第900話

 レイとゼロス。決闘の開始と共にお互いが取った行動は、相手との間合いを詰めるという意味では一緒だった。

 だが……それにも関わらず、レイとゼロスがお互いの武器をぶつけ合ったのは、中間よりもかなりゼロスに近い側。

 それは、レイの速度がゼロスのそれを大きく上回っていることを意味している。

 また、上回っているのは速度だけではない。


「ぐおっ!」


 デスサイズとハルバードがぶつかり合った瞬間、ゼロスが持ち堪えられたのはほんの一瞬に過ぎない。

 武器同士がぶつかった次の瞬間には、ハルバードが大きく弾かれていた。

 ゼロスがデスサイズの動きを受け流す為に行われた……という訳ではないのは、武器を弾かれたゼロスの表情を見れば明らかだろう。

 信じられない、と。今何が起きたのか理解出来ないといった表情を浮かべるゼロス。

 それでも、次の瞬間には驚愕から歓喜に表情を変えたのは、本人の戦闘を好む性格もあるだろうし、何よりレイについて流れている噂が決して誇張されたものではなく、事実であるというのを理解した為だろう。


「重い、強い、速い! 凄いな、お前!」


 レイに対して絶賛の声を上げながら、ゼロスは大きく弾かれたハルバードを手元に戻す。

 デスサイズの重量は見かけよりも遙かに重く、百kg程度。

 それだけの重量の武器を、レイは自分で持つ分には重量を感じさせないというデスサイズの特殊能力を利用して大きく振るう。

 寧ろレイ自身の人外染みた筋力により、振るわれたデスサイズの一撃とぶつかり合ってもハルバードを弾かれただけで吹き飛ばされなかったゼロスは、ランクB冒険者に相応しい力量を持っていると言ってもいいだろう。

 強面の顔が、無邪気なまでの笑みに彩られる。

 称賛の言葉を贈られたレイもまた、デスサイズを手元に戻しながら感心したように呟く。


「まさか、デスサイズと打ち合って武器を手放さないとはな。中々にやる」


 お互いがお互いを褒め称えているが、それでも今の一合でどちらの方が有利なのかというのは、これ以上ない程明確になった。

 速さと力、その両方でゼロスよりもレイの方が上回っていると。

 それを見て、面白くないキープは力の限り叫ぶ。


「ゼロス、しっかり戦え! 何の為にお前を雇ったと思ってるんだ!」


 キープの声が聞こえたのだろう。ゼロスの表情は一瞬前の歓喜から眉を顰めたものへと変わる。

 当然ながら、ゼロスはキープに対する忠誠心や恩義のようなものは一切存在しない。

 今回雇われたのも、キープに心酔したといった内容ではなく、純粋にレイという存在と戦えるからというのが大きい。

 以前から噂だけは聞いていた、深紅という異名を持つレイの力をその身で体験したかったからこそ、キープのような気にくわない相手に雇われたのだ。

 だというのにキープの戯れ言を聞かされ続けて鬱憤が溜まり、それをレイと戦ったことでようやく解消しつつあるところで野暮な口出しをされれば、ゼロスのような人物に我慢出来る筈もない。


「黙りやがれ、この下種野郎が! 自分で戦うつもりもねえくせに、人の戦いに茶々いれてんじゃねぇっ!」

「ひっ! ……きっ、貴様ぁっ! 誰に向かって口を利いているつもりだ!」


 ゼロスの口から出た怒声に一瞬怯えの表情を見せたキープだったが、すぐにそれをなかったことにするかのように怒鳴り返す。

 決闘が始まる前の騒動もあって、既にギルムの住民……どころか、周囲にいる貴族――国王派の貴族を含め――すらキープへと向ける視線には呆れ、嘲笑、落胆、怒りといった視線が入り交じっている。

