第822話

 その場所は、怪我人を集めている治療所とも言うべき場所だった。

 そこで治療を受けているのは殆どがメルクリオ軍の兵士だが、中には捕虜となった討伐軍の兵士の姿もある。

 討伐軍が降伏したという報告はここにも届いていたのだろう。そこで働いている者達は、その多くが笑みを浮かべていた。

 治療を受けている討伐軍の兵士の中には、悲痛な表情を浮かべている者もいる。

 自分達が負けたとは信じたくないのだろう。

 もっとも、メルクリオ軍の四倍以上もの兵力を用意したのだ。

 そんな状況である以上、間違いなく勝てると思っていたとしてもおかしくはない。

 それでも討伐軍の負けが信じられずに暴れたりしなかったのは、やはり怪我をした自分達の傷を治療してくれた相手に対して迷惑を掛けたくなかったからか。

 ただし、この治療所で行われている治療は、その殆どが薬の類を使ったものだ。

 回復魔法を使える者は元々それ程多くなく、命に関わる重症で一刻の猶予もない者に限られるし、ポーションの類も回復魔法程ではなくても重い傷を負った者に使われることになる。

 元々メルクリオ軍は討伐軍に比べてポーションの類を豊富に持っている訳ではないのだから、これは当然だろう。

 結果的に、ポーションよりも安価な薬を使った治療が主となる。

 そんな場所にレイは一人で姿を現し、周囲を見回す。

 いつも一緒にいるセトの姿はない。

 治療所へと出向くのにセトを連れていけば、まだセトに慣れていない者が怯えるのではないかという判断から、セトはメルクリオの護衛として残してきたのだ。

 討伐軍が降伏をした以上、メルクリオやその周辺にいる人物の危険は下がったが、それでも破れかぶれになった討伐軍の兵士がメルクリオの命を狙わないとは限らないのだから。


(それに、セトはロドスと相性が悪いしな)


 やはり初対面での第一印象が最悪だったのが原因なのか、セトはロドスを嫌っている。

 これは普段人懐っこいセトにしては、非常に珍しいことだった。

 そんなセトを、ロドスの様子を見に来る為に連れてくればお互いに面白くないだろうという一面もあった。

 もっとも、レイがテオレームから聞いた話だとロドスは意識を失っていて目を覚ます気配もないのだが。

 ロドスの姿を探して周囲を見回すが、一万人もの兵力を有するメルクリオ軍の治療所だ。

 そこで治療を受けて安静にしている兵士の数は、討伐軍側の人数とも合わせてかなり多い。

 自分だけでロドスの姿を探すのは不可能だと判断したレイは、近くを通りかかった人物に尋ねようとして……その動きを止める。


「……おい、何でお前がここにいるんだ?」


 予想外の相手に、思わず素の表情で尋ねたレイに、その人物は特に驚いた様子もなく口を開く。


「何、回復魔法の使い手が少ないという話なのでな。幸い私の使う水の精霊魔法には回復に使える魔法も多い。そこで治療に協力することと引き替えに、捕虜としての待遇に幾らか便宜を図って貰うことになったのだよ」


 そう告げる人物……ディグマは、素早く水の精霊魔法を使って、重傷者へと水を飛ばす。

 脇腹が斬り裂かれて内臓がはみ出ている兵士の胴体をその水が覆うと、痛みに呻いていた兵士の顔が安らかなものへと変わる。

 レイと話しながら一歩も動かず、的確に重傷を負った者にだけ回復魔法を使っていくその手腕は、水竜のディグマと呼ばれている異名が純粋に戦闘能力だけで得たものではないことを示していた。


(そういう意味だと、完全に俺の方が負けてるんだよな)


 自分が戦闘に特化している存在であるのを理解しているレイとしては、ディグマの様子を羨ましく思う。


(もしも俺が戦闘以外の異名をつけられるとしたら……)


 レイの脳裏に、自分がエルジィンへとやってきてからの行為の数々が思い出され、やがて一つの結論を導き出す。


(料理のレイ、とか?)


