第995話
鉄錆と腐臭の篭もっていた場所から飛び立ったレイは、セトの背の上で再び地上へと視線を向けていた。
先程の場所から離れはしたのだが、それでもまだ身体に臭いが染みついているらしく、セトは少し辛そうにしている。
それでもここで悠長に臭いを落とすような真似をしている暇はなく、自然に臭いが落ちるのを待つしかない。
「悪いな、セト。時間が経てば臭いもなくなるだろうから、今は我慢してくれ」
「グルゥ……」
セトも先程の光景をその目にした以上、レイの言葉は理解出来る。
だからこそ、レイに悪臭が染みついていてもそれを我慢して飛んでいるのだ。
「いっそあの香炉を使ってみるのもいいか? ……いや、駄目だな」
レイが先程手に入れた香炉は、香炉という形をしているにも関わらず悪臭をどうにかするという効果がある訳ではない。
見た限りでは、特定の範囲内に臭いを留めるという効果を持っているようだった。しかも空を飛んでいたレイ達が嗅ぎ取ることが出来たのだから、それも完全ではなかった。
香炉という物の使われ方を考えれば、皮肉と言えるだろう。
「それに、まだどうやって使うのかとか、きちんとどういう効果があるのか調べた訳でもないし。まさかないとは思うけど、使おうとしたら爆発する……なんて可能性だってある」
自爆装置は男の浪漫。そんな考えを持っている訳はないだろうが、単純に秘密保持の為にそんな仕掛けがされていてもおかしくはない。
(あれだけの光景を作りだした奴なんだろうし、証拠隠滅の方法を考えていてもおかしくない。ベスティア帝国の錬金術師でマジックアイテムをあれだけ作れるというのを考えると、技術が足りないなんてことはないだろうし)
香炉に関してはギルムに戻ってから調べて貰おうと判断していたレイに、セトは喉を鳴らす。
「どうした?」
「グルルルゥ!」
セトが喉を鳴らしながら、地上へと視線を向ける。
もしかしてまた先程と同じような光景があるのか? そうも思ったレイだったが、腐臭や鉄錆の臭いは全くしてこない。
「えっと……うん? ああ、あそこか!」
セトの顔が向いている方へと視線を向けたレイは、そこに洞窟と思しきものがあるのを見つけて喜びの声を出す。
「グル」
レイの言葉に、そうだよと喉を鳴らすセト。
「分かった、じゃあ、降りてくれ。一応慎重にな。向こうが待ち構えていたりしたら、それはそれで厄介だし」
「グルルゥ」
翼を羽ばたかせ、地上へと降りていくセト。
幸いセトは地上に降りる時にそれ程多くの距離を必要としない。
ふと、レイは日本にいた時に何かで見た垂直離着陸機、いわゆるVTOL機という単語を思い出す。
もっとも詳しい知識がある訳ではないので、そこまで正確には分からないのだが。
(それに着地するにも飛び立つにも、結局助走とかしてるんだから色々と違うんだろうけど)
そんなことを考えている間に、セトは地面へと着地を終えていた。
セトの背から降りたレイは、視線の先にある洞窟を眺めながらも首を傾げる。
この洞窟が錬金術師の本拠地だとすれば、当然レイやセトがここに降りてきたことは理解している筈だった。
だというのに、全く何の反応もないというのは首を傾げざるを得ない。
(どうなっている? 中で迎撃するのに自信を持ってるのか? ……なるほど、それはあるかもな)
レイが来るというのを知っているかどうかはともかく、待ち伏せというのは防御側にとっては圧倒的に有利な攻撃手段であり、それを選択するのはおかしくない。
(それに……)
自分の右手へと視線を向けながら、レイは微かに眉を顰める。
以前一度中に入ったことがあったが、洞窟の内部はとても広いとは言えず、レイが最も得意としている武器であるデスサイズを振るうだけの空間的な余裕がない。
「最近、何だかんだとこの武器を使ってるような」
ミスティリングから取り出されたのは、穂先から石突きの部分まで全てが深緑の魔槍、茨の槍。
レイの言葉通り、ここ最近出番の多い武器だった。
「本当は短剣とかだといいんだろうけど、慣れない武器よりはこっちの方がいいし」
払うといった攻撃は洞窟の中では使いにくいが、突きという最も槍の一般的な攻撃方法は問題なく使える。
それどころか、洞窟の中が狭いのであれば相手も回避する空間的な余裕がないという訳で、レイにとって有利な展開となるのは間違いがなかった。
