第798話

 レイとノイズの戦いが激しく続いている頃、当然ながらメルクリオ軍と討伐軍の戦いも激しさを増していた。

 いや、この戦いで勝った方が内乱の勝者になるのだから、こちらの方がより激しい戦いが起きていると言ってもいいだろう。


「うふふふ、あはははは、どうしたの? もっと、もっと私を楽しませて頂戴! 自分から望んで戦場に来たのでしょう? なら、この程度の攻撃はどうとでもなるわよね!?」

「くそっ、何だってこんな……皇女ってのは普通もっとお淑やかなものだろう!?」

「そっちに行ったぞ! ルロンを守れ!」

「ちくしょうっ、弓術士を狙うのは当然だけど、この速度は洒落にならないぞ!」

「きゃあああああああっ!」


 悲鳴を上げつつ、ルロンと呼ばれた弓術士が地面へと崩れ落ちる。

 その身体には外傷の類はないが、それが何の保証もないことを冒険者達は知っていた。

 何故なら、この冒険者パーティの盾役となるべき戦士が真っ先に沈められたのだから。

 普段はレザーアーマーと盾を使って壁役となる男だったが、今回は戦争ということで金属鎧を身につけていた。

 だが、今仲間の弓術士を一撃で地面に倒させた相手は、そんな鎧は無意味だと言いたげに一撃で盾役の男の意識を奪ったのだ。

 幸いだったのは、その一撃を受けて地面に沈んだとしても命を失ってはいないことだろう。

 手足が微かに痙攣している様子を見て安堵するというのは、冒険者の男達にとっては嬉しいことではなかった。


(くそっ、やっぱりこんな戦争に参加しない方が良かったんだ。ただでさえ深紅が向こう側に参加してるって情報があったんだから、その情報をもっと真剣に考えていればっ!)


 冒険者の男が心の中で、この戦争に参加する決断をした仲間に……そして、強硬に反対しなかった自分へと盛大に罵声を漏らす。

 元々、討伐軍に参加している冒険者の数は驚く程少ない。

 そんな数少ない冒険者の一団が、このパーティだった。

 ランクCパーティと、冒険者全体で見ればそれなりに上位に位置する。

 いや、ランクAやBまで到達するのが才能のあるほんの一部の者達であると考えれば、一般の冒険者として殆ど頂点に近いランクであると言ってもいい。

 それだけに、男達も自分達の実力にはある程度の自信があったのだが……戦場でヴィヘラという存在に遭遇してしまったことが、最大の不運だった。


「くそぉっ! 相手はたった一人だ! 数の差を利用して押し包むぞ!」


 破れかぶれに男が叫ぶと、仲間達もそれに同調するように叫び声を上げる。

 自らを奮い立たせる、そんな叫び……いや、雄叫び。

 例え相手がこの帝国の皇女であろうとも、この人数で攻撃すれば必ずどうにかなると期待しての攻撃。

 だが……


「ふふっ、死に物狂いの一撃は確かに威力は強いでしょうね。けど、残念ながら貴方達の実力では、私に敵う筈がないでしょう?」


 振るわれる長剣を回避して胴体へと手で触れると、それだけで冒険者の男は地面へと崩れ落ちる。

 槍を持っている男、槌を持っている男もそれは同じであり……気が付けば、ヴィヘラと戦っていた冒険者パーティは皆が地面に倒れていた。

 それでも冒険者パーティにとって幸いだったのは、ヴィヘラに殺意がなかったことだろう。

 自分を相手にして、圧倒的な戦力差を理解した上でも、尚逃げずに立ち向かったその勇気。

 一歩間違えれば蛮勇、もしくは今の状態でも蛮勇寄りだろう相手を気に入ったからこその手加減。

 ヴィヘラにしても、この戦いが内乱であるというのは理解している。

 つまり、国力を落とさない為にはなるべく相手を殺さずに生かして気絶させるというのが大事なのだ。

 もっとも……


「ひゃはははっ、いい女だ、いい女がいるぜ! 貰った、貰った、この女は俺が貰ったぁっ!」


 ヴィヘラの背後から襲い掛かる男。

 背後からでも分かる程のヴィヘラの肉感的な身体を我が物にせんと襲い掛かったその男は、持っていた長剣でヴィヘラの手足の一本でも斬り飛ばしてからヴィヘラを自分の物にするつもりだった。

