第919話

 レイが士官学校にやって来た日の翌日、前日にエレーナと会話をしたのが良かったのか、いつもより早く目を覚ましたレイは職員寮の裏手へとやって来ていた。

 そこは何もない広場となっており、現在は積もった雪を寄せられており、ある程度は動けるようになっている。

 だが、だからこそこの場合は丁度良かった。


「んー……眩しいな」


 太陽の光に反射する雪を眩しげに見つめ、そのまま軽く柔軟を行う。

 それが終わると、ミスティリングから取り出したのはデスサイズ。

 デスサイズを手に、何かを確認するかのように巨大な刃を空中に走らせる。

 基本的にレイはどこかの流派に入って修行をした訳ではなく、あくまでも我流だ。

 だからこそ、きちんと修行をした者達はレイの身体能力を最大限に活かしたトリッキーな動きに反応出来ない。

 もっともトリッキーな動き云々以前に、大鎌を使って戦う者が非常に稀少であるというのも大きいだろうが。

 レイは知らないが、デスサイズという大鎌を使ってランクB冒険者へと瞬く間に昇り詰め、戦争で活躍して異名を手に入れ、更にはランクAモンスターのグリフォンを従魔にしている。

 そんな人物が話題にならない筈もなく、冒険者の中にはレイに憧れているという、レイから見れば物好きとしか言いようのない者もそれなりに存在していた。

 そのような者達は当然レイと同じになりたいと思う。

 セトのような、ランクAモンスターをテイムすることはまず不可能だというのはそのような者達も理解している。

 だからこそ次にそのような者達が行うのは、もう一つのレイの象徴、大鎌を使うということだった。

 だが、大鎌というのは普通の人間にとっては非常に扱いにくい武器だ。

 いや、大鎌ではなく普通の鎌であってもそれは変わらない。

 結局物好きな何人かが無理に鍛冶師に大鎌を作って貰ったりもしたのだが、それを使いこなせる者は殆ど存在しなかった。

 そもそも、鎌というのは実際に武器として使うには向いていないものなのだから、当然だろう。

 大鎌を使えなかった者達は、結局自分にレイのような真似は無理なのだと理解し、大人しく自分に合った武器を探すことになる。

 それでも大鎌を……長柄の武器を使いこなそうと訓練したこともあり、槍やハルバードといった長柄の武器を使う者が多かったのだが。

 また、数少ない大鎌を使いこなす……とまではいかないが、ある程度使えるようになった冒険者も出て来て、大鎌というのが今よりも若干認知度が高くなるのだが、それはまだ先の話。


「ふっ!」

 

