第1033話
「随分といい部屋だよな」
ベッドに寝転がり、マリーナの唇の感触を思い出したレイは思考をそこから逸らすように呟く。
その言葉通り、レイが現在いる部屋は設備が非常に整っており、快適に過ごせるように考えられて作られた部屋だった。
それこそ、夕暮れの小麦亭と比べても遜色ない程に。
「牢屋……と呼ぶにはちょっと無理があるけど」
レイは視線を部屋の扉へと向ける。
扉の外にはダークエルフの戦士が数人待機している筈だった。
それはレイを部屋から逃がさないのと同時に、レイに対していらないちょっかいを出してくる相手から守るという役目もある。
マリーナのキスと、自分の大事な人だという宣言。それによって、レイは本来であれば地下牢辺りに閉じ込められる筈だったのが、このような上等な部屋での軟禁という扱いになっていた。
「マリーナがダークエルフの中でも特別な血筋だってのは分かってたけど……予想以上だったな」
レイが初めてマリーナに出会った時、マリーナは自分のことをマリーナ・アリアンサと自己紹介していた。
そう、名字持ちである以上は何らかの特殊な立場の生まれなのだろうというのは理解していたレイだったが、その予想よりもマリーナの存在はダークエルフの中では大きかったのだろう。
レイの現状がそれを示していた。
ベッドで寝転がり、窓から外の景色へと視線を向ける。
窓があるということは、脱出しようと思えば脱出出来る。だがダークエルフ側も当然それを理解している以上、窓の外にも監視を付けていた。
軟禁されてはいても、十分以上に快適な環境であるのは間違いないのだが。
「それでも、暇なのは暇なんだけどな」
改めて部屋の中を見回すレイの視界には、ドラゴンローブが掛けられているソファやテーブルといった物が目に入る。
だが、暇潰しが出来るようなものはない。
「いっそ昼寝でもして事態が動くのを待つか? ……それもいいような気がするけど」
そう呟きながらも、レイは寝転がっていたベッドの上から起き上がり、ソファからドラゴンローブを手に取って着ると、部屋の扉の方へと向かう。
それを窓の外……百m程離れた場所から見ていたダークエルフが一瞬緊張したが、レイはそんなことは気にせずに扉を軽くノックして声を掛ける。
「ちょっといいか?」
声を掛けてから数十秒が経ち、やがて扉がそっと開けられると、そこにはダークエルフの姿があった。
外見は二十代程の男だが、マリーナの件もあって目の前にいるダークエルフの男が実年齢何歳なのかというのは全く分からない。
「何か用か? お前の要望には出来る限り応えるように言われてるが、外に出たいとかは不可能だぞ」
そう告げてくる男の言葉に、嫌悪感のようなものはない。
それどころか、どこか申し訳なさそうな雰囲気すら宿っている。
マリーナの大事な人というのは男にとって……いや、この集落のダークエルフにとってはそれ程の意味を持つのだろう。
また、マリーナがくれぐれもレイを丁重に扱うようにと言っていたのも大きい。
世界樹の治療の為に来て貰ったというのに、まさかこんなことになるというのはマリーナにも完全に予想外だったのだろう。
だからこそ、マリーナはレイを自分の大事な人という扱いにしているのだから。
同時に、レイに対して横暴な扱いをした場合、下手すれば本気でこの集落が……いや、森が消滅しかねないという危機感もあった。
レイが自分を害する相手に対しては躊躇せずに攻撃するというのは、ギルドマスターとして報告書を読んでいたので知っている。
そしてレイだけではなくグリフォンの希少種であるセトもいるとなれば、もしそんな一人と一匹に暴れられた場合の被害はとてもではないが考えたくなかった。
ただでさえ世界樹の件で結界が弱まっている以上、そんな危険はとてもではないが犯したくない。
勿論レイに対する好意があってこそのキスだったのだが。
そんなマリーナが用意してくれた、監禁というよりは軟禁、軟禁というよりは別荘生活とでも呼ぶべき現状をレイは満喫させて貰うつもりだった。
長期間であればごめんだが、一日や二日程度であればこうして過ごすのも悪くないだろうと。
元々世界樹の治療の為にここまでやってきたのだから、その要とも呼べるレイをいつまでもこうしておく訳にもいかないだろう。
(世界樹の治療って意味だと、エレーナの魔力でも十分可能らしいけど)