 向こう側が透けて見える薄い生地で作られた踊り子や娼婦が着るようなその服は、戦場で高ぶっている男の本能を刺激するのに十分な魅力に満ちている。

 だが……この男にとって不運だったのは、ヴィヘラという存在を知らなかったことだろう。

 ヴィヘラにしても、自分が男を惹き付けるような魅力を放っているというのは十分に理解している。

 それを知った上で、未だにこのような服装をしているのも事実だ。

 それだけに、そこに惹き付けられて襲ってくるような相手はこの先帝国の中でも多かれ少なかれ問題を起こす相手だというのは十分に理解していた。

 だからこそ、手甲に魔力を流して爪を作り……振り向きざまに男の頭部を爪で切断しようとし、だが次の瞬間素早くその場を跳躍する。


「ふへっ、どうした姉ちゃん。俺が怖いか? けどお前は俺のぐぴゃぴぇ……」


 男は、最後まで言葉を発することが出来ず、唐突に真横から飛んできた竜にその身体を食い千切られる。

 食い千切られたその身体は周辺に散らばることなく、竜の身体に……水で出来た竜の身体の中へと流れていく。

 そう、突然ヴィヘラの前に現れたのは、水によって形作られた竜だった。

 その大きさは体長十mに届かないくらいか。

 この戦場の中で、最も巨大な存在であるのは間違いなかった。

 水で出来た竜と向き合いながら、ヴィヘラは笑みを浮かべる。

 先程の冒険者パーティと戦っていた時のように見守るような笑みではなく、更にその直後に襲い掛かって来た下劣な男の言葉に浮かべた嘲笑の笑みでもない。

 男であれば……あるいは女であっても見ただけで思わず目を奪われる。艶然とした笑み。

 強いと感じる相手と遭遇した時にのみ浮かべられる笑みだ。


「水竜のディグマ……だったかしら。前から噂では聞いたことはあったし、レイからも話を聞いたことがあるけど……今のはどういうつもりなのか、聞いてもいい?」


 その言葉の真意は、何故仲間に攻撃したのかということ。

 ヴィヘラは、水竜の横に立っている男が自分の仲間であると思っていない。

 当然だろう。ランクA冒険者がメルクリオ軍に所属しているのであれば、もっと話題になっていてもおかしくはない。

 既に一万人を超えるだけの兵力を持つメルクリオ軍だが、それでもディグマのように有名な人物が目立たない訳がない。

 つまり、目の前にいるのは討伐軍に所属している人物で間違いなかった。 

 それなのに、何故かヴィヘラへと攻撃しようとした相手を殺したのだから、その疑問は当然だろう。

 だが、そんなヴィヘラの問いにディグマは何でもないかのように口を開く。


「戦いを自らの欲望で汚すような者は目障りだったのでな」


 口から漏れたその声は、まさに美声と表現してもおかしくないだろう声。

 普通であれば聞き惚れているだろうその声に、ヴィヘラは特に何かを感じた様子もなく口を開く。


「ふふっ、なるほど。レイから聞いていた通りの性格をしてるわね。……一応聞いてもいいかしら? 何故討伐軍に?」

「それ程難しい話がある訳じゃない。ただ、何の縛りもない状態で深紅と戦ってみたかった。それだけの理由だよ」

「……なるほど」


 闘技大会で戦ったのでは? と聞くことも出来たが、それを口にすることはない。

 闘技大会では闘技場という極めて限られた戦場で、攻撃の選択肢も大きく狭められる。

 更に、レイもそうだが水の精霊魔法により生み出された水竜を自在に操るディグマも、どちらかと言えば広範囲攻撃を得意とする人物だ。

 つまり闘技大会ではお互いに全力で戦っていなかったというのは、容易に理解出来た。

 事実、ディグマが闘技大会で使った水竜は頭部だけの不完全なものであったし、レイもまた得意とする炎の魔法を好きなように使えず、相棒であり、自らの半身であるセトもいなかった。


「けど、それならここで私と遊んでいてもいいの? レイがここにいないというのは、貴方ならもう分かっているでしょう?」

「ああ。討伐軍の後陣で暴れているのがそれだろうな。……だが、生憎とそっちは既に先に取られてしまったらしい。残念なことだが、元々討伐軍の上層部も深紅を相手にする為にあの者を呼んだという話だからな。こちらとしても無理は言えん」

