第811話

 レイは炎帝の紅鎧を発動したまま討伐軍の後陣で好き放題に暴れ、その結果討伐軍の後陣は莫大な被害を受けていた。

 怪我人や死人という意味での被害はそれ程大したことはないのだが、レイの戦い……とすら呼べない、一方的な蹂躙を見た兵士達がそれぞれ恐怖や畏怖を抱き、逃げ出す者が続出したのだ。

 勿論討伐軍の中には、貴族やそれに忠誠を尽くす兵士といった者もいる。

 だが、四万人を超えるだけの戦力ともなれば当然そのような者達だけで人数を揃える事も出来ず、殆どが傭兵や冒険者、そして貴族が自らの領地から集めた者達が多い。 

 そのような者達が、レイという規格外の存在を見たらどうなるか。

 しかも、そのレイはノイズと戦って勝ったのだという話を聞いたらどうなるのか。

 それが無数の逃亡兵を生み、そこまでいかなくても戦う気力がない程に士気が下がっている者も多い。

 当然部隊を率いている隊長や騎士達はそんな兵士に対して戦うように命じるのだが……


「戦え! ここで勝たねば、シュルス殿下の未来はない! お前達も敗残の兵として扱われることになるのだぞ! 奴を倒せとは言わん。少しでも足止めを……」

「ひぃ、来たぁ!」


 何とか士気を上げようとしていた隊長の周囲にいた兵士が、深紅の魔力を身に纏ったレイが真っ直ぐに自分達の方へと突っ込んで来るのをみて、すぐに逃げ散る。

 隊長もこのままでは危険だと判断し、何とか怯えている馬を移動させてその場から離れるのだが……

 急激に周囲が熱くなっているのを感じ取り、馬上から振り向いた隊長が見たのは、自分のすぐ横で今にもデスサイズを振るおうとしているレイの姿だった。


「がっ!」


 馬に乗っている隊長の高さに届くようにと、跳躍して横薙ぎに振るわれたデスサイズは、隊長の胴体を上下に切断する。

 魔力を通したデスサイズ、炎帝の紅鎧により増した身体能力の二つにより振るわれた一閃は、隊長の装備していた金属鎧であっても防ぐことは出来ず、綺麗に切断される。

 ……綺麗に切断され過ぎ、そのまま隊長を乗せた馬が数十mも進んで、ようやく上半身が地面に落ちる程の鋭さだったが。

 そんな風に、レイは討伐軍を混乱させるという目的を達成するべく指揮を執っている人物を優先して狙っていく。 

 その中には少なからず貴族も混ざっていたのだが、レイにしてみればベスティア帝国の貴族であり、メルクリオ軍と敵対している貴族でしかない。

 命乞いをされたとしても今の自分が降伏した相手を連れて歩ける筈もなく、結局はデスサイズの一撃により切断され、あるいは深炎を飛ばして炎の柱で焼き殺していった。

 そうして討伐軍の中をメルクリオ軍のいる方へと向かって突き進んでいると、いつの間にか後陣を貫き、前線近くまでやってきているのに気が付く。

 更には視線の先に見覚えのある人物の姿を目にし、レイの口元には笑みが浮かぶ。

 その人物は、近づく敵を無造作に倒している。

 それでいながら殺すようなことはせず、気絶だけに留めているのは卓越した技量のおかげか。

 だが、今その顔に浮かんでいるのは戦闘を楽しむといった顔ではない。

 敵が弱すぎるのだろうと判断し、レイは足に力を込めて地を蹴り、前に残っていた敵を炎帝の紅鎧を身に纏ったまま吹き飛ばして突破する。

 その瞬間、ヴィヘラがレイのいる方へと視線を向け、先程までの表情は何だったのかと思う程の笑みを浮かべる。

 元々派手な美貌を持つヴィヘラだけに、それだけで周囲に華が咲いたようにすら思えた。


「待たせたか?」

「ええ……けど、出来ればちょっと離れて貰える? 私はまだ何とか耐えられるけど、他の人が今のレイの側には近寄れないから」


 喜びの笑みを苦笑へと変えて告げるヴィヘラに、レイは炎帝の紅鎧が周囲に発している熱気の件を思い出す。

 いつものようにソロで戦っている時は悪影響がない……どころか、近接攻撃を躊躇させる程の熱気を放っている炎帝の紅鎧だったが、こうして仲間と共に集団で行動するとなると途端にその辺は使いづらい能力となる。


「と、悪い」


 ヴィヘラから距離を取るレイ。


(今更だけど、完全にソロ特化型の能力だな。せめて、この熱気だけでも何とかなればいいんだろうが……な!)


