第864話

「これがこのダンジョンの入り口か」

「グルゥ」


 レイの言葉に、ダンジョンの近くまで一緒に来たセトが残念そうに喉を鳴らす。

 レイがダンジョンに入っている間は外で待っていると決めたセトだったが、それでもやはりこうしてダンジョンの入り口を間近で見てしまうと、レイと一緒に中へ入れないのを残念に思うのだろう。

 寂しい、と頭を擦りつけてくるセトの相手をしながら、レイはダンジョンの入り口へと視線を向ける。

 巨大な岩が左右に立っており、そこにもう一つの岩が屋根のように上に置かれている様子は、ダンジョンの入り口というより岩の隙間といった方が正確だろう。

 その隙間も相当に狭く、何も武器を装備していないレイでようやく中に入れる程度だ。

 セトのスキルでもあるサイズ変更を使ったとしても、試す前からこの中に入るのは無理だと断言出来るような狭さ。

 いや、寧ろセトどころか、背の高い冒険者であれば中に入るのは難しいだろう。


「確かにこれは狭いな……」

「だろう? まぁ、おかげで出てくるモンスターも弱くて小さい相手だけで、更に少しずつって風になってるんだけど」

「それなら、別にここで待ち伏せていなくてもいいんじゃないか? 放っておけば他のモンスターに殺されるだけだろうし」


 ここは辺境であり、多種多様なモンスターが闊歩している場所だ。

 特に夜ともなれば高ランクモンスターが出てくることも珍しくなく、ゴブリンが出てくる程度であれば問題はないだろうと。

 そんなレイの疑問に、ランガは首を横に振る。


「ここは街道からそんなに離れてないからね。今の時期はもう街道を使う人は少なくなっているけど、それでも皆無って訳じゃない。ここから出たモンスターがそっちに向かうかもしれないし、またダンジョンだと何が起こっても不思議じゃない。それを考えると、放っておくことは出来ないよ」

