第856話
領主の館でベスティア帝国についての話をしていたレイだったが、それが終わると既に外は薄暗くなっていた。
時間としてはまだ午後四時過ぎといったところなのだが、今の季節であれば当然の暗さだ。
領主の館から出て来たレイは、そのまま厩舎にいるセトを迎えに行く。
当たり前のように厩舎の中で眠っていたセトは、レイが現れたのに気が付き嬉しそうに喉を鳴らす。
……そんなセトの様子に驚いた馬がいなかったのは、この厩舎にいるのがベスティア帝国からこのギルムまで共に旅をしてきた馬達だからだろう。
「グルルルルゥ」
顔を擦りつけてくるセトを、レイも撫でてやる。
数分程スキンシップを楽しんだ後、レイはセトと共に厩舎を出る。
そんな一人と一匹に対し、厩舎にいた他の馬が視線を向けていたが……レイは自分の言葉を理解出来ているとは思えないまでも、口を開く。
「お前達のご主人様達は、まだ暫く戻ってこない筈だ。だから、お前達はここでゆっくりしててもいいんだぞ」
「ブルルル」
レイの言葉を理解した訳ではないのだろうが、馬が鳴く。
ギルムで妙な行動をしないように説明し、暮らしていく上で必要なことを教えるという意味でも、セルジオを始めとした三十人近い面々は暫く領主の館から出ることが出来なかった。
それらの説明をする者達は、当然監視の役目も兼ねている。
ダスカーとしては、やはりこの地を治める領主としてベスティア帝国からやってきた三十人近い者達をそう簡単に自由にする訳にもいかない。
それでもレイが連れて来た人物ということで、そこまで厳しい態度で接しているのではないというのはお互いにとって幸運だったのだろう。
セルジオ達を連れて来た関係上、本来ならレイも領主の館に残っても良かったのだが、ダスカーから今更お前を疑うことはないということで、レイは自由の身となった。
尚、レイが連れて来たロドスについてはエルクとミンが引き取っていった。
少しでも意識を取り戻すための手掛かりを探す為だろう。
「ま、頑張って欲しいとは思うけど……難しいだろうな」
「グルゥ?」
領主の館を出て、街中へと進む道を歩きながら呟くレイに、隣を歩いているセトが喉を鳴らして首を傾げる。
どうしたの? と言いたげなセトに、レイは何でもないと撫でながら大通りへと続く道を進み……
「あーっ! セトちゃん! ほら、やっぱりセトちゃんがいたじゃない! 私の情報網は正しかった!」
レイとセトが歩いていた通路に、そんな声が響く。
その声に周囲を見回したレイは、やがて見覚えのある人物の顔を見つける。
どちらかと言えば整っており、十分に美人と呼んでもおかしくないだろう顔立ちなのだが、今その顔はうっとりとした表情が浮かんでいた。
何かとレイと縁のある冒険者パーティ、灼熱の風のリーダーでもあるミレイヌだ。
もっともレイと縁があるというよりは、セトに熱を上げていると表現した方が正しいのだが。
レイがギルムで最初に受けた大規模な依頼でもある、オークの集落に対する襲撃。
その時に初めてミレイヌと出会ったのだから、レイとしてはかなり古いつき合いの冒険者達だと言えるだろう。
オークキングを倒す時も一緒にいたこともあり、レイやセトの秘密を少なからず知っている人物でもある。
「随分と早く俺達が帰ってきてるのを知ったな」
「別に早くないわよ。セトちゃんが帰ってきたって話を聞いてからずっと探し回ってて、ようやく今再会したんだから。セトちゃん久しぶりー!」
「グルルルゥ」
レイに短く言葉を返すと、それで話を打ち切って真っ直ぐにセトへと向かって行く。
そうしてセトに干し肉を渡すと、セトの頭を撫で始める。
セトもミレイヌと知り合ってから長い為、自分に対して好意を向けてくれているというのは十分に分かっていた。
元々セトは人懐っこく、自分を可愛がってくれて、いつも何か食べさせてくれるミレイヌという相手は好意を抱くのに十分な相手でもある。
それだけに、ミレイヌが渡してきた干し肉を食べながら嬉しそうに喉を鳴らし、再会を喜ぶ。
「うんうん。セトちゃんもやっぱり私に会えて嬉しかったのね。私も嬉しいわよ」
「グルゥ?」
顔を擦りつけるセトに、ミレイヌは目尻を緩める。
手に持っている干し肉を与えつつ、セトの感触を思う存分に楽しむ。
そんなミレイヌの様子を呆れたように眺めていたレイに、近づいてくる人影があった。
「お久しぶりです、レイさん」
声を掛けてきたのは、四十代程の中年の人物。