 背後から空気を斬り裂きながら自分の背中へと向かって飛んでくる槍を、炎帝の紅鎧を構成している魔力で触手を作って叩き落とす。

 同時に柄の部分が木で出来ていた槍は触手で叩き落とされると燃え、別の触手から槍の飛んできた方へと向かって深炎を飛ばす。

 拳程の大きさの深炎が飛んでいき、レイに向かって槍を投擲した冒険者へと命中。瞬時に巨大な炎の柱となってその冒険者を炎に包む。


「ぎゃあああああああああああああ……」


 最初は周囲に響き渡る程の悲鳴を出していた冒険者だったが、深炎の炎に耐えることは出来なかったのだろう。

 そのまま地面へと倒れ、身体だけではなく命そのものまで燃やしつくされる。


「……また、随分と愉快な能力を身につけたわね」


 今の一連のやり取りに驚いたものの、すぐにヴィヘラの口には笑みが浮かぶ。

 強いと、今の一連の動作を見ただけでそれが分かったからだ。

 だが、レイはそんなヴィヘラの言葉に黙って首を横に振る。

 レイにしてみれば、これ程の強さを……覇王の鎧の上位互換でもあるスキルを会得したというのに、ノイズを逃がしてしまった。

 形式の上では自分がノイズに対して勝利を得たことになっているのだが、レイにしてみれば譲られた勝利に過ぎない。

 幾ら強力なスキルを身につけたとしても、それを使いこなせるかどうかはまた別だということなのだろう。

 それをこれ以上ない程に見せつけられただけに、レイとしてはヴィヘラの言葉を素直に喜べる筈もなかった。


「そうだな。確かに強力なスキルだとは思うけど、色々と欠点もある。特に魔力の消費とか」


 吸魔の腕輪の効果もあって、今こうしてヴィヘラの前までやって来たようにすればある程度の魔力の消費は抑えられるが、そもそもここまで大きな戦いというのは滅多にあるものではない。


「ふーん、まぁ、その辺の話はこの戦いが終わった後でゆっくりと聞かせて頂戴。今はとにかく、討伐軍の方をどうにかしないと……ね!」


 自分目掛けて放たれた矢を、手甲から伸びた爪で切断するヴィヘラ。

 それを見ながら、再びレイは炎帝の紅鎧で触手を作り、深炎を飛ばす。

 轟っ、という音と共に炎の柱が姿を現し、弓兵を焼き殺した。


「さて、じゃあお互いにこうして戦場で出会えたことだし、そろそろ戦いを終わらせるか?」

「そうね。……と言いたいところなんだけど、レイと一緒に私達が行動出来ないのは辛いわね。敵本陣に対して攻撃を仕掛けるにしても、これ以上ない程に目立つし」

「だろうな、それは理解している」


 魔力が白く光っていた覇王の鎧もかなり目立っていたが、炎帝の紅鎧はレイの異名を現すように深紅の魔力を身に纏っている。

 目立つという意味では、覇王の鎧よりも目立っているのは間違いない。

 そんな目立つ状態のレイが敵本陣に突っ込んで行けば、当然討伐軍側にしてもレイをそれ以上進ませない為に戦力を出してくるのは当然であり、死傷者の数が増すことになる。


「ですが、ヴィヘラ様。こちらの圧倒的な勝利を知らしめる意味でも、正面から堂々と進んだ方がいいのでは? そうすれば、これ以上ない形でこちらの勝利を喧伝出来ますが」

「……そうね。私としてもそれはいいと思うけど、その場合、兵士だけじゃなくて貴族や上級士官といった者達もより多く死ぬことになるわ。しかもカバジード兄上とシュルス兄上についている貴族は多い。つまり、この内乱が終わった後でお家騒動が起こる可能性が高いのよ。そんなことになったら、折角内乱が終わったのにまたベスティア帝国が乱れるわ。しかも一気に多数の貴族がお家騒動になれば、策謀が策謀を呼んで泥沼化する可能性が高い。折角内乱が終わったのに、それだとまた無駄に国力を落とすことになりかねないわ」

「なるほど、相手方の貴族はなるべく生かす方向でお考えでしたか。てっきり私は逆らった相手は全て処刑……とまではいかなくても、粛正くらいはすると思っていたのですが」


 残念ですと呟くティユールは、本気で言っているのかどうか、横で見ていたレイには理解出来なかった。


「当然でしょう。内乱を起こした私が言うのもなんだけど、ただでさえ今回の件は周辺諸国から色々と興味深く見られているのよ。幸い、今は帝国軍が国境付近を固めているし、ミレアーナ王国の方も貴族派と中立派が抑えてくれているけど、混乱が長引けばどんな手を打ってくるか……」

