第1032話

 それは、薄らとした光によって覆われている場所だった。

 その光の前で馬車が止まり、中からマリーナ、オードバン、ジュスラのダークエルフ三人が、そして続くようにレイ達も姿を現す。


「これが障壁の結界……まさか、こうもあからさまに見て分かるとは思わなかったな」

「グルゥ……」


 馬車の側を移動してきたセトが、レイの言葉に同意するように喉を鳴らす。


「そうね。障壁の結界とはよく言ったものだわ。見て分かることによって、相手が警戒するのも狙ってるのかしら」

「だが光の壁として存在している以上、どうしても目立つ。であれば、この光に引き寄せられるモンスターがいてもおかしくないのでは?」


 ヴィヘラとエレーナの会話を聞きながら、ふとレイは興味を持ったように光の壁へと手を伸ばし……その手を、マリーナがそっと掴んで止める。


「駄目よ、レイ。エアロウィングと戦った時にも言ったと思うけど、レイの魔力で世界樹の結界に接触しようものなら、一気に世界樹が弱まるかもしれないわ。そうなれば、レイを連れてきた意味がないでしょう?」


 まるで子供に言い聞かせるような口調で告げるマリーナだったが、その仕草からは意識してか、それとも無意識でか、女の艶がどうしても滲み出てしまう。

 エレーナとヴィヘラとしては、当然それを見て放っておける筈もない。


「マリーナ、今はそれよりも結界の中に入れるようにして欲しいのだが」

「そうね。せっかくここまで来たんだし、出来ればここで無駄に時間を過ごしたくはないわよね」

「あら、そう言えばそうかしら。……とにかく、レイは自分の魔力がどれ程のものなのかをしっかりと理解した上で行動してちょうだい」


 マリーナ自身は特にレイを誘惑するようなつもりはなかったのだろう。エレーナとヴィヘラの二人に言われると、あっさりとレイから距離を取る。

 そうして障壁の結界へと近づくと、迷いの結界を解除した時のように短く一言、二言呟いただけで障壁の結界の一部に穴が開き、中へと入れるようになった。


「……さすがマリーナ様よね」

「そうね。随分久しぶりに戻ってきた筈なのに、こんなにあっさりと……」


 オードバンとジュスラの二人が何を驚いているのか分からなかったのだろう。代表するようにヴィヘラが口を開く。


「ねぇ、二人共。何でそんなに驚いてるの? ダークエルフなら結界の中に自由に出入り出来るんでしょう?」


 その問い掛けに即座に答えたのは、当然のようにオードバン。

 オードバンにとってはマリーナを連れ帰るという使命を果たし、その上で世界樹を復活させることが出来るだけの魔力の持ち主を二人も連れてきたということより、目の前にいる美女の相手をする方が重要だった。

 いや、世界樹を救うだけの人材を無事に連れてくることが出来たからこそ、自分の趣味に没頭出来るようになったと表現するのが正しいのかもしれない。

 ともあれ、オードバンにとってはそれこそが最大の褒美と言ってもよかった。


「迷いの結界の場所でマリーナ様も言ってたと思うけど、世界樹の結界はこの障壁の結界を入れて二つ存在しているの。それで、迷いの結界の方はそこまで強力な結界って訳じゃないんだけど、この障壁の結界は別」


 オードバンの視線が、馬車が通れる程に穴の開いた光の壁へと向けられる。


「この障壁の結界の向こうは、私達ダークエルフが暮らしている集落が存在するわ。そして何より、世界樹の本体がある」

「……ちょっと待って」


 まだ話を続けたそうにしているオードバンが、アーラの言葉で一旦止まる。

 もしこれを聞いたのがその辺を歩いている男だったりすれば無視していたかもしれないが、オードバンにとってはアーラも十分な美女に入るだけに無視出来なかったのだろう。


「何?」

「今更気が付くのもどうかと思うんだけど、世界樹がこの結界の向こう側に……ダークエルフの集落の中にあるのよね?」

「ええ」


 当然と頷く様子のオードバンに、アーラが不思議そうな表情を浮かべたままで言葉を続ける。


「じゃあ、何でここからその世界樹が見えないの? 世界樹というくらいだし、当然大きな木だと思ってたのだけど」

「ん!」


 ビューネもアーラに同意するように声を上げる。

 そんな二人の……そして同様の疑問を持っていたレイの視線が向けられ、オードバンは小さく笑みを浮かべて口を開く。


「それは、結界の中に入ればはっきり分かると思うわ」


 珍しく……そう、本当に珍しく、レイが自分に視線を向けているというのに気が付いているにも関わらず、オードバンはこれまでのように畏怖や怯えといった表情を露わにしなかった。