 ギルムで広まったうどんは、既に周辺の街でも流行を始めているし、港町のエモシオンで作った海鮮お好み焼きもそれなりに評判はよかった。

 帝都でも……と考え、すぐに首を横に振る。


(明らかに侮られる異名だろ。……相手を血祭りに料理するとか、そういう風に思わない限りは)


 レイの様子をどこか興味深そうに見ていたディグマだったが、このままでは時間が無駄に過ぎていくと判断して、口を開く。


「それで、一体お前は何をしにここに来たんだ?」

「ん? ……ああ、そういえばそうだった。実は、この治療所にロドスがいるって聞いてな。何か異常があったって話だったから、ちょっと様子を見に来たんだ」

「ロドス……闘技大会にも出ていたな。ああ、確かにいる。ただ、ちょっと……今はまだ会ってもしょうがないだろう。かなり副作用の強いマジックアイテムを使ったらしく、身体に異常がある」


 レイの言葉に即座に返すディグマ。

 これだけの怪我人がいる中で、ロドスと言われてすぐに誰のことを言っているのかを理解したのは、やはりそれだけロドスの症状が特徴的なものだったからなのだろう。


「具体的には?」


 レイにしてみれば、ロドスは友人でもあるエルクの息子であり、色々と因縁のある相手でもある。

 決して仲のいい相手という訳ではなかったが、それでも死んだりしてしまえばエルクやその妻であるミンに対して合わせる顔がなくなるのも事実だ。


「意識を失っている。一応私の精霊魔法で可能な限りの治療はしたが、意識が戻るかどうかは分からない。それに、もし戻ったとしても何らかの後遺症が残る可能性は少なからずあるだろう」

「……そうか」


 ディグマの言葉にレイは数秒の間目を瞑り、そして口を開く。


「回復魔法を使えるお前の感覚的なものでいいから聞きたいんだが、ロドスが目を覚まして元のように冒険者としてやっていける可能性はあるか?」

「そうだな、完全に副作用なしで今まで通りに活動出来るのが一割、軽い後遺症がある程度なのが三割、重い後遺症が残るのが二割」

「……残り四割は?」


 その問い掛けに、ディグマは端正な顔を横に振って答える。

 それが、何を意味しているのかというのは明らかだった。


「そうか」


 小さく呟き、溜息を吐く。

 出来れば意識を取り戻して欲しい。そうも思うのだが、重い後遺症が残ってしまえば、それはそれでロドスにとってもショックだろうと。


「どうする? 見ていくか?」


 改めて尋ねてくるディグマに、レイは首を横に振る。


「いや、意識がないのなら、今の俺が見てもしょうがない。この内乱が正式に終わったら、その時には顔を出すよ」

「そうか、分かった。……内乱はやはり討伐軍側の方が負けか?」

「ああ」


 カバジードが自らの命を以て敗戦の責任を取ったというのはまだ言わない方がいいだろうと判断し、短く答える。

 また、レイの中でもまだカバジードに対する思いの整理が出来ていないというのも理由だが。

 十数秒、お互いが黙り込む。

 ただし、お互いが言葉を発さずともここは治療所の中だ。

 当然痛みに呻く兵士の声が周囲には響き渡っていた。


「ヴィヘラ殿は、無事だったか?」


 その沈黙を破ったのは、ディグマ。

 不意に出て来たその名前にレイは小さく首を傾げ、すぐに納得する。

 誰がディグマを倒したのかと。

 それを考えれば、ここでその名前が出てくるのはそうおかしな話ではなかった。


「無事だよ。ただ、本人はこれ以上表に出るつもりはないみたいだけどな」


 だからこそ、この内乱の終わりをどう纏めるのかをメルクリオやテオレームからの指示を貰う為に、レイが本陣まで戻ってきたのだから。

 だが、ディグマにしてみればレイの言葉は理解出来なかったのだろう。微かに眉を顰めながら不満そうに口を開く。


「何故だ? あれ程の活躍をしたヴィヘラ殿が、その功績を自ら捨てる? メルクリオ殿下辺りの……いや、違うか」


 ディグマもヴィヘラに捕虜として捕らえられ、意識を取り戻してからはメルクリオと少しだけだが会話をする機会があった。

 その際にディグマを捕らえたのがヴィヘラだということもあり、ヴィヘラに関しての話題も出たのだ。

 そうである以上、メルクリオが姉をどれだけ大事に思っているのかというのは当然理解出来たし、そんなメルクリオが大事な姉から功績を奪うということは有り得ないと判断する。

 それは事実であり、だからこそディグマは何故ヴィヘラが自らの功績をあっさりと譲るのかが理解出来ず、首を傾げる。

 その秀麗な顔から常に人の注目を浴びてきたディグマだけに、ヴィヘラが何を考えているのかいまいち理解出来ない。

 もっとも、その根底にあるのはヴィヘラの強さと美しさに心を奪われてしまったディグマの想いがあるのだが。


「ベスティア帝国出身なら知ってると思うが、ヴィヘラはベスティア帝国を出奔している。それだけに、あまり目立ちたくもないんだろ。だからこそ、本来の立場を公にせず、このままひっそりと消えて行くつも……」

