第832話

『わああああああああああああああああああああっ!』


 帝都の中に歓声が響く。

 それは、帝都の中を進んでいるメルクリオ軍に向けられたものだ。

 メルクリオ軍として進んでいる、メルクリオやフリツィオーネに対する歓声。

 この凱旋パレードをすると要請したのはメルクリオだが、ここまで派手に準備を整えたのは宰相のペーシェだった。

 本来であれば、今回起こったのが内乱である以上、凱旋パレードなど行えるものではない。

 メルクリオは反逆者とされていたのであり、その反逆者が率いる軍が国から派遣された立場であった討伐軍を破っての勝利なのだから。

 ペーシェにしても、本来であればこの凱旋パレードはカバジードやシュルス率いる討伐軍が行う為に準備をしていた。

 主君であるベスティア帝国の皇帝トラジストも、この結果を聞いた時は自分の予想を超えた結果に笑いを堪えることが出来ず、謁見の間に大きな笑い声を響かせた。

 もっとも内乱という形をとってはいるが、この戦いは次期皇位継承者を決める為の戦いという側面の方が強い。

 いや、寧ろそれを決める為だけに引き起こされた戦いと言ってもいいだろう。

 だからこそ、どちらが勝っても大丈夫なように凱旋パレードを行えるように準備をしていたのだから。


(それでも、ここまで人が死ぬという行為を平然とするのは……どうかと思うよ、父上)


 馬に乗りながら城へと向かう大通りを進みつつ、メルクリオは内心を表に出さないままに民へと向かって手を振る。

 自分の方に手を振られたと、興奮する人々。

 自分達の方にも手を振って欲しいと、大声で歓声を上げている者も多い。


「テオレーム、シュルス兄上を始めとした討伐軍は無事に帝都に入ったかな?」


 周囲に対して笑みを浮かべて手を振りつつ、自分の近くに控えているテオレームへと尋ねる。


「は。全員が北の門から入ったと」

「……そう」


 帝都は広く、その周囲には幾つもの門がある。

 最も大きな正門、正門の近くに存在する貴族用の門といった風に。

 だが、それ以外の門の中には特殊な門というのも幾つかあった。

 その中の一つが、帝都の北に存在する門だ。

 あまり公に出来ないような、後ろめたい存在が帝都の中に入る為の門であり、この内乱で負けた討伐軍はそちらから帝都に入ることになっていた。

 ここで、今回の内乱に参加した冒険者や傭兵、義勇兵といった者達は罰金をすぐに支払える者は支払い、現在金を持っていない者はどこに住んでいるのかを聞き取り、後日支払うことになる。

 当然そんな真似をすれば支払いを誤魔化す者も出てくるのだが、罰金の銀貨数枚を支払うのと、以後帝都やその周辺で働けなくなるのを考えれば、普通は支払う。

 また雇った貴族によっては、自分が雇ったのだからと罰金を払うような貴族もいるが……そのような貴族は極めて少なかった。

 そもそも、この罰金に関しては形式上敵対した相手には何らかの罰を与えねばならないというところからのものだ。

 前金で報酬を受け取った者の大半が支払いに困るということはない。

 また、前金を使い切って支払えない場合でも、数日の労働の対価でそれを相殺することも可能だった。

 それでも中には絶対に支払いたくないという者がいるのも事実。

 内乱では負けたが、自分は絶対に負けていないと言い張るような、己の強さに過剰なまでの自信を持っている者が多い。

 そのような者達が辿るのは、意地でも罰金を支払わずに兵士に捕まってより大きな金額の罰金を支払うか、この帝都から脱出するか。

 ただし、脱出した場合に向かうのは田舎くらいしかない。

 銀貨数枚程度の為に大々的に追跡の兵士を派遣するようなことはないが、それでも何らかの事情で罰金を支払わずに逃げ出したというのが知られれば、より重い罰金か……下手をすれば捕らえられることになるのだから。

