第863話
ギルムにある図書館からそれ程離れていない場所にある裏通りを歩いていたレイは、やがて目的の建物を発見する。
「じゃ、セト」
「グルゥ」
レイの呼びかけに、セトは分かってると喉を鳴らしながら周囲からあまり見えないようになっている場所へと身を横たえ、身体を隠す。
寝転がっているその様子は、大きさや季節を考えなければ猫が丸まっているようにも見えるだろう。
……背中から翼が生えているような猫だが。
そんなセトの様子を一瞥し、レイはその建物の扉を開く。
瞬間、外の寒さとは比べものにならない程に暖かい……いや、熱い空気がレイを覆う。
その空気に微かに眉を顰めつつ、見える場所に誰の姿もないのを確認すると店の奥にいても聞こえるように叫ぶ。
「パミドール、いるか?」
「おう、いるぞ! ……何だ、レイか」
そう言いながら店の奥から出て来たのは、一見すると犯罪者にしか見えないような強面の男。
凶悪そうな顔だけではなく、体格もレイくらいなら片手で軽く持ち上げられそうなくらいの筋肉がついており、その辺の盗賊よりも盗賊らしい姿をしている。
特に今は鍛冶をしていた為か額に汗が噴き出している為、余計に迫力が増していた。
扉を開けた時の熱気は、その為のものだろう。
パミドールがどのような人物なのかを知っているレイは、そんな相手の様子を見ても、特に気にせずに声を掛ける。
「何だってのは、何だよ。一応これでも客だぞ。……クミトはいないのか?」
「クミトは出掛けてるよ。何だ、客って言う割りには、俺じゃなくてクミトを探しに来たんだな」
「いや、そういう訳じゃないって。一応聞いただけだ」
「まぁ、いい。それで何の用件だ? お前が帰ってきてたのはクミトから聞いてたけど、わざわざ帰ってきたって挨拶に来るような性格じゃないだろ?」
パミドールの言葉に、レイは小さく肩を竦めるとミスティリングから魔剣を取り出す。
いや、刀身半ばで折れているのだから、二つになった元魔剣と言うべきか。
ともあれ、その魔剣を取り出したレイはパミドールへと手渡す。
「おい、こいつぁ……かなりの代物だぞ?」
「だろうな、それは分かってる。ランクSの冒険者が使ってた魔剣なんだし、その辺の代物じゃないだろ」
「ランクS!? どこのだ?」
「ベスティア帝国」
端的に告げるレイの言葉を聞き、すぐにパミドールは一人の人物の名前を脳裏に思い浮かべる。
「不動のノイズ、か」
「ああ。ちょっとベスティア帝国で用事があって、その時に戦ったんだよ」
「……で、魔剣が折れてるってことは……お前が勝ったのか?」
「いや、見逃されたってところだ」
「へぇ。お前でもランクS相手はどうしようもなかった訳か」
「一応ある程度の抵抗は出来たんだけどな。ただ、向こうが退いてくれなきゃ……」
恐らく負けていた。
そんな言葉を呑み込んだレイに、パミドールは内心で感心する。
確かにレイは強い。それこそ、その辺の冒険者が相手ではどうしようもない程に。
パミドール自身はただの鍛冶師でしかないが、腕利きの鍛冶師としてレイが強いというのは理解していた。
また、アゾット商会の件で揉めた時にも、その強さを直接見た訳ではないが話には聞いてはいる。
それだけの強さを持っているだけに、自分が弱いと認めることが難しいというのもパミドールは理解していた。
「それでもあの不動の持つ魔剣を破壊するか。それだけでちょっとした偉業にも感じるけどな」
手に持った魔剣の破片をじっと眺める。
刀身が真っ二つに折れているのを見ると、加えられた一撃がどれだけの威力だったのかを理解出来た。
「取りあえず……俺はあくまでも鍛冶師でしかない。魔剣を打つとなれば、錬金術師やその手のことに詳しい魔法使いといった者達の手を借りる必要があるな。どうする? 一旦俺に預けていくか? 今の仕事が一段落したら錬金術師の所に行ってみるつもりだが」
「あー……そうだな。本当は俺もちょっと一緒に行きたいんだけど、これからちょっとダンジョンに向かおうと思ってるんだよ」
パミドールの言葉に答えつつも、レイとしては錬金術師に会うというのにも魅力を感じていた。
辺境故に、ギルムには珍しい素材を目当てにした錬金術師が大勢いる。
勿論国として錬金術に力を入れているベスティア帝国や、魔導都市と呼ばれているオゾスに比べればそのレベルは低いだろう。
それでもレイとしては、きちんとした錬金術師に会ってみたかった。
