第962話

「あら、どうしたの? 自信満々だった割りにはその程度なのかしら?」


 草原にヴィヘラの声が響く。

 ここは、サブルスタから三十分程アブエロ方面に街道を移動した場所。

 街道で戦っていれば他の通行人の邪魔になると判断し、街道から少し離れた草原でヴィヘラとマギタが戦っていたのだが……

 その結果は、レイやビューネの予想通りとなっていた。


「ヴィヘラさんを相手にすれば、ああなるのも当然か」

「だな。……それでも耐えた方じゃないか?」


 セトに怯えて大人しくなった馬を宥めるようにしながら話す商人二人。

 そんな一行の視線の先には、ヴィヘラが草原に倒れ伏しているマギタを眺めてるといった光景があった。

 同じ格闘家ということで、マギタは自分が勝つと根拠もなく思い込んでいた。

 戦闘を好むという意味では同じだが、これまでに積んできた経験の量や質はヴィヘラとマギタの間では大きく違う。

 少なくても今の時点でマギタがヴィヘラに敵う筈がなく、マギタの振るう拳や蹴りは全てがヴィヘラに回避され、受け流され、弾かれる。

 マギタが一方的に攻撃し、それをヴィヘラが回避し続けるといった行為が数分続き……マギタの実力を完全に把握したヴィヘラが振るった拳は呆気なくマギタの胴体へと沈み、これ以上ない程はっきり勝者と敗者を分けていた。


「ぐっ、く、くそ……俺が、こんな女に負けるなんて……」

「男だから、女だからなんてことで相手の強さをしっかりと計れると思うの? 男でも女でも、強い者は強い。それが今こうして結果として現れているでしょう?」


 春の風がヴィヘラの薄衣をたなびかせるのだが、マギタにそれを見て楽しむような余裕はない。

 ……代わりに二人の商人がそんな一種幻想的な風景に目を奪われていたが。


「ん」


 レイと共に離れた場所で戦いを見守っていたビューネが、草原の中をヴィヘラの方へと向かって歩いて行く。

 殆ど疲れてはいないが、それでもビューネの姿に癒やされたヴィヘラは笑みを浮かべてその頭を撫でる。


「お疲れさん」

「グルルルゥ!」


 レイとセトも、そんなヴィヘラへと近づいて行く。

 ミスティリングから取り出したのだろう。レイの手には果実水の入ったコップが握られていた。


「……私に押しつけたのを忘れた訳じゃないわよ」


 そう言いつつも、レイが差し出した果実水の誘惑には勝てなかったのか、ヴィヘラはコップを受け取り口へと運ぶ。

 白い喉がコクリ、コクリと動く様子は艶めかしく、二人の商人が思わず顔を赤く染めて視線を逸らす。


「そう言ってもな。やっぱり格闘の技量を見るのは格闘を使う者の方が分かりやすいだろ。……で、実際にはどんな感じだ?」

「……今度きっちりこのお礼はして貰うわよ。そうね、素質はそれなりに悪くないと思うわ。ただ、技量の方はまだまだ未熟よ。なまじ素質だけで勝ててきたから、それに頼り切っていたんでしょうね」

「分かってたけど、素質はあるのか」

「ええ。狼の獣人だけあって身体能力も決して低い訳じゃないわ。その辺は見れば分かるけど」

「破壊力のある一撃を出す為の筋力じゃなくて、瞬発力を重視した筋肉か」


 戦士や格闘家と聞いて一般的に想像するのは、相手を萎縮させるような質量感のある筋肉だろう。

 だが、マギタの筋肉は瞬発力を重視したものであり、それが絞られた身体を作り出していた。


「才能があるのなら……そうだな。マギタ、さっきも言ったけど俺は弟子を取るつもりはない」

「っ!?」


 荒い息を整えていたマギタがレイの言葉に息を呑む。

 だが、それに言い返すことは出来ない。

 レイに負けて弟子入りを志願したのはいいが、それを断られてレイの女であると思っているヴィヘラにすら負けてしまったのだ。

 これまでは腕自慢としてサブルスタで大きな顔をしていたマギタだったが、昨夜に続き二連敗してしまえば世の中の広さというものを実感してしまう。

 ……マギタにとって不運だったのは、レイにしろヴィヘラにしろ、この世界では上位の実力を持つだろう相手だったことか。

 そして幸運だったのは、その辺を自覚してはいないが、実力者のレイやヴィヘラと手合わせを出来たこと。


「ただ、稽古を付けるって訳じゃないが、お前が強くなる為の道標を示すことは出来る」

「……道標?」

「ああ。まぁ、そこまで難しい話じゃない。単純にこのままサブルスタを出てギルムに来い。そこで冒険者として活動していれば、嫌でもその技量は上がる筈だ。それに、冒険者に自分を強くする為に模擬戦の相手をする依頼を出すって手段もあるしな」

