第907話
シスネ男爵家とエリエル伯爵家の決闘騒ぎが終わり、数週間ほど。
新しい年を迎えつつも、ギルムは相変わらずの寒さで雪が降り続く。
雪が降り始めたのが遅かった影響もあるのかもしれないが、今年のギルムでは例年にない程に雪が積もっている。
住人は皆が雪かきに追われ、中には冒険者を雇っている者もいた。
冒険者側にとっても、雪かきは報酬の安さという欠点はあってもそれなりに歓迎されている。
この時期にまだ働いている冒険者は、当然冬越えの資金を稼ぐのに失敗した者達だ。
つまり、決して腕のいい冒険者とは呼べない。
それだけに、ギルムの外に出て雪の中で討伐依頼や採取依頼といったことをしなくても、安全な街中で仕事が出来るというのが大きいのだろう。
もっとも、中には少しずつ稼ぐのではなく一発逆転で稼ぐのを目的として、敢えて討伐依頼を受ける者もいるのだが。
「……そう、思ってたんだけどな。お前、ここで何をしてるんだ?」
セトに会いに行こうと夕暮れの小麦亭から出たレイは、その出入り口で雪かきをしているミレイヌを見て呆れたように呟く。
一瞬見間違いかと思ったレイだったが、今目の前にいるのは間違いなくランクCパーティでもある灼熱の風のリーダー、ミレイヌだった。
「あ、あはははは。その、ちょーっとお金が足りなくなって」
雪かきだからか、いつものレザーアーマーではなく、普通の服装の上に防寒具を身につけたミレイヌが恥ずかしそうに告げる。
新進気鋭で、若手の中でも腕利きの部類に入ると言われている灼熱の風は、当然仕事に困ることもない。
実際、パーティメンバーのエクリルとスルニンの姿がないのを見れば、金が足りなくなっているのはミレイヌだけだというのは明らかだった。
そして、レイはそんなミレイヌが金を浪費した原因が何なのかをすぐに理解出来た。
「……セトか」
レイの口から出た短い言葉に、ミレイヌの動きが止まる。
それは図星だったということに他ならない。
「あのな、セトに食べ物をくれるってのは嬉しいけど、それでお前が生活に困ってどうするんだよ」
「だって、だってしょうがないじゃない! 私がセトちゃんに食べ物をあげないと、ヨハンナがあげるんだもの!」
「だろうな」
レイの目から見ても、ミレイヌとヨハンナは似ている。
それはセトへの可愛がり方だけではなく、性格を含めてだ。
それだけに、当然ぶつかってしまい……相手への対抗心から、本来は冬を越す為の資金を使ってしまったのだろう。
セトにとっては美味しいものが食べられて嬉しい毎日だったのだろうが、それは当然ミレイヌとヨハンナの二人に経済的なダメージを与える。
その結果が、夕暮れの小麦亭の前で雪かきをしているミレイヌの姿だった。
「な、何よ。言っておくけどここの雪かきはヨハンナも狙ってたんだからね。それを何とか私が勝ち取ったんだから」
レイの視線に何を思ったのか、ミレイヌはそう言い募る。
何故夕暮れの小麦亭の雪かきをヨハンナと奪いあったのかというのは、考えるまでもない。
雪かきをするのは、夕暮れの小麦亭の入り口だけではなく厩舎の付近もやらなければならないのだから。
少しでもセトと一緒にいたいというミレイヌの思いは、間違いなくレイに伝わっていた。
……もっとも、それを見過ごすという方が難しいのだろうが。
「まぁ、ミレイヌもランクC冒険者として一人前なんだから、俺がどうこう言うことじゃないのは分かってるけど……あまりスルニンに迷惑を掛けるなよ」
ミレイヌのブレーキ役、ストッパー役、外付け良心といった言葉が似合うスルニンの顔を思い出しながら告げるレイに、ミレイヌは後ろめたそうな表情を浮かべながら黙り込む。
そんなミレイヌを見たレイは、冬を越える資金を使い切ったのをスルニンには秘密にしているのだろうと理解する。
それでも既に年を越したこの時期で、そこまで致命的でなかったのは、ミレイヌにとっては幸運だったと言ってもいい。
後二ヶ月、遅くても三ヶ月程を凌げば、何とか春を迎えることが出来るのだから。
(もっとも、ヨハンナとの意地の張り合いを考えると、ここで金を稼いでもすぐに使ってしまいそうな気がするけど)
そんなレイの思いを感じ取ったかのように、ミレイヌは雪へとスコップを突き刺して綺麗な笑みを浮かベながら口を開く。
「任せて。セトちゃんに美味しいものを食べさせてあげるから」
「いや、だからそうじゃないだろ。……まぁ、これ以上言ってもしょうがないか。ちなみに、ミレイヌは金を使い切ったみたいだけど、ヨハンナの方はどうなったんだ? あいつもかなりセトに貢いでただろ? この雪かきをヨハンナもやりたかったってことは、ヨハンナも金に困ってるのか?」
