第1034話

「なるほど、世界樹ってのはダークエルフにとっては祈りの象徴……一種の神みたいなものなのか」


 ソファへと座りながら、部屋の前にいるダークエルフの男に持ってきて貰った本……ダークエルフの歴史について書かれている本を読んでいたレイの口から、納得の言葉が出る。

 いかに世界樹がダークエルフ達にとって生活をする上で必需品だとしても、それ以上の思いを感じていた理由に納得した。

 もっとも神に近いと言っても、今までレイを襲ってきた某宗教のように狂信者がいる訳ではないというのは救いだろう。

 もし世界樹を崇めて世界樹教のようなものが出来ていれば、恐らくレイは世界樹の治療をしなかった可能性がある。

 それだけ宗教嫌いのレイだけに、そういう意味ではダークエルフ達は運が良かったと言ってもいいのかもしれない。

 そうして次のページを捲ろうとし……ふと、その動きを止めて視線を扉の方へと向ける。

 そこに誰かが近づいてきている気配を感じ取った為だ。

 普段であれば、そこまで気にすることはない。

 だが、今のレイは軟禁状態にある身の上である以上、どうしてもその辺を気にせざるを得ない。


「誰か来たのか?」


 それでも自分の境遇を考え、すぐに臨戦態勢を取るような真似はしないのだが。

 近くにあった紐を栞代わりに本に挟み、視線をじっと扉の方へと向ける。

 すると、数秒程で扉の前の見張りが扉を開く。


「レイ、お前に客だが……その、通してもいいか?」


 レイに対しての言葉使いは、とてもではないが軟禁している相手に対するものではない。

 これも、マリーナという人物のおかげか。

 そう判断したレイは、特に躊躇もせずに頷きを返す。


「ああ。丁度暇を持て余していたんだ。誰かが尋ねてきてくれたってのなら、俺にとっては歓迎だよ。それより、何か摘まめるものを持ってきてくれると嬉しい」


 視線の先には、本と一緒に差し入れされた炒めて塩で味付けした木の実が入っていた皿。

 その皿は既に空であり、それを見張りは驚きの表情を浮かべる。


「もう全部食ったのか? ……まぁ、いい。分かった。どのみちオプティス様には何か飲み物を出す必要があるからな。ついでにまた持ってきてやるよ」

「……オプティス? それが尋ねてきた相手の名前か?」

「そうだ。この集落のお偉いさんだから、くれぐれも失礼のないようにな」


 そう告げると、部屋の中へと入ってきた見張りは皿を手にして去っていく。

 その見張りと入れ替わるように中に入ってきたのは、ダークエルフの老人だった。


「お主がレイか」

「あんたは? そっちのが言うには、ダークエルフのお偉いさんらしいけど」

「うむ。この集落で長老……お主に分かりやすく言えば、村長のような立場にあるオプティス・アリアンサというものじゃ」

「……アリアンサ? それって……」


 聞き覚えのある名字に、レイは改めてオプティスへと視線を向ける。

 随分と年を取っているように見えるが、それでもオプティスの顔立ちはどこかマリーナと似ているところがあった。

 そんなレイの態度に、オプティスは頷きを返す。


「お主も知っているマリーナは、儂の孫じゃ」

「祖父、か。けど、そのマリーナの祖父でこの集落の長老をやっているお偉いさんが、なんだって俺のところに?」

「何、お主がどのような人物か見ておこうと思ってな。少し前まで、お主にどう対応するべきかの討議をしておったのじゃが……お主という人物を知らなければ、どう対応するにしろ二度手間になりかねんじゃろう? それに……」


 一旦そこで言葉を切ったオプティスは、じっとレイへと視線を向ける。


「儂の孫娘が選んだ男がどのような人物か……しっかりとこの腕で確かめておく必要があるしのう」

「……腕?」


 普通であればこの目で確かめるという表現なのではないかと疑問に思うレイだったが、オプティスと名乗ったダークエルフは、そんなレイの様子に面白そうな笑みを浮かべながら口を開く。


「うむ。腕じゃよ。儂の孫とそういう関係になるのであれば、当然相応の強さを求められる」

「いや、そんなことを言われてもな」


 目の前に立つ人物が、見かけによらず強いというのは理解出来る。

 この森へとやってくるまでの間にマリーナから聞いた話からも、目の前のダークエルフが強いというのは明らかだった。

 連れ去られた同胞を助ける為にたった一人で奴隷商人を追って、その身を血で染めて帰ってきたという話はレイもしっかりと聞いていたのだから。


(そんな性格をしてるんだから、こうして直接俺と戦いたがっても不思議じゃない……のか?)