「セトは……悪いけど、洞窟の入り口で待っててくれ。幾ら何でも、セトと並んで自由に攻撃出来る程の広さはないし」
「グルゥ……」
レイの言葉に少しだけ残念そうな鳴き声を上げるセトだったが、この洞窟の中がどのくらいの広さになっているのかというのは、一度この洞窟に転移してきたセトが一番よく分かっている。
それだけに、セトはレイの言葉に大人しく従って周囲の警戒へと勤める。
「俺の後ろは任せたぞ。セトだからこそ、俺の後ろを任せることが出来るんだからな」
「グルルゥ!」
数秒前の残念そうな鳴き声と違い、嬉しそうな鳴き声を上げる。
レイと一緒に洞窟の中に行けないのは残念だったが、それでもレイの背後を守るのは自分だという思いがある為だろう。
自分に気合いを入れたセトをその場に残し、レイは洞窟の中へと入っていく。
洞窟自体はそれ程広い訳でもなく、また長い訳でもない。
非常に短い洞窟ではあったが、それでもレイの目から見ればそこかしこに人がいたと思しき痕跡を見つけることが出来る。
盗賊という訳ではないレイでも、人の足跡や金属の破片といった物を見逃したりはしない。
(ここはあの時に捕らえたスパイ達が転移先に指定していた場所だから、そいつ等が魔法陣を仕掛けた時の痕跡だって可能性もあるけど。それともランガ辺りが調べに来た時の痕跡か?)
茨の槍を手に洞窟の中を進んでいき、数分と掛からず奥へと到着する。だが……
「外れ、か。いや当たりだったのが外れになったってのが正しいのか?」
目の前に広がる光景に、溜息を吐きながら呟く。
レイの視線の先には、人の姿は全くない。
だが、最近まで人がいた痕跡は色濃く残っている。
それこそ、盗賊ではないレイでもしっかりそうと分かるくらいに、だ。
「問題は、ここをいつ捨てたのかだな。意外とここを使っていたのが錬金術師じゃなかったら面白いんだけど、ここを見る限りでは間違いなく錬金術師だろうし」
そう断言する理由は、洞窟の奥にあるこの空間の真ん中にあった。
そこには見覚えのある魔法陣が存在し、鈍い光を放っている。
魔法陣の中央にある台座も、先程レイが見た香炉の置かれていた物と同じ構図だ。
違うのは、台座の上にあるのが香炉ではなく壺だということか。
「……何だって壺なんだ? こうして魔法陣がある以上、何か特殊な意味があるのは事実だろうけど」
レイが呟いた瞬間、不意に魔法陣が鈍い光から眩い光へと変わる。
まるでレイの言葉が切っ掛けになったかのような反応に、レイは数歩後退って茨の槍を構える。
何が起きたのか、それとも起こるのかは分からなかったが、それでも何かろくでもないことだというのは理解出来た為だ。
そんなレイの近くへと、天井から小さな石が落ちてくる。
「崩落!?」
叫んだレイの脳裏を過ぎったのは、日本にいた時に見た映画の光景。
その映画では宝を求めて洞窟の奥へと向かうも、最後に宝を得た瞬間に洞窟が崩落するというトラップが仕掛けられていた。
咄嗟にこのままここにいるのは危険だと判断し、身を翻して洞窟の入り口目掛けて走り出す。
茨の槍は身を翻した時にミスティリングへと収納済みであり、走るのに邪魔になることはない。
通常の人間よりも圧倒的に高い身体能力を持つレイは、視界に映る洞窟の壁が流れるように通り過ぎて行くのを感じつつ走る。
そうしている間にも洞窟の天井からは次々と石や岩が降ってきており、このままではすぐに洞窟が崩れるというのは明白だった。
そんな中、天井から落ちてくる岩や石を回避しながら走り続けるレイは、洞窟そのものがそれ程長くないこともあって、外の光が目に映る。
その光の中へと飛び込むのと、背後の洞窟の崩落が完全なものになるのは殆ど同時だった。
「ふぅ……何とか間に合った、か」
「グルゥッ!?」
慌てて洞窟を走ってきたレイに、外で周囲の様子を警戒していたセトが心配そうに鳴きながら近寄ってくる。
大丈夫? と円らな瞳を向けてくるセトに、レイは軽く手を伸ばす。
セトを撫でながら背後を見れば、そこに広がっているのは完全に崩れてしまった洞窟。
この石や岩を寄せて先程の魔法陣があった場所を掘り出すには、相当の労力を必要とするだろう。
その上、わざわざそこまでする必要があるのかどうかと言われれば、レイも悩まざるを得ない。
そもそも、向こうは誰かがこの洞窟に来た時に魔法陣が発動して洞窟が崩落するように仕掛けていたのだから。
