第892話

 その日、いつものように執務室で書類を処理していたダスカーは、部屋に入ってきた執事から告げられた内容に胡乱げな眼差しを向ける。


「本当か、それは」

「はい。キープ様とムエット様、お二人が来ています」

「……あのクソ貴族が。また厄介事を起こしやがって。これで何度目だ?」

「それと、レイ様も……」

「は? レイ? 何だってレイが来るんだ? ……ちっ、あのクソ貴族、レイを巻き込みやがったのか? つくづく面倒な真似をしてくれるな。一応聞いておくが、キープに怪我は?」

「特にありません。健康そのものです」

「嬉しいのか、嬉しくないのか、分からんところだな。いっそ手足の一本でも切断されていれば大人しくなったんだろうに」


 ダスカーは苛立たしげに吐き捨てる。

 キープがギルムにやって来てから、まだそれ程経ってはいない。

 だが、その短い時間の間にキープは幾度となく騒ぎを起こしていた。

 その度に警備兵や騎士、更にはダスカーまでもが手を煩わせられる。

 これが、もし何の後ろ盾もないただの貴族であれば、そこまで気を使う必要はない。

 しかし国王派の貴族により牽制の為に送り出されてきた貴族だ。

 もし下手な真似をした場合、そこを突かれることになるのは確実だった。

 そして、何より致命的なのがそこにレイが関わっていることだろう。

 ダスカーには友好的に接している相手だが、それはダスカーが貴族としては例外的な程に型破りだからというのもあるし、レイを優遇しているからというのもある。

 だが、基本的にレイの性格は苛烈と言ってもいい。

 春の戦争でも貴族派の貴族を相手にして、レイは躊躇なくその力を振るっている。

 そんなレイと、典型的な悪徳貴族のキープが出会えばどうなるのか。

 そういう意味では、キープがまだ怪我の一つもしていないのは僥倖と言えるだろう。


「ったく、牽制にしてもあんな愚物を送ってくるってのは、何を考えてやがるんだ? クエント公爵辺りならもう少し適切な人物を送ってきてもおかしくない。ってことは、多分国王派の跳ねっ返りだろうな」


 国王派と一口に言っても、ミレアーナ王国の中でも最大の派閥だ。

 それだけに、国王派という派閥の中でも更に幾つかの勢力に別れている。

 恐らくその利害関係により、キープのような者が送られてきたのだろうと予想していたダスカーだったが、それで現状がどうにかなる訳ではない以上、今は現実逃避にしかならない。


「まさかシスネ男爵に目を付けるとはな。まぁ、いい。ここまで来た以上は俺が会わない訳にもいかないだろ。特に奴の場合は俺を格下に見ているし」


 本来なら伯爵と辺境伯では辺境伯の方が爵位は上だ。

 更にキープはエリエル伯爵家の次期当主でしかなく、ダスカーはラルクス辺境伯家の現当主だ。

 その辺を考えるとキープがダスカーに対して強く出られる筈もないのだが、本人はそのようなことを全く気にせず、自分がダスカーよりも格上として対応していた。


(つまり、国王派……というか、あの馬鹿を送ってきた奴は俺に手を出させたい訳だ。厄介な真似をしてくれる)


 内心で溜息を吐きつつも、いつまでもここでじっとしている訳にはいかない。

 そのまま立ち上がり、秘書に案内されて応接室へと向かう。

 そうして応接室へとやって来たのだが、そこにいる者の姿を見て小さくだが安堵の息を吐く。

 レイとキープという最悪の組み合わせだ。執事から特に怪我をしている様子はないと聞かされてはいても、実際にその目で見るまでは安心出来なかったからだ。

 この辺、ダスカーはレイという人物のことを良く理解していると言えるだろう。

 改めて応接室の中へと視線を向けると、キープの側には太った男と騎士が三人おり、ムエットの側にはレイとメイドが一人いる。

 部屋を用意した執事が気を使ったのか、応接室にあるソファは離れた場所にそれぞれ用意されていた。

 部屋の中に入ってきたダスカーを見たキープは、傲慢な笑みを浮かべて立ち上がって口を開く。


「おお、ラルクス辺境伯。ようやく来てくれたのか。俺を待たせるというのは感心しないが、今はいい。それよりも是非話を聞いてくれ」

「待ってくれ、キープ殿。少し落ち着いてくれ。……紅茶の用意を頼む」


 自分を見るなり要望を突きつけようとしたキープを一旦やり過ごし、ダスカーは執事へと紅茶を持ってくるように命じる。

 そうして執事が部屋を出て行くのを見送り、改めてダスカーはその場にいる者達へと向かって口を開く。


「さて、本来なら紅茶を飲みながら話を聞きたいところだが、どうやらそんな余裕は余りないらしい。改めて話を聞こうか」

「うむ。簡単に言えば、俺とそこの貧乏男爵がそのメイドを賭けて決闘をすることになった。ラルクス辺境伯にはその決闘に対しての法的な手続きを頼みたくてな」

「……何?」


 キープの言葉に、ダスカーはムエットの方へと視線を向ける。

 ダスカーの知っているムエットは気弱な男だったが、今は毅然とした態度を示していた。

 メイドはそんなムエットの側で多少不安そうにしながらも控えており……


(レイ、か)