「……レイに対して、対抗する為の戦力がいると? もしいるとするのであれば、それは貴方かと思ってたんだけど」


 ランクA冒険者として水竜のディグマの名前はかなり有名だ。

 それだけの実力を持っているというのは、直接会ったのが初めてのヴィヘラにしても、こうして向かい合っていれば理解出来る。

 そんなディグマよりもレイに相応しい相手……と思い、ふと脳裏に一人の人物の姿が思い浮かぶ。

 ベスティア帝国皇帝でもある自らの父の親友でもある、その存在。

 ランクS冒険者にして、闘技大会でレイを破り優勝した人物。 

 だが、そんな筈はないと首を横に振る。

 メルクリオ軍に入ってきている情報や、レイから直接聞いた話によれば、その人物……ノイズは闘技大会優勝の賞品として、本来であれば立ち入りを禁じられている魔の山への入山許可を貰い、魔の山へと向かっていた筈なのだから。

 この内乱が起きた日のことを考えると、間違いなく既にノイズは魔の山に向かった後であり、そうである以上はこの戦場にいるということは考えられなかった。

 そもそも、ノイズが人同士の戦いに手を貸すようなことはこれまで殆どなく、その数少ない例外に関しても親友であるトラジストからの頼みによるものだ。





 だが……現実は、そんなヴィヘラの思いを容易に裏切る。


「いるだろう? 闘技大会で実際に深紅と戦って勝った者が」


 やめて、と。思わず心の中で告げるヴィヘラだったが、ディグマはそのまま魔剣を構えながら口を開く。


「ランクAの私に勝った深紅。だが……ランクSの不動には勝てるかな?」


 一番聞きたくなかった答えに、ヴィヘラの表情が強張る。

 何故、と。

 本来なら絶対ここにいない人物の筈なのに。

 ヴィヘラの瞳に浮かんだ疑問を理解したのだろう。ディグマは小さく溜息を吐いてから口を開く。


「恐らく、向こうも私と同じような思いだったのではないかな」

「レイと制限なしで戦いたかったということ?」

「ああ。特に不動の場合は自らのスキルを深紅に盗まれている。その辺を考えれば、おかしな話でもないだろう?」

「それは……」


 幾ら皇帝の親友ではあっても、ヴィヘラ自身はノイズと直接会話したことすらもない。

 そう考えると、確かにそのようなことになったと言われても、明確に否定出来る訳でもない。


「ともあれ、一番のお目当ては不動に取られた。だが戦場に来たのに戦わずに去るというのも、討伐軍に雇われている以上は出来ない。……そう思っていたところで、ここで行われている戦闘が目に入ってきた訳だ」


 持っていた魔剣を素早く振るうディグマ。

 その剣速はランクA冒険者に相応しいものがあり、自分に向かって飛んできた矢をあっさりと斬り飛ばす。

 横から放たれた矢だったのだが、水竜を使うでもなく、矢の飛んできた方向を見るでもなく、あっさりとそれをやってのけるところに、ディグマの凄さがあった。


「なるほど。つまり私と戦いたいと」

「単純に言えばそうなるかな」

「……こう見えても、私も部隊を預かっている身なんだけど」


 現在は副官に部隊を任せてはいても、いつまでもそのままという訳にはいかない。

 本来であれば、ヴィヘラとしても異名持ちのランクA冒険者との戦いは思う存分楽しみたいのだが、この内乱の行く末が掛かっているともなれば、自分の戦闘欲求に任せて暴れるという訳にもいかなかった。


「なるほど。けど、私をこのまま放っておけば、それこそそちらの被害が大きくなると思うが、それでもいいのかな?」


 確かに、と。

 ヴィヘラとしても、ディグマの言葉に頷かざるを得ない。

 今でさえ、ディグマの隣に存在している水竜は、その大きさから戦場の中では酷く目立っている。

 それだけではない。討伐軍側はその水竜を操っているのが自分の味方だと理解しているからこそ混乱していないが、メルクリオ軍の方では水竜がいつ自分達にその牙を剥くのかと注意せざるを得ない。

 その結果注意力が散漫となり、メルクリオ軍の被害は徐々に増していた。

 ……もっとも、討伐軍の方は討伐軍の方でレイが後陣で暴れている影響により、戦々恐々としている者も多いのだが。

 しゃらん、と。音を立てそうな状態で薄衣を動かすと、ヴィヘラは構えながらディグマと向かい合う。


「どうやらここで貴方をどうにかする必要がありそうね。そして、この場でそれが出来るのは私だけ」


 自分に言い聞かせるように呟くヴィヘラだったが、その口元には紛れもなく笑みが……妖艶な笑みが浮かんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る