第799話

「来たぞ、来たぞ、来たぞ! 怯むな、絶対にここで怯むな! あの化け物共をこれ以上進ませるなぁ!」


 戦場に響く、必死な声。

 だがその声を聞く討伐軍の兵士達は、戦意を向上させるどころか自らの中に存在する怯えをどうにかして抑え込むのに必死だった。

 それも当然だろう。

 今、自分達目掛けて向かってきている存在は、とても人間には見えない存在だったのだから。

 もしも自分達へと向かってきているのがメルクリオ軍の兵士であれば……あるいは騎兵隊の類であっても、恐らくここまで怯えることはなかっただろう。

 だが、今自分達に向かってきているのはそんな生やさしい存在ではない。

 身体から触手が生えていたり、鱗が生えていたり、尻尾が生えていたり。

 それだけであれば、獣人や人型のモンスターの類と見間違えてもいいのかもしれないが、そのような特徴が幾つも混ざっているような存在ともなれば、話は別だった。

 木の根のような足を動かしながら、見るからに生々しい触手を背中から生やしているようなもの。

 一見すると上半身はリザードマンのようでありながらも、下半身が蛇のように伸びているもの。

 巨大なムカデに人間の顔がついているもの。

 緑色の毛皮を持ち、身体中に幾つもの巨大な目が存在しているゴリラのようなもの。

 巨大なカマキリの身体から、無数の触手が伸びているようなもの。

 それこそ、これ以外にも形容しがたい存在はまだ数多く存在していた。

 そんな化け物達……魔獣兵達が真っ直ぐ自分達へと向かってくるのを見て、恐れない兵士はいない。

 いや、恐慌状態に陥り、その場を逃げ出さないだけ上出来だろう。


「くそっ、何だってあんな化け物共がこっちに……」

「全くだ。確かあれって春の戦争に使われた魔獣兵とかいう奴だろ? 確かメルクリオ殿下から権限は奪い取られてたって話なのに」

「今はそんなことを考えている場合ではない。奴等にここを突破させる訳にはいかんのだ! 弓兵、撃てぇっ!」


 指揮官の声に従い、後方から大量の矢が放たれる。

 だが……魔獣兵というのは、純粋な戦闘力では人間の兵士よりも遙かに格上の存在だ。

 自分に向かって飛んでくる矢を回避し、どうしても命中するようなものは触手や手足といったものを使って叩き落とし、あるいは最初から全く回避する様子もみせずに身体を覆っている粘液で受け流す。

 本来であれば先制攻撃として放たれ、敵の勢いを幾らかでも落とす筈の攻撃は、殆ど効果がないままに無効化される。

 それどころか、その光景を見た兵士達が予想外の光景に怖じ気づき、士気を下げる結果とすらなっていた。

 そして、突撃してきた魔獣兵はそのまま討伐軍の前列へと突っ込んで行く。


「こんなところでやられてたまるか! 皆、槍だ! 槍を使え! あいつ等をこ……」


 部下を指揮していた人物が、叫んでいる途中で唐突に黙り込む。

 近くにいた兵士が、どう戦えばいいのか、陣形をどうすればいいのかと尋ねようと、その指揮官に近づくと思わず息を呑む。

 そこに広がってたのは、右耳から眼球、側頭部のあたりまでが綺麗に抉り取られている死体だった。

 その傷口から脳みそが零れ落ち、思わずその場で胃の中のものを戻す。

 この兵士にしても、それなりに戦場を潜り抜けてきた経験はあったが、それでも思わず吐き出してしまうような、そんな光景が広がっていた。


「げえええぇぇっ、うげぇっ、そんな、何でこんな……うげえええええぇっ!」


 戦場でそんな風に吐いている状態の者がいれば、当然狙われる訳で……


「死ねよ、おらぁっ!」


 上半身がゴーレムのような石で構成されている魔獣兵が、腕を掲げて振り下ろす。

 本来であれば、石で出来た腕が兵士の頭部を粉砕していただろう。

 だが、魔獣兵の男は目の前に広がっている光景に首を傾げる。

 自分の腕が……人間でいえば肘から先が存在していない、その光景に。


「あれ? 何で俺の腕が……」

「人の姿を捨てた下郎が。私の兵士達をそう容易く殺せると思うな!」


 その言葉と共に放たれた一撃は、石で出来ている上半身を苦もなく斬り裂き、魔獣兵は周囲に血を撒き散らしながら地へと沈む。


「臆するな! 奴等は所詮人の姿のままでは強くなれぬと、異形の姿に逃げ出した者達だ! そのような者の相手に、私達が……このペルフィールが率いる兵がやられる筈はない! 立て! そして武器を構えろ! この一戦こそが私達の未来を決める一戦! 家族の、友人の、恋人の為に! その手に持つ武器を構えろ!」