「あ!?」


 レイの口から出たのは、マギタにとっても完全に予想外の言葉だったのだろう。

 今まで冒険者として活動してはいたが、それでも同じ冒険者に対して戦いの依頼を出すというのは全く考えもつかなかった。

 ……その代わり、半ば喧嘩を売る形で今までは冒険者と戦っていたのだが。

 だが、そのことがマギタの技量を思った程に伸ばせない原因となってもいた。

 マギタが喧嘩を売るのは、レイに対して行ったように食堂や酒場といった場所が多い。

 もしくは、街中で相手に対して半ば因縁を付けるような形ということもある。

 そんな状況での戦いだけに、どうしても冒険者の方も本気を出すという訳にもいかなかった。

 マギタ本人はそれに気が付いておらず、それ故に自分が最強だと思い込んでしまったのだが。


「それに、ギルムでなら俺の訓練にお前を混ぜてやることもある……かもしれない。タイミングが合えばだがな」

「行く! 行くぞ、師匠」

「だから師匠じゃないと言ってるだろ。いや、まぁ、いい。ならギルムに行くってことでいいんだな?」

「ああ、勿論! 元々俺は師匠と一緒にギルムに向かうつもりだったんだから、予定は変わってないんだ」


 マギタの望む形ではなかったが、それでもレイと共にギルムへと向かえることになったのは嬉しかった。

 ヴィヘラの一撃で沈むような姿を見せてしまった為、もう弟子にはして貰えないと思っていたのだ。

 ……もっとも、当然レイが口にしたように、本人にはマギタを弟子にしたといった意識はない。

 ギルムへと連れていけば、それで関係は終わりだと思っている。

 勿論言葉にした以上、機会があれば手合わせくらいはしてもいいと思っているのだが。


「今の俺達は護衛という立場だ。俺達と一緒にギルムまで行きたいのなら、きちんと向こうの了解を取ってこいよ」


 そう告げたレイの視線の先にいるのは、ヴィヘラやビューネの雇い主でもある二人の商人。

 即座に商人達の方へと向かうマギタを見送り、レイとヴィヘラは顔を見合わせる。


「意外と面倒見がいいのね?」

「そうか? ……ここ暫く士官学校で教官をやっていたのが影響しているのかもな。ま、どのみちサブルスタで強さを求めていたんなら、最終的にはギルムに辿り着いていただろうし」


 商人達と言葉を交わしているマギタの様子を見ていると、ヴィヘラが口を開く。


「でも、いいの? もしかしたら聖光教の件に巻き込むことになるかもしれないわよ?」

「……それを言うなら、お前達だって商人の護衛という立場でギルムに向かってただろ? 向こうが襲ってくるにしても、巻き込む時は巻き込んでしまうし、巻き込まなくてもいい時は巻き込まなくて済むだろ」


 昨夜の宿屋で既に聖光教についての情報交換を終えているので、特に突っ込んだことは話す必要はない。

 聖光教の刺客に襲われたというのはレイと同じだったが、問題なのはそこにビューネも含まれていたことだった。


(まぁ、聖光教にしてみれば去年の件ではビューネもいたんだし、大敵とやらに含まれていてもおかしくないか)


 これから暫く、色々な意味で気が抜けないなと考えていると、話が決まったのだろう。マギタは嬉しそうな笑みを浮かべてレイ達のいる方へとやって来る。


「師匠! 許可を貰ったぞ! まぁ、代わりに護衛をすることになったけど、そのくらいは問題ないし」

「そうか。なら……そうだな、アブエロに到着するまでにモンスターが出て来たら、お前に任せるか」

「任せてくれ。どんなモンスターが出て来ても、俺の力で倒してみせるから!」


 そんな自信に満ちた声を聞き、レイは何気なくヴィヘラの方へと視線を向ける。

 つい先程ヴィヘラにあれだけ圧倒的に倒されたというのに、そのへこたれない気持ちの強さは大したものだと。


(もっとも、酒場で会った時のことを考えると、完全に気を許すって訳にもいかないんだろうが)


