第906話

 太陽が昇って既に昼に近くなった時間。

 いつも起きるよりも大分遅い時間だったが、そのくらいの時間になってようやくレイは目を覚ます。

 ベッドから起き上がって周囲を見回し、自分が起きたのがいつもの夕暮れの小麦亭にある部屋だと理解すると、大きく伸びをする。


「ふわああああああぁぁ……」


 それでもまだ眠気が取れないのか、ぼけっとしながら緩やかな時の流れに身を委ねていた。

 そうして約五分程。ようやく働くようになった頭で、身支度をしながら今日の予定を考える。


(えっと、一応シスネ男爵家に顔を出す必要があるのか。護衛はフロン達に任せてきたから心配はいらないだろうけど。いや、そもそもキープとその部下を捕らえたんだから、もう襲撃の心配はいらなさそうだが)


 身支度を調え、最後にミスティリングから取り出したドラゴンローブを身に纏うと、そのまま部屋から出て食堂へと向かう。

 その途中で何人かの客と擦れ違うが、何故か多くの者がどこか騒がしい。

 宿の中に流れる浮ついた雰囲気を感じながら食堂の中へと入ると、その瞬間食堂の中にいた客の視線がレイへと向けられる。

 昼が近いからだろう。少し早めの昼食を食べようとしている客の姿や、冬だということで食堂で時間を潰しているような者達の視線。


「おい、レイだ。昨日の件知ってるか?」

「ああ。祭りで決闘した相手がシスネ男爵家を襲ったって奴だろ?」

「正確には違うな。レイが決闘で戦ったゼロスとかいう奴を雇っていた貴族の方だよ。そいつが賭けていた財産の半分を支払いたくないってことで、シスネ男爵家の連中を皆殺しにしようとして雇った者達を連れていったらしい」

「ああ、聞いた聞いた。で、それを読んでいたレイが仲間と一緒に待ち伏せて、一網打尽にしたんだろ?」

「そうらしいな。貴族なんか両手両足を全て切断されてたって話だぞ?」

「にしても、決闘の時に身体の周囲に現れた赤いのって何だったんだろうな。見ただけで身体が動かなくなったんだけど」

「そうそう、しかも俺の近くにランクB冒険者がいたんだけど、そいつも動けなくなってたぜ。顔中に汗を掻いて」

「……同じランクBだってのにか? やっぱりレイは色々な意味で規格外な存在だよな」

「そりゃあそうだろ。そもそも、決闘の相手だってランクBだったんだし」


 聞こえてくる内容から、決闘や、昨夜の襲撃の件を言っているというのはすぐに判明した。

 レイは自分が噂になるのはいつものことだと、特に気にした様子もなくテーブルに着き、ラナへと食事を注文する。


(キープは両手両足じゃなくて、両手だけなんだけどな。相変わらず噂に尾ひれが付くのが早いな。どこから流れてきた情報なんだ? 警備兵? それともフロン達が連れて来た冒険者か? まぁ、どっちでもいいけど)