それでもこんな生活がいつまでも続きはしないだろうと考えるレイは、ダークエルフの男に向かって口を開く。
「別にここから出して欲しいとは言わない。ただ、こうして何もない部屋に一人でいるのもかなり暇だから、何か暇潰しになるような物……出来れば本でも持ってきてくれないか?」
「……文字が読めるのか?」
警戒心が一変し、心底意外だといった表情を浮かべるダークエルフの男。
このエルジィンは決して識字率が高いとは言えない。
だが、冒険者の場合は意外な程に識字率が高い。
当然だろう。字が読めなければギルドで依頼書を読むことすら出来ないのだから。
仲間や知り合いに、そして暇であればギルド職員に依頼書を読んで貰うことも出来るのだが、それがいつでも可能な訳ではないし、下手をすれば恨みを持っている相手に嵌められて死地に赴かされる危険すらある。
自分の命が懸かっている以上、当然冒険者達も必死で文字を覚え……冒険者として活動する上で必要なものに限るが、識字率はかなり高くなっていた。
レイが簡単にではあるがその辺りの説明をすると、ダークエルフの男は納得したように頷く。
レイの場合は冒険者云々とは関係なく文字の読み書きが出来るのだが、今はそれをわざわざ説明するようなことはしなかった。
「では、冒険者として活動する上で必要な本がいいだろうな。少し待っていてくれ」
そう告げ、扉が閉められる。
それを見届けると、レイはソファへと座り、本が届くのを待つ。
(本ってだけなら、ミスティリングの中にも入ってるんだけど。どうせならダークエルフの持ってる本を読みたいと思うのは、間違いじゃない……筈)
視線の先……窓の外から遠く離れた場所から自分を見張っているダークエルフを一瞥し、レイは本が到着するのを待つ。
……尚、本と一緒に軽く摘まめるサンドイッチの類も用意されることになり、より監禁や軟禁といった状況からは程遠いことになるのだが、レイ本人はそんな軟禁生活を堪能する気満々だった。
レイが軟禁生活をこれ以上ない程に満喫している頃、マリーナは早速とばかりに集落の長老を含むお偉方との会談を行っていた。
「だから、レイは今回の世界樹の治療の件に必要なのよ。それは何度も説明したでしょう?」
レイの解放を訴えるマリーナに対し、ダークエルフの一人は言いにくそうにしながらも口を開く。
「ですがマリーナ様。あの男が障壁の結界を越えた瞬間に、あの脈動が起きたのですよ? であれば、あの者が危険なのは事実です。その、マリーナ様と深い関係にあるというのは理解していますが……」
「そもそも、何故マリーナ様程のお方が普通の人間を自らの相手に選ばれたのですか? ダークエルフと人間では、その生きる時間は大きく違う。禁忌……とまではいきませんが、暗黙の了解だったと思いますが」
最初の一人に続いてマリーナを責めてくるのは、政治的にマリーナを排除したいと考えている相手だ。
そんな相手の言葉に、マリーナは艶然と微笑む。
……女の艶を強烈に感じさせるその微笑は、マリーナと敵対していた男ですら一瞬見惚れてしまう。
それでもすぐに我に返る辺り、マリーナとの対峙に慣れているということなのだろう。
いや、寧ろそんな慣れている相手すら一瞬ではあるが魅了するマリーナこそが驚きなのか。
「暗黙の了解は暗黙の了解でしょう? 別にきちんと掟として残っている訳じゃないわ。それに……」
一旦言葉を切ったマリーナの様子が気に掛かったのか、男は訝しげな表情を浮かべる。
何にせよ、はっきりと物事を口にするマリーナが言葉を濁すというのは、珍しいことだったからだ。
約百年ぶりの再会ではあるが、ダークエルフにとってそのくらいの時の流れは騒ぐ程のものではない。
「それに……? 何ですかな?」
「いえ、分からないのならいいわ。ただ、グリフォンを、それも希少種のグリフォンを従魔としている冒険者が普通の人間だと思うのはどうかしらね」
魔力を感知する能力を使っても、新月の指輪を身につけている今のレイからは普通の魔法使いであるとしか感じられない。
人間にしては少し魔力があるかも? という程度に。
だが、出来れば新月の指輪を外した姿を見せたくはない。
オードバンがレイに向ける畏怖や恐怖を抱いた瞳は、それだけマリーナにとっても心を痛めていた為だ。
