第843話

 ディーツが合流し、エルトンを出発して十日程。

 街道を進むレイ一行は、順調に進んでいた。

 幸いディーツは一人での合流であり、一行に合流してからも特に何か問題が起きる訳でもない。

 元々遊撃隊の一員として内乱では共に行動していたのだから、当然ではあるのだが。

 勿論何のイベントもないという訳でもない。

 元遊撃隊の隊員の妹とディーツが仲良くなって、それが原因で半ば模擬戦になったり、セトがいるというのにそれに気が付かずにゴブリンが襲ってきたり、他にも何人かの元遊撃隊の隊員と途中の村で合流したり、襲ってきた盗賊を倒し、根城を襲撃したりと多少の騒動はあったものの、特にこれといった大きなトラブルには巻き込まれず街道を進み続け……そして今、レイ一行の前には、セレムース平原があった。


「戻ってきたな」


 セレムース平原を眺めながら、しみじみと呟くレイ。

 レイにとっては帝国に滞在した時期はそれ程長くはない。

 それでも、闘技大会があったり、裏の組織に襲われたり、内乱に参加したりと、非常に濃い時間だった為に相当に長い時間帝国にいたような思いがあった


(充実していた……ってのとはちょっと違うんだけどな。まぁ、問題の方もかなり解決したってのもあるんだろうけど)


 闘技大会は自分が準優勝して無事に終わり、内乱もメルクリオが勝った。

 そして何よりもレイを安堵させているのは、やはり裏の組織……鎮魂の鐘に関してだろう。

 ムーラとシストイの二人を使い、何度となくレイを狙ってきた鎮魂の鐘。

 だが結局その二人は捕虜となり、テオレームへと引き渡された。

 そこから得た情報により、テオレームは素早く指示を下す。

 その結果、鎮魂の鐘の拠点数ヶ所を秘密裏に襲撃し、多くの者を捕虜とすることに成功する。

 だが鎮魂の鐘のようなベスティア帝国の裏で名の通った組織を消滅させれば、帝都だけではなく帝国内でも混乱することは明らかであり……自分達の組織を残すことを優先した鎮魂の鐘の上層部と、自分達の手足となって働く諜報組織を欲していたテオレームの思惑が合致し、最終的には鎮魂の鐘はメルクリオの配下となることで話は纏まった。

 旅の途中で帝都からの報告を受けたヴィヘラがレイへとそれを話し、その内容に驚いたレイが目を大きく見開くことになり、それを見た他の者達は何が起きたのかと不審に思う者すらいたのだが。


「そうね。この調子だと、何とか雪が降る前にギルムには到着出来そうだけど……」


 帝都を出た時から数人が合流した旅の仲間を見ながら、ヴィヘラが呟く。

 ヴィヘラにしてみれば、レイと共にいられるのはミレアーナ王国に入るまで。つまり、このセレムース平原を越えるまでだ。

 正確にはセレムース平原を通り過ぎてミレアーナ王国に入ってから、エグジルとギルムへと向かう街道の別れ道までというのが正しいのだが、それにしたところでセレムース平原を越えてからそう遠くない内にその別れ道へと到着する。


(そうすれば、レイとは一旦お別れ……ね)


 寂しげに考えるヴィヘラだったが、エグジルでの用事を済ませた後は当然ギルムへと向かうつもりだった。


(公爵家に縛られているエレーナに比べれば、出奔した私の方が身軽さという意味では圧倒的に有利なのよね。なら、その有利さを存分に使わせて貰いましょうか)


