと戻っていくのだった。

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