 つまり、国の目が届かない程の田舎に引き籠もる必要がある。

 どうしても田舎が嫌だという場合は、ベスティア帝国を出るという手段もあるだろう。

 だが、銀貨数枚を支払うのを嫌ってそこまでする者がいるかといえば……皆無ではないが、そう頻繁にいる訳でもない。


「シュルス兄上には、私の役に立って貰う必要があるからね。その辺の根回しはきちんと頼むよ」

「は。私の手の者をシュルス殿下の下に派遣するつもりです」

「そう、それはよかった。それと討伐軍に参加していた貴族の方の件も……」

「そちらも万事抜かりなく」


 そんな風に言葉を交わしながらだったが、それでもメルクリオもテオレームも、笑みを浮かべながら民衆へと手を振っていた。

 また、歓声を受けているもう一人の人物、フリツィオーネも笑みを浮かべながら馬車の窓から民衆へと手を振っている。


「それで? 向こうの方はどうなったの?」

「は、はぁ。その……フリツィオーネ殿下もこういうことには興味があるんですね」


 フリツィオーネの世話役として、共に馬車に乗っているメイドが意表を突かれたように言葉を返す。

 だが、フリツィオーネは笑みを浮かべて凱旋パレードを見に来ている民衆に手を振りながら、当然と頷く。


「城にいる女にとって、他人の恋愛事情というのはこれ以上ない娯楽なのよ。それは立場の上下があっても同じこと。メイドであっても、貴族であっても、王族であってもね」

「確かに私もそれは否定しませんが……」

「なら、教えて頂戴。それに、この件は白薔薇騎士団に関係しているのだから、私にとっても無関係じゃないでしょう?」

「それは、まぁ……そう言えないこともない、かも? いえ、ですが……」


 フリツィオーネの言い分に、言い淀むメイド。


「ほら、いいから教えなさい。貴方は見てきたんでしょう?」

「……分かりました。ただ、姫様も他人の色恋だけではなく自分の色恋にも興味を持って下さい。その年齢でまだ独身というのは、色々と不味いですよ? ベスティア帝国の大貴族から、周辺国家の王族、更にはミレアーナ王国からも縁談の話が来ているというのに」

「何を言ってるのよ、色恋沙汰は他人のことだから面白いんじゃない。ほら、早く」


 笑みを浮かべて民に手を振りながら発しているとは思えない言葉に、メイドは諦めの溜息を吐いてから口を開く。


「ジャスティナは、門番の人と会話をしていました。最初は帝都を出る時のやり取りもあって、お互いに色々とあったのでしょうが、話しているうちに徐々に打ち解けていったみたいです。もっとも、ジャスティナの様子を見る限りではまだそういう雰囲気は全くありませんでしたが」

「そう。じゃあ、もう少し頑張って貰わないといけないわね。でも、わざわざ貴族用の門の方に向かったんだから、何も思っていない訳ではないのでしょう?」


 メイドに話し掛けながら、フリツィオーネの脳裏に浮かんだのは自分が帝都から脱出する時のやり取り。

 白薔薇騎士団の一員として、ジャスティナは貴族用の門の門番をしていた相手と半ば喧嘩腰に近いやり取りがあったのだ。

 それが、何がどういう思考経路を辿ったのか、その二人が現在は多少いい雰囲気になっていたらしい。


「けど、あの子は貴族の出でしょう? 相手も相応の地位が必要になると思うけど……貴族用の門にいたということは、貴族出身なのかしら?」

「ええ。ただ、アシュダン男爵の三男とのことですので、地位という面ではちょっと問題があるかもしれませんね」

「……そう。もし何かあったら、手助けをしてあげられるようにしておいて頂戴」

「いいのですか? アシュダン男爵はいい顔をしないのでは?」


 領地持ちの貴族の中では最も爵位の低い男爵ではあっても、その家を発展させる為に政略結婚を考えることはそうおかしな話ではない。……いや、この場合は爵位の低い貴族だからこそ、上の地位を目指すことに貪欲となるのだろう。

 尚、領地を持たない貴族として騎士という地位もあるが、これは一代限りの爵位であり平民が何らかの手柄を挙げた場合に貰えるものだ。また、騎士は騎士でも、軍事的な意味の騎士ではなく、あくまでも爵位としての騎士だ。

