第1037話

 ラグドが去って行った光景を見送っていると、やがてレイは自分の方へと近づいてくる複数の足音に気が付く。

 そちらへと視線を向けると、そこにいたのはレイの予想通りの者達だった。

 エレーナは苦笑を浮かべ、ヴィヘラは面白そうな笑みを浮かべ、アーラは喜べばいいのか怒ればいいのか複雑な表情を浮かべ、ビューネはいつものように無表情。

 セトとイエロも同じくレイの方へと向かってきている。

 そんな中……


「馬鹿ね、レイ」


 少し呆れた表情のマリーナが、レイへと向かってそう声を掛ける。

 そんなマリーナに対し、レイは小さく肩を竦めてから口を開く。


「俺を庇う為にお前が責められるってのは、何か違うだろ。それに庇われるにしても、何か俺にとって致命的なことならともかく、魔力量の件だけだし」


 あっけらかんと告げるレイの言葉に、マリーナは小さく笑みを浮かべる。


「強いわね、レイ」

「そうか?」

「ええ。オードバンがレイに向ける視線を受けて、それでもそう言い切れるというのはちょっと凄いわよ」

「どうだろうな。俺の場合は元々そういうのに鈍いだけって可能性もあるからな」

「あら、そう考えると今回の件は余計なことだった?」


 悪戯っぽく笑みを浮かべるマリーナに、レイは小さく首を横に振る。


「別に気にしないからって、不愉快な思いをしないって訳じゃないしな。ただ、それでも俺が不愉快な視線を向けられるのとマリーナが責められるのでは、前者の方がまだいいと思っただけだ」


 きょとん、と。

 一瞬何を言われたのか分からない様子のマリーナだったが、やがてレイの言葉の意味を理解すると嬉しそうな笑みを浮かべる。


「本当に……馬鹿なんだから」


 言葉では明らかにレイを責めているのだが、その表情は言葉とは正反対のものだ。


「はいはい。いい雰囲気のところを悪いけど、その辺にしておきましょう。それよりもこれからどうするかを考えた方がいいんじゃない?」


 レイとマリーナがどことなくいい雰囲気になっているのを見たヴィヘラの言葉に、少し離れた位置で今の様子を見ていたオプティスは残念そうな表情を浮かべる。

 当初はマリーナに相応しい男かどうかを調べるとレイに戦いを挑んだオプティスだったが、その戦いを通じてレイがどのような人物なのかというのは、何となく理解していた。

 色々と危ないところもあるが、それでも可愛い孫の為にラグドに立ち向かったのだ。

 息子夫婦が既に亡いオプティスとしては、そんなレイに感謝の気持ちを抱くのは当然だろう。

 ……もっともこの集落の長老という立場である以上、この場でそれを口に出すことは出来ないのだが。


「そうね。取りあえず世界樹の治療をするにしても、今日このままって訳にはいかないわ。出来ればすぐにでも世界樹の治療をした方がいいのだけど、こんな騒ぎになってしまっては……ね」


 レイがどのような人物なのかは、ダークエルフの中でも魔力を感じることが出来る者は理解しただろう。

 だが同時に、レイが危険な相手だという認識を持った者が多いのも事実だ。

 そうである以上、このまま自分達だけで世界樹の治療をしても、何か疑われることになるのは確実だった。

 いらない騒動を引き起こさない為には、誰か自分との関わりがない……もしくは薄い人物が一緒に世界樹の治療に立ち会うのは必須だと考えたのだ。

 だが、今すぐにそんな真似をしようとしても、とてもではないが一緒に来ようと思う者はいないだろう。


(世界樹が弱まってはいるけど、今日明日に急がなければならないという程ではないわ。だとすれば、明日でも大丈夫の筈よ。そしてレイを怖がっている人達も、明日になれば……)


 そこまで考え、オードバンの姿が脳裏を過ぎる。

 友人と会う約束があるということでここには来ていなかったが、もし来ていればレイに他の者と同じ視線を向けていただろう。

 また、オードバンがレイへの態度を軟化させ始めたのは、最初に会ってからある程度の日数を必要としていた。

 そう考えると、明日にすぐ……と思っても難しいのではないか? と、考えてしまう。

 それでも一日二日程度であればまだしも、十日二十日といった風に時間を空けるのはさすがに不味い。


(だとすれば、お爺様に来て貰う? それもいいかもしれないけど……ラグド達は認めるのかしらね)