(人じゃなくて、動物とかモンスターとかが入ってくる可能性もあると思うんだが……ああ、それで魔法陣、か)
恐らくあの魔法陣がその辺りの判断をしていたのだろうと考え、思わず納得する。
ともあれ、それ程に用意周到だった敵がわざわざ自分達に繋がる手掛かりを残しているとは思えなかった。
だとすれば、ここで洞窟を掘り返すような真似をしても無意味だろう。
そう判断し、結局手掛かりを見つけられなかったことを残念に思いながらもギルムへと戻ろうと考え……
「グルゥッ!」
その瞬間、レイに撫でられ、グリフォンなのに猫のように喉を鳴らして喜んでいたセトが、崩落した洞窟へと視線を向けて警戒するように鋭く鳴く。
撫でられている時の円らな瞳とは違う、グリフォンとしての能力を最大限発揮したかのような鋭い視線。
そんな視線が向けられているのだから、当然レイもそれを警戒しない筈がない。
ミスティリングから己の武器を取り出し、洞窟の方へと向き直る。
その手に握られているのは、洞窟の中にいた時に持っていた茨の槍ではなく、レイ本来の武器でもあるデスサイズだ。
洞窟の前はある程度の広さがあり、同時にコボルトと戦った時のように周囲にレイ以外の姿はない。
しいて言えばセトがいるが、セトはレイがデスサイズを思う存分振るっていても全く問題のない相手であった。
セトも、いつでも攻撃が可能なように微かに身体を沈めており、レイもまたデスサイズを構える。
そんな一人と一匹の視線の先で、不意に洞窟が崩れて出来上がった石や岩の山が微かにではあるが揺れる。
「……何だ? 特にモンスターとか生き物の類はいなかった筈だけど」
洞窟の行き止まりになっている場所まで進んだだけに、何らかの生き物がいないというのは確認出来ている。
だが、今こうして石や岩が揺れているということは、何らかの動く存在がいるという訳で……
やがてレイとセトが見ている前で、石や岩が火山が噴火した時のように上空へと吹き飛ぶ。
上空へと吹き飛んだ石や岩は当然地上へと落ちてくる訳で、レイやセトへと襲い掛かる。
「ちっ、セト、気をつけろよ!」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトが鳴く。
元々グリフォンとして高い身体能力を持っているセトだけに、落ちてくる石や岩の全てを回避していく。
それを見ながら、レイは一応とばかりにスキルを発動させた。
「マジックシールド!」
デスサイズのスキルで、あらゆる攻撃を一度だけだが防いでくれる光の盾が形成される。
いざという時に備えると、レイもまた降り注ぐ石や岩を回避し続ける。
どうしても命中しそうな石や岩はデスサイズを降るって切断し、弾き、砕く。
そのような行為をしながら十数秒が経ち、ようやく降り注ぐ石や岩がなくなり……
「ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
そんな雄叫びが周囲に響き渡る。
「ふーん。じゃあ、あの洞窟に誰かが入って来ても心配はいらないんだ? あたし達があそこを拠点にしていたって証拠は一応消してきたけど、完全に隠蔽をしたって訳じゃなかったんだけど」
「ええ。もし迂闊にあの洞窟に入るようなことがあれば……きっとその人は洞窟で生き埋めになるでしょう。普通であれば洞窟の崩落から脱出は出来ないでしょうし。それに……」
ズボズは一旦言葉を止め、薄らと口元に笑みを浮かべる。
その笑みは冷たく、アドリアの背中にも一瞬ではあるが冷たく……それでいて甘い痺れが走った。
「それに……何?」
「もし洞窟の崩落を何とか生き延びたとしても、かなりの確率で無傷とはいかない筈です。そうした者達を次に待っているのは、私が手間暇を掛けて作り上げた、ゴーレムなのですから」
自分の復讐の邪魔をする者に容赦はしない、そう言いたげな男は執念すら感じさせる笑みを浮かべる。
……だが、男は知らない。
その洞窟へと突入したのが、自分の最大の仇でもあるレイであることを。
そして、レイには相棒となるセトという存在がいることを。
それは男の考えからは大きく外れたものとなるのだった。
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