 最後にダスカーの視線はムエットの護衛だとでも言いたげにその後ろに立っているレイへと向けられる。

 キープの背後に控えている騎士達が時折レイへと向けて険悪な視線を向けているのは、レイの性格を考えれば何となくその理由は理解出来た。


「法的な手続きだよ。この貧乏男爵がいざ自分が負けたら醜い言い逃れを出来ないよう、きちんとしておきたい」

「……なるほど」


 頷きながらも、ダスカーの心中を正直に言い表せば『正気か、この男』だった。

 ムエットの側にレイがいるということは、つまりレイはムエットに味方をするという意思表示に間違いない。

 もしレイを敵に回して戦うとするのであれば、レイと同ランクのランクB冒険者では足りない。

 ランクA冒険者……それも雷神の斧の異名を持つエルクと同程度の相手を連れてくる必要があるだろう。

 だがそのような人物が、キープという悪い意味で典型的な貴族に味方をするかと言われれば、ダスカーは首を傾げざるを得ない。


(何か勝つ為の策でもあるのか? まさか、ギルムにいてレイの存在を知らない訳がないだろうし)


 自信満々のキープの姿を見て、ダスカーは不思議に思う。

 もっとも、初対面でレイを深紅の異名を持つ冒険者だと見破るのは、デスサイズやセトの存在がなければ難しい。

 そしてキープがレイを見た時にはセトの姿はレイの近くに存在せず、レイが領主の館にやって来ようとした時にもムエットの屋敷で待ってるように言い聞かせてからやって来たので、キープを始めとする者達は本気でレイがどのような人物なのかは気が付いていなかった。

 そしてキープに従っている騎士を相手にしてデスサイズが必要な訳もなく、その大鎌の出番もまたない。


「どうしたんだ? 法的な手続きだよ、ほ・う・て・き・な・て・つ・づ・き!」


 一言ずつに力を入れて促してくるキープに内心苛立ちを覚えたものの、怒鳴りたくなる衝動を何とか堪えてダスカーは口を開く。


「それで、ムエットはその決闘に同意しているのか?」

「ええ。正直、僕自身は戦いに自信がありませんが、彼が私の代理人として戦ってくれると言うので」

「……なるほど。キープ殿も決闘に同意すると?」

「勿論だと言っているだろう? それより手続きの方を早くしてくれないか」

「では、次にお互いが相手に要求する物を」


 苛立ちを堪えてダスカーが告げると、キープは待ってましたとばかりに口を開く。


「俺が勝ったら、そこのメイドの女を貰う。俺が負けたら、エリエル伯爵家の財産の半分を譲る。そうだな?」

「はい」

「……は?」


 キープの言葉に、ムエットが頷く。

 そこまでは問題がなかったのだが、その言葉に間の抜けた声を出したのはダスカーだった。

 もしかして聞き間違いだったのでは? そんな一縷の望みを胸に口を開く。


「キープ殿が負けたら、エリエル伯爵家の財産半分を譲る、と言ったように聞こえたのだが、俺の聞き間違いか?」

「いや、合っているぞ。その通り。身分の卑しい貧乏男爵を決闘に引き出すんだ、その程度の餌は必要だろう? それにどうせ俺が勝って支払う必要がないんだ。全く問題ない」


 キープの口から出た言葉に、最初に我慢出来なくなったのはムエット……ではなく、その後ろで控えているアシエ。


「先程から、幾ら爵位が下でも少し失礼ではないですか? 貴方は確かに伯爵家の血に連なる方かもしれません。ですが、結局はまだ当主でも何でもない筈です。男爵である旦那様に向かって嘲弄するような言動は慎んで貰えませんか?」

「……ほう? エリエル伯爵家次期当主たる俺に向かって、メイド風情がよくも偉そうなことを言う。だが、そんな女だからこそ俺の物にした時に躾がいがある。寛大な俺に感謝しろよ?」