 自分は他人に敬われる存在であると、そう思い込んでいるキープだけに、そのような視線を向けられるのは我慢がならなかった。

 周囲に向け、再び何かを怒鳴ろうとしたところで……


「キープ殿、いい加減にしろ! これ以上決闘の邪魔をするというのであれば、そちらの試合放棄とみなすぞ!」


 ダスカーにそう言われれば、それ以上叫ぶ訳にもいかない。

 この決闘で負け……更に契約書通りにエリエル伯爵家の財産が渡ってしまえば、自分がどうなるのかは想像するのも難しくはないのだから。

 一応奥の手は用意してあるが、それを使うのは危険なのも間違いない。

 最善なのは、ゼロスがレイに勝つことなのだ。

 そうすれば、全てが上手くいく……と、そう思い込んでいるキープとしては、ここで試合放棄とされる訳にはいかない。

 不満そうな表情を隠そうともせず、それでも不承不承黙り込んだキープは、憎しみすら感じられる視線をレイとゼロスの方へと向ける。

 ……もっとも、レイにしろゼロスにしろ、そんなキープの視線は全く気にせずにお互いの武器を手に向かい合っていたのだが。


「さて、くだらねえ茶々で戦いは中断しちまったが……続きといこうか」

「……何だってお前はこんな下らない仕事を受けたんだ? 俺と戦いたいだけなら、それこそ普通に訪ねてきて模擬戦なりなんなりを希望すれば良かっただろうに」


 ゼロスの考えが理解出来ないと、デスサイズを構えながらレイは尋ねる。

 その言葉を聞いたゼロスは、レイと同じようにハルバードを構えながら、少しでも攻撃の隙を探すようにして言葉を返す。


「俺がやりたいのは、模擬戦なんかじゃねえ。自分の命すら落とし兼ねない、本気の勝負だ。それをやるには、こうするのが一番いいと思ったんだよ」


 レイがあからさまに見せた隙に攻撃したくなる気持ちを、何とか堪えるゼロス。

 その隙に攻撃を行えば、間違いなくカウンターを食らって自分が致命的な一撃を受けるだろうというのは理解出来た。

 ……だが、それでも他に全く隙のない、それこそどこに攻撃してもあっさりと対応されそうなレイのあからさまな隙を見つけると、そこに攻撃したくなる衝動を堪えるのは非常に忍耐を必要とする。


「別に決闘じゃなくても、本気で勝負をして欲しいと言われれば、それを受けるくらいはしても良かったんだけど……な!」


 その言葉と共に、一気に前に出るレイ。

 そのまま真っ直ぐゼロスとの間合いを詰めながら、手首を返してデスサイズの石突きを槍のように突き出す。

 移動速度とレイ自身の槍を突き出す速度が合わさり、ゼロスが気が付いた時には既に石突きは自分の身体へと当たる直前だった。

 ゼロスが致命傷を負わないように頭部ではなく胴体を狙ったレイの一撃だったが、それは逆に身体の中で最も回避しにくい部分でもある。

 ハルバードを手元に戻して弾くには既に遅く、ゼロスに出来ることは胴体を捻って何とか石突きの一撃を回避するだけだった。

 ギャリィッ、という音が周囲に響く。

 ゼロスの胴体を覆っていた金属の鎧と、デスサイズの石突きが擦れる金属音。


「ぐぶぉっ!」


 石突きの攻撃そのものは大きなダメージを受けず回避に成功したものの、デスサイズの重量を考えれば完全に回避しなければレイの攻撃は大なり小なりダメージを与える。

 今も、デスサイズの石突きは金属鎧に掠っただけではあったが、その重量故にゼロスは大きく吹き飛ばされていた。


「くっ、痛ぅっ! ったく、冗談じゃねえ。これで本当に俺と同じランクBかよ!? 異名持ちってのはこんなんばっかりか?」


 吹き飛ばされつつ、それでも完全に倒れる前に体勢を立て直しながら呟くゼロス。

 石突きの当たった左脇腹へと手を伸ばすと、金属鎧が大きくへこんでいるのが理解出来た。

 これにまともに当たっていれば……と、考えると、ゼロスの身体に襲ってきたのは恐怖……ではなく、歓喜。

 自分が最強だとは到底思っていなかったゼロスだったが、それでもこれ程に強い相手が……それこそ化け物と表現してもいい人物がいたのかと。

 そんな化け物の前に自分は今立っているのだと。


「は……ははっ、はっはっはっはっは!」


 周囲に響くゼロスの笑い声。

 そんな笑い声に、観客達の何人かは不気味なものを感じる。

 だが、その笑い声が向けられているレイは、全く動じた様子もなくゼロスを見据えていた。

 同じような……いや、これよりももっと強烈な鬼気を放つ笑い声を聞いたことがある為だ。

 ノイズと比べれば、この程度の鬼気はそよ風のように涼しい。

 そんな笑い声を浴びながら、周囲へと視線を向けるレイ。

 そんな中、自分を不安そうに見つめているバスレロの様子に気が付き、この決闘を終わらせようと判断して口を開く。


「さて、お前も満足したようだし……そろそろこの決闘を終わらせるぞ?」

「はっ、まだだ……俺はまだ満足しちゃいねぇっ!」


 金属の鎧をへこませる程の衝撃は、ゼロスの脇腹に鈍痛を残している。

 それでもまだゼロスは戦いに満足していないと、意気も揚々に叫ぶ。

 そんなゼロスを見たレイはデスサイズを肩へと担ぐ。


「あ?」


 何をしている? そんな意味を込めて呟かれるゼロスの言葉。

 それも当然だろう。これからまだまだ戦いを行うと言っているのに、何故かレイはデスサイズを構えるでもなく肩に担いだのだから。

 勿論その状況であっても、攻撃は出来るだろう。それこそレイのような圧倒的な実力者であれば、肩に担いだ状態からでも十分に威力があり、速度の乗った一撃を放つことが出来る筈だ。

 だが……それでも、ゼロスの目には何かが異様に映った。

 それは観客の中にいる、一定以上の技量を持つ者達も同様だった。

 冒険者、騎士、兵士、傭兵……そのような者達は、戦いを終わらせると告げたレイがする構えとしては違和感を抱く。


「やれっ! 自分が有利だからと油断してるんだ! その隙を突け!」




 そんな中、キープの声が周囲に響くが、その声に賛同する者は殆どいない。

 そうして……再びレイが指に嵌まっていた指輪を抜き取りながら口を開く。


「目を見開いて、決して気を緩めるなよ。そんな真似をすれば……お前の意識はすぐに消える」


 何を?