「ミレアーナ王国の方は、何だかんだと平気そうだけどな。取りあえず話を戻してだ。結局俺はどうすればいいんだ? 少し遅れたけど、一応当初の目的だった討伐軍の後陣を攻撃して混乱させるって目的は果たした以上、やるべきことはないんだけどな」

「……一応とか、よくもまぁ……」


 数秒前までとは全く違った表情で唖然と呟くティユール。

 隣では、ヴィヘラもティユールの言葉に同意するように苦笑を浮かべている。

 後陣の混乱。

 一言で言えば、確かにその通りだろう。

 だが実際は、そんな言葉では言い表せない程に討伐軍は混乱していた。

 それも当然。誰が自軍後陣からあれだけ周囲に被害を撒き散らしながら突っ込んで来ると思うのか。

 現在討伐軍の中央部隊に起こっているのは、混乱という言葉では到底言い表せず、大混乱と言ってもまだ足りない。壊乱とでも呼ぶのが正しいだろう。

 そんな状況でありながら……


「グルルルルルルルゥッ!」


 セトがファイアブレスを吐きながら、上空を飛んでいるのだ。

 矢を放ったり、魔法を放ったり、果てにはどこから持ってきたのか投石機で石を放っている者もいる。

 だが全ての攻撃は回避されるなり、叩き落とされるなりしており、投石機の攻撃にいたってはセトが回避した結果味方の頭上に落ちて無駄に被害を増していた。

 少し考えれば分かることだったが、何故かファイアブレスや水球、ウィンドアロー、アイスアローといった普通のグリフォンでは有り得ない攻撃をしているセトは、討伐軍の上空から攻撃しているのだ。

 そんなセトへ周囲が混乱している状況で攻撃すれば、その攻撃が相手に命中しない限りは地上へと落ちて味方に被害を与えるのは当然だろう。

 そのような攻撃で味方に被害が出て、更に混乱に拍車を掛ける。

 レイやセトに運良く狙われていなかった数少ない士官では、人数的にそれを収められる筈もない。

 混乱が混乱を呼び、更に混乱するという完全な悪循環。

 しかも、前線ではそんな討伐軍の様子に構うことなく……いや、寧ろその混乱に乗じるようにして攻撃を加えていく。

 今はヴィヘラやレイが合流して、お互いにこれからのことを話している為に若干勢いが弱まっているが、それでも他のメルクリオ軍の兵士達は今こそ好機とばかりに攻撃を加えている。

 そんな状況である以上、もう一押し、二押しすれば、中央で戦っている討伐軍の士気が下がり、一気に崩れてもおかしくはなかった。


「中央はレイの行動で完全に混乱して崩壊しそうになってるから、レイとセトには右翼と左翼に攻撃をお願いしたいんだけど。どうかしら?」


 ヴィヘラの言葉に、レイは一旦炎帝の紅鎧を解除し、近くの馬に跳び乗って右翼と左翼へと視線を向ける。

 中央と比べると大分距離はあるが、それでもレイの視力があれば十分に確認出来る。

 右翼は白薔薇騎士団が討伐軍の騎馬隊と未だに激しい戦いを繰り広げており、左翼の方では魔獣兵が苦戦中。

 本来であれば、ヴィヘラ率いる部隊は左翼だったのだが、ヴィヘラが部隊を離れて水竜のディグマと戦い、その間にグルガスト率いる部隊は自分の好き勝手に戦いを繰り広げて、いつの間にか中央すら通り越し、右翼の騎馬隊の戦いに顔を出しもしていた。

 もっとも、今はグルガストもティユールも中央にやってきているのだが。

 その結果、左翼は魔獣兵達が戦ってはいるが、ペルフィール率いる討伐軍を相手に苦戦しているという状況だった。

 右翼は騎馬隊同士の戦いで、一時期は歩兵が物量で攻撃してきた為に苦戦もしたのだが、そこはグルガスト達が突撃して討伐軍側に大きな被害を与えていた。

 その結果、右翼は現状半ば互角……いや、中央の混乱が徐々に伝わってきており、若干メルクリオ軍有利という戦況に傾いている。

 そんな両翼の戦いを見ながら馬から降り、レイは決断する。


「分かった。じゃあ左翼は俺が向かう。右翼にはセトを行かせよう」


 左翼は魔獣兵達が押されており、より大きな戦力が必要とされている。 

 そして右翼の白薔薇騎士団はセトはともかくレイに対して思うところがある者も多い。 

 それらから考えた結果が、レイの口から出た言葉だった。

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