 騎士の身分の者が更に手柄を立てれば男爵となるが、平民から騎士になるのと、騎士から男爵になるのとでは大きく難易度が違う。


「アシュダン男爵もそうだけど、ジャスティナの父親も出世欲が強すぎるのよね。それが嫌でジャスティナは白薔薇騎士団に入ったのでしょう?」


 ジャスティナは隊長になれる程の技量はないものの、その心根は決して悪いものではないというのがフリツィオーネの印象だった。

 もっとも、性格の悪い者は元々白薔薇騎士団に入団する前に大抵弾かれるのだが。


「とにかく、白薔薇騎士団には出会いが元々少ないんだから、ジャスティナの出会いを応援しましょう。……勿論全員がきちんと事情を把握出来るようにしながらね」

「……寧ろ、そっちを楽しみにしているのでは?」


 メイドの疑わしげな言葉には聞こえない振りをしつつ、フリツィオーネは馬車の窓から民衆へと向かって手を振る。

 これ以上何を言っても無駄だと判断したのだろう。メイドは唐突に話題を変える。


「それよりも、フリツィオーネ殿下。今回の内乱でメルクリオ殿下が次期皇位継承者となることに決まりましたが、フリツィオーネ殿下はそれで良かったのですか?」

「何が、かしら?」

「フリツィオーネ殿下がもう少しその気であれば、メルクリオ殿下の代わりに次期皇位継承者になれたのではないか、と思ったもので」

「……無理でしょう。そもそもレイが向こうにいる時点で、どうしようもなかった筈よ。それこそ、ノイズが手元にでもいない限りは。それに……確かに私も以前は皇帝の座を望んでいたわ。けど、今はメルクリオの補佐という形でも十分私の目的は叶えられると思っているのよ」

「皆が幸せに……ですか」

「そこまでは言わないわよ。実際、今回の内乱でも多くの人が亡くなったわ。とてもじゃないけど、全員が幸せになれるなんてことは言えない。けど……それでも、出来るだけ多くの人を幸せにしたいと思っているの。それにはミレアーナ王国と敵対するのではなく、友好的な関係を築くことが必要よ」


 ミレアーナ王国との友好関係を築くのがそう簡単なことではないというのは、当然フリツィオーネも知っている。

 だが内陸にあり山に囲まれているといっても過言ではないベスティア帝国としては、どうしても海が必要なのだ。

 今までは、ミレアーナ王国よりも高い国力と戦力でミレアーナ王国を占領するという方法で海を目指してきた。

 勿論、それは海だけではない。

 ミレアーナ王国は、ベスティア帝国には及ばないものの、十分に大国と呼んでもいいだけの国だ。

 それは長年ベスティア帝国と敵対していながらも、未だにミレアーナ王国として存続しているのが示している。

 その国を併合出来れば、それはベスティア帝国にとってどれ程の利益をもたらすか想像も出来ない。

 また、過去にはミレアーナ王国と友好関係にしようとして、それがご破算になったこともある。

 それらの過去があるからこそ、今のベスティア帝国はミレアーナ王国を占領し、併合しようとしていた。


「けど……戦って強制的に併合をしてしまえば、間違いなく火種となるわ。特に今ではミレアーナ王国にはレイがいるし、恐らくヴィヘラも戦争となれば向こうに手を貸す可能性が高い。ランクSのノイズに勝ったレイと、ランクAのディグマに勝ったヴィヘラ。それに……そのディグマもベスティア帝国の出奔を仄めかしているわ。とてもじゃないけど、ミレアーナ王国と敵対してどうにか出来るとは思えない」


 笑みを浮かべながらも、フリツィオーネの呟きはその笑みとは正反対の憂鬱な色を宿していた。






「うわぁ……凄いですね、レイ隊長」


 メルクリオ軍の、後方に近い位置。

 そこで、遊撃隊の一人が自分達に向かって歓声を上げている民衆に驚きの声を上げる。

 これまでこんな扱いを受けたことがなかった為だろう。暫くは驚きながらも、次第にその目には興奮の色が宿ってくる。


「そうだな。確かにここまで立派に準備が進められているとは思わなかった」


 レイにしてみればこの戦いはあくまでも内乱であり、戦いに勝ったのは確かに自分達だが、下手をすれば帝都に入った瞬間に攻撃される可能性もあるのでは? という思いを抱いてすらいた。

 だが帝都に入ったメルクリオ軍を出迎えたのは、兵士ではなく歓声を上げる民衆だった。


「根回しとか、政治的な問題とか、そういうのが色々とあるんだろうけど……な」

「グルゥ?」


 レイを背中に乗せているセトが、その呟きに後ろを向いて首を傾げる。


「いや、何でもない。とにかく今はこの凱旋パレードを終わらせるのが先決だ」


 セトの首の後ろを撫でながら、レイはテオレームからの要求でドラゴンローブのフードを下ろし、慣れない様子で凱旋パレードに参加する。

 そんなレイの姿に闘技大会を知っている者は大きく歓声を上げ、それを知らないようなモグリであっても女顔と言われても納得出来る程に整ったレイの顔に、思わず感嘆の溜息を吐く。

 ……もっとも、後者はレイが乗っているセトに対する感嘆も含まれていたのだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る