 ようやく自分に慣れたのかと思ったレイだったが、すぐに首を横に振る。

 恐らく、自分の生まれ育った場所に帰ってくることが出来たのが大きいのだろうと。

 である以上、自分からあまり関わり合いにならない方がいいだろうと判断しながら、改めてレイの視線は目の前にある光の壁へと向けられる。

 既に光の壁の向こう側にはマリーナの姿があり、レイ達に早く来るようにと視線で促していた。


「さ、まずは行きましょう。マリーナ様は怒らせると怖いしね」


 オードバンの言葉に全員が頷き、そのまま馬車の後ろを歩きながら光の壁を……障壁の結界を越えて行く。

 本来であればダークエルフにしか通れないその結界だったが、ダークエルフに認められた者であれば通ることが出来るのだろう。


(だとすれば、中に入りたい奴はダークエルフとかを騙して自分達を招き入れさせそうな気もするけど……いや、そのくらいは何らかの対抗策があると考えるべきだろうな)


 障壁の結界を見ながらふと疑問に思ったことをすぐに自分の中で否定しながら、レイは進む。

 先頭を進む馬車が……そして御者席に座っているアーラが、緊張した面持ちで障壁の結界に開いた穴へと入り……そして特に何もないままに通りすぎる。


「え? え? ええぇぇぇっ!?」


 そして結界の中に入ったかと思った瞬間に聞こえてきたアーラの叫び。

 それは悲鳴といった叫びの類ではなく、驚愕の色が濃い叫び。

 だからこそエレーナも一瞬緊張したが、それでもすぐに障壁の結界の中へと突入するといった真似はしなかったのだろう。

 そうして馬車が完全に結界の中へと入り、エレーナ、ヴィヘラ、ビューネといった面々もその後を追う。

 最後に残ったのは、レイとセト。……そしてここまでの道のりで疲れたのか、セトの背の上で腹を見せて眠っているイエロ。


(羽、痛めないのか? いや、ドラゴンなんだし、その程度で羽がどうこうなる筈がないか)


 幸せそうに眠っているイエロを眺めながら考え、そうして障壁の結界に開いた穴からレイがダークエルフの集落へと入った、その瞬間。

 ドクンッ、と何かが脈動した。

 一瞬、自分の中の何かが脈動したのではないかと思ったレイだったが、その考えが違うのは周囲の様子を見れば明らかだった。

 結界の中に先に入ったエレーナ達やマリーナ達ダークエルフ。それと、外からは見えなかったが元から結界内部にいたのだろう数人のダークエルフ。

 その全てが驚きの表情を浮かべながら周囲を見回していたのだから。


「今のは普通の反応……って訳じゃないよな」


 それは周囲の様子を見れば明らかだったし、何より驚愕の表情を浮かべているダークエルフ達の視線が次第にレイの方へと向けられていたことからも明らかだった。


「お、おい。もしかして今のって……」

「待て、あれを見ろ!」

「グッ、グリフォンだと!? じゃあ、今の脈動はグリフォンがいたから……」

「分からん。分からんが……」

「ね、ねぇ。あの脈動の正体が何なのかは分からないけど、それでもあの人間をそのままにしておいていいの? 何かしでかさないうちに捕らえた方がいいんじゃない?」

「いや、けどグリフォンを従えているような相手だぞ? それをどうしろって……」

「とにかくこのままにはしておけないだろ。グロウラー様を呼ぶんだ」

「馬鹿。グロウラー様は世界樹の件で東にあるエルフ族の森に行っているからいないって」

「じゃあ、どうするんだよ。あの男? 女? いや、身のこなしから考えて多分男だろうが、そのままにしておくって訳にもいかないだろ」

「私、ちょっと長老のところに行ってくるから、ここをお願い。決して逃がさないでね!」


 ダークエルフの女が一人、短く仲間に告げてから去って行く。

 普通の人間よりも五感が鋭いレイは、当然その言葉も聞こえていたのだが……どうするべきか迷っていた。

 このままここにいれば面倒なことになるというのは理解出来たし、それでも自分は世界樹の治療の為にやって来た以上、ここで暴れるのもマリーナに気が引ける。

 周囲を見回すと、ダークエルフ達がレイを逃がさないようにとじっと見つめていた。

 それでも力でどうこうしようとしなかったのは、レイの身のこなしからかなりの力を持っていると理解した為か。

 そんな状況であってもレイを逃がすような真似をしないのは、ここが自分達の故郷だという強い思いがあるからだろう。

 ……レイが暴力的な手段を取らないようにしているというのも大きい理由なのだろうが。


(にしても、さっきの脈動は何だったんだ? 結局その理由は不明なままなんだけど……普通に考えれば、世界樹に関係あるんだろうな)