ミレイヌと同じパーティメンバーであり、ストッパー役でもあるスルニンだ。
「スルニン」
「ええ。……ギルムに帰ってきたばかりだというのに、うちのリーダーが申し訳ありません」
セトにじゃれついているミレイヌを眺めながら頭を下げてくるスルニンに、レイは気にするなと首を横に振る。
「これでこそギルムに戻ってきたって感じがするしな」
「あははは。それはそれで、こっちとしてはちょっと困りますね。ミレイヌが冒険者として役に立たなくなりますから」
「……それは確かに」
今の、セトと遊んでいるミレイヌを見て、ランクCパーティのリーダーだと思う者がどれ程いるか。
ランクCというのは、既に一人前だったりベテランだったりと認識されるランクなのだが。
(まぁ、冒険者は完全に実力がものを言う世界だ。それこそ若くてもランクCやB、あるいはAだったりするのがいてもおかしくはないか。俺だって外見はまだ十代半ばってところなんだし)
セトとミレイヌのやり取りを眺めながら呟くレイに、スルニンが不思議そうに尋ねる。
「どうしました?」
「いや、この光景を見るとギルムに帰ってきたって感じがしてな」
「……何で同じことを二回も……」
ミレイヌと同じパーティの者として、そういう認識なのは勘弁して欲しいという思いを抱くスルニン。
「スルニンも苦労しているんだな」
「ふふっ、そうでもないですよ。今はともかく、普段のミレイヌは有能なパーティリーダーですから」
「この光景を見て、そう思える奴がどれだけいるのやら」
しみじみと呟くレイの言葉に、スルニンは苦笑を浮かべるしかない。
と、そんな風に何とも言えない雰囲気を漂わせながらセトとじゃれているミレイヌを見ていたレイとスルニンだったが、既に周囲は暗くなり始めているとしても、大通りの近くでこんな真似をしていて目立たない筈はない。
「あーっ! セトちゃんだ!」
そんな声が響き、声のした方へとレイが視線を向けると、そこには十歳くらいの少女の姿があった。
その少女は、セトの方へと真っ直ぐに駈けていく。
「わーい、セトちゃん久しぶり! ね、最近見なかったけど、どこに行ってたの?」
「グルルゥ?」
少女の言葉に喉を鳴らすセト。
言葉の意味は理解出来るが、残念ながらセトは言葉を発することが出来ない。
「え? セトちゃん? あ、本当だ。うわ、久しぶりじゃない」
「うわぁ……セトの姿を見ると癒やされるな」
先程ミレイヌの声がした時には殆ど寄ってくる者がいなかったのだが、それは丁度人通りが少なかったからなのだろう。
あっという間にギルムの住人に囲まれたセトの姿を眺めていたレイだったが、自分と一緒にギルムへとやって来た者達の中にも熱狂的なセトのファンがいたのを思い出す。
(ミレイヌ辺りとぶつからないといいんだけどな)
元遊撃隊の隊員と、ランクC冒険者のミレイヌ。
実力で言えばミレイヌの方が上だろうが、それでも隔絶しているという程に強い訳ではない。
寧ろちょっとしたことで逆転してしまうかもしれない程度の実力差だ。
(しかもセトのことで暴走しがちなのを考えれば……その感情で戦闘力が増幅してもおかしくないし)
同じセトのファンということで、意気投合してくれるのがレイにとってはもっとも最良の結果だった。
だが実際にそれがどうなるのかは……それこそ直接会ってみなければ分からないだろう。
移住を希望する者達は、現在領主の館で色々と手続きや事情聴取をしているが、それで近いうちに自由に動けるようになるというのはレイにとっても簡単に予想出来た。
「あー……レイさん、それでどうしましょうか、あれ?」
スルニンの視線の先では、久しぶりにセトと出会った街の者達で大いに賑わっている。
それこそ、今はいいが馬車が道を通ろうと思えば邪魔になるだろうくらいの人数で。
「どこか、人通りの少ない場所に移動した方がいいか?」
「ええ、それは間違いなく」
即座に頷くスルニンに、レイもまたそうだよなと納得し、人混みの中心にいるセトへ声を掛ける。
「セト! ちょっと場所を移動するぞ!」
「グルルルゥ!」
人混みの中からセトの声が聞こえ、同時に人混みが割れるとそこからセトが姿を現す。
これだけセトを目当てにしていながら、セトが移動するのを邪魔しようとする者がいないのは、セトがどのような存在かを皆がきちんと理解しているからこそだろう。
また、この人混みが何なのかを知らない者も周囲にいたが、いきなり現れたセトの姿に思わず腰を抜かす者もいた。