 下卑た視線、という言葉をそのまま現したかのような視線でアシエを眺めていたキープだったが、やがて不愉快そうに眉を顰めるアシエの表情に満足したのだろう。再び視線をダスカーへと向ける。


「で、ラルクス辺境伯。いつまで俺はこうしていればいいんだ? 早いところ書類を作ってくれないか?」

「確かにキープ殿はエリエル伯爵家次期当主として登録されている以上、その財産をある程度自由に使うことが出来る。だが、それでも財産の半分を当主に断りもなしで決闘に賭けるというのは、不味いのではないか?」

「はっ、何を言ってる。さっきも言ったが、俺がこんな見窄らしい貧乏貴族に負ける訳がないだろう。安心しろ、その賭け金はあくまでもその男が逃げないようにする為のものだ」


 自分の勝ちを微塵も疑っていないキープだったが、その隣に控えているフルトスは迷いつつも口を開く。


「キープ様、幾ら何でも財産の半分というのは旦那様に了承を得る必要があるのでは……それに、相手は所詮メイド一人です。とてもではありませんが、財産の半分も賭けるような価値は……」

「何だ、フルトス。お前は俺がこんな男に負けると思っているのか?」

「いえ、勿論そんなことは思っていません。ですが……」

「くどいっ! 俺がやると言ったらやるんだよ! さぁ、ラルクス辺境伯! 書類を!」

「……最後の確認だが、本当にエリエル伯爵家の財産の半分を賭ける、ということでいいのだな?」


 ダスカーの言葉に、キープは即座に頷く。

 それを確認してから、ダスカーは書類へとペンを走らせる。

 本来であれば、ダスカーはキープにレイの正体を告げるべきだったかもしれない。

 勿論それは義務ではなく厚意で行われるものである以上、ダスカーが話さなかったからと言って責められることはない。

 レイ本人を目の前にして、それでもキープは自分の勝ちを確信していたのだから。

 また、ダスカー個人の感情で言えば、この勝負を本気で止める気はなかった。

 ここまで形式に則って決闘の手続きをした以上、もし負けてしまえば間違いなくエリエル伯爵家は面子が潰れるだろう。

 更に財産の半分を譲渡するときちんと書類として残している以上、負けた時にも言い訳は出来ない。


「では、それぞれ血判を。それを以てこの決闘についての法的な手続きは完了する」


 書類にそれぞれの賭ける物を書き記し、ムエットとキープはそれぞれ渡されたナイフで小さく親指を切って書類へと血判を押す。

 そして二人が血判を押した瞬間、書類は微かな緑の光を放つ。


(こうして書類に血判を押してしっかりした形式も整った。こうなっては、既に決闘を投げ出すことは出来ない。そんな真似をすれば、不戦敗として相手に自分の賭けた物を無条件で渡さなくてはならないからな)


 厳かな表情でその場にいる者達を見据えながらも、ダスカーの内心はしてやったりと喝采する。

 問題行動ばかりを起こして、幾度となく自分の手を煩わせてきたキープを合法的にギルムから追い出せる算段が立った為だ。

 もしキープが決闘で勝てば話は別だが、レイがいる以上それはまず有り得ない。

 つまり、この決闘が終わればキープはエリエル伯爵家の財産の半分を用意する為に自分の領地へと戻らねばならない。

 もっと簡単な物――例えば金貨や宝石――であれば、手紙でエリエル伯爵である自分の父親に用件だけを告げれば何とかなるだろう。

 だが、財産の半分ともなれば決闘を受けた本人が家に戻らざるを得ない。


(まぁ、こいつがいなくなっても、すぐ次の奴が送られてくるんだろうが……)


 数秒前の興奮が薄れていくのを感じながら、それを表情に出さずに口を開く。


「さて、これで条件は整った。それぞれの代理を用意する期間も必要だろう。決闘の日時に関しては……そうだな、五日後に騎士団の訓練場で行うということで構わないか?」


 ダスカーの言葉に、キープは自信の勝利を確信した笑みと共に頷く。

 ムエットもまた、真面目な表情を浮かべたまま頷く。

 こうして二人が頷いたのを見て、ダスカーは宣言する。


「では、今日から五日後の……午後一時にこの館にある騎士団の訓練場にて決闘を行う。それぞれ代理は一人のみ。勝負は、相手が降参するか、戦闘不能になるか……命を失うかで決着とする。勝者はそれぞれ相手の賭けた物を自分の物とする権利を得る。異論は?」


 ダスカーの言葉に誰も異論がないのを確認し……


「では、これにて決闘の条件は整った。それぞれ悔いのないような行いをするように」


 そう告げるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る