 料理が出てくるまでの暇潰しに、コップの水を飲みながら聞こえてくる噂を聞き流すレイだったが、次の瞬間には口元へと運んでいたコップの動きがピタリと止まった。


「お宝を積んだ馬車の件も、その貴族の関係者だって?」

「ああ、そうらしい。死体が残ってたってさ。馬車に踏み潰されてかなり酷い状態だったらしいけど」


 その言葉に首を傾げたレイは、今の話が聞こえてきた方へと視線を向ける。

 レイのテーブルからそれ程離れていない場所。

 そこにいる二人の冒険者と思われる男達の会話だ。

 見覚えのある顔に、レイは立ち上がる。

 ランクCで、高ランク冒険者ではないにも関わらず夕暮れの小麦亭を定宿にするだけの要領の良さを持つとして、ケニーやレノラとの話題にも上がっていたことのある人物。

 片方は人間で、もう片方はネズミの獣人の、共に二十代前半の男達。

 そんな男達の座っているテーブルに近づいたレイは、自分の方を見ている二人の男に口を開く。


「悪いけど、今話していたのをもう少し聞かせてくれないか?」

「え? あ、ああ。それは別に構わないけど……なぁ?」

「あ、うん」


 明らかにレイよりも年上の二人だったが、それでもレイに対する態度は目上の者に対するものだ。

 ランク自体もそうだったが、何よりもそのランクB冒険者ですら到底及ばないだけの実力を持っているというのは明らかだった為だ。

 更には、レイはギルムに来て冒険者として登録してから二年も経たないうちにその地位まで昇り詰めた人物。

 そんな相手だけに、男達にとっては一種の憧れに近い思いを抱いている者も少なくない。

 ……もっとも、レイの性格が性格なので、嫌っている者もかなりいるのだが。

 幸いこの二人はレイに対して好意的であり、話し掛けられた時には驚いたが、すぐにレイに座るように促してくる。

 そしてレイが二人から聞かされたのは、昨夜遅くにフルトスが横転した馬車に踏み潰されて死んでいるのが見つかったということだった。

 更には御者台に残っていた血の跡から考えると、恐らく御者台で馬車を動かしていたのはフルトス本人であり、馬車の方には金目の物や、金貨、白金貨といったものすら積まれていたという。


「……つまり、何だ。あのフルトスって奴はお宝を運ぶようにキープに命令されてたのか?」

「いや、違うと思う。もしそうなら、フルトスって奴じゃなくて専門の御者を雇うだろうし。あのフルトスって男の体格を考えれば、とてもじゃないけど好んで御者をやるようには思えなかっただろ?」


 その言葉にフルトスの姿がレイの脳裏を過ぎる。

 自分の二倍、三倍……下手をすればそれ以上の体重があるように思える程に太っている姿。


(あの体格で自分から望んで御者をやるなんて……普通は思わないか)


 納得したように頷いたレイが最終的に思いついたのは、思わず眉を顰めるようなものだった。


「つまり、自分が仕えていた主を囮にして逃げ出したのか?」

「そういう見方が一般的だな。……で、そいつが死んだのはお前さんが手を回したからじゃないかって話もあったんだけど、どうやら違うみたいだな」


 男の言葉に、当然とレイは頷きを返す。

 自分が仕えていた主を捨て駒にするというのは、レイには予想も出来なかった。

 フルトスという人物の性格を知っていれば話は別だったかもしれないが、レイがフルトスと会ったのはシスネ男爵家でアシエが絡まれた時と、決闘の件で領主の館に行った時、そして決闘の時だ。

 それらの中でレイ自身がフルトスと会話をしたかと言われれば、殆ど記憶に残っていない。

 良くも悪くも、キープの性格が強く印象に残っている。


「……となると、誰がやったんだ?」


 もう片方の男の言葉にレイは皮肉げな笑みを浮かべて口を開く。


「自分達の恥晒しをそのままにしておけなかった奴だろ」

「え? それって……」


 その言葉が誰のことを示しているのか理解した男が何か口を開く前に、レイは席を立つ。


「色々と情報助かった。何かあったら言ってきてくれ。この礼に出来れば手を貸すから」


 レイの言葉が国王派の関与を暗に告げているのに驚いた冒険者二人に声を掛け、元のテーブルへと戻るのだった。



 



「あ、レイさん。いらっしゃい。昨日はお疲れ様でした」


 食堂で食事を済ませたレイは、シスネ男爵家へとやってきた。

 そんなレイを、アシエは嬉しそうに出迎える。

 当然だろう。もしもレイがいなければ、自分は恐らく貴族の慰み者にされていたのだから。

 それを救ってくれ、ムエットやバスレロとの生活を守ってくれたレイには、幾ら感謝を言っても言い足りない。


「気にするな。それより、あれからは特に何もなかったか?」

「はい。護衛の方々も念の為ということで残ってくれましたけど、特に騒ぎはありませんでした」

「そうか、それは良かったな。……で、ムエットはいるか? 今回の件で色々と話しておきたいんだけど」

「分かりました、すぐにお呼びします。どうぞ中へ入って下さい」


 アシエに案内されたレイは、そのまま以前にも使った応接室へと入る。

 すぐに用意されたハーブティーとドライフルーツ。

 前回レイが喜んでいたのを覚えていたからこそ、同じ物を出したのだろう。

 甘酸っぱいドライフルーツを口へと運び、その甘さをハーブティーで洗い流してと、夕暮れの小麦亭でたっぷりの食事を取り、貴族街に入るまでにもセトと共に屋台で買い食いしながらやってきたとは思えない食べっぷり、飲みっぷりを見せる。