ミレイヌはともかく、ヨハンナの方は数週間前に起きた決闘騒動でムエットの護衛をしていたのだから、そこまで金に困ってはいないだろう……と思いつつ告げた言葉だったが、それに返ってきたのは何故かミレイヌの得意気な笑み。
「ふふんっ、何でも金に余裕はあるんだけど、一緒に住んでる人達にそれ以上貯め込んでいる分を使うのは禁止されたみたいよ? で、もしそれ以上にセトに何かを買ってやりたいのなら依頼を受けて稼いでこいって言われたんだって」
「……俺には何でお前がそこまで嬉しそうなのか、全く分からないんだけど」
「だって、セトちゃんにお土産を買えないのは私もヨハンナも一緒。でも、私はこうしてセトちゃんのすぐ側にいられるんだから、これはもう私の勝ちと言ってもいいでしょ」
「いや、何で勝負してるんだよ、何で」
呆れて呟きつつ、それでもいつもと変わらないその様子にレイはどこか安堵感を覚える。
「じゃ、そろそろ俺は行くから雪かき頑張れよ」
そう告げ、厩舎の方へと足を踏み出そうとすると……次の瞬間にはレイの横を凄い速度で通り過ぎたミレイヌが、前へと回り込む。
「ちょっと待った。そっちにあるのは厩舎だけだけど、もしかしてセトちゃんに会いに行くの?」
「うん? ああ、そうだけど?」
「私がこうしてセトちゃんに会いたいのに耐えて雪かきをしているのに、レイはあっさりセトちゃんに会えるの?」
「いや、そもそもお前が雪かきをしてるのは、仕事だからだろ。俺は別に雪かきの仕事は受けてないし」
「それはそれ、これはこれよ」
堂々と胸を張るミレイヌに、レイは溜息を吐きながら口を開く。
「清々しいまでに自分勝手だな。……それより、俺と話していていいのか?」
ふと視線に入って来た光景を目にしながら呟くと、ミレイヌはレイが何を言っているのかと首を傾げる。
しかし事態は待ってくれず、厩舎の方から戻ってきた人物がミレイヌの肩へと手を乗せる。
「ミレイヌさんだったね。雪かきはまだ終わってないけど、遊んでいる暇があるのかい? ギルドの方に連絡をしないといけないのかね」
「ひぃっ、すぐにやります!」
ラナの声に、ミレイヌは慌ててレイの前から去って行き、雪かきを再開する。
その様子を見ていたラナは、小さく溜息を吐いてからレイに頭を下げてくる。
「すいませんね、レイさん。お手間を取らせて」
「いや、気にしないでくれ。ミレイヌとは顔見知りだし、少し話をするくらいは構わないから」
「それでも、今は雪かきの依頼を受けてここにいるんですから、しっかりと働いて貰わないと」
恨めしげな視線をレイへと向けるミレイヌを、再び一瞥するラナ。
その視線を受け、ミレイヌは再び雪かきへと精を出す。
「じゃ、俺は行くから」
「ええ、セトは厩舎の前で雪遊びをしてましたよ」
レイの向かう先にあるのが厩舎ということもあって、すぐにその目的を理解したのだろう。ラナがレイに向けてそう声を掛ける。
そんなラナに軽く感謝の言葉を告げると、レイはミレイヌをその場に残して厩舎の方へと向かう。
羨ましそうな視線をレイへと向けるミレイヌだったが、ラナに視線を向けられると再び雪かきへと戻っていく。
「グルルルルルゥ!」
レイが厩舎の方へとミレイヌが作ったのだろう雪道を進んでいくと、そんな声が聞こえてくる。
その声が誰のものなのかというのは、ギルムに住んでいる者であれば大半の者が理解するだろう。
機嫌が良さそうな鳴き声は、厩舎から自由に出ることが出来る為か。
当然普通の馬や従魔の類であればそんな真似は許されないのだが、セトの頭の良さやレイが夕暮れの小麦亭のお得意様だということもあって、特別に許されていた。
そうして厩舎の前へとレイが到着すると、そこでは雪に倒れ込んでは自分の形を残すという遊びをしているセトの姿があった。
「グルゥ? グルルルルルルゥ!」
レイが来たのに気が付き、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
そんなセトの様子に、レイも笑みを浮かべながら近づいて行く。
「元気にしてたか?」
昨日も会ったのだから多少大袈裟なのかもしれないが、それでもレイはセトへとそう声を掛ける。
そんなレイに、雪の中から起き上がったセトが走って駆け寄っていく。
大好きなレイが自分に会いに来てくれた! と嬉しげに喉を鳴らし、顔を擦りつける。
遊ぼう? 一緒に遊ぼう? と告げてくるセトに、レイも笑みを浮かべて撫で返す。
「そうだな。一緒に遊ぶか。……にしても、どうやって遊ぶかだな。セトと一緒だと雪合戦とか、そういうのは出来ないし」
「グルゥ……」
駄目なの? と円らな瞳を向けてくるセトは、その光景だけを見ればペット……いや、愛玩動物にしか思えない。
(かまくら……は、ちょっと難しいか。となると、雪だるまか?)