 鋭い呼気と共にデスサイズを一閃。

 朝の新鮮な空気そのものが斬り裂かれるかのような一撃は、もし見た者がいればデスサイズがどれ程の重量があるのかを疑問に思っただろう。

 それ程に、レイは全くデスサイズの重量を感じさせずに振り回していたのだから。

 そのまま十分程デスサイズを振り回し、一旦その動きを止める。


「ふぅ……さて、と」


 そうして、デスサイズを構えたまま目を瞑る。

 脳裏に浮かんでくるのは、最強の敵。

 ベスティア帝国で戦ったランクS冒険者、不動のノイズ。

 ノイズとは二回しか戦っていないが、それでもそこに秘められた戦闘密度とでも呼ぶべきものは非常に濃厚な代物だった。

 あれだけの戦闘は、間違いなくそう体験出来ないだろう代物。

 そうして脳裏のイメージが固まってくると目を開け、空中に存在するイメージと向かい合い……地を蹴る。

 レイの奥義とも呼ぶべき炎帝の紅鎧は使用しておらず、あくまでも生身での戦い。

 イメージされたノイズへと向かい、一気に距離を詰める。

 ノイズの手が動いたかと思えば、一瞬の煌めきが空を走る。

 身体を軽く傾けることでその一撃を回避し、カウンター気味にデスサイズを振るう。

 刹那の回避は、レイが普通の身体能力しかなければ間違いなく長剣によって斬り裂かれただろうタイミング。

 だが、そのタイミングを掴むことが出来るからこそ、レイは深紅という異名を持つにいたっている。

 普通であれば間違いなく相手の胴体を上下に切断するだろう、文字通りの意味で死神の鎌の一撃とでも呼ぶべき横薙ぎの一撃。

 しかし……レイの作り出したノイズは、その攻撃が振るわれた瞬間には既にそこにおらず……気が付けば、レイの首筋へと長剣の刃を突きつけていた。


「勝負あり、か。くそっ、今日も勝てなかったな」


 気が付けば、既にレイの目の前から想像で生み出されたノイズの姿は消えている。


「素晴らしいですね!」


 そんなレイに掛けられる声。

 デスサイズをミスティリングの中に収納しながら声のした方へと振り返ると、そこにはサマルーンの姿があった。

 瞳に感嘆の色を浮かべながら自分の方を見てくるその姿に、レイはやはりどこか落ち着かないものを感じる。

 純粋に自分を尊敬しているのだというのは理解しているのだが、それが行きすぎなような気がするのだ。


「いや、本当に素晴らしい。レイさんの今の動き……残念ながら僕には全てを追うことは出来ないので、どこが素晴らしいとは明確に指摘出来ないのですが、それでも素晴らしいのに間違いはないです」

「そうか、喜んで貰えて何よりだ。……それで、ここには何をしに?」

「あ、はい。起きてレイさんの部屋に迎えに行ったんですが、どこにもいなかったので探していたんですよ。もしかして散歩のついでに道に迷っているかもしれないとも思いましたし」


 大袈裟な……と一瞬思ったレイだったが、士官学校の広さを考えるとあながち間違いという訳でもないのに気が付く。

 敷地自体もかなり広く、そこには幾つもの建物が建っている。

 慣れている者であればまだしも、士官学校に来たばかりの者であれば道に迷ってもおかしくないと思い出したのだ。

 そもそも、レイがここで訓練をしていたのも、迂闊に職員寮から離れれば道に迷うかもしれないからというのがある。


(セトがいれば、いざという時はどうとでもなるんだろうけど)


 この場にいない相棒に思いを巡らせるが、そもそも都市の中で好き勝手にセトが飛ぶ訳にもいかないのだが、その辺は都合良く考えているらしい。

 もっとも、士官学校という関係上多少のお目こぼしがあってもおかしくはないのだが。


「そうか。悪いな、手を煩わせて」

「いえ。それより、そろそろ朝食の時間になりますがどうしますか? 時間的な余裕はまだ多少ありますけど」

「訓練も一段落ついたし、そろそろ行くよ」

「……そうなんですか?」


 微かに残念そうな表情を浮かべながら、サマルーンは言葉を返す。

 魔法についての話をしたいと、そう表情に浮かんではいるのだが、レイはそれに気が付かない振りをして職員寮へと向かう。

 そのすぐ後をサマルーンは追ってくる。


「まず朝食を終えてから、学園長室に行きます。昨日行った場所なので、大丈夫ですよね? もし心配なようなら、僕も一緒に行きますけど、どうします?」


 出来れば一緒に行きたい……といった表情で尋ねてくるサマルーンだったが、レイはそんなサマルーンに対して首を横に振る。


「大丈夫だ。それに、サマルーンの方も授業の準備があるんだろ? 俺に構ってばかりだと、怒られるんじゃないか?」

「いえ、大丈夫ですよ。僕はレイさんのサポートをするように言われてますし、その辺は全く問題ありません。寧ろ、僕としては是非レイさんと一緒に行動を共にしたいと思っていますから」


 それが、魔法についての興味から出てくる言葉だというのは分かっているのだが、それでもレイはサマルーンの言葉にどこか受け付けないものを感じる。


(あくまでもサマルーンの目的は魔法で、俺自身を見てないとか、そういうことか?)


 サマルーンの態度を疑問に思いつつ、歩いているとやがて職員寮の玄関へと到着する。


「そう言えば、朝食を食べ終わったらセトに会いに行かないといけないな」

「セトですか。昨夜ちょっと覗きに行ったんですが、グリフォンというのは初めてなので驚きました」

「……度胸あるな。まさか、自分だけで行くとは」


 セトの人懐っこい性格を知っていれば、一人で会いに行くと言われても特に驚きはない。

 だが、初めてグリフォンと接するサマルーンが、レイを連れずに一人でセトへと会いに行くというのは、レイの目から見ても完全に予想外だった。


「あ、あはははは。グリフォン……セトでしたか。そのセトに会いに行こうと思いついたのが昨日の夜でしたから。もうレイさんは寝てるんじゃないかと思って、一人で行ってきました」

「……色んな意味で猛者だな」

「そうですか? だってレイさんの従魔なんですよね? でしたら、特に危険はないと思うんですが」


 当然といった風に告げるサマルーンの様子に、レイは何と返せばいいか迷う。

 自分を信用しすぎるなと怒ればいいのか、それともそこまで信用してくれてありがとうと感謝の言葉を言えばいいのか。

 結局どうするか迷っているうちに、食堂へと到着する。

 ここで用意される朝食は、士官学校で生徒達が食べているものと殆ど変わらない。

 つまり一般的なものであり、レイの味覚では少し物足りないメニューだった。


(量も腹一杯って訳にはいかないしな)