 ペルフィールの叫びに、それを聞いていた兵士達が改めてそれぞれの武器を握り締める。

 このまま負ければ、討伐軍に与した自分やその家族達にどのような未来が待っているのかと考えながら。


「負けるか……負けるかぁっ!」

「うおおおおおおおおおぉっ!」

「武器を手に取れ! この戦いで負ければ、俺達の未来はないぞ!」


 そんな風に兵士同士で声を掛けながら、武器を手にして魔獣兵へと立ち向かっていく。

 確かに個々の能力では魔獣兵の方が圧倒しているだろう。だが、それでも数の差は力なのだ。

 質が量を凌駕するには、それこそレイのような桁外れの力が必要だった。

 その結果、徐々に討伐軍側が魔獣兵達を押し返しつつあり、このままならメルクリオ軍に逆撃を食らわせることも出来る。

 ペルフィールは周辺を警戒しながらもそう考え……ふと、地面へと視線を向ける。

 そこには、いつの間にか……本当にいつの間にか草が生えていた。

 もしも今が春や夏であれば、特に疑問には思わなかっただろう。

 秋であったとしても、まだ夏が終わってすぐの頃であれば特に気にすることはなかった。

 だが、今は既に秋も深まり、そろそろ雪が降ってもおかしくないだろう時期。

 そんな時期に、草が……それも青々とした草が生えていることがあるのか?

 ペルフィールの中で、本能が危険だと囁く。


「皆、地面に生えている草に……」


 注意しろ。

 本来であれば、そう言いたかったのだろう。

 だが、忠告を口にするのは明らかに遅かった。


「うわああああああああああああああっ!」

「くそっ、くそぉっ、何だよこれ、何だよこれぇっ!」

「畜生、切れろ、切れろよ! 何でこんな……」


 ペルフィールの耳に響くのは、悲鳴と戸惑い、混乱といった声。

 何が起きたのかと声のした方へと視線を向けると、そこでは信じられない光景が広がっていた。

 ある者は、地面から生えてきた草に身動きが出来ないように身体を締め付けられ、鎧の隙間から入り込んだ草によって首を絞められて真っ赤になって喘いでいる。

 ある者は、地面から生えている木の根に身体中を貫かれ、既に絶命している。

 ある者は、茨の蔦により身体を拘束された状態で振り回され、仲間にぶつかっては棘が身体に突き刺さる激痛で悲鳴を上げている。


「これは……っ!? そうか、魔獣兵か!」


 一瞬の躊躇いの後、すぐに以前にカバジードから見せて貰った魔獣兵に関しての資料を思い出す。

 そこには、魔獣兵の中には地中や水中を移動する能力を持つ者も希にではあるが存在するといったことが書かれていたのだ。

 その手の魔獣兵は儀式の成功率も非常に低く、接収したカバジード配下の者の命令には従わなかった為に処分したと書かれていたのだが……


(最低三種類か。あの報告書の内容が嘘だったのか? あの報告書を書いた者にはゆっくりを話を聞く必要があるな)


 内心で呟き、草の蔦で首を絞められている兵士へと近づき、長剣を一閃する。

 一撃で地面から伸びて首を絞めている蔦を切断し、続けての攻撃で他の蔦を切断していく。


「げほっ、ごほっ、はぁ、はぁ、はぁ……ペルフィール様、助かりました」


 感謝の言葉を告げる兵士をその場に残し、木の根、茨の蔦から次々に兵士を解放していく。

 だが、ペルフィールが攻撃出来るのはあくまでも地上に伸びている部分でしかない。

 大本の、地面の下にいる相手は攻撃する手段がなかった。

 切断した蔦や木の根を兵士達に引っ張らせてみるが、結局は途中で切れるだけであり、地下にいる魔獣兵と思われる存在は出てこない。

 更に、地上で行われている魔獣兵との戦いも終わった訳ではなく、今もまだ続いている。

 魔獣兵の姿に対する驚きから脱し、数の多さを活かして魔獣兵と互角に近い戦いを繰り広げてはいるのだが、いつ自分の足下から攻撃が来るのかを思えば、当然魔獣兵に対する集中力は欠く。

 ペルフィールが奮闘するものの、この戦線は互角に近い状況で半ば膠着することになる。

 





