第778話
秋の空を、大きく翼を羽ばたかせながら飛んでいる姿がある。
もしもその正体を知っている者が見れば、間違いなく逃げ出すだろう存在。
同時に、その存在がどのようなものかを深く知れば、逃げ出すのではなく構いたくなる存在。
「セト、陣地は幻影に覆われているって話だから、その辺は注意してくれ。幻影だけに触れても問題ないと思うけど、秘宝ってくらいだから、どんな代物なのか分からないからな」
「グルルルゥ」
大丈夫、任せてと告げるセトを、レイは信頼を込めて撫でてやる。
実際、レイとしてもそこまで心配している訳ではない。
確かに幻影で陣地が覆われていれば見つけるのは難しく、そこに突っ込んでしまう可能性は少なからずある。
だが、その幻影で覆われている陣地を現在討伐軍が攻めているのだ。
そうなれば当然幻影で覆っているとしても、その幻影の中で戦っている者達の喧噪を聞き逃す筈がない。
また、セトは空を飛ぶグリフォンだけあって方向感覚も人間と比べて桁外れに鋭い。
自分達が少しの間ではあっても暮らしていた場所へと帰還するのを、間違える筈がなかった。
もっとも……
「グルゥッ!」
セトが大きく翼を広げ、空中で強引に進行方向を大きく逸らす。
数秒後、セトのすぐ近くを人の頭ほどの岩が通り過ぎていく。
「ちっ、向こうにしても俺とセトが先行するってのは予想済みか」
セトとレイの視界に入って来たのは、地上に展開している幾つかの部隊。
街道の左右に三つずつで、合計六部隊。一つの部隊が十人程度でそれぞれ投石機を用意している。
最初に投石機を使ったのとは違う、他の部隊からの投石機による攻撃が行われ、セトは再び翼を羽ばたかせて飛んできた岩を回避する。
幸いだったのは、投石機だけで弓を持っている者が少数しか用意されていなかったことか。
もっとも、地上からセトが飛んでいる場所まで矢を届かせることが出来るかと言えば、答えは否だ。
勿論弓兵として一流、あるいはそれ以上の腕を持っている者であれば話は別だったかもしれないが、そのような腕利きは陣地を攻める方に回されており、ここにはその姿はない。
何個もの岩が連続して、あるいは同時に放たれてセトを狙う。
弓で届かないのであれば、投石機で。
更に、本来であれば投石機が飛ばすのはかなり巨大な岩が一般的なのだが、今回用意されているのは人間の頭部程の大きさの岩。
城や街を攻撃するのであれば確かに岩の大きさは小さいが、一人と一匹を攻撃するにはそれで十分だと判断したのだろう。
実際、それだけの大きさの岩が投石機で飛ばされてくるのだから、当たればレイであってもセトであっても致命傷……とまではいかないが、大きなダメージを負うのは間違いない。
それに岩が小さい分、投石機にセットするのにも手間が掛からず、より発射間隔が短くなって多くの岩を飛ばせるというメリットもあった。
「しかも分散して配置しているのが厄介だよな。いや、間違いなく俺の魔法に対する対策なんだろうけど」
レイの放つ魔法はその多くが効果範囲が広く、一ヶ所に纏まって存在していれば纏めて投石機が破壊されてしまう。
それに対する対策であり……
「反乱軍が攻撃されていると聞けば、当然俺が救援に向かうってのは想像するのは難しくないだろうけど」
「グルゥ?」
呟くレイに、どうするの? と喉を鳴らして尋ねるセト。
その間にも翼を大きく広げ、自分目掛けて飛んでくる岩を回避し続けている。
中には上手い具合にセトの回避した方向に向かって飛んでくる岩もあるのだが、その岩は前足による一撃であっさりと砕かれ、空中に破片を撒き散らす。
「そうだな、このまま通り過ぎてもいいけど……いや、投石機は何だかんだと破壊力が高いか。ならここでスルーしたりすれば、
反乱軍に向けて使われる可能性も高いし、フリツィオーネ達に向けられる可能性もある。それを考えると、ここで破壊しておいた方がいいだろうな」
少し考え、セトの背の上から地上へと視線を向け、投石機の数を数える。
全部で六機。
それぞれがある程度の距離を開けて設置されている以上、破壊するには個別に破壊していくしかない。
「セト、半分頼めるか?」
「グルゥ!」
任せて! と喉を鳴らすセトに、レイは念の為とばかりに言葉を続ける。
「一応言っておくが、スキルの使用は禁止だぞ」
「グルルゥ」