 パンに具が少なめのスープ、野菜炒め。チーズが一切れだけお情けのように存在していた。

 唯一の救いは、パンが白パンだということか。

 ……もっとも、レイにとっては食事ではなくおやつ程度の量しかなかったが。


「公爵領の騎士団に入る騎士とか、冒険者を育てる為の士官学校なんだろ? なのに食事は結構質素なんだな」

「ははは。今が冬じゃなかったらもう少し豪華なんですけどね」


 レイの向かいに座っていたサマルーンが、申し訳なさそうにそう告げる。


「あー、まぁ、その辺はしょうがないか。冬だと考えればな」


 自分を納得させるように呟き、ミスティリングの中に何の料理が残っていたのか……と考え、ふと気が付く。


「……なぁ、サマルーン」

「はい? 何です?」


 スープを飲んでいたサマルーンが、レイの言葉にすぐに返事をする。

 余程レイから声を掛けられたのが嬉しかったらしい。

 そんなサマルーンに、どことなく申し訳なく思いながら言葉を続ける。


「俺達がこうしてあまり食えないって事は、セトの方はどうなってるんだ?」

「あー……どうなんでしょう。多分、身体が大きい分、僕達よりは多く食べてると思いますけど」

「なるほど。なら、一応確認してくるか」

「え?」


 多少間の抜けた声を出したサマルーンをそのままに、レイは残っている食事を口の中に押し込んでいく。

 不味いわけではなく、美味い訳でもない食事を口の中へ収めると、そのまま食器を持って立ち上がる。

 それを食堂に返し、唖然としたままのサマルーンをその場に残してレイは食堂を出て行く。


「あっ、ちょっとレイさん!? 僕も行きますから、ちょっと待って下さい。レイさん!?」


 慌てて叫ぶサマルーンだが、レイはそれを待たずに職員寮からも出て行く。

 サマルーンも追おうとしたのだが、魔法使いとして身体の細いサマルーンは決して食べるのが早い訳ではなかった。

 かと言って、食事を残して追いかける訳にもいかない。

 いや、やろうと思えば出来るのだろうが、そんな真似をすれば食事を作ってくれている人に強烈なお仕置きをされてしまう。

 つまりサマルーンがレイの後を追うには、目の前にある食事を全て食べきるしかなかった。


「あーあ。サマルーンふられちゃった」

「おい、あんまり馬鹿なことを言うなよ。あれだろ? 確か学園長が特別に呼び寄せた模擬戦の教官って。深紅だとかいう異名持ちの」

「でも、そんなに強そうに見えないけどな」

「人は見かけによらないだろ。特に異名を持ってるような奴を普通に当て嵌めるのが間違いだ。大体それを言えば、この国のランクS冒険者を見ろよ。……あんなんだぞ?」

「……うん。ごめん」

「ちょっとちょっと。ここで喋っている時間はあまりないわよ! そろそろ学校に行く準備をしなきゃ!」


 食堂にいる他の教師達は、レイとサマルーンのやり取りに興味津々ではあったが、それでも授業の準備をしないといけないとなると、いつまでも話している訳にもいかず、食事を済ませるのだった。






「セト?」

「グルルルゥ?」


 職員用の厩舎でレイがセトへと呼び掛けると、すぐに聞き慣れた鳴き声が聞こえてきた。

 その声は特に空腹を訴えている訳でもなく、悲しんでいる様子もない。

 ただ、レイが会いに来てくれたのを喜んでいる声だ。

 ここがギルムでレイが定宿にしている夕暮れの小麦亭であれば、ある程度セトは自由に外に――それでも夕暮れの小麦亭の敷地内だけだが――出ることが出来る。 

 だが、ここには昨日来たばかりで、まだセトを可愛がる者よりも怖がる者の方が多い。

 それ故に、セトも勝手に外に出ないように言われていたのだ。


「セト、元気にしてたか? いや、まだ一晩しか経ってないけど」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉に嬉しげに喉を鳴らすセト。

 そんなセトの頭を撫でながら、レイはセトが特に空腹な訳ではないことを理解する。


「どうやら食事は十分に貰えたようだな」

「グルゥ」


 お腹減ってないよ! と喉を鳴らす。


「教官よりも従魔の方に一杯食事を与えるのか? ……ああ、セトだからか」


 グリフォンであるセトを怖がったのか、それとも愛らしさに心臓を撃ち抜かれたのか。

 そのどちらかは分からないが、ともあれ春までセトが食事に困ることはないだろうと判断するのだった。

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