「ダンジョンの成長、か」

「そうだね。その辺を考えると、どうしても警戒は必要なんだ」


 その言葉と共に、ランガは期待の視線をレイへと向ける。

 レイがどれだけの力を持っているか分かっているからこそ、出来ればこのダンジョンを攻略して欲しいと思っているのだろう。

 そんな視線に、レイは頷きを返す。


「確実にという訳じゃないけど、出来るだけのことはさせて貰うよ。幸い、俺は食事とかに困ることはないしな」


 ミスティリングの中には、大量の食料が入っている。

 ……その食料の中には、この数日でレイがギルムの屋台で買った物も多く含まれているのだが。


「時間がどのくらい掛かるか分からないから、もし腹が減ったら適当にモンスターを倒して食べてくれるか?」

「グルゥ!」


 大丈夫! と喉を鳴らすセトの頭をそっと撫で、レイはランガに視線を向ける


「じゃあ、取りあえず中に入ってくる」

「気をつけて」


 短く言葉を交わし、レイ一人がようやく入ることが出来る岩の隙間を通り抜け……


「グギャ?」


 その瞬間、地下へと続く階段から上がってきた存在と間近で顔を突き合わせる。

 正確には向こうは階段を上がってきたので、頭一つから二つ分程レイよりも下にあるのだが。

 レイと顔を突き合わせた相手にしても、完全に予想外の展開だったのだろう。何が起きたんだ? とでも言いたげに小首を傾げる。

 だがその顔は醜く、とてもではないが小首を傾げてもセトのような愛らしさは感じられない。

 ……当然だろう。レイと顔を突き合わせたのは、モンスターの中でも最も有名なうちの一種、ゴブリンだったのだから。


「……うおっ!」


 レイもまさかいきなりゴブリンと顔を突き合わせることになるとは思っておらず、一瞬沈黙するものの、すぐに驚きの声を上げて反射的に拳を振るう。

 肉を叩き、骨を折る生々しい音が周囲に響き、レイのすぐ側にいたゴブリンは顔面を陥没させながら階段を落ちていく。

 更に今レイが殴ったゴブリンの後ろにはまだ数匹のゴブリンがいたらしく、階段の上から吹き飛んできたゴブリンと共に地下へと続く階段を転げ落ちる。


「ギャブブブブブ!」

「ギョアアア!」

「ジャニャアアアアア!」


 そんな声を上げながら目の前から姿を消したゴブリンを眺めていると、不意に後ろから声が聞こえてきた。


「レイ君、どうしたんだ?」


 ゴブリンの悲鳴が聞こえたのだろう。岩の隙間からランガが顔を覗かせながら尋ねる。

 そんなランガに対し、レイは何でもないと首を横に振る。


「ここに入ったら、丁度ゴブリンが出てくるところだったんだ。で、反射的に殴ったら落ちていった」

「……何ともご愁傷様」


 苦笑を浮かべつつ告げてくるランガに、レイが先程ゴブリンを殴った拳を軽く振ってから溜息を吐く。


「ま、こういうダンジョンだってのは聞いてたし、しょうがないさ。じゃあ、今度こそ行ってくる」

「気をつけて」


 先程と同じ言葉を背中に受けながら、レイは階段を下りていく。

 石を削って作ったかのような階段であり、人間が作ったのではなくダンジョンの核がダンジョンを生み出した時に作られた代物だ。


(ダンジョンってのは、そう考えると色々と凄いよな。地形操作のスキルを貰えることが出来るのも当然か。……このダンジョンの核はセト行きだけど)


 一分も掛からず階段を降りきると、階段を転げ落ちたせいで死んでいたゴブリンはそのままにし、先へと進む。そうしてレイの前に現れたのは石造りの通路。

 石そのものが薄らと光っており、視界に困るようなことはない。

 もっとも、レイの場合は暗い場所でもある程度見ることが可能なのだが。

 だが、その通路を見た瞬間にレイは眉を顰める。

 その通路が、人間二人が並ぶのがやっとの幅しかなかったからだ。

 明らかにデスサイズを振るうような余裕はなく、出来るとすれば石突きの部分を槍として使うくらいか。

 だが、それなら最初から突くのに向いた槍を使えばいいだけだ。


「有効なのは槍と短剣くらいか? ……槍でいいか」


 長剣を振るうのなら出来そうだが、そもそもレイは長剣の扱いはそれ程得意ではない。デスサイズや槍といった長物の方が性に合っていた。

 ミスティリングのリストから取り出したのは、帝都からギルムに戻ってくるまでの間に倒した盗賊から奪った槍。

 質のいい槍とは言えないが、それでもゴブリンを倒すのに使う分には問題ない。

 そうして槍を手にして石造りの通路へと一歩踏み出し……ふと、レイの脳裏を疑問が過ぎる。


「確かオーガが現れたって話だったよな? ……この通路でか?」


 エルジィンの住人としては小柄な自分が、二人並んで歩ける程度の横幅。高さは三m程度とそれなりに高いが、それでもオーガにしてみればこの中で歩くのは無理だろう。


「聞いてきた方がいいな」


 呟き、槍を手にしたまま来た方向へと戻り、階段を上る。

 そうして岩の隙間から顔を出すと、部下に指示を出しているランガの姿があった。


「グルゥ」


 レイの姿を見たセトが嬉しそうに喉を鳴らし、その声でランガもまたレイの姿に気が付く。


「レイ君? 何かあったのかな?」

「ギルムで集めた情報だと、ダンジョンの中にはオーガがいるって話だったんだけど……あの通路だと、オーガはとてもじゃないけど自由に動けないんじゃないのか? で、その件で何か知ってたら教えて欲しいと思って」

「ああ、オーガね。ダンジョンの中にはある程度広い部屋のようになっている場所とかがあるんだよ。オーガと戦ったっていう人は、多分そこで戦ったんだろうね。まぁ、オーガは身体が大きいせいでそこから出てくることはないけど」

「なるほど。助かった」


 それだけ言葉を交わすと、セトに軽く手を振ってから再びレイはダンジョンの中へ入り、階段を下りていく。

 既に目に入っていないかのようにゴブリン数匹の死体の横を通り過ぎ、再び石畳の通路へと。

 数分前に見た狭さはやはり変わらず、微妙に嫌そうな表情を浮かべながら進むと……


「ギギギギ?」

「ギャギョ」


 再び、どこか聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 その声に面倒臭そうに眉を顰めるレイ。

 だが、入り口からここまでが一本道である以上はここで引き返しても意味はない。

 槍を手にしてそのまま進む。

 すると、ダンジョンの薄らとした明かりの中でやがて見覚えのある姿が見えてくる。

 つい先程聞こえていたその声の持ち主は、当然ながらゴブリン。その数は二匹。

 手に持っているのは、錆びた短剣と木の枝を折っただけの棍棒だ。


(そう言えば、さっきのゴブリンは何を持ってた? まぁ、ゴブリンが持っている武器なんだし、集める意味はないか)