 いや、寧ろレイにとっては腹休めという意識なのだろう。

 そしてハーブティーを飲み終わった頃、タイミングを図っていたかのようにムエットが姿を現す。

 話が今回の件に関してだというのは理解しているのだろう。応接室に姿を現したのは、ムエットだけだった。


「お待たせしましたね。それで、今日の用件ですが……決闘のことですよね?」

「ああ。知ってるかどうか分からないけど、あのキープって奴のお付きだった太った男がいただろ? あいつが死んだらしい」

「はい、その辺は警備兵の方に聞かされています。どうやら矢で射られて殺されたとか」

「……うん? いや、俺が聞いた話だと、馬車に轢かれてって話だけど」


 夕暮れの小麦亭で聞いた情報を思い出しながら尋ねるレイに、ムエットは首を横に振る。


「いえ、直接的な死因は胸に突き刺さった矢だったようです。その衝撃で地面に落ちて馬車に轢かれたというのが……」

「なるほど。それで犯人はやっぱり?」

「はい。証拠はありませんが、恐らく国王派の者の手による粛正だろうと。もっとも、その粛正というのがエリエル伯爵家の財産を盗んで逃げようとしたからなのか、それとも国王派としての恥を晒したキープ殿の巻き添えなのか……そのどちらかは分からないそうですが」


 ムエットの口から出た言葉に、レイは恐らく後者なのだろうと予想した。

 明確な理由はないが、恐らくそうだろうと。


「ま、これで向こうに何かをやらかしそうな奴はいないんだし、この家も安全ってことだな。ああ、護衛の報酬に関してはよろしく頼む」

「はい、勿論です。フロンさん達がいなければ、僕も、バスレロも、そしてアシエも恐らく死んでいたでしょうから。命の恩人に対して、報酬を渋るつもりはありませんよ。……その、それでレイさんに対する報酬なのですが……」


 言いにくそうに言葉を濁す。

 当然だろう。今回の件で最も働いたのは、間違いなくレイだ。

 その分、報酬が高くなるのも当然だった。

 更に、レイはランクB冒険者という高ランク冒険者で、異名持ちなのだから。


「あー、そうだな。今は無理しなくても、取りあえずエリエル伯爵家からの財産が届いてからでいいぞ」

「……それでは申し訳ありませんので、取りあえずこれだけでも受け取って下さい」


 そう告げたムエットが、レイへと袋を手渡す。

 袋の中には、金貨が三枚。

 レイを雇うのにはとてもではないが足りない金額だったが、それでもこれが今シスネ男爵家で出せる最大限の金額だった。

 それを理解したのだろう。レイは特に何も言わず、小さく頷くと袋をミスティリングの中へと収納する。


「問題も片付いたことだし、この冬はゆっくりと過ごせるだろ」

「はい、そうですね。……正直、僕がここまで忙しくなるとは思ってもみませんでしたよ。決闘が終わった後も色々と書類を書くことになってしまいましたし。ダスカー様との契約とか」

「ああ、エリエル伯爵領に財産を貰いに行く奴な」

「ええ。今回の決闘についての報告は、既に召喚獣で呼び出された伝令用の鳥が王都やエリエル伯爵家に知らせているらしいので、特に問題はないとダスカー様は仰ってましたが……」


 言葉尻を濁すムエットは、とても嬉しそうな様子はない。

 間違いなく何か揉めごとが起こるというのを予想している為だ。

 だがそれでも微かに安堵の息を吐いているのは、これからはいつもの日常に戻れるからだろう。

 ここ暫くの間は、本来目立つのを好まないムエットが大きく目立っていた。

 そんな日々が終わり、いつも通りの日々となると。


(もっとも、これだけ大騒ぎになったんだから、ギルムの住人の心の中にシスネ男爵家の名前は間違いなく強烈に焼き付いただろうけど)


 それはムエットも理解してない訳ではない。

 また、エリエル伯爵家の所属していた国王派にも、その名前が知られたのは間違いない。

 今日からは騒がしくない日々を送ることは出来るのだろうが、それでも完全に今まで通りといかないのは事実だった。

 と、レイの視線が不意に扉の方へと向けられる。

 同時に扉が開けられ、バスレロが姿を現す。


「レイさん、必殺技を思いついたんです! ちょっと見て貰えませんか!」


 決闘でレイの見せた炎帝の紅鎧が強い衝撃を与えたのか、バスレロの瞳は自分も必殺技を作り出すんだという希望に満ちている。


(ま、それでもこの笑顔を守れたのは良かったんだろうけど)


 バスレロの背後にアシエが控えているのを見て、レイは笑みを浮かべて座っていたソファから立ち上がる。


「そうか、必殺技か。それは是非見せてくれ。中庭でいいか?」

「はい!」


 嬉しそうな笑みを浮かべるバスレロと共に、レイは部屋を出て行くのだった。

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