 政治的に対立しているラグドではあるが、それでもマリーナはラグドを憎んだりしている訳ではない。 

 方法は違うが、ラグドもまたこの集落の為を思って行動していると理解している為だ。


(ラグド……そうね、ならいっそラグドを連れていくのはありかしら。今日の件で私とラグドが敵対しているというのは、この場にいる全員が見ていた筈。であれば、ラグドを連れていけばレイが何か妙な行動をしないと証明させるには十分よね)


 考えている中でそれが最善だと結論づけると、笑みを浮かべて口を開く。


「まあ、何とかなるわよ。それより折角だしエアロウィングの肉を使った料理を作りたいと思うんだけど、どうかしら?」


 話を誤魔化すようなマリーナの言葉を疑問に思ったものの、エアロウィングの肉を食べたいと思っている気持ちはあった他の者達は、それに頷く。


「お爺様、レイはもう解放ということでいいのよね?」

「そうじゃな。もしここで解放しないということになれば、恐らく他の者達は恐慌……いや、納得出来ないじゃろうし。泊まる場所は、そちらのお嬢さん達が使っている家を使えばいいじゃろう」


 魔力を感知する能力を持った者達の様子を思い出し、少しだけ笑みを浮かべてオプティスは孫娘へと言葉を返す。

 そこには孫娘を思う純粋な気持ちと、そしてこの集落の長老としての立場両方があった。


「ありがとう、お爺様。ただ、レイはこれでも男なんだから、女と……それも立場のある公爵令嬢と一つ屋根の下という訳にはいかないわ。エレーナ様達の家から少し離れた場所に一軒あったわよね? 厩舎付きだからセトも一緒にいられるし、そこがいいんじゃないかしら?」


 当然のようにエレーナ達とレイを別々にするマリーナだったが、それはギルドマスターの立場としては当然だった。

 マリーナの言葉にエレーナが嬉しそうな、それでいて残念そうな表情を浮かべる。

 公爵令嬢として育ってきたエレーナだけに、当然貞操観念は強い。

 その常識が、男と一つ屋根の下で暮らすというのは不味いというのを教えている。

 だが、それとは逆にエレーナの本心ではレイと共に暮らしたいという思いも当然存在していた。

 ……元々戦場を駆け抜けてきたエレーナだけに、男と一つ屋根の下で眠るというのは抵抗感がない。

 しかしそれは、相手を男として……正確には恋愛の対象として見ていないからこそ出来ることだ。

 貞操観念と矛盾しているように思えるのだが、エレーナの中では全く矛盾せずに存在している。


「そう? 残念ね。私はレイと一緒の家でも……いえ、一緒の部屋でも良かったんだけど。何ならベッドも一緒でもいいわよ?」


 葛藤するエレーナとは裏腹に、ヴィヘラは純粋に残念そうに呟く。

 元々レイに対する好意を隠すことすらしていないヴィヘラだけに、素直に自分の感情を口に出すことが出来るのだろう。


「グルルルゥ!」


 そんな二人とは裏腹に、セトは嬉しげに喉を鳴らす。

 マリーナが口にしたように厩舎があるということは、レイの近くにいることが出来る為だ。


「キュ?」


 セトの頭の上にちょこんと座っているイエロは、何が起きてるのかが全く分かっていない様子で周囲を見回していた。

 どこか癒やされる様子を見ていたマリーナが、ふと口を開く。


「ああ、そう言えばエアロウィングを調理するよりも前にやることがあったわ。悪いけど先に準備をしててくれる? 私は用事を済ませたらすぐに向かうから」


 一瞬その場にいた者達の多くがマリーナへと視線を向ける。

 だが、そんな視線に対して返ってきたのは笑み。

 それを見て特に問題はないと判断したのだろう。マリーナの言葉に何も言い返さずにレイ達は広場を後にする。


「どこでエアロウィングの解体をするんだ? 結構大きかったから、出来るだけ広い場所が必要だぞ?」

「それなら私達が借りている家の後ろが少し広くなっているし、そこでいいんじゃない? どう、ビューネ?」

「……何故そこでビューネに尋ねるのだ?」

「だってビューネは解体が上手いもの。ダンジョンをソロで攻略していた時に身につけた技術らしいけど」

「ん」


 そんな風に会話を交わしながら去って行く一行を、マリーナは少しだけ羨ましそうに見つめる。

 数秒だけ自分がもしあの場所にいたらと思うと、少し名残惜しい気持ちが胸の中に湧き上がってくるが……今の自分はこの集落にある世界樹を治療する為に約百年ぶりに戻ってきたのだから、そちらに意識を集中する必要があった。


