第899話

 決闘が行われる予定の場所には、既に大勢の観客が集まっていた。

 一番多いのは、やはりギルムの住民……一般市民だろう。

 レイの強さをその目で見たいと思っている冒険者の数も多い。

 ギルムでは触れてはいけない存在として有名になっているレイだったが、きちんとその実力を見たことがある者は決して多くはない

 最も多くの者がレイの強さをその目で確認出来たのは、やはり春の戦争だろう。

 だがその戦争に参加出来なかった者、しなかった者も多いし、戦争が終わってからギルムへやって来た冒険者の数も決して少なくはない。

 勿論冒険者仲間から話を聞き、レイの強さが口だけだったり、誇張された噂だけが極端に広まっているというものではないのは理解していた。

 それでも、やはり自分の目でその強さを確認したいと思っている者にとっては、この決闘という祭りは千載一遇の機会だったと言ってもいい。

 自分がレイと戦うのは絶対にごめんだが、他人が戦っているのを見るのであれば……と。

 また、冒険者以外の商人や一般人にしてみれば、今回の戦いはいい見世物でしかない。

 これまでにキープにより迷惑を被った者――店に因縁を付けて商品を持っていく等――にしてみれば、レイを応援する声に力が入るのも当然だろう。

 そんな一般の者達とは別に、貴族達もこの決闘には注目していた。

 ……もっとも、国王派の貴族にしてみれば何でこんなことに、という思いの方が強いのだろうが。

 冬になる直前にギルムにやって来たキープとは違い、殆どの貴族はギルムに数年……長い者になれば十年以上住んでいる。

 それだけに、情報収集も当然きちんと行っていた。

 中立派であるダスカーに協力的なレイがどれだけの力を持っているのかというのは、最優先に集める情報と言ってもいいだろう。

 それだけに、エリエル伯爵家の破滅までの道のりが確実と見ている者の数も多かった。


「おい、見ろよ。騎士が多いぞ」

「ああ。……キープ殿が決闘で負けた時に暴発しないように、という準備だろうな」

「レイと戦って、負ければ財産の半分を譲渡。……キープ殿も、何を考えてそんな条件で決闘を」

「しかも、その原因はシスネ男爵家に仕えているメイドを奪おうとしたからだとか」

「今頃、エリエル伯爵家の方では大慌てなのでは? 廃嫡になってもおかしくはないですし」

「確かに。まさか、ラルクス辺境伯立ち合いの下で法的な手続きを行うとは思わなかったでしょうし。ここまで揃ってしまっては、エリエル伯爵家の方で何を言ってもどうしようもない」

「貴族派の者としては、国王派の勢力が弱まるのは歓迎なんですけどね」

「……そうですかな? エリエル伯爵家のような家が潰れるということは、国王派の中にある病巣がそのまま駆除されるということ。つまり、国王派としては健全になるということになるのでは?」

「まさか……それを狙ってキープ殿をこのギルムに?」

「中立派に楔を入れるのと、自分のところの害悪を潰し合わせると? 確かにそうなればどちらが潰れても……」

「まさか、偶然だろう? そこまで先を読んでなんてことはさすがに有り得ないと思うが」

「誰がこの絵を描いたのかは分かりませんが、その人にしてもまさか深紅と揉めることになるとは思ってなかったでしょうな」


 国王派、中立派、貴族派。それぞれの派閥の者達が言葉を交わす。

 そんな中、やがて天から降り注ぐ太陽の光に導かれるようにして主役が姿を現した。

 まず最初に姿を現したのは、レイ。

 いつものようにドラゴンローブを身に纏い、身の丈よりも巨大なデスサイズを手に、横にはグリフォンのセトを従え、ムエット、バスレロ、アシエといったシスネ男爵家の者達が後を追う。

 反対側から姿を現したのは、レイには見覚えのない人物。

 金属鎧を身に纏い、手に持っているのはハルバード。

 純粋に身体の大きさだけで考えれば、レイより頭一つ分……いや、それ以上の大きさの男。

 身体つきもレイと比べると筋肉で包まれており、レイの前に立っているその様子は、文字通りの意味で大人と子供のようにすら見える。

 ハルバードを持っているのとは逆の手には金属製の兜が握られており、男の迫力のある表情を見てとることが出来た。


「お、おい……誰だあいつ? ギルムにあんな冒険者いたか?」


 決闘を見学に来た冒険者の一人が、そんな対戦相手を見て周囲の知り合いへと声を掛ける。

 数年程ギルムで活動している男だったが、レイの前に立っているような男には全く見覚えがない。

 勿論ギルムにいる冒険者の全てを知っている訳ではないし、辺境だけに冒険者の入れ替えも多い。だがそれでも目立つ相手であれば名前なり、顔なりを知っていてもおかしくはない。