「奴等を回り込ませるな! ベスティア帝国最強の騎兵は俺達であるということを全ての者に知らしめろ!」


 ペルフィール率いる部隊と魔獣兵がぶつかっているのとは別の場所。

 そこでは、騎兵と騎兵がぶつかりあっていた。

 片や、精鋭として有名なシュルス直属の騎兵部隊。


「行きますわよ! 皆、この戦場に白き薔薇の美しさを見せつけるのです! 美しい薔薇にある棘は、私達に手を出そうとする方達にとっては致命傷となるのだと教えて差し上げますわ!」


 片や、フリツィオーネ直属の、第一部隊を先頭にした白薔薇騎士団。

 共にベスティア帝国でも屈指の実力を持つ騎兵部隊であり、それだけに以前からの対抗意識や確執もある。

 そんな二つの騎兵部隊だけに、戦場でぶつかり合えば激しい戦闘になるのは明白だった。


「撃てぇっ!」

「こっちも負けずに、全員、撃てぇっ!」


 シュルス直属の騎兵部隊の後方から一斉に放たれる矢や魔法。

 それを迎え撃つように、白薔薇騎士団の第五部隊、第六部隊から同様に矢や魔法が放たれた。

 矢が魔法により迎撃され、魔法が矢により迎撃される。

 そんな迎撃を抜けた一部の矢や魔法も、騎兵が持つ武器により叩き落とされ、斬り落とされていく。

 お互いに一流と呼んでもいいだけの実力を持つ集団だけに、相手に対して有効な一撃を与えるのは難しい。

 近接用の武器を持つ騎兵が、部隊ごとに別れては素早く移動しながら武器を打ち合わせ、相手を斬り、あるいは馬の上から叩き落とさんとする。

 また、騎兵の特徴でもある機動力を活かして相手の背後に回ろうとする部隊もいるが、相手もそれを黙って見逃す筈がなく、寧ろ包囲しようと広がり……それを見た背後に回ろうとしていた部隊は、突入場所をずらす。

 そんな目まぐるしい戦いが続く中で、アンジェラは白薔薇騎士団の各部隊に次々に命令を下していく。


「第二部隊、第三部隊はそれぞれ敵の背後に回り込むように、これ見よがしに移動を。第四部隊はそれを阻止しようとする部隊の横腹を突くように。第五部隊はその援護を」


 矢継ぎ早の指示に従い、白薔薇騎士団は自由に動き回る。


「うわぁ……あれに入っていくのは、どう考えても無理だろ」

「下手にあの中に入っていけば、こっちが死ぬな」

「けど、凄いよな。あのシュルス殿下直属の騎兵隊を相手に正面からやり合ってるぜ? しかも互角に」

「ああ。強いってのは分かっていたけど、正直まさかここまでとは思いも寄らなかった」

「俺、今回内乱があるまで白薔薇騎士団って儀礼の為の騎士団だとばかり思ってた」

「あー……確かにな。実際、式典とかにも結構出てたんだし、それは決して間違ってるって訳じゃないだろ?」

「寧ろ、儀礼用の騎士団が強さも持ってたってことだろ?」

「いや、普通は逆だろ」


 そんな風にやり取りをしているのは、白薔薇騎士団と行動を共にしていた兵士達。

 本来であれば白薔薇騎士団の行動を援護しなければいけないのだが、練度の高い騎兵隊同士の戦いになると予想された為、連携の拙い歩兵が下手に手を出せば味方に被害が出る可能性もあるとして、一時的に離れた場所で騎兵部隊同士の戦いを見学している。

 勿論ただ見ているだけではなく、この戦いに乗じて他の敵部隊が妙な横槍を入れてこないかというのを監視する役目もあった。

 そんな役目があるにも関わらず騎兵隊同士の戦いに目を奪われているのは、やはり一糸乱れぬと表現するのが相応しい動きだった為だろう。

 指揮官が指示を下すと、素早く命令に従って動くその様子は、あたかも騎兵隊という一つの生き物であるかのようにも思える。

 だからこそ、討伐軍、メルクリオ軍の両軍共がこの戦いに手を出すのを控えている。


「不謹慎だろうけど、この戦いはいつまでも見ていたいよな」


 兵士の一人が何気なく呟いた言葉だったが、それはこの場にいる兵士全員の思いを表しているかのようでもあった。

 騎兵隊同士が戦っており、それこそ今この一瞬でも命を奪われている者がいるというのは知っているし、見えている。

 だがそれでも、こうして離れてみている分には芸術的とすら言ってもいい戦いに目を奪われ続けるのだった。

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