「何だと!?」


 つもりだ。そう言おうとしたレイの言葉を強引に遮り、ディグマが叫ぶ。

 その声はランクA冒険者としての迫力に満ちており、周囲の怪我人達が思わず身を竦ませる。

 だが、レイはディグマが何に対してそんなに興奮しているのかが分からず、首を傾げていた。


「ヴィヘラ殿が消えるだと! どこに行くというのだ!?」


 今にも襲い掛からんばかりの迫力で尋ねてくるディグマだったが、別にレイがヴィヘラの行き先を知っている訳ではない以上、それを教えることは出来ない。

 あるいは……と思う場所は幾つかあるが、それもあくまでもレイの予想でしかなく、確実ではない。

 それ以上に、ここでヴィヘラがどこに行くのかを教えた場合、後々面倒な事態になるのは間違いないような気がした。


「それを俺に聞かれてもな。ただ、国を出奔ってことなんだし、ベスティア帝国からは出て行くんじゃないのか?」

「そうか。……そうか。……何だと!? ベスティア帝国から出て行く!?」


 端整な顔立ちを歪めて尋ねてくるディグマ。

 そんなディグマを見て、この男はこんなに面倒な相手だったか? と思いつつ、レイは頷く。


「出奔したんだから、その辺は当然だと思うが?」

「いや、帝都周辺ではないにしろ、どこかベスティア帝国領内の辺境や田舎辺りでも……」

「……その可能性はなくはないけど……」


 無理だろうな。言外に滲ませながら告げるレイ。

 良くも悪くも、ヴィヘラはベスティア帝国では目立つ。

 その容姿や実力は、どんな田舎にいてもひっそりと過ごすということは出来ないだろう。

 また、ヴィヘラ自身も戦闘狂という一面がある以上、田舎で隠遁生活をするなんて真似は出来ない。


「だとすれば、私もベスティア帝国を出て行くべきか」

「そんな簡単に決めていいのか?」


 水竜という異名を持つだけあって、ディグマはベスティア帝国内でも有数の実力者だ。

 その実力者が、あっさりと国を出ると言っているのだから、ベスティア帝国にしてみれば色々と面白くない出来事だろう。

 冒険者があくまでも個人である以上、強制的に国に縛り付けることは出来ない。

 出来ないのだが……それでもベスティア帝国にしてみれば、ディグマ程の人物が他の国に行くというのは出来れば阻止したい筈だった。

 もっとも強制的に縛り付けようとしても、異名持ちのランクA冒険者を相手にどうするかという問題はあるのだが。

 迂闊な戦力でどうにかしようとしても、それでどうにか出来るのであれば異名持ちにはなっていないし、その戦力が丸ごと消滅する危険すらある。

 確実にどうにかする為にはより上位の実力を持っている者を用意するか、それ以外……金や女、権力といったもので国に縛る必要があった。

 ただし、高ランク冒険者になればそれだけ高額な報酬を得られる依頼を受けることが出来、女もそれこそよりどりみどりであり、権力に関しても特に興味を持たない者も多いのだが。

 そしてレイにしてみれば、ディグマという強力な戦力がベスティア帝国から消えてくれるのは悪い話ではない。

 ミレアーナ王国との戦争で戦う可能性を考えると、寧ろ積極的に勧めたいとすら思う。

 水の精霊魔法を使うディグマは、異名ともなった水竜を使えば対多数との戦闘を得意としており、こうして治療所にいるのを見れば分かるように、使用出来る者がそれ程多くはない回復魔法も得意としているのだから。


「何を言う? 冒険者は自由な存在なのだ。自らの心に従い、自由に生きるべきだろう」

「……まぁ、お前がそれでいいんなら、構わないけどな」


 レイがディグマへとそう返すと、治療所の入り口に現れた兵士が近づいてくるのに気が付く。


「レイ隊長、メルクリオ殿下達の用意が出来ましたので、至急来て欲しいとのことです」

「そうか、分かった。……って訳で、俺はそろそろ行く。ロドスのこと、よろしく頼む」

「ああ」


 短く言葉を交わし、レイは兵士と共に治療所を出て行く。

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