……きちんとしていない錬金術師という意味では、暫く前に起きたアゾット商会の件で遭遇したことがあるのだが。
「ふむ、無理にとは言わんさ。それならこっちでやっておくから、明日以降にでも顔を出してくれ」
「分かった。じゃあ、ダンジョンから戻ってきたら顔を出すよ。頼んだ」
パミドールという人物は、その悪人顔とは裏腹に義理堅いところがある。
腕がいいというのも知っているレイとしては、魔剣の件を任せるのに遠慮はなかった。
もっとも、それは魔剣がついでで入手した代物だからというのが強い。
もしこれがデスサイズ……とまではいかなくても、茨の槍や流水の短剣、ネブラの瞳のように普段から使っている物であれば、しっかりとパミドールと共に錬金術師に会いに行っただろう。
ましてや、ドラゴンローブを始めとしたエスタ・ノールの作品であったりすれば……ここでは直せないと、ベスティア帝国の帝都やオゾスへと向かっていた筈だ。
ノイズの魔剣に関してはあくまでも偶然手に入れた物だから、レイとしては使えればそれでいいという思いでしかない。
「おう、任せろ。ランクS冒険者の使ってた魔剣なんて、俺にとってもいい仕事になりそうだ」
パミドールのそんな声を背中で受けながら、レイは外へと出る。
「グルゥ?」
店から出て来たレイの姿を見つけると、セトがどうだった? と言いたげに喉を鳴らしながら近づいてくる。
レイはセトの頭を撫でつつ、先を促す。
「駄目元だったけど、一応錬金術師に見せてくれるってさ。取りあえず用事は済んだから……ダンジョンに行くか。これから行って今日中に攻略出来るかどうかは分からないけど」
「グルルルゥ!」
レイの言葉に嬉しそうに喉を鳴らすセト。
自分はダンジョンに入れないかもしれないというのは理解しているが、それでもレイと一緒に空を飛べるというのは嬉しいのだろう。
そんなセトと一緒に街中を歩き、当然のように色々とセトは声を掛けられながらも門へと辿り着く。
「よう、レイ。セトも。街の外に出るのか?」
レイがギルムに戻ってきた時に手続きをしてくれた警備兵が、レイへと声を掛けてくる。
門を通る者達が最も多い時間は既に過ぎており、今は暇なのだろう。
事実、門を出る手続きをしている者は皆無という訳ではないが、ほんの数人程度しか存在しない。
「この前聞いたダンジョンにな」
うわぁ。そんな風に顔を顰める警備兵。
「お前、本当に物好きだな。どんな場所なのかは教えただろ?」
「ああ、他にも色々と情報を集めたよ。ただ、それでも一度は行ってみたいと思って」
「……まぁ、異名持ちの高ランク冒険者なんだから、俺がどうこう言っても無駄な心配だろうが……気をつけてな。いや、あのダンジョンだと気をつける必要すらもないか」
「そうでもないだろ。ダンジョンなんてのは、何が起こるか分からない場所なんだから」
ミスティリングから取り出したギルドカードと、セトの首から外した従魔の首飾りを警備へと渡し、手続きを頼む。
人数が少ないだけあって、その手続きはあっさりと終わる。
「じゃ、まぁ、頑張れよ」
「そっちも寒い中大変だろうけど、頑張ってくれ」
いつ雪が降ってもおかしくない寒さの中で頑張る警備兵へと声を掛け、レイはセトと共にギルムの外へと出る。
本来であれば、門の近くで飛ぶのは止めて欲しいと言われていたのだが、幸い今は周囲に殆ど人の姿はない。
「セト、じゃあ行こうか」
「グルルルルルゥッ!」
背中に跨がったレイの言葉にセトは高く鳴き、数歩の助走の後に翼を羽ばたかせて空へと上がって行く。
空を飛ぶというよりは、まるで空を駆けるという表現が似合っている。
門の近くにいた数人の警備兵も、そんなセトの様子に言葉もなく、ただ目を奪われることしか出来ない。
「セト、ダンジョンは向こうだ。真っ直ぐに進んでくれ」
レイの示す方向へと向かい、セトは翼を羽ばたかせる。
翼が一度羽ばたくごとに、かなりの距離を進む。
連続して翼を羽ばたかせることにより、その速度は更に増す。
本来であれば、この時期の上空だ。たちまち寒さに震えてもおかしくはないのだが、レイはドラゴンローブが、セトはグリフォンとしてこの程度の寒さは全く苦にしない。
地上の景色がみるみる通り過ぎていくのを眺めながら、レイは改めてセトという存在の凄さを知る。
地上を進む場合、基本的には街道を進むことになるのだが、街道は一直線に伸びている訳ではない。
山があれば迂回し、谷があれば迂回し、川があれば川幅の短い場所まで迂回する。
曲がりくねっていると表現してもいい。