 空中にいる敵を殴りつけるかのような仕草をしているマギタの様子を見ながら、微かな不安に駆られるのだった。






「はぁっ!」


 鋭い叫び声と共に放たれたマギタの右拳は、棍棒を叩きつけようとしていたゴブリンの頭部へと命中し、殴り飛ばす。

 元々身体の小さなゴブリンだけに、当然その顔を殴りつけるマギタの拳は振り下ろし気味になる。

 その結果、頭部を殴られて地面に思い切り頭部を叩きつけられ、何度かバウンドして身体で地面を擦りながらようやくその動きは止まった。

 襲ってきたゴブリンの最後の一匹がこうして倒れた今、既に敵は存在しない。

 ……にも関わらず、マギタは不満そうな表情を崩しもしない。


「マギタ、討伐証明部位はどうする?」

「一応取っておく」


 腰のポーチからナイフを取り出すと、素早く討伐証明部位の右耳と、胸から魔石を取り出す。

 その作業は既に何度となく繰り返したことで慣れているのが見て取れる。


(早いな)


 右耳を切り取るだけであれば、レイもそれなりに素早く出来る。

 だが、魔石となると話は別だった。

 心臓にあるというのは変わらないが、正確な場所は個体によって違う。

 そうなれば当然一匹ずつ魔石を取り出すのに時間が掛かるのだが、マギタは殆ど時間を掛けずに魔石を取り出している。

 素材の剥ぎ取りという面で見れば、間違いなくレイよりも腕は上だった。


「……師匠? どうしたんだ?」

「いや、何でもない。それよりゴブリンの死体を纏めておけ。このままここに放っておけば、余計なモンスターが出てこないとも限らないしな」

「俺がわざわざやる必要があるのか?」

「あるんだよ。ここが街道から離れている森とかなら特に問題はないけど、ここは街道の近くだろ。後から通るのが冒険者ならともかく、商人や旅人だったらどうするんだ?」

「それは弱い奴が悪いんじゃないか?」


 心の底から理解出来ないといった様子のマギタに、レイはどう説明すればいいか迷う。

 元々人に何かを教えるのに決して向いている訳ではないレイは、少し考えてから口を開く。


「ここにゴブリンの死体を置いて行った結果モンスターが寄ってきて、それで誰かが死んだとする。そうすれば、死んだ人物の関係者がその原因を作った冒険者を恨むかもしれない。そう考えると、最終的には俺達が損をする可能性が高いだろ?」

「そんなの、難癖を付けてきた奴を倒せばいいだけじゃないか」

「……あのなぁ。いや、とにかくいいから死体を集めろ。ここで無駄な時間を取っても仕方ない。詳しい理由はアブエロに向かう途中で教えてやるよ」


 何で自分がと思いつつ、取りあえずギルムに連れていくまでの面倒は自分が見る必要があるのだろうと考えると、マギタをサブルスタから連れ出したのは失敗だったかもしれないと考えてしまう。

 マギタはレイの言葉に若干不満を抱きながらも、それでもレイの弟子になるという希望を捨てることは出来ず、ここでその機嫌を損なうのは不味いという判断は出来たのだろう。大人しくゴブリンの死体を集めて行く。

 幸いと言うべきか、ゴブリンは一方的にやられたということもあって、死体はそれ程離れていない。

 そしてマギタの戦闘スタイルは長剣のような武器ではなく格闘なので、当然ゴブリンの死体に破損の類は殆どなかった。

 おかげで死体を集めるのにそれ程苦労はせず、その後はレイの魔法で炭と化したゴブリンの死体をその場に残して街道を進む。

 その後はモンスターの襲撃もなくアブエロへと到着して一泊し、マギタを知っている冒険者がいて多少問題も起きかけたが、護衛をしていた二人の商人を巻き込む訳にもいかず、何とかその騒動を回避し……翌日にはこれ以上余計な騒動にならないようにとアブエロから早めに出る。

 ギルムへと向かう途中でゴブリンが何度か姿を現したが、その全てはマギタの修行相手となって屍を晒すことになり……


「ようやく見えてきましたね」


 御者台に乗っている商人の片方が呟く通り、一行の視線の先にはギルムの姿が見えてくる。

 レイにとっては二ヶ月ぶりの、そしてヴィヘラやビューネにとっては初めてのギルムだった。

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