喉を鳴らすセトが了解と言っているように思えたレイは、大丈夫だろうと判断すると、そのままセトの背から飛び降りる。
上空百m程の位置から飛び降りたのだから、地上で投石機を操作している兵士達は一瞬やったか! と判断する。
確かに普通の人間であれば、その判断は間違いではない。
だが……レイの場合は、普通の人間とはとても言えなかった。
そのまま、足から地上へと落下していく中でレイはスレイプニルの靴を発動。
空中を一歩、二歩、三歩と歩きながら落下速度を殺しつつ、投石機の真上へと降下する。
レイだけの重さであれば、それ程の被害は出なかっただろう。
だが、今のレイはその手にデスサイズを……レイとセト以外には百kg程度の重さを持つデスサイズをその手にしている。
そうである以上、当然デスサイズの石突きがぶつかった投石機が無事で済む筈もなく、あっさりと破壊され、周囲に破片が飛び散り、兵士達に大小様々な被害を与えた。
運がいいものは無傷だったり多少のかすり傷で済んだが、運が悪い者は投石機の破片で頭を砕かれ、あるいは喉に突き刺さりといった風に致命傷を受ける。
更に、当然それだけで終わる筈もなく……
「はああぁぁっ!」
気合いの声と共に地を蹴り、デスサイズを振るう。
殆どの兵士が、何が起きたのか理解が出来ないままにその刃によって斬り裂かれ、手足、あるいは胴体や頭部といった場所を斬り飛ばされる。
数秒、ほんの数秒で投石機の周りにいた兵士達は全員が血の海に沈む。
「っと!」
デスサイズの刃についた血を振り払うのと、飛んできた矢を回避するのは殆ど同時だった。
それも当然だろう。レイの狙いが投石機であるのは明白であり、そうである以上、他の投石機を使用している部隊が次は自分達の番だと思ってもしょうがない。
セトも当然暴れているのだが、今はとにかく自分達に近い位置にいるレイを排除する方が先だと判断し、弓兵が矢を放ったのだ。
最初に放たれた矢を回避したレイは、続けて何本も放たれた矢を回避し、あるいはデスサイズで斬り飛ばしながら投石機の方へと向かう。
投石機を守っている部隊の方も必死なのだろう。このままでは投石機が破壊されると分かっている為か、何とか投石機を動かし、レイへと向かって岩を放つ。
相変わらずその岩は頭部程の大きさの岩だったが、人間一人を殺すには十分過ぎる程の威力を持っているのは明らかだった。
だが……
「一度見た手だ!」
その一言と共に、魔力を通したデスサイズを一閃。
岩は真っ二つに分かれながら、レイの後方へと飛んでいく。
後ろに飛んでいった岩を見もせず、そのまま投石機とそれを守っている部隊へと向かって突っ込む。
当然部隊の方も黙ってレイが突っ込んで来るのを見ているだけではなく、腰の鞘から長剣を、あるいは地面に置いてあった槍を拾いと、近接戦闘の準備を整える。
少数の弓兵も、弓を捨てて近接戦闘用の武器へと手を伸ばす。
「飛斬っ!」
その一言と共に、デスサイズから放たれた飛ぶ斬撃は数人の身体を斬り裂きながら消えていく。
もっとも、人体を切断する程の威力は出せないのが飛斬だ。皮と肉は切れても、骨を断つことまでは出来ない。
それでも、飛斬の斬撃は大勢の兵士に傷を与えることには成功した。
そして、怪我をすれば当然多少なりとも動きが鈍り……そこにレイが突入する。
味方の中に敵であるレイが突っ込んできたのだ。迂闊に武器を振るえば味方に被害を与える。
短剣の類を手にしている者がいれば話は別だったかもしれないが、この部隊の中には短剣を持ってはいても、レイが自分達が密集してきている中に突っ込んできた状態でそこまで考えが及んだ者はいなかった。
数秒でもあれば話は別だったかもしれないが、密集している状態で魔力を通したデスサイズを大きく振るわれ、その刃は周囲にいる者の命を奪う。
文字通りの意味で一刀両断。
数秒前まで生きていた仲間が、次の瞬間には死んでいる。
レイの周囲が兵士達の血で真っ赤に染まり、内臓が、肉が、骨が散らばり、周囲には強烈な鉄錆の臭いが漂う。
その大鎌を振るう姿は、まさに深紅の異名の面目躍如だった。
強い鉄錆の臭いの中で、それでもレイは動きを止めない。
くるくる、くるくる、と。まるで踊っているかのようなステップでデスサイズを振るって兵士達の命を刈り取っていく。
時間にして数秒程度の戦いだったが、既にその場に生き残っている者は存在しなかった。