だが、セトが飛べばそんなのは全く関係なく真っ直ぐに飛べる。
しかも速度も地上を進むのとは段違いの速度で、だ。
「あ、セト。あの街道に積まれている石の場所を右に曲がってくれ」
「グルルルゥ!」
街道から逸れる目印として置かれている石の山を目にしたレイの言葉に、セトは喉を鳴らして進行方向を曲げる。
そのまま真っ直ぐ街道から逸れて進むと、やがて地上に幾つものテントが張られているのが見えてきた。目的地のダンジョンだ。
テントはここに泊まり込んでいる兵士達が使う物なのだろう。
本来であれば馬車で数時間程度の距離が、ギルムを飛び立ってから十分程度で到着するというのが、セトの飛ぶ速度がどれ程のものかを示していた。
それも空中の散歩を楽しみながら、全力でないにも関わらず、だ。
「テントか。……この時期にテントってのは、マジックテントの類でもないと相当厳しいだろうな」
マジックテントであれば、外気の寒さを感じることはない。
だが普通のテントにそんな機能がついている筈もなく、当然寝る時にもしっかりとした防寒用の道具が必要になる。
そんなテントの近くで焚き火をしていた者達の何人かが、空から近づいてくる何か……あるいは誰かに気が付く。
反射的に弓を手に取った兵士達だったが、空を飛んでいるのがグリフォンであることを知るとすぐにその弓を下ろす。
……それでいながら弓を地面に置いている訳ではないのは、もし近づいてくるグリフォンが自分達の知っているセトではない場合、すぐに迎撃する為だろう。
もっとも、もし本当に近づいてきているのがセト以外のグリフォンであれば、兵士が持っている程度の弓や矢ではどうしようもない……どころか、逆に怒りを買うだけなのだが。
地上へと降りていったセトの背にレイが乗っているのを見て、ようやく警戒を解く兵士達。
そんな兵士達へと向かい、セトから降りたレイが口を開く。
「冒険者のレイだ。ダンジョンの攻略に……」
「レイ君かい!?」
最後まで言い切る前に、そんな声が掛けられる。
声の聞こえてきた方へと視線を向けると、そこにいたのは厳つい髭面の中年の男だった。
ギルムの警備兵を纏めている立場で、今はここで兵士を率いてダンジョンから出てくるモンスターを警戒しているランガだ。
休憩中だったのか、丁度テントの中から出て来たランガに対し、レイは笑みを浮かべて口を開く。
「久しぶり」
「グルゥッ!」
レイの言葉に続くように、セトも喉を鳴らす。
その様子が面白かったのだろう。ランガも笑みを浮かべて小さく手を上げる。
「久しぶりだね。さっきの言葉からすると、ダンジョンの攻略に来たのかな?」
ランガの言葉にレイは頷きを返す。
「浅いダンジョンだって話だったから、ちょっと手を出してみたくなってね。今日中に攻略出来ればそれでいいし、もし無理でもどういう場所かは体験してみたい。立ち入り禁止とかはないよな?」
冒険者であれば普通にダンジョンに入れるというのは聞いていたが、念の為とばかりに尋ねるレイ。
そんなレイの言葉に、ランガは当然だと頷く。
「勿論構わないよ。けど、このダンジョンは実入りが少ないって話だから……それでもいいのなら、だけどね」
「それについてはダンジョンの情報を集めている時に聞いてるから問題ない。じゃあ、早速……ああ、セトは外で待ってて貰うけど、構わないか?」
「うん? ああ、なるほど。あのダンジョンの入り口だと、セトが入るのは無理か。うん、構わないよ。ただ、時々ダンジョンからモンスターが出てくるんだけど、その時には……」
ランガの言いたいことが理解出来たレイは、小さく頷きを返す。
「モンスターが出て来た時には、セトにも戦わせるよ。俺が何を言わなくても、その辺はしっかりしてるさ」
「グルルゥ!」
任せて! と喉を鳴らすセトに、ランガだけではなく他の兵士達も安堵の息を吐く。
ギルムに住んでいるだけに、当然セトについては全員知っている。
それだけに、この時点で暫くは外でも忙しくなることはないと安堵したのだ。
ダンジョンから出てくるモンスターはそれ程強くない。いや、はっきりと弱いのだが、いつ出てくるかも分からず……更にここが辺境であることから、寧ろダンジョンから出てくるモンスターよりも周囲から襲ってくるモンスターの方が手強いというのもある。
そんなモンスターも、セトがいれば安心だと理解したのだ。
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