第963話

「やあ、レイ君。随分と久しぶりだね」


 ギルムへと到着したレイ達一行……正確には商人の護衛をしていたので、商人一行と呼ぶべきかもしれないが、とにかく一行を迎えたのは当然のようにギルムの警備兵達だった。

 そんな中で何よりレイが驚いたのは、その人物の中に見慣れた人物がいたことだ。

 強面の顔付きと大きな体格は、気の弱い相手が夜に遭遇してしまえばすぐに逃げ出してしまうだろう。

 だが、外見と性格は一致していないと言うべきか、その人物の口から出たのは穏やかと言ってもいい声だった。


(強面の外見で優しい性格……森の熊さんをイメージしてしまうのっておかしくないよな? まぁ、この世界の熊はモンスター化したりして、とてもじゃないけど優しいとは言えないけど。いや、それを言うなら日本の熊だって同じか)


 レイがこの世界にやって来て最初に遭遇したのがランクCモンスターのウォーターベアだというのも影響しているのか、ふとランガを眺めながらそんな風に思いつつ口を開く。


「こうして戻ってきたってことは、エリエル伯爵家の方はもういいのか?」


 そもそも、レイがギルムから出てグラシアールで士官学校の教官をやることになった原因……それが、エリエル伯爵家の嫡子であるキープとの間に起きた揉めごとの末の決闘だった。

 そこから半ば連鎖反応的に事態が進み、結果的に国王派の綱紀粛正まで事態は大きくなる。

 そんな中、ランガはエリエル伯爵家が決闘に掛けた分の資産を押さえる為にエリエル伯爵領へと向かっていた。

 冬に旅立ったランガだったが、春になるこの時期までにはきちんと戻ってきていたらしい。

 だが、それは当然だろう。レイが今回護衛していた二人の商人を見れば分かるように、春になれば商品の仕入れの為にギルムへとやって来る者は多い。

 辺境という特殊な場所故に、ミレアーナ王国内ではここでしか手に入らない物は多い。……いや、この世界全てを見回しても、この地域特有の素材やアイテムといった物は多い。

 だからこそミレアーナ王国内の商人だけではなく、他の国からもわざわざ商人がやって来るのだ。

 それこそ、長年ミレアーナ王国と敵対関係にあるベスティア帝国からも。

 そのような者達が大勢やってくるこの時期、当然警備兵の仕事は忙しさのピークを迎える。

 秋の終わり……雪が降る直前の忙しさと同様に、一年の中でも警備兵が忙しいのがこの時期だった。

 そんな時期だけに、警備隊の隊長であるランガがこの場にいないということは有り得ない。

 面子的なものもそうだが、何よりランガでなければ判断出来ないことが多い為だ。

 ……そう、例えば出奔したとはいえ、ベスティア帝国の第二皇女がレイと共にギルムへと入ろうとしているという事態の対処とか。


「ええ。向こうの方は何とか。……レイ君、彼女は……」


 視線をヴィヘラの方へと向けて言葉を濁すランガ。

 去年の秋にベスティア帝国で行われた内戦は、ミレアーナ王国の中立派や貴族派も深く関わっていた。

 ダスカーはその件でベスティア帝国の主要な人物の特徴も得ており、その中には当然のようにヴィヘラの情報もあった。

 人目を惹き付けるような派手な顔立ちの美人で、娼婦や踊り子のように男を誘うかのような薄衣の衣装を身につけ、手足には手甲、足甲を身につけている。

 これ程特徴的な人物であれば、正確にどのような顔立ちかを分かっていなくてもダスカーから話を聞いていたランガが間違う筈もない。

 更にその人物はレイに対して深い愛情を抱いているという情報もあり、レイと共にいるという点でもその噂を裏付けている。

 レイにもランガがヴィヘラの正体について察しが付いていると理解したのだろう。小さく頷きを返す。


「……出来れば一度ダスカー様へお会いになって欲しいんだけどね。どうかな?」

「だとさ。どうする?」


 要請というよりは懇願に近いその言葉に、レイはヴィヘラの方へと視線を向ける。

 二人の商人やマギタはランガが何を言っているのか分からず、セトは他の警備兵に干し肉を貰って嬉しそうに喉を鳴らしていた。

 そんな周囲の様子を一瞥したヴィヘラは、やがて最後にレイへと視線を向けると頷きを返す。


「しょうがないわね。いずれ何をするにしてもギルムの領主には会っておく必要があったでしょうし。分かったわ。ただ、ギルドに行って依頼の報告を終えてからでもいいかしら?」