 前向きに考えると、ヴィヘラは自分の方を訝しげに眺めているレイに向かって笑みを浮かべて口を開く。


「どうしたの?」

「いや、何か考えごとをしていたようだったからな」

「ふふっ、何でもないわよ。ただちょっと、ミレアーナ王国に入ったらレイと別れるんだと思うと寂しくなっただけ」

「それは……」


 艶ややかな視線を向けてくるヴィヘラに、レイは何と口を開けばいいのか迷う。

 そんな二人のやり取りは本人達にしてみればどこか慣れないやり取りであるのは確かだが、傍から見ている他の者達にしてみれば、恋人同士の甘い空間にしか感じられなかった。


「レイさん、そろそろセレムース平原に入りましょう。結局今日はセレムース平原で一泊しなきゃいけないんですから、なるべく距離を稼いでおきたいので」


 セルジオの言葉に、確かにこのままここで喋っているだけだと時間が無駄になると判断したレイは、背後を振り向く。

 背後を向いたすぐ近くには、馬車が集団で止まっており、元遊撃隊の者達や、その家族、恋人、友人といった者達が、珍しげにセレムース平原を眺めていた。

 人だけではなく、馬も特にセトに怯える様子もないままそこに存在している。

 そう、帝都を出た当初は馬がセトを怖がっていたのだが、長時間一緒にいることでようやくここ最近は慣れてきたのだ。

 当然全ての馬がセトに慣れてきたという訳ではない為、馬車の列の先頭は、セトを怖がらなくなった馬が牽いている馬車だった。

 その馬車でワンクッション置くことにより、まだセトに慣れていない馬の牽く馬車もこの一団から離れることなくまとまって行動することが出来ていた。

 そんな馬車の群れに向け、レイは声を上げる。


「これからセレムース平原に入る。知っている者も多いと思うけど、このセレムース平原の中では基本的に盗賊の心配はしなくてもいい。ただ、代わりにアンデッドが彷徨ってるから、そっちには十分注意して欲しい。特に夜はアンデッドも活発に動くから、くれぐれも油断しないように」


 レイの口から出た言葉に、皆が顔を厳しく引き締める。

 実は、ここにいる中でセレムース平原を通ったことがあるのは、レイとヴィヘラの二人以外には数人しかいない。

 他の者達……特に元遊撃隊の面々は、その殆どが春に行われた戦争には参加していなかった為だ。

 腕利きであるが故に、冒険者としての勘で戦争に参加しなかった者もいるし、他の依頼を受けていた者もいる。

 数少ない参加者は、元兵士の者達だ。


「また、数は少ないが日中でもアンデッドが動いていることがあるらしいから、くれぐれも注意してほしい。決して迂闊な行動はしないように。また、昼食に関してもこれまでのように止まって食べるというようなことはしない。セレムース平原に入る前にそれぞれから預かっておいたサンドイッチの詰め合わせを渡していくから、それを食べてくれ」


 そう告げ、レイは馬車ごとにサンドイッチの入ったバスケットを渡していく。

 セレムース平原の危険さを考え、ここから一番近い村に寄った時に食堂で作って貰ったものだ。

 勿論レイの奢りという訳ではなく、セルジオがそれぞれから預かった料金から支払っている。


「では、質問のある者は?」


 レイの問い掛けに、元遊撃隊の男の一人が手を上げる。


「夜の見張りに関してはどうする予定ですか?」

「セトに任せる予定だが、これだけの人数がいるとなるとそれだけに頼る訳にもいかない」


 その言葉に、周辺の者達がざわりとざわめく。

 このセレムース平原に到着するまでは、当然毎日村で夜を越してきた訳ではない。

 テントを使ったキャンプも何度か行っているが、その時は夜の見張りはセトに任せきりだったのだ。

 それは、辺境ではない為に強力なモンスターが存在していないというのが大きな理由だった。

 しかし今レイの口からでたのは、それでは足りないかもしれない。つまり、これまでよりも大きな危険があると暗に示している。


「じゃあ?」

「ああ、俺やお前達にも夜の見張りをして貰う」

「……その、見張りをするのは俺達だけでしょうか? それとも……」


 言葉を言い淀み、男の視線は自分達の関係者の方へと向けられる。

 その関係者の方も見張りをやるのかと暗に聞いてきた男に、レイは首を横に振る。


「言っちゃ悪いが、素人を見張りにしても危険なだけだ。見張りは心得のある者だけでやる。……だが、元冒険者や元兵士といった者には協力して欲しい」


 レイの口から出た問い掛けに、数人が反応する。


「ただし、この件に関しては無理強いしない。出来ると思った奴だけ、後で俺に言いに来てくれ」


 夜間の見張り……それも確実にアンデッドが出没するような場所の見張りである以上、やる気のない者に無理矢理やらせれば余計な被害が出るだけになりかねない。

 だからこその、レイのその言葉だった。


「さて、じゃあ出発する。ここを抜ければ、もうミレアーナ王国で、ゴトという村もある。特に重い荷物を持っていないこの集団なら、そう時間を掛けずにセレムース平原を渡れる筈だ。ただし、決して油断しないように」


 全員がそれぞれ馬車に乗り、レイもまたセトの背に跨がる。

 そんなレイとセトの近くに、ヴィヘラが乗った馬が近寄ってきた。


「アンデッドは、格闘が攻撃手段の私としてはあまり面白くない相手なのよね。浸魔掌を使っても効果は殆どないでしょうし。何よりスケルトンの類ならともかく、ゾンビやグールなんかは触りたくもないわ」