 レイの言葉にゼロスがそう返そうとした瞬間、それは起きた。

 轟っ、と。

 音がした訳ではない。だが、確実にそんな音がゼロスに……そして周囲にいる観客達に聞こえたような気がした。

 そして気が付けば、レイは赤い何かに包まれている。

 この場にいた魔力を感じ取ることが出来る能力を持つ者数人が、腰を抜かして地面へと尻餅をつく。

 レイの身体を覆っていたのが、可視化出来る程に濃縮された魔力であることを理解した為だ。


「なっ、何だ……お前、何をした!?」


 目の前に立っているレイから感じる迫力に、ゼロスは叫ぶ。

 腰を抜かしたりしなかったのはランクB冒険者であれば当然だったかもしれないが、それでも完全に気圧されていた。


(へぇ……炎帝の紅鎧を使ったレイさんを目の前にして、それでも口を動かすだけの余裕があるのね)


 そんなゼロスを、ヨハンナは驚きの視線で見つめていた。

 ベスティア帝国の内乱時に、嫌という程に自分達はあの状態のレイの前に立たされた。

 もっとも、その時はまだ炎帝の紅鎧まで昇華はしておらず、覇王の鎧だったのだが。

 そんな経験があったからこそ、ヨハンナは炎帝の紅鎧を展開したレイを見てもまだ考える余裕が出来ている。

 ……もっとも、決闘が始まってからはずっとセトを見ていたのが、レイが炎帝の紅鎧を発動してようやくそちらに視線を向けたのは近くにいるレントしか知らない。


「あれ……あれ、一体何なんだ……」


 ヨハンナと一緒に祭りを回っていたレントが、後退ろうとして後ろにいる他の観客にぶつかって動きを止め、呟く。

 レントがレイと行動を共にしたのはほんの少し前で、その期間も短い。

 ガメリオン狩りの件でレイに接触したのが初めてであり、レイの噂は聞いていたがその実力をここまではっきりと見たことはなかった。

 いや、ガメリオン狩りで斬撃に強い耐性を持つガメリオンを一刀両断したりというのは見たが、今目の前で広がっているのはそれとは比較するのも愚かしい程に圧倒的な光景だった。


「覇王の鎧よりも強力なスキルなのに、それをいきなり見せられちゃ……ああなってもしょうがないわね」


 余裕があるかのように呟いているヨハンナだが、そのヨハンナにしても炎帝の紅鎧を何度か見たことがあるが故に……そして何より、覇王の鎧を幾度となく見ているおかげで持ち堪えられているに過ぎない。

 もし初めて炎帝の紅鎧をその目で見れば、腰を抜かさないような自信はなかった。

 周囲で見ている観客達の多くも、その殆どがレイから受ける迫力を前に言葉を発する者は殆どいない。

 そんな中、決闘の審判としてレイの近くにいるダスカーは、炎帝の紅鎧を展開したレイを前にしながらもまだ幾らか余裕を持っていた。

 レイを信頼しているというのもあるし、暴発して周囲に被害を与えるようなスキルをレイが使う訳がないという思いもある。

 そのままレイとゼロスの動きを見逃さないようにしながら、ふと異臭を嗅ぎつけ、その異臭の方へと視線を向けると、そこでは腰を抜かし、更には漏らして地面を濡らしているキープの姿があった。


(ようやく本気で自分がどんな相手に喧嘩を売ったのかを理解した……って様子だな)


 哀れみを覚えるダスカーを余所に、ふと気が付けばレイの姿は先程の位置から消えており、ゼロスのすぐ後ろにあった。

 デスサイズをゼロスの首へと突きつけているその様子は、何が起きたのかダスカーにも全く理解出来ない。

 炎帝の紅鎧を発動した時に使える、目にも留まらぬ速度での移動。

 それを行ったのだが、その移動速度を見た者はほぼ皆無と言っても良かった。

 かろうじて、ランクA冒険者がその動きを目で追えたくらいか。


「さて、どうする?」


 レイの言葉に、ゼロスは首に突きつけられたデスサイズの巨大な刃を目にし、小さく溜息を吐いて口を開く。


「降参だ」


 ゼロスの口から敗北を認める言葉が出た瞬間、ダスカーは我に返って叫ぶ。


「勝負あり! この決闘、シスネ男爵家側の勝利とする!」

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