「勿論構いません。……ダスカー様の方には連絡をしておきますので、ギルドの方で報告が終わって時間が出来たらお願いします」

「ええ、ありがとう」


 短く言葉を交わし、街中へと入る手続きを素早く済ませると門の中へと入っていく。

 その際にセトを構っていた警備兵が残念そうな表情を浮かべていたが、レイ達の後ろにも何人か並んでいるのを見れば無理も言えなかったらしく、すぐに諦める。

 そうしてギルムの中へと入ったのだが……


「うおっ、サブルスタと違うな……アブエロはサブルスタとそう違いはなかったのに」


 マギタがギルムの周囲を見回しながら、しみじみと呟く。

 サブルスタやアブエロと比べると街中を行き交っている者の数が多く、何より活気が違った。

 辺境であるが故に、その活気は他の街と比べると明らかに賑わっている。

 特に多いのは、やはり冒険者だろう。

 どこを振り向いても必ず冒険者の姿が目に入るというのは、ギルムならではの光景と言えた。

 エグジルのような迷宮都市でも同じような光景は目に出来るのだが、マギタにとっては行ったことのない迷宮都市の存在は完全に頭の中にはない。


「ほら、行くぞ。まずはギルドだ」


 物見高く周囲の様子を眺めているマギタへとレイが声を掛ける。

 その言葉に、マギタは不満そうな表情を浮かべる。


「俺は別にギルドに行く必要はないんだけどな。依頼を受けていた訳じゃないし」

「お前を放っておくと問題を起こすだろ。俺と一緒にいる時にそんなことをされたら堪らないからな。それに……」


 勿体付けるように一旦言葉を止め、マギタの注意を引いてから再び口を開く。


「ギルドにはお前よりも強い奴が大勢いるぞ」

「行く」


 即断即決……いや、脊髄反射の如く告げてきたマギタに、レイは苦笑を浮かべてヴィヘラとビューネの方へと視線を向ける。

 そこでは依頼完了のサインを商人に貰っている二人の姿があった。


「師匠、早くギルドに行こうぜ」


 先程までは渋っていたとは思えないマギタの様子に、レイは少し早まったか? とも思う。

 ギルドにマギタよりも腕の立つ冒険者が多くいるというのは事実だ。

 だが、今は日中。

 冒険者の多くが依頼を受けており、今ギルドにいるのはヴィヘラ達のように依頼を終えた者達か、レイのように人混みを嫌って空いている時間帯を狙って依頼書を探している者達といったところだろう。

 もしくは、今日は休日と決めて酒場で飲んでいる者達か。

 ともあれ、基本的にマギタが期待しているような冒険者はいない可能性の方が高い。


(少し煽りすぎたか?)


 やりすぎたかもしれないと考えつつ、レイは自分の方に近寄ってくる二人の商人へと視線を向ける。


「レイさん、今回は君がいてくれて助かったよ。出来れば今度は改めて依頼で会いたいと思うんだけど……」

「そうだな、機会があれば依頼を受けさせてもらうよ」

「……今回は助かった」


 ぶっきらぼうな商人は相変わらずの態度で手を伸ばしてくる。

 その手を握り返すと、それで満足したのか二人の商人達は馬車を引き連れて去って行く。

 結局最後まで完全にセトに慣れることがなかった馬は、これでようやく安心出来るといった感じで、機嫌良さそうに馬車を牽いていた。

 馬車が雑踏の中に消えていったのを見送ると、ここにいるのはレイ、ヴィヘラ、ビューネ、マギタの四人とセト一匹のみとなる。


(まぁ、四人と一匹だけと言うよりは四人と一匹もって表現の方が正しいだろうけど)