 貴族達の方でもエリエル伯爵家側が出してきた人物が誰なのかを噂しあうが、その名前や顔を知っている者はいなかった。

 ある程度以上の実力がある者は、冒険者や貴族に関係なく男がそれなりの使い手であることを理解する。

 そんな男の後ろを歩いてくるのは、キープやフルトス、それとお付きの騎士が三人。

 決闘が始まるまでの数日で、レイという人物がどのような人物かを知り、何とかレイを決闘の場に出さないようにシスネ男爵家を襲ってムエットを狙ったり、レイを買収して自分の味方に引き込もうとすらした。

 だがその全てが失敗し……結局こうして決闘の場へと引きずり出されてしまった。


「おい、フルトス。本当にあの男で大丈夫なのか? 確かに見た目は向こうに比べると勝っているが」


 キープは不安の表情を隠しきれず、隣のフルトスへと声を掛ける。


「大丈夫です。あの男はアブエロではそれなりに有名なランクB冒険者。幾らレイが異名持ちだとしても、同じランクBであれば……それに、いざという時の奥の手に関しては話したと思いますが」


 自信に満ちた表情でキープへと答えるフルトスだったが、その内心は心細いとしか表現出来ないものだった。

 今のところは何とか顔に出さずに済んでいるが、それもいつまでもつのか自分でも分からない。


(そもそも、同じランクB冒険者でもこれまで積み上げてきた実績が違い過ぎる。相手は一軍を個人で滅ぼすような奴だぞ? 確かにあのゼロスという男は、ランクB冒険者だけあって強いんだろう。だがレイに勝てるとは思えない。だとすれば、上手い具合に奥の手が決まればそれでよし。もし失敗しても……)


 不安そうな表情を浮かべているキープの方を一瞥し、小さく息を呑む。


(明確な責任者がいれば、私がいなくなっても追っ手が掛かるには時間が掛かる。もしかしたら追っ手を出さないという可能性もあるかもしれない。だとすれば、エリエル伯爵家の方から追っ手が掛かる前にどこか他の国に……幸い、キープ様のおかげで資金的な余裕はある)


 フルトスがその心中でいざという時にはキープを犠牲にしてでも自分が逃げ出すことを考えていると、やがて向かい合っていたゼロスがレイに向かって口を開く。


「お前がレイ、か。確かに外見だけではとても強そうには見えないな。けど、その大鎌も見せ掛けだけじゃないんだろう?」


 そう告げるゼロスだったが、レイを見る目に油断の類は一切ない。

 間違いなく自分よりも強敵だと、そう認識している顔だ。

 それでいながら、ゼロスの表情に浮かんでいるのは獰猛な笑み。

 強面のその表情から、凶悪と表現しても間違いではないだろう。


「……なるほど、どんな相手を用意してくるかと思えば、お前のような戦闘狂を用意するか。お前みたいな相手がいれば、少しくらい耳に入ってもいいんだが。ギルムの冒険者じゃないな?」

「正解。俺はアブエロの冒険者だよ。ランクB冒険者のゼロスだ」


 その言葉に納得の表情を浮かべるレイ。

 だが、それでも相手を見る目に油断はない。

 デスサイズを手にし、この決闘の見届け役でもあるダスカーが近づいてくるのを横目に、言葉を続ける。


「この決闘に参加したってことは、当然死ぬ覚悟も出来ている。そう思っていいんだよな?」

「はっ。死ぬ覚悟……死ぬ覚悟ね。確かにお前が強いってのは、こうして向かい合っているだけで分かるさ。けどな、だからといって勝つのがお前だと誰が決めた? これまで格上の者を多く倒して成り上がってきた俺だ。こんな場所で負ける気はねえ!」


 その叫びと共に、ゼロスはハルバードを大きく振るう。

 風そのものを砕くかのような一撃は、レイの目から見てもランクBと納得出来るだけの技量があった。


「あの貴族から話を聞いた時はこのハルバードで頭を叩き潰してやろうかと思ったけど、よくよく話を聞いてみれば深紅の異名持ちと戦えるって話じゃねえか。あの時程自分の我慢強さを褒めたいと思ったことはなかったな」