周囲を見回し、もう一つ近くにあった部隊の兵士が逃げ出していくのを眺めながら、レイはそっと破壊されていない投石機へと手を触れ、ミスティリングへと収納する。
同時に投石機の周囲に用意されていた岩も全て回収し、逃げ出した兵士達がいた投石機の方へと向かって歩を進める。
だが兵士達もただ逃げるだけではなく、投石機はレイに利用されないようにしっかりと破壊されていた。
レイがアイテムボックスを持っていると知っているからこその行動だろう。
(となると、やっぱりここにいたのは俺を狙い撃ちにする為の部隊だったんだろうな)
投石機は無理でも、人間の頭部程の大きさの岩は破壊されることはないまま、そこに残っている。
せめてもの収穫ということで岩を回収していると、空から翼の羽ばたく音が聞こえてきた。
「グルルルルゥ!」
嬉しげに喉を鳴らしながら姿を現したセトは、地上へと着地するとレイの下へと向かって走って行く。
そんなセトを受け止め、頭を撫でるレイ。
「もう終わったのか?」
「グルゥ!」
当然、と鳴き声を上げるセトに笑みを浮かべつつ、レイの視線はセトに任せた三つの部隊の方へと向けられる。
そこでは三機の投石機が全て破壊されており、所々に兵士の死体が転がっていた。
ただし、その死体の数は驚く程に少ない。
レイと戦うのではなく、グリフォンのセトと戦うというのを悟った兵士達が、撤退を選択したからだ。
残っているのは、戦わずに逃げるのは嫌だとここに残った兵士達の死体のみ。
流水の短剣を取りだし、血で汚れたセトのクチバシや前足といった場所を洗い流した後で一応とばかりに岩を収納していく。
「さて、セト。取りあえずここは片付いたし……反乱軍の陣地に向かうか。ここから逃げ出した兵士が俺達の接近を知らせるだろうから、出来ればその前に一当てして向こうにダメージを与えておきたいな」
「グルルルゥ? グルゥ!」
レイの意見に賛成するように喉を鳴らしたセトは、背をレイの方へと向ける。
早く行こう! というセトの思いに、レイは頷いてその背に跨がった。
セトにしても、反乱軍には自分を可愛がってくれた相手が大勢いる。
兵士や冒険者、傭兵といった戦う者達だけではなく、よく自分に食べ物をくれた娼婦や行商人といった、戦闘が出来ない者達も大勢いるのだ。
本来であれば、そのような者達は戦闘が始まる前に陣地を出て行くのが普通なのだが、討伐軍が街道を封鎖している以上はそうする訳にもいかず、更には奇襲で討伐軍が反乱軍の陣地へと攻め寄せてきた。
(俺達が帝都から出発する前、ブラッタやロドス達と戦う前に、既に部隊を派遣していたんだろうな。普通なら、それだけの兵士を動かせば人目につくのは間違いないだろうけど……その辺の巧みさは、聞いた話によると軍部に強い影響力を持っているシュルスの方か?)
当然そんな状況で非戦闘員を陣地の外に出す訳にもいかず、その者達は今もまだ陣地の中に残っているという話は、この件を知らせに来た兵士からレイもセトも聞いていた。
「グルルルルゥッ!」
レイを背に乗せたセトは、そのまま翼を羽ばたかせて空へと駆け上がって行く。
そうして陣地のある方へと進むレイとセトだったが、すぐに視界の中に二百人程の部隊の姿を眼下に捉える。
その部隊へと向けて駆け寄っていく者達が間違いなく先程自分達から逃げ出した者だと知ると、口元にニヤリとでも表現すべき笑みを浮かべる。
「セト、どうせだ。あの部隊の上空を少しゆっくり飛んでくれ。投石機の礼をしていかないといけないだろうしな」
「グルゥッ!」
レイの呼びかけにセトは分かった、と喉を鳴らし、敵部隊の上空近くに来ると飛ぶ速度を落とす。
それを確認したレイは、ミスティリングからつい先程収納した人間の頭部程の大きさの岩を取り出しては、敵部隊の上空で下に落とす。
人間の頭部程の岩ではあっても、十kg以上はある。
それが上空百m程の高さから降ってくるのだ。
それも、一つ二つといった数ではない。十、二十、三十といった具合に。
当然その威力は投石機で連続して岩が放たれているのと同様であり、下にいる部隊にしては堪ったものではない。
被害自体はそれ程多くはないのだが、心理的な恐怖により、この部隊は壊滅状態に近い精神的なダメージを受けることになる。
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