 純粋に考えた場合、レイやセト、ヴィヘラといった戦力がいる時点でこの集団は凶悪な戦闘力を持っていると言ってもいいだろう。

 ただ、春になったということは新しい冒険者がギルムにやってくる数も多くなるということであり……


「おい、あの女ものすげぇいい女じゃねえか? しかもあの身体に服とか。幾らだろうな?」

「おいおい、お前ギルムに来たばかりだってのに、もう女のしんぱ……い……か……よ」


 近くを通りかかった二人の冒険者が、ヴィヘラを見て言葉を交わす。

 特に片方の冒険者は、ヴィヘラを見た瞬間にその美しさに目を奪われ、心を奪われ、想いすら奪われてしまう。

 じっと熱い視線でヴィヘラを見る相棒に、最初にヴィヘラを見つけた冒険者の男は仕方がないな、と苦笑を浮かべる。

 そう思ってしまう程にヴィヘラは魅力的な女であり、それだけの女が踊り子や娼婦が着るような男を誘う目的にしか見えない薄衣の服を着ているのだから。

 男達にとって不幸だったのは、意識が完全にヴィヘラへと固定されていたことだろう。

 それは、ヴィヘラを一目見て一瞬で恋に落ちた男だけではなく、最初にヴィヘラを見つけた方の男も同様だった。

 それだけ男の視線に対する吸引力をヴィヘラが持っているということなのだろうが、男達がもう少し注意深ければヴィヘラの側にいるレイ……ではなく、そのレイの近くであぐあぐと近くの通行人から貰ったサンドイッチを食べているセトの姿に気が付いただろう。

 そうすればセトを、グリフォンを連れているという時点で深紅と呼ばれている冒険者が近くにいるというのも分かったのだろうが。






「あー、なぁ、あいつらレイにちょっかい出そうとしてないか?」

「は? まさか、そんな馬鹿な真似をする奴が……ああ、なるほど。あいつら最近ギルムに来たって前に言ってたな」

「止めた方がいいんじゃないか? レイのことだから、妙なちょっかいを掛けられたら思い切り反撃すると思うぞ?」

「だな。ちょっと待っててくれ。少し言ってくる」


 依頼を終えて戻ってきた別の冒険者三人が、レイを含む集団とそちらに近づいて行く二人組を見て話し、その中の一人が慌てたように走って行く。

 もしあの冒険者が気にくわない相手であれば放って置いたかもしれないが、ギルドで話した時は多少自信家ではあったが人当たりも良かった為、このまま放っておくことは出来なかった。


「おい、お前等。あの女にちょっかいを出すのは止めておけ」


 いきなりそんな言葉を掛けられた二人の冒険者は、声のした方へと不機嫌そうな視線を向ける。

 だが、そこにいるのがギルドで何度か話したことのある先輩冒険者だと知ると、すぐにその表情も消えた。


「どうしたんすか、急に」


 何を言われているのか分からないといった風に返ってくる言葉に、先輩冒険者は溜息を吐く。


「お前達がちょっかいを掛けようとしていた相手は、色々な意味で危険な奴だ。このギルムで冒険者を長くやっていきたいのなら、決してあいつに敵対するな」

「……あの女、そんなに大物なんすか?」

「確かに見たことがないくらいいい女だけど、そこまで大物には……」

「違う」


 根本的に勘違いをしている二人の言葉を、先輩冒険者は即座に否定する。


「俺がちょっかいを出すなって言ってる相手は女の方じゃない。いや、確かにこうして見る限りあの女は魅力的だ。それこそ、俺だって一晩どころか何日だってお相手して欲しいくらいにな。けど、俺が言ってるのは女の方じゃなくて、ローブを着ている男の方だ」

「……男の方?」

「あの小さい奴っすか?」

「そうだ。見た目は……いや、フードを被ってるから見分けが付けにくいだろうが、あのフードの下はちょっと男とは思えないような顔付きをしている。ただ、綺麗なのは外見だけで中身はかなりえげつない。ギルムで暮らして行きたいのなら、あいつに妙なちょっかいを出すような真似はするな」

「そんなに強そうには見えないんすけど」


 その言葉に納得出来ないといった様子で二人組の冒険者の片方が呟くが、それを聞いた先輩冒険者は呆れたように溜息を吐き、視線をレイやヴィヘラから少し離れた場所……何故か十歳くらいの少女に撫でられながらサンドイッチを食べているグリフォンの方へと向ける。


「あれを見ろ。しっかり見ろ。忘れないように見ろ」


 何度も繰り返し言われた二人の冒険者は、ようやくその存在に……グリフォンのセトに気が付く。


「なぁっ!? グ、グリフォン!?」

「うっそ、何でこんなところに……待て、待ってくれ。グリフォン? グリフォンって言ったら確か……」


 ようやく何かに思い当たったのか頭の中の知識から思い出そうとしているその冒険者に、先輩冒険者は手っ取り早く答えを口にする。


「そうだ。あいつがランクB冒険者で既に異名持ち、去年の春の戦争で活躍した深紅だ。本名はレイ」

「深紅……」

「あんな子供が深紅……?」


 冗談でしょうと先輩冒険者へと視線を向ける二人の冒険者だったが、戻ってくるのは真剣な視線のみ。

 こうして、二人の冒険者はヴィヘラに話し掛けることも出来ないまま、去って行くレイ達一行を呆然と見送ることになる。

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