 疑問に思いつつ、それでもここでオプティスの話に乗れば軟禁されている部屋から出ることは出来るというのはレイにとって大きい。

 この部屋にいれば快適に過ごせるのは事実だったが、扉の前には見張りが立っており、窓の外からは遠く離れた場所からだが常時見張られている。

 レイを見張るという行為の他に、レイへと危害を加えようとする相手から守るという意図があるというのは知っていたが、それでもやはり見張られているというのはいい気持ちがするものではない。

 だとすれば、折角事態が動いたのだから、ここでそれに乗せて貰おうと考えるのは当然だった。


「そうか、じゃあどこでやる?」


 そんなレイの言葉は、オプティスにとっても意外だったのだろう。少しだけではあるが、目を見開く。


「ほう、随分と早く決めるものじゃの。儂としては嬉しいが……よいのか?」

「ああ、構わない。ここにいても暇なだけだしな。少し身体を動かしたい気分だったんだよ」

「……お主がこの部屋に入ってから、まだ数時間程度じゃろうに。随分とせっかちな男じゃの。いや、じゃがそんな性格だからこそマリーナが見初めたのかもしれんが」

「あー……」


 オプティスの言葉に、マリーナとの件は勘違いだと口にしようとするレイ。

 だが、マリーナの意図がどこにあるのかが分からない以上、迂闊にそれを口にするのも躊躇われる。

 それに、レイ自身マリーナに魅力を感じていないといえば嘘になるのも事実だ。

 これでマリーナに元々好意を感じていなかったのであれば、もしかしたら何かを口にしたのかもしれない。

 しかしレイはマリーナに対して好意を抱いているというのは事実だった。

 ともあれ、言葉を濁したレイは結局それ以上はオプティスに何かを言わずに、部屋から連れ出されるのだった。






「……ここは?」


 部屋から連れ出されたレイは、オプティスと共に集落の外れにある広場のような場所へとやって来ていた。

 ここは? と口に出したレイだったが、周囲に身体を鍛えたり、模擬戦を行っているダークエルフ達がいるのを見れば、ここがどんな場所なのかというのは明らかだ。

 広場の端の方では、的へと向かって弓を構えているダークエルフ達の姿もある。


「見て分かるじゃろう。ここはこの集落で身体を鍛える為の場所じゃ」


 そう告げるオプティスの姿に、訓練をしているダークエルフ達も気が付いたのだろう。何人かが視線を向けていた。

 中にはレイのことを知っている者もいたのか、これからここで何が起こるのかを理解して頬を引き攣らせている者もいたのだが、当然オプティスはそんな者達を相手にはせず、レイを広場の中央付近へと連れて行く。


「はぁっ! くっ! ……え? 長老?」

「っと、長老? どうしたんです、こんな場所に……いや、長老がここに来るのは珍しくはないですけど。そっちの人間は?」


 中央付近でレイピアを使って模擬戦を行っていたダークエルフの男二人が、オプティスとレイを見ながら尋ねる。

 そんな二人に、オプティスは笑みを浮かべながら……それこそ、これ以上ない程嬉しそうにしながら口を開く。


「うむ。マリーナの婿じゃ」

『……え?』


 オプティスの口から出た言葉に、二人だけでなく周囲で様子を窺っていた者達も同じような声を上げる。

 同時に、あの男が? といった周囲の好奇心や嫉妬、哀れみといった様々な視線がレイへと向けられていた。

 レイがマリーナとキスをしたという情報は、当然物凄い速度で集落の中に広がっていたのだが、その相手というのが途中で様々なデマが入り交じり、最終的には筋骨隆々の大男だという人物になっていたのだから、そんな噂とは正反対のレイの姿に驚くのは当然だろう。


「ともあれ、少しここを借りるが構わんか? この者がどれだけの実力を持っているのか、マリーナの祖父として……そして何よりこの集落の長老として確認しておきたいのでな」