「……だろうな」


 レイだって、腐っている死体を殴りたいとは思わない。

 もっともレイの場合は遠距離攻撃の手段が豊富にあるし、既にセトのスキルに関しても隠さなくてもいい。

 そうである以上、ゾンビの類が襲ってきても、一箇所からであればどうとでも出来る自信はあった。


「それにしても、この前ここを通った時はまだ秋だったのに、季節が過ぎるのは早いわね」

「いや、一応今もまだ秋の範疇だろ。……それだけ充実している日々だったってことだな。まぁ、嫌な意味での充実だったのは事実だけど」

「ふふっ、そうね。戦いに次ぐ戦いだったものね。それを思えば、確かにいい意味での充実とは言えないと思うわ」


 そんな風に話ながらも、レイは背後を確認する。

 全員が馬車に乗り込んだのを確認すると、大声で叫ぶ。


「出発する!」

『うおおおおおおお』


 内乱の時のことを思い出しているのだろう。元遊撃隊の面々が、それぞれに雄叫びを上げる。

 人数が少ない為かそれ程の迫力はなかったが。

 そんな元遊撃隊の面々を、関係者一同は驚きの表情を浮かべて眺めていた。






「グルルルゥッ!」


 セトの唸り声を聞き、レイは視線を右側へと向ける。

 セレムース平原に入ってから数時間。既に太陽も随分と傾き、夕日は半ば沈んでいた。

 そうして夜に近づけば、当然アンデッドが活発に動き出す。


「右からスケルトン、三匹! スケルトンなら足は遅いから振り切れる。このまま引き離すぞ!」


 レイの声を聞いた馬車台に座っていた者達がすぐにレイの言葉に返事をする。

 だが、それだけでは終わらない。

 レイの視線の先で、揺れるように歩いている数匹のゾンビが視界に入ってきた。


「ちぃっ、前方にゾンビ! 俺が片付けるから、このまま真っ直ぐに突き進め!」


 叫びながらミスティリングからデスサイズを取り出し、呪文の詠唱を始める。


『炎よ、汝の力は我が力。我が意志のままに魔力を燃やして敵を焼け。汝の特性は延焼、業火。我が魔力を呼び水としてより火力を増せ』


 呪文と共に、デスサイズの周囲に十の火球が生み出されていき……


『十の火球』


 魔法の発動と共に、十個の火球はそれぞれ前方へと向かって突き進んで行く。

 自分達に向かってくる火球に気がついたのか、それとも偶然か、何匹かは進行方向を変えるゾンビもいたのだが、ある程度の誘導性を持たせてあるその火球は、真っ直ぐにゾンビへと向かって突き進む。

 そして、火球はゾンビに命中し……着弾した瞬間に現れた激しい炎により、一瞬にして骨までもが炭化する程に焼き尽くされた。

 そこにセトを先頭とした集団が突っ込んで行き、炭化した死体が馬車に当たっては崩れ落ちていく。

 前方にいるゾンビの群れは消滅し、後に残ったのは炭化して粉々になった肉体の残滓のみ。

 それも、冬の風によりセレムース平原の中へと散っていく。

 後を追うようにして姿を現したスケルトンも、既に自分達の探知出来る範囲内から馬車の群れが姿を消しているのに気が付き、それ以上は追う様子もないまま再びセレムース平原の中を彷徨い始めた。

 身体の骨をカタカタと鳴らしながら、手に持った錆びた長剣や、柄が半ばから折れた槍といった武器を手にしたその様子は、アンデッドというものの本質を表している。

 また、生きている者を求めるというのはスケルトンだけではない。

 金属のぶつかる音と共に、鎧を被った何者かが姿を現す。

 一見すると、金属鎧を身につけた騎士のように見えるその存在だが、当然のようにこの金属鎧もアンデッドの一種だ。

 人の怨念が鎧に乗り移った、リビングアーマー。

 スケルトンやゾンビよりも上位に位置するそのアンデッドは、ゆっくりと……だが確実にレイ達が去って行った方へと向かって歩きだす。

 自分達には存在しない、暖かな生命の光を求めて。

 そんなリビングアーマーに従うように、周囲をゴーストが漂う。

 先にここに存在していたスケルトンも、何匹かはリビングアーマーに従ってレイの後を追うように歩を進めるのだった。

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