少し考え、雪だるまならセトにも出来るのでは? と判断して、レイは雪玉を作ってセトの前に置く。
「いいか、セト。この雪玉を転がしていって大きくするんだ。丸くな」
「グルゥ?」
レイが自分に何をさせたかったのか分からなかったセトだったが、それでもレイの言うことだからと雪玉を転がしていく。
すると、転がすにつれて雪玉が大きくなっていくのが面白かったのだろう。前足を器用に動かして雪玉を転がし、次第にその大きさは増していく。
ミレイヌが厩舎までの雪かきをして道を作ってあっても、それはあくまでも限定的なものだ。
つまり、道の外ではまだ多くの雪が積もっている。
セトが自分の魚拓ならぬ、セト拓とでも呼ぶべきものを取っていたのもそんな場所だった。
新雪を十分に楽しみながら雪玉を転がし続け……やがて、その雪玉は直径一m程の大きさにまで成長する。
そんなセトに負けてはならじと、レイもまた雪玉を転がして大きさを増していく。
それでもセトのものよりも大きさが小さいのは、セトが張り切りすぎているということもあったが、何よりセトが作っているのが胴体で、レイが作っているのが頭部だというのもあった。
そうして出来上がった雪玉は、レイの目論見通りにセトの方が一回り程も大きい。
(そう言えば、エルジィンに雪だるまって文化はあるのか? まぁ、別にないならないでいいけど。このくらいのものは広がってもおかしくはないし)
周囲を見回して、木の枝を探す。
幸い裏には幾つか木が生えており、半ば雪に隠されているように地面に落ちている枝を見つけることが出来た。
最悪の場合は依頼で野営する時に使う薪をミスティリングから取り出すつもりだったレイにとっては、運が良かったと言ってもいいだろう。
「グルゥ?」
その枝をどうするの? と視線向けてくるセトに、レイは自分の作った雪の塊をセトの作ったものの上に乗せる。
そうして枝を適当な大きさに折って顔面へと埋めていく。
「本当はバケツとかミカンとかがあればらしいんだけど」
バケツはともかく、ミカン代わりの果実はミスティリングの中に入っているのだが、レイは食べ物を粗末にする気はない。
そのまま他の枝を胴体部分に突き刺し、手をつくる。
「ほら、これで雪だるまの完成だ」
「グルルルルゥ!」
嬉しそうに喉を鳴らしたセトは、そのまま雪だるまの周辺を駆け回る。
「自分で作っておいてこう言うのも何だけど、ここまで喜ぶとは思わなかったな」
「グルゥ」
嬉しそうなセトの姿を見て、レイの口にも笑みが浮かぶ。
それが何であれ、自分の作った物を見て喜んで貰えるというのは嬉しいものなのだから。
(こんなに喜ぶなら、かまくらも作るか?)
雪が散らつく中、そう考える。
だが、セトが入るだけの大きさのかまくらとなると、かなり大きくなければならない。
その労力を考えると、体力的な問題はともかく、精神的な疲労は大きいだろう。
もし本気で作るのであれば、ミレイヌやヨハンナを連れてくる必要があった。
(あの二人なら、セトの為だって言えば喜んで協力するだろうし。……ただ、かまくらといえば、餅がないんだよな。餅米があれば餅を作れるんだけど)
田舎だけに、日本にいた時のレイの家には臼と杵がきちんとあった。
それを使って餅をついたこともあるレイは、当然餅の作り方も知っている。
だが、その原材料である餅米がギルムには存在しない。
(店でも見たことがないしな)
そんな風に考えていると、不意に夕暮れの小麦亭の出入り口の方が騒がしくなっているのに気が付く。
何やら人が集まっているのを疑問に思い、セトと共にそちらの方へと向かおうとした、その時。入り口の方から大きな声が聞こえてくる。
「レイ、おるのか、妾が会いに来たのじゃ!」
そう、どことなく聞き覚えのある声が。
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