「……いや、全然我慢強くないだろ」


 ゼロスの言葉に思わず呟くレイ。

 そんなレイの言葉を聞き、近づいてきたダスカーが小さく笑みを浮かべながら口を開く。


「さて、ではこれより決闘を始める。勝負の結果は、どちらかが降参をするか、戦闘不能になるかだ。この決闘でレイが勝てばエリエル伯爵家の財産の半分がシスネ男爵家の物に、ゼロスが勝てばシスネ男爵家のメイドであるアシエの身柄がキープ殿のものになる。双方異論はないな?」


 ダスカーの言葉に、ムエットとキープはそれぞれ頷く。


「はっ、力尽くじゃなきゃ女を手に入れられないなんざ、みっともねえったらねえなぁっ!」


 その瞬間にどこからともなく響いたその声は、一瞬の後決闘場を笑いに包む。


「だ、誰だ今のはっ! 出てこい!」


 この場に集まっている者達の笑いものにされたキープは、少し前まで感じていた不安もあって、大きく叫ぶ。

 だが人混みの中から聞こえてきた声は、誰が発したのかを特定することは出来ない。


「おい、フロン。あまり茶々を入れるでないわい。折角の酒が不味くなるじゃろ」


 木で出来たコップに入っている酒に口を付けながら、ブラッソは相棒のフロンへと告げる。

 人混みに紛れている為に今の叫び声がフロンの仕業だと気が付く者は周囲の者達以外殆どいないだろうが、これで決闘が伸びれば折角の酒が美味く飲めない、と不満そうに告げる。


「う・る・せ・え。大体、何だあのキープとかいう男。女を口説くのにこんな大騒動を引き起こしやがって。男なら、親の金や権力を使わないで、自分の魅力で口説いてみろってんだ。……自分の魅力に自信がないから、こういう騒ぎになってるんだろうけどよ」


 フロンの言葉に、思わず周囲にいた者達が男女問わずに納得の表情を浮かべて頷く。

 若干嫌そうな表情を浮かべているのは、過去に自分の魅力以外のもので女や男を口説いた経験のある者だろう。

 もしこの言葉が貴族達のいる場所で言われたものであれば、色々と問題になっていたかもしれない。

 だが幸い、フロンやブラッソがいるのは一般人が集まって決闘を眺めている場所であり、それが問題になることはなかった。

 ……もっとも、問題にならないからと言って聞こえていないかどうかというのは別問題なのだが。


「静かに! キープ殿は自分の場所に戻って下さい」

「ラルクス辺境伯! 俺を侮辱した者をそのままにするつもりか!?」

「……キープ殿、もし戻らないようであれば、キープ殿本人が決闘を行うと判断しますが?」

「ぐっ……」


 ダスカーの言葉に、キープは悔しそうに唸りながらも元の場所へと戻っていく。

 自分がレイと戦うようになったら、それこそ決闘を理由に殺されてしまうという思いが強かったからだ。

 レイが自分を見る視線の冷たさを考えれば、決して杞憂という言葉で済ませていいものではない。


(くそっ、ギルムの者共め……皆で俺を馬鹿にしやがって。覚えていろ、この決闘が終わったらその態度を後悔させてやる!)


 内心の怒りを表に出さないようにしながらも、元の場所へと戻ったキープは黙り込む。

 もっとも、元々自分の感情を殺すことに慣れていないキープだ。

 とてもではないが、傍から見て怒りを押し殺しているようには思えなかった。

 護衛の騎士達は何とか自分達の主君の機嫌を直そうと言葉を探すが、今迂闊に何かを言えば自分達が責められるのが分かりきっているので口を開けない。

 普段であればこういう時はフルトスが場を取り持つのだが、今のフルトスは何を言う様子もない。

 騎士達はどうする、と目と目で意思を確認し合うが、実際にフルトスへと行動を促すよりも前に事態は動き出す。


「では、お互い準備はいいな?」


 その言葉に、レイはデスサイズを、ゼロスはハルバードを構えて向かい合い……


「これよりシスネ家とエリエル家による決闘を行う。……始め!」


 ダスカーが大きく手を振るうと同時に、周囲にいた観客達がそれぞれ歓声を上げる。

 同時にレイとゼロスはお互いの武器を手に一歩を踏み出し、相手との距離を縮めるべく動き出す。

 レイの顔には微かな笑みが、ゼロスの顔には獰猛な笑みが浮かんでおり、それがそれぞれの心境をこれ以上ない程に現していた。

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