レイがギルムからベスティア帝国に向かってからそれなりに時間が経っており、同時に丁度秋から冬になる頃合いということでその間にギルムにやってきた者も多い。
……幸いだったのは、最も人が多かったピーク時よりは大分人数が少なくなっていたということか。
今この時期にギルムにいるのは、出遅れた者か、遠く離れた場所からギルムへとやって来た者達が殆どなのだから。
そのような者達の反応は、ギルムに住んでいる者にしてみれば既にお馴染みだ。
周囲にいる者達が、セトがレイの従魔であることを教えては、それを聞いた者達がセトを見た時とは別の意味で驚愕する。
勿論レイは色々な意味で有名な存在であり、その噂を聞いたことのある者も多い。
それでも直接その目で見るというのはやはり違うのだろう。
驚愕の視線を向けられているセトは、それには構わずにレイの方へと歩いてくる。
そして頭を擦りつけてくるセトの頭を撫でながら、レイは口を開く。
「ここで騒げば、通行の邪魔になる。悪いが場所を移動するから、セトと遊びたい奴はついてきてくれ。ただ、見ての通りもう暗い。何か用事がある奴は帰った方がいい。俺もセトも、暫くは……」
そこまで考え、すぐにダンジョンのことがレイの脳裏を過ぎる。
「何日かはギルムにいるから、どうしてもセトと遊びたい場合は日中に構ってくれると助かる」
「日中って言っても、この寒い中外で遊ぶのはどうかと思うんだよ」
「いや、あんたね。夜になって気温の下がっている今でもセトと遊んでるじゃない」
レイの言葉に、人の集まっている方からそんな声が聞こえてくるが、半分近い人々がこれからやるべきことを思い出したのだろう。残念な表情を浮かべつつも、その場から去って行く。
もっとも、その際にセトに向かって軽く手を振ったりして自分をアピールするのを忘れなかったが。
(まぁ、夕方だし夕食の準備をするって人も多いだろうからな。まさか、セトと遊んでいて食事の準備が遅れましたなんて言ったら多分怒られるだろうし)
去って行く者達を眺めながら、そんな風に考えたレイだったが、やがてミレイヌが自分に向かって催促するような視線を向けているのを眺め、近くにある通行人の邪魔にならないような場所へと向かう。
結局その移動についてきたのは十人程であり、それがレイに対してセトの根強い人気を感じさせた。
「あははははは。ほら、セトちゃん。このサンドイッチ食べて」
「あ、こっちの果物も美味しいよ」
「なら私は魚の干物よ!」
「じゃあこっちは干して甘さの凝縮した果物だ!」
「あ、私は蜂蜜」
「わーい。セト!」
通路の邪魔にならない場所で、早速セトに構っている者達を眺めるレイ。
そんなレイの近くでは、自分達のパーティリーダーが真っ先にセトへと夢中になっているのを、何とも言えない表情で眺めているスルニンの姿もある。
「その、レイさん。私が言うのも何ですが、止めなくていいんですか?」
「……止めると言ってもな。別にセトも嫌がってないし、いいんじゃないか? あまり遅くまでとなると困るけど」
元々人懐っこいセトだけに、自分を可愛がってくれて食べ物もくれるという今の状況は、嬉しくはあっても嫌がったりはしない。
さすがに翼の羽毛を引っ張ったり、毛を抜こうとすれば嫌がるだろうが、セトの愛らしさに夢中になっているミレイヌ達がそんなことをする筈がなかった。
いや、もしもセトの素材狙いでそのようなことをしようとした者がいた場合、真っ先にミレイヌにより止められるだろう。
心の底からセトを愛おしく思っているミレイヌにしてみれば、上辺だけセトを愛しく思うような相手を見抜くことは難しくないのだから。
そんなやり取りを眺めつつ、レイは口を開く。
「そうだ、近いうちに灼熱の風のメンバー……もう一人のエクリルも一緒にちょっと会うことが出来ないか?」
「は? まぁ、うちは冬を越す準備も出来ているので、随分と暇ですから構いませんけど……どうしたんですか? 何か依頼でも?」
いきなりの言葉に首を傾げるスルニンに、レイはセトの方を見ながら口を開く。
「以前、お前達に仕掛けた戒めの種、解除しようと思ってな」
「……え?」
レイの口から出た言葉に、スルニンはこの人物は何を言っているのだろうという視線を向けるのだった。
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