 内心で呟いたレイの視線は、一ヶ所へと向けられる。

 障壁の結界の外側からは見ることが出来なかった、巨大な木。

 それこそ高さ二百mはあるのでないかと思える高さの木であり、その幹も当然相応に太い。

 何故あのような木が外から見えなかったのか疑問に思うレイだが、それこそ障壁の結界が関係しているのだろうと納得する。


「……さて、どうしたもんだろうな」

「グルルルゥ」


 レイの言葉にセトが喉を鳴らす。

 普段であればレイに敵意を抱く相手には容赦しないセトなのだが、今はそのレイがダークエルフ達の視線を気にしていないということもあって、大人しい。

 それは、ダークエルフにとっては幸運だったと言ってもいいだろう。

 もしここで強引にレイをどうにかしようとすれば、間違いなくこの場で惨劇が起きていただろうから。

 そうなれば世界樹の病気云々よりも前に、レイとセトによってこの集落が崩壊していた可能性も十分にある。

 特に一行の中でレイの魔力を直接感じ取り、畏怖や恐怖といった思いを抱いているオードバンにとっては、心臓が爆発するのではないかと思える程に緊張していた。

 そんなオードバンとは裏腹に、マリーナはこの場をどうするべきかで頭を悩ませる。

 レイを捕らえるというのは論外だったが、だからといって先程の脈動を放って置く訳にもいかない。

 何があったのか……特に世界樹にどんな影響が起きているのかを念入りに調べる必要があった。


「はぁ、はぁ、はぁ。……どこにいるんだ、その男は!」

「あの男よ! グリフォンの側にいる!」

「男? ……男!? ああ、いや。……ふぅ」


 先程集落へと向かった女が、五人程のダークエルフ達を連れて戻ってくる。

 その隊長と思しき男は、女の言葉にレイへと視線を向け、レイが男なのか女なのか一瞬迷う。

 だが、すぐに今はそれどころではないと判断して口を開く。


「お前が……さっきの脈動の原因か?」

「恐らく、としか言えないが」


 レイの口から出た言葉が、事実を誤魔化しているように感じられたのだろう。ダークエルフの視線が鋭くなり、一緒に来た他のダークエルフ達が手に持つ槍に力を込める。

 ダークエルフが使用しやすいようにだろう。普通の槍よりも細くしてあり、取り回しがしやすいようになっているのだが、その分持ち主の震えも殺しきれていない。

 それに対応するように、レイの隣でセトが低く唸り声を上げるが、ダークエルフ達は一瞬身体を震わせるものの、すぐに自分が握っている槍に力を入れて怯えを殺す。

 そんなダークエルフ達を見て、セトを落ち着かせるように頭を撫でながら再び口を開く。


「俺が何か意図的にやったって訳じゃない。この結界の中に入った瞬間にいきなりだったからな」

「……俺達に敵意はない、と?」

「ああ。俺は……」

「トルトス、レイは私が連れてきたのよ」


 割り込むように言葉を挟んできたのはマリーナだった。

 トルトスと呼ばれた男は、マリーナの姿を見て驚愕の表情を浮かべる。

 先程の脈動で感じたのと同じくらいの衝撃を受けたトルトスは、恐る恐るといった様子で口を開く。


「マリーナ……か?」

「ええ、久しぶりね」

「……じゃあ、この男が世界樹の?」


 オードバンが世界樹の治療をする為に森を出てマリーナの下に行ったというのを知っていたのだろう。レイへと視線を向けながらトルトスはマリーナに尋ねるが……


「そうだけど、それだけじゃないわ」


 笑みを浮かべたマリーナは、そっとレイの方へと近寄ってその腕を豊満な双丘の間に挟む。


(ごめんね)


 そのまま、レイの方へと視線を向け、口を動かすだけで謝罪の言葉を口にし……レイの唇を自分の唇で塞ぐ。

 数秒の後、そっと唇を離し……日の光により、レイとマリーナの間に銀糸の橋が形作られる。


「見ての通り、レイは私の大事な人よ。あの脈動の件で調べたいと思うかもしれないけど、それを理解した上で対応してちょうだい」


 そう、告げるのだった。

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