それでも最悪の場合は仕方がないと思ってはいるのだが、マリーナの大事な相手ということもあって、今のレイは丁重にもてなされている。
(とにかく、この偏屈を相手にしていても仕方がないわね。相手をするのであれば……)
内心で呟き、マリーナの視線は部屋の一番奥にいる人物……この集落の長老であり、同時にマリーナの祖父でもある人物に向けられた。
「お爺様はどう考えているのか、聞かせて貰えるかしら?」
人間よりも遙かに長い時を生きるダークエルフ族において、髭を生やし、顔中に皺があるその姿は、この人物がどれだけの長い時を生きてきたかの証明でもある。
……そんな老人ではあるが、今だ血気盛んであるのは事実だ。
杖を打撲武器……棍棒のように操り、低ランクモンスターであれば文字通り一蹴するだけの力を持つ。
それでいて精霊魔法や弓も苦手という訳ではなく、長老という立場でありながらこの集落の中でも上位に位置する実力を持つ人物だ。
「ふむ、そうじゃの。儂の可愛い孫に手を出すというのであれば、一応その実力を見る必要はあるじゃろうて」
「……お爺様。そういうことではないでしょう。言っておくけど、レイと戦ったらお爺様でも無事に済まないと思うわよ?」
「ほう、話には聞いていたがそれ程の剛の者か。会うのが楽しみじゃの」
自らの祖父の態度に、相変わらずだとマリーナの口からは溜息が出る。
それでも世界樹の件を少しでも早く解決する為には、何とかしてレイを解放する必要があると、マリーナは再び祖父へと話し掛けるのだった。
レイがゆっくりと軟禁生活を楽しみ、マリーナがそんなレイの解放をするように集落の上層部を相手に交渉をしている間、エレーナとヴィヘラ、アーラ、ビューネの四人は集落にある空き家の中で休んでいた。
レイとは違って見張りの類は存在せず、外に出ようと思えば自由に出ることは出来る。
事実先程まではビューネが家の外でセトやイエロと遊んでいたのだから。
「予想外だったな。まさか、ダークエルフの集落に来た途端レイが捕らえられるとは」
エレーナが呟くと、ヴィヘラはそれに同意し……それでいながら、少し面白そうな笑みを浮かべる。
「まぁ、レイらしいと言えばレイらしいけどね。どこに行っても、レイがいればそこが騒動の中心になる」
そんなヴィヘラの言葉に、エレーナは何かを言い返そうとし……だが、その言葉が間違いのない事実であると理解してしまったのか、言葉に詰まる。
実際、今までレイが関わってきて大きな騒動にならなかったことは少ないと……少なくてもエレーナが関わってきた範囲では、ヴィヘラの言葉に否定出来ない事実があったからだ。
「否定出来ない事実でしょう?」
「……そうだな」
「ま、それがあったから私はレイを想うようになったというのもあるかもしれないんだけど」
その言葉に、エレーナは疑惑の目を向ける。
当然だろう。エレーナはイエロの記憶によってレイとヴィヘラの戦い……そして月明かりの下での口付けを見ているのだから。
(自分が騒動だと、そう言いたいのであれば分からないでもないが)
そんな風に考えていると、アーラがそっと淹れた紅茶を二人の前へと、そして疲れたのか少し眠そうにしているビューネの前へと置いていく。
その紅茶を飲みながら、数分程静寂が部屋の中に満ちるが……
「それで、どうするの?」
不意に、その静寂を破るようにヴィヘラが口を開く。
「どうする、とは?」
「勿論マリーナのことよ。見てたでしょ?」
それが、何を言っているのかというのは考えるまでもなく分かった。
人前で行われたキスシーン。
「正直、面白くはないが……あの件でレイが余計な危害を加えられずにいるというのも事実だしな。……面白くはないが」
二度言う辺り、エレーナとしてもマリーナの行為を許容した訳ではないのだろう。
それでもレイのことを抜きにすれば、エレーナはマリーナに対して好意を感じているのは事実だ。
(多少女らしい……いや、女らしすぎる、と言えるかもしれないが)
マリーナの姿を思い浮かべながら内心で呟き、再び口を開く。
「もし本当にマリーナがレイに対して想いを……男女間の想いを抱いているのであれば、一度しっかりと話をする必要はあるだろうがな」
紅茶を飲みながら、そう呟くのだった。
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