「行くのか?」


 オプティスの言葉に頷きを返す。

 取りあえず最大の懸念だった、レイが危害を加えられるというのは……より正確には、その危害に対してレイが反撃して集落が大きな被害を受けるというのは回避された。

 であれば、次にマリーナが調べるべきなのはレイが障壁の結界を通り抜けた時に感じた、あの脈動。

 何が原因で起きたのかは分からないが……いや、その原因は分かりきっている。レイが通り抜けた時に起きたのだから、当然レイの持つ莫大な魔力に反応したのだろう。

 だが、その反応が悪いものなのか……もしくは良いものなのかというのは、まだ確認していない。

 勿論あれだけの大きな脈動を感じたのだから、その瞬間に何人かのダークエルフは世界樹の様子を見に行ったのは間違いない。

 事実、それで即座に何か世界樹に悪影響が起きたのではないのは、既に報告を受けている。

 それでもマリーナは自分の目で世界樹の様子を確認しておきたかった。

 それがレイを連れてきた自分の義務だと思っているし、もし本当にレイの存在が世界樹に悪影響を与えるのであれば即座に集落から出ていって貰う必要があるからだ。


「そうか。……気をつけてな。マリーナなら何も心配はいらないと思うが、それでもあの脈動で何かが変化したとも限らんからの」

「ええ。細心の注意を払って見させて貰うわ」


 そう告げると、マリーナはその場から立ち去っていく。

 向かうのは集落の奥にある、世界樹。

 レイが集落に入ってきた時の脈動がどのような影響を与えたのか……大きな不安と、そしてレイの魔力を感知した世界樹が多少は持ち直しているのかもしれないという若干の期待を抱きながら集落の中を進んでいく。

 その途中で何人ものダークエルフに声を掛けられ、それに対して手を振り、言葉を交わしながら進む。

 中には何を思ったのか口説いてくるような男もいたのだが、男に言い寄られるのは慣れているマリーナはあっさりとそれを受け流しながら歩き続ける。

 やがて進むごとにダークエルフの数は少なくなっていく。

 集落の奥の方……世界樹が存在する場所へと向かっているのがその原因だろう。

 世界樹自体は集落のどこからでも見える。

 見上げる程に大きな木なのだから、それも当然だ。

 今も青々とした葉を茂らせてはいるが、自分が集落を出て行った時に比べると明らかに世界樹から受ける生命力や迫力といったものが減っているように思えた。

 そんな世界樹を眺めながら、ふとマリーナは気が付く。


「あら?」


 それは、ほんの小さな違い。

 だが、間違いなく存在する違いだった。

 その違いを感知出来るのは、それこそ魔力に敏感な者であり……同時に、マリーナのように特殊な血筋を引く者だけだろう。

 それがどういう意味なのかを理解したマリーナは、小さく笑みを浮かべる。

 多分大丈夫だとは思っていたのだが、それでもこうして直接自分の目で見て確認すれば安堵する気持ちは大きい。

 その違いとは……


「まさかレイが障壁の結界の中に入っただけで、少しではあっても回復するなんて……分かっていたけど、レイの魔力ってどれだけ凄いのかしらね」


 少し呆れの入った言葉で呟くマリーナだったが、その表情には嬉しさの色が濃い。

 レイを連れてきたのは決して間違いではなかったというのが理解出来たからだ。

 マリーナは大丈夫だと思っていたが、それでもやはりこうしてしっかりとした確証を得られたというのは大きい。


「これなら……明日にでも世界樹に魔力を流して貰えば、すぐにでも回復するわね。だとすれば、このままここには長居しない方がいいかしら」


 溜息を吐くが、そもそも世界樹が弱っている原因を本当にそれで解決出来るのかという疑問もある。

 レイの魔力を考えればまず間違いないと思うのだが、それでも確実にとは言えない。


「やっぱり回復してからも、少しは様子を見た方がいい……わよね?」


 ともあれ、レイの存在によって少しではあるが世界樹が回復したというのは紛れもない朗報だった。

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