 考えながらも槍を構え、レイを見つけたゴブリンが声を上げながら襲い掛かってくるのを待ち受ける。


「ギャガギャガ!」

「ギョジョジョギョ!」


 ゴブリンの体格は小さく、レイよりも尚小さい。

 つまり、この通路でも動きに困ることなく戦闘が出来る。


「……ま、だからってゴブリン如きが何匹集まっても意味はないけどな」


 呟きと同時に放たれたのは、二条の閃光。

 レイの身体能力によって一瞬の間に二度放たれた突きは、ゴブリンの額を貫通し、同時に頭部を爆散させる。

 ゴブリン二匹は走ってきた速度のまま数歩進んで転び、頭部のない状況で石畳に血や脳髄、骨や眼球といったものを撒き散らかした。

 後方へと跳躍してそれを回避したレイは、周囲に漂う悪臭をこれ以上嗅ぎたくないと、スレイプニルの靴を使用して空中を歩き、ゴブリンの死体を跳び越える。


「せめて、未知のモンスターが出てきてくれればな。まぁ、ゴブリンがメインのダンジョンなんだから魔石に関しては期待出来ないけど、それでももしかしたら……というのもあるし」


 ダンジョンを歩きながら進んでいくと、やがてT字路へと行き着く。

 どちらに進むか迷うこと数秒。

 だが、その迷っている間に右から足音が聞こえてくる。……更には左側からも。

 そうして姿を現したのは、右からは三匹のゴブリン。左からは二匹のゴブリン。

 合計五匹のゴブリンが姿を見せたのだが……


「邪魔だ」


 向こうが自分に気が付き、戦闘態勢に入った瞬間には既にレイの姿はゴブリン達の前にあった。

 そうして再度走る閃光。

 数秒後、そこに残っているのはゴブリンの死体のみ。


「ゴブリンはいいから、まだ遭遇してないモンスターが出て来てくれ」


 再びスレイプニルの靴でゴブリンの死体の上を歩いて進んでいく。

 本来であれば討伐証明部位や魔石といったものを剥ぎ取ればいいのだが、ゴブリンの場合は討伐証明部位にしろ、魔石にしろ、非常に安い。

 レイにしてみれば、わざわざ手間を掛けてまで手に入れたい代物ではない。

 その為、こうして無視して通り過ぎる。

 このまま放っておいても、ダンジョン内には掃除屋でもあるスライムがいるので、困ることはない。

 取りあえずということでT字路を右に曲がり、そのまま進むこと五分程。

 目の前に現れたのは、左に扉、右と真っ直ぐに通路といったものだった。


「扉、か。この中には確かに興味があるけど、それよりも気になるのは……」


 視線が向けられているのは、真っ直ぐ続いている道。

 もしかしてと思い、レイはその扉と右の道は放って置いて真っ直ぐに進む。

 そのまま進むと、左に二回曲がり、真っ直ぐと右の二つの分かれ道がある場所に出る。

 そして、石畳の上にはゴブリンの死体が五匹分。

 明らかにレイが先程倒したゴブリンだ。


「つまり、この部屋の周囲を一周してきた訳か。結構広いな」


 一応念の為と、再度スレイプニルの靴を使用してゴブリンの死体を跳び越え、先程自分が通ったと思われる道を進む。

 当然その先に現れたのは左の扉と右の道。


「さて、どうするか。扉とかなら罠があるかもしれないしな。となると、まずはこっちか」


 レイの視線が向けられたのは右へと続く通路。

 手にした槍をいつでも使えるようにしながら、扉は放って置いて右の通路へと進む。

 真っ直ぐ歩くこと、十分程。

 やがて姿を現したのは、大部屋と呼んでもいいような広さを持つ場所だった。

 そして、そこにいたのはゴブリンとは比べものにならない程の巨躯を持つ、オーガ。

 だが、それを見たレイは思わず眉を顰める。

 何故なら、レイが以前に見たオーガは身長五m程もあったというのに、今レイの視線の先にいるのは身長三m程度しかないからだ。

 勿論それでも十分に巨大だと言ってもいいし、レイにしてみれば自分の二倍近い身長の持ち主だ。

 顔を見るには見上げる必要があるが、それでも以前継承の祭壇のあるダンジョンで遭遇したオーガと比べると、迫力不足としか言えなかった。


「もしかしてオーガの子供か? それとも、このダンジョンが出来たばかりだから弱いオーガしかいないとか」


 そんなレイの呟きが聞こえ、意味を理解した訳ではないのだろうが、オーガは棍棒を手にしながら叫ぶ。


「ガアアアアアアアアァッッ!」


 だがその叫び声にしても、レイにとっては迫力不足にしか感じられなかった。

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