「は、はぁ……それは構いませんけど……長老が自ら?」


 オプティスの力がどのようなものかを知っているからこそだろう。恐る恐ると尋ねてくる男に、尋ねられたオプティスは当然だと頷きを返す。


「それと、皆もこの者がどれだけの力を発揮するのか……それをきちんと見るように」


 その言葉に、広場で訓練をしていた者達全員が二人から距離を取る。

 離れた場所で弓の練習をしていた者達も、その練習を止めていた。


(どれだけ注目を集めてるんだよ)


 そんな風に思うレイだったが、人の目の多い戦いというのは今まで幾度も繰り返してきている。

 それこそ去年行われたベスティア帝国の闘技大会では、帝都中……そして近隣諸国からやって来た者達の目の前で戦いを行ったのだから。

 それに比べれば、この程度の人数の前で戦うのは全く問題がなかった。


(いや、闘技大会は見ているのは殆どが素人だったけど、ここではある程度以上の実力を持ったダークエルフだってのは違うか)


 周囲を見回しながら考え、今の状況では何を言っても無駄だろうと判断したレイはミスティリングの中からデスサイズを取り出す。

 案の定何もない場所からいきなり姿を現した、レイの身長よりも巨大なデスサイズの姿に周囲で様子を窺っていたダークエルフ達はほぼ例外なく驚きの表情を浮かべる。

 だがオプティスのみは例外であり、驚いてはいるが珍しいものを見たといった程度の驚きだ。

 その様子に、今度はレイが驚きの表情を浮かべる。


「もう少し驚かれると思ったんだけどな」

「儂もこう見えて長生きをしてるのでな。アイテムボックスを見るのは、これが初めてという訳ではない」

「……へぇ」


 オプティスの言葉に、レイは感心の声を上げた。

 アイテムボックスの類がどれだけの価値を持つのかを知っているからこその態度。

 感心しながらも、レイは油断なくデスサイズを構える。

 オプティスの方も、対応するように杖を構えていた。

 オプティスの持っている杖は、魔法発動体としての杖であると同時に打撃武器でもある。

 手に握っている頭の部分には一見すると水晶のようなものが嵌め込まれていた。

 水晶のような物の大きさは直径二十cmはあり、そこで殴られれば相当の威力があるのは明らかだ。

 また、杖の先端も鋭く尖っており、エストックやレイピアといった刺突に向いた武器を連想させる。


(あの杖は、どう考えても魔法発動体としての杖じゃないよな。というか、普通に考えれば木の先端を尖らせたところで、そう大した威力はないんだろうが……まさか、ダークエルフの長老ともあろう者がそんな武器を使う筈はないよな。まずは一手!)


 デスサイズを手に、レイは地面を蹴ってオプティスの方へと向かう。

 殺すつもりはないのでデスサイズに魔力を通してはいないが、デスサイズは素の状態でも重量百kg程の打撃武器として圧倒的な破壊力を持つ。

 その威力は、オプティスにも理解出来たのだろう。自分に向かって振るわれる一撃を受け流したり、ましてや受け止めたりはせず、大きく後方へと跳躍する。

 轟っ、という音を立ててオプティスの視線の先をデスサイズが通り過ぎて行く。

 振るわれるその一撃は、巨大な刃ではなく柄の部分がオプティスの身体のあった場所を通り過ぎていた。

 殺す気はないというのを見て取ったオプティスは、内心で笑いたくなるのを我慢する。


(まさか、この年になって手加減をされるようになるとは思わなんだ。……じゃが、それもまた良し!)


 面白さを闘志へと変え、地を蹴ってレイとの間合いを詰める。

 見た目の年齢とはそぐわない踏み込みの速度に一瞬驚いたレイだったが、それでも素早くデスサイズを手元へと戻す。

 そんなレイの姿を見て、間合いを詰めているオプティスもまた内心で驚く。

 デスサイズは長さ二m程もあり、その重さは気軽に何とか出来る程度のものではないように思えた為だ。

 デスサイズの能力の一つでもある、使用者は重さを殆ど感じないというのを知らないからこその驚き。

 それでもオプティスは杖を振るい、先端の丸い水晶のようなものが嵌まっている部分をレイの胴体へと叩きつけようとし……

 甲高い金属音が周囲に響く。

 その音の正体は、レイの持つデスサイズの柄。

 オプティスの振るう一撃を受け止めたことにより響かせた甲高い音を聞きながら、お互いにそれ以上は行動